第四章 四話 受け渡し
ハドリー・ロングフェローの暗殺を許してしまったこと。
これは先の暴動事件を見事に対応した、フィリップス大佐についた唯一のケチである。
暗殺されてしまったせいで、過激派種族主義者同士の繋がり。
これを辿ることが出来なくなってしまった。
国内に潜伏する過激派を一掃する、絶好の機会を失ってしまったのだ。
これが大きな痛手であるのは間違いないだろう。
過激派の情報さえ掴めていれば、根切りによって、より明るい未来を築けたはずなだけあって、実に無念である。
しかし、ここにきて、もしかしたならば、情報の一端を摑むことが出来る可能性。
それがにわかに浮上した。
その鍵となるのが、さきほど公園で出会った少女、エリーである。
なんと彼女はロングフェローが、下手人によって殺される瞬間を目撃したと言うのだ。
その言葉を聞くや、楽しいピクニックに水を差すこと。
それは重々承知していたけれど、しかし、俺はエリーの手を引いて中座して。
緑の芝が生ゆ中央公園から、無骨で質素な赤煉瓦積みの守備隊隊舎にやって来たのだ。
過激派種族主義者の情報が少しでも欲しいゾクリュ守備隊は、当然この目撃者ありの報せに飛びついてきた。
守衛にこの事を伝えるや否や、彼は文字通りすっ飛んで大佐に報告しに行ってて。
普段のんびりとした印象を受ける大佐が、転げ回るような勢いで、隊舎の入り口で待ちぼうけを食らった俺の下にやって来たのだ。
「ウ、ウィリアムさん。暗殺の目撃者が居たって、本当ですか?」
隊舎内を大急ぎで走ってきたのだろう。
そう言った大佐の息は少し荒れていた。
そして他にも目もくれず突っ走ったからか。
途中ゴミ箱を蹴飛ばしたらしい。
ズボンの裾にはなにやら紙くずが、ぷらぷらと、ひっかかっていた。
そんな余裕のない大佐の姿に呆気にとられたか。
それとも、俺がここまで何も言わずここまで連れてきてしまったが故に、状況が掴めないのか。
いや、そのきっと両方だろう。
エリーは呆然、唖然、上の空。
あまりに目まぐるしい勢いの状況変化に、着いて来れないようである。
目の前の状況にどう対応したら良いのか。
それがまったくもって、わからない感じでもあった。
有無を言わさずここまで連れてきてしまった、負い目もある。
ここが何処であるのか。
なにをしに来たのか。
俺がそれを説明しなければならないのだろう。
「あー。ごめん。何も言わずにここまで連れてきてしまった。ここはね、ゾクリュ守備隊の隊舎なんだ。ちょっと君に話して貰いたいことがあって」
「守備隊……? あのヤードの機能を吸収した、あの守備隊?」
「そう。その守備隊」
「軍だか警察だかよく解らない、件の守備隊?」
「左様。かの守備隊」
「……」
一拍の沈黙。
その後、彼女は。
「……さらば! ウィリアム!」
その姿はまさしく脱兎。
エリーは身を翻し、逃走を試みる。
させてなるものか。
「はい、待った」
「ぐえ」
所詮は少女の運動能力。
俺は型崩れしたコートの襟首。
そいつをわけもなくひっ捕まえて。
エリーの逃亡を阻止。
彼女の口からくぐもった声が漏れ出る。
俺が襟首を摑んだせいで、コートの襟が首に食い込んだがための声である。
「何も言わずここまで連れてきてしまったのは、本当に悪いと思っているんだ。でも、だからってさ。逃げようとするのはどうかと思うんだ」
「どうかと思うのはこっちだよ! なにも言わずにこんなところ連れてくるなんてさ! そんなの、被疑者受け渡しの図でしかないじゃないか! そりゃ、逃げたくなるよ!」
「いやいや。そういうつもりはなかったんだけど。やましいことしてなければ、別に隊舎に連れてこられても、なにも思わないものじゃないのかな?」
「そりゃ、普通の定住民の意見だよ! 今の私の格好をよく見てよ!」
先ほど公園でやったように彼女は、ほら、見たまえ、と自らの服装を顕示する。
公園のときよりも、より荒々しく、よりオーバーの動きで両腕を大きく広げる。
「型崩れして、色落ちして、よれよれのコートとズボン! 誰が見たって、その辺のルンペンと変わりがないじゃん!」
「あー……ルンペン……いやいや……うん」
「おい! 納得しかけないで! そこを否定できる融通の良さが、人類のいいところだろうに!」
「でも、ちょっと苦しくない? いかにも捨ててある服を拾って、着てみましたって感じが……こう、ひしひしと」
「拾い物じゃないわい! これが私の一張羅なの! 馬鹿にしないで!」
「それが一張羅」
「そう。一張羅!」
「だから、今の格好はルンペンみたいな格好じゃない、と? きちんとした身なりだと?」
「違うけどさ! もうほとんどルンペンだけどさ! でも理性と感情が乖離するのが人類ってもんでしょ!? 乙女心ってもんでしょ!?」
乙女心に忖度せよ、と堂々と宣うエリー。
地団駄を踏みながらそう要求するエリー。
だが、しかし本当に彼女に乙女心ってやつがあるのか。
それは甚だ疑問である。
本当にそいつがあるのならば、いつまでも拾い物然に満ち満ちた衣服を、後生大事に着続けているはずはあるまい。
とは言え、そのことを実際に口に出しておくのはやめよう。
彼女を怒らせてしまうのが目に見えている。
これでも二十年以上の年嵩を重ねてきたのだ。
迂闊なことを言って、女性を怒らせるとどんな目に遭うか。
それは十分に理解しているつもりであった。
「まあ、実際には違うし、俺にはそうには見えないけど、君の言う通り、君がルンペンに見えるとしよう。でも、なんでそれが逃げ出す理由になるんだい? どうして、ルンペンだと隊舎から逃げないと駄目なんだい?」
「そりゃ決まってるじゃない! 治安維持組織の趣味と言ったら、浮浪者イジメ! 適当な罪でっち上げて、捕まえて! あの手この手、それはそれは残酷な方法で、日頃のストレスを解消しようとするに決まってる!」
「ええ……そりゃ、とんでもない偏見を抱かれたもんですねえ……僕たちも」
思わず口から零れてしまった。
大佐のぼやきは、いかにもそんな体であった。
俺もそんな大佐の本心に同意したいところだ。
「まあ、確かに全部の守備隊が真面目とは言えないし、中にはそんなとんでもないところもあるのは否定できませんけどね。でも僕は、そんなことしないから安心して下さいよ。なんか悪いことしてない限りでは」
「どうだか! 口ではそう言って、いざ信じて着いていったら、手のひらを返すという人類も居るじゃない! 私はまだゾクリュじゃ悪いことしてないけどね! 悪事も適当にでっち上げれば――」
「はい、ちょっち待って。今なんて言った? まだゾクリュじゃ? それってつまり、他の街ではやらかしたことあるってこと?」
「……」
再びの沈黙。
彼女ははくりと口を噤む。
そして油の欠いた歯車機構のように、ぎちぎちとぎこちない動きで、首を回して、こっちを見て。
「……へへへ」
そして一度、にへらと奇っ怪に笑む。
へつらいの色が濃い笑顔だ。
「あばよ! ウィリアム!」
またしても脱兎、現る。
二度目の逃走。
だが、逃がしてなるものか。
「うん。待った」
「ぐおっ」
再び襟首を摑んで彼女を捕獲。
また襟が引っ張られて、エリーの口からくぐもった音が漏れ出した。
「で、そこんところどうなのさ? 他の街でなにやっちゃったの?」
「わ、私は悪いことなんか何もしていない! 悪いのは向こうなんだ! 不可抗力だ! むしろ私は被害者だ! ああ、あの露店め! 思い出しただけでも、ムカついてくる!」
「被害者、ねえ。で、その露店とやらは、なにやったの?」
「空腹の私の目の前で!」
「空腹の君の目の前で」
「濃厚なソースが嬉しい……そんなバーベキューを売っていた! 焼いていた!」
「ふんふん。そりゃ、恨めしいかもしれないね。それで?」
「でしょう? 腹ぺこな人間の空腹中枢をなお刺激するこの悪行! 許してなるものかと私は思った! だから!」
「だから?」
「世間話を隠れ蓑に数本こっそりと抜き取ってやった! 一切気付かれずに! ふふん、消費本数と売り上げが合わずに、さぞ頭を悩ませたことでしょうね! ざまあまろ!」
悪びれもせずに、やらかした犯罪行為を白日の下に晒すこの少女。
反省の色がまったく見られず、それどころか被害者を加害者かのように言い放つ、この始末。
これはちょっとばかし、お仕置きが必要かもしれない。
丁度人間にお仕置きを与えること。
それを生業としている人が近くに居ることだし。
ここはプロに任せるとしよう。
「……大佐」
「はい」
「食い逃げ犯です。どうぞお納め下さい」
「はい。受け取りました」
どうぞどうぞ、存分にしょっぴいて下さい。
そんな態度を言外ににじませて、襟首を引っ掴んだままのエリーを大佐に引き渡した。
「ちょっとお!? やっぱり被疑者受け渡しじゃない! だましたな! ウィリアム!」
さて、その引き渡された食い逃げ犯は猛反発。
ぶりぶり怒って、不服の意を露わにする。
身を捩って逃げようとする。
だが、悲しいかな。
大人の男の手を振り払うには、少女の力では絶対的に不足していた。
逃走の努力もむなしく、未だ襟首を掴まれたまま。
「ええい! 畜生! だからこれで話を聞けると思うな! こんなこすいやり方で私を捕らえるなんて! 一切話してやらないからね!」
そして声高らかに宣言する。
絶対に委細を話してやるものかと。
彼女はせめてもの抵抗をしてやろうと試みた。
まずは落ち着かせなければと判断したか。
まあまあ、と、癇癪を起こした子供をあやすかの声色で、大佐が彼女に語りかける。
「お嬢さん、お嬢さん。僕が貴女を、他の街の軽犯罪でしょっぴくのは越権なんで、出来ないのですよ。ただ、僕は話して欲しいだけなんです。あの夜のことをね。これは尋問じゃありませんよ。なんだったら、お茶とお菓子を啄みながら話されたってもいい」
「む。食い物を餌にしてきたな! だが、私はそんなものに釣られ――」
「紅茶にチョコレートケーキなんてどうです? 最近、王都で流行りのお店、そののれん分けがゾクリュに来たんですよ。部下にひとっ走りさせて買いに行かせますから、食べながらお話ししましょうよ」
「よし! 乗った! 話す! べらべら話す! 貴方のこと変に言って悪かった! ごめんなさい!」
先ほどまで、協力を一切拒む雰囲気と、隙あらば逃げ出そうとする姿勢を見せていたというのに。
王都で評判のケーキを食べられると知って、態度は一変、手のひら返し。
聞かれたことをすべて答えてやろう。
そんな協力的なものに変貌した。
さっき公園で、たらふくメシを食ったというのに、すぐにケーキにつられるとは。
なんとも凄まじい食欲である。
この強烈なまでの食への執念。
戦争が生んだ欠食児童ってやつだろうか。
それともただ単純に食い意地が張っているだけだろうか。
前者であれば同情すべきだが、後者であれば呆れるべきだろう。
しかし俺にはその判別が着かなくて。
どんな感情を抱いたら良いのか。
それがわからずに、とても奇妙な気分になってしまった。