第四章 二話 テーブル下の気配
死屍累々。
そう呼ぶに相応しい、悲惨な光景。
戦争が終わったこんにちにおいては、あってはならない、そんな光景。
それが緑の芝生が眩しい、白昼の公園で広がっていた。
しかもそいつは、戦場でも見ることの出来ないほどに酷いものだった。
いや、戦場なら絶対に見ることが出来ないもの、と断言してもいい。
この世の最低を集めて、煮詰めたような場所である戦場。
そんな場所にさえない、阿鼻叫喚な光景であった。
「おい! 若人! ギルトベルト! なあに潰れておるだ! 小僧は老人の長話に付き合う義務があるのだ!」
「そうだ! おいちゃん! そーんないいガタイして、せいちょうき、すっ飛ばしたような、ひんそーな身体のわたしにまけるなんて、はずかしくないのか! うへははは!」
倒れるギルトベルトをひたすら煽り倒す二人。
先日の無国籍亭襲撃の際、巻き込まれてしまったエルフの戦友フェナーとヘッセニア。
その二人が、奇妙なテンションで地に伏すギルトベルトに罵声を浴びせ続けた。
倒れるギルトベルトの顔面は蒼白。
その上、ぐったりとしていてぴくりとも動かない。
わずかにうめき声を上げるだけ。
二人の心ない罵詈に反応できないあたり、相当気分が悪そうだ。
そんな三人を、俺たちは離れた場所から見た。
芝生に刺した屋敷から持ってきたパラソルの下。
皆が持ち寄った料理が載った、簡単なテーブルを囲んで眺めていた。
「見なよ。ウィりアム。あレが酔っ払いの末路だ」
アルコール臭に包まれる、あの三人を冷たい目で見て、そう言うのはレナ。
その目にも、声色にも一切の同情の念を感じることができない。
見る人が見れば、冷たい、と指弾される態度であろう。
だが、今の俺は全面的にレナの意見に同意したい。
同情よりも、冷たい視線を浴びせたい気分であった。
そしてそんな気持ちを持っているのは、レナと俺だけではあるまい。
現にテーブルを囲む面々はいずれも辟易が色濃い顔付き。
酒に深く酔ってぶっ倒れた。
煽り倒すあの二人のペースで飲んだら潰れた。
ギルトベルトがああまでグロッキーになっている理由はこれだ。
しかも無理矢理飲まされたのではなく、自らすすんで飲んでああなったのだ。
いい歳をしているのに、自己管理がまったくできていない。
これで同情しろと言われても、キツいものがあろう。
だから全員が全員、彼を助ける気にはなれなかった。
現に無国籍亭のコック、ムウニスは露骨にそちらに目を合わそうとしない。
きっと目が合えば巻き込まれるだろう、という予感があってのことだろう。
未成年であるアンジェリカは、ヘッセニアの酔いっぷりに衝撃を受けうろたえていた。
いつもと違うヘッセニアに面食らっているようである。
「……何というか。真っ昼間から酔い潰れた男と、妙なテンションの酔っ払いどもを見るのは妙な気分だよ。世も末だ」
「しかし、ウィリアムさん。これはこれで平和な光景ではないのでしょうか? そう考えるとこの光景が尊く見えて……」
「アリス……彼らをフォローするのはいいけどさ。アレを見ても、フォローし続けられる?」
顎で酔いどれ三人衆をしゃくる。
地に伏していたギルトベルトの様子がなにやらおかしい。
ずるりずるり。
腹ばいのまま、何処かへと行こうとしていた。
あそこから逃げようとしていた。
逃げて、彼はなにをしようとしているのか。
それを知りたければ、今のギルトベルトの顔を見ればいい。
頬を不穏に膨らませているのがわかるだろう。
まあ、そういうことだ。
しかし、ギルトベルトのやろうとしていることは、まだわかる。
人目の着かないところで戻そうとしているのは、理性が感じられる。
だがしかし、彼を囲む二人はまったくもって、非理性的であった。
弱者を食らわんとする、むき出しの獣欲。
そいつを遠慮なくギルトベルトに向けていた。
「む! ヘッセニア! なんか這いつくばって逃げようとしてるぞ! 逃がすな!」
「りょうかい! させるか! どかーん!」
「うぷ……!」
フェナーはギルトベルトの足を摑んで、動きを封じた。
そして身動きが取れなくなった彼の背中。
ヘッセニアはそこ目掛けて、勢いよく急降下。
衝撃がギルトベルトの胃を強かに揺らして。
その頬が一層膨れて大きくなった。
漏れ出そうになる中身。
それを彼は両手を使って食い止めて。
そして何とか漏洩を阻止したようであった。
ごくり、ごくり。
何度かその太い喉が嚥下に揺れた。
口までモノが逆流してしまったこと。
このせいで随分と体力を消耗したのであろう。
ギルトベルトの顔色は一層悪くなり、今や真っ白。
すっかりと血の気が失せてしまった。
「うひゃひゃひゃひゃ! 見てよフェナーのだんな! おいちゃん死にそうな顔してるー!」
「ははは! 頑丈そうな見た目して、案外繊細なヤツだな! 安心するがいい! 万能薬を今飲ませてやろう!」
「おいちょっと……タンマ……! うぐっ」
そんな衰弱した男を指さして、げらげら笑う悪魔が二体。
しかもその内の一人、エルフの方は迎え酒のつもりなのか。
ウィスキーのビンをギルトベルトの口に突っ込む始末。
なんというか、悪意しか感じ取れない所業である。
「……フォロー、できる? これ、平和な光景?」
一連の鬼畜そのものな行いを見届けて、改めて問い直す。
連中が織りなす暴挙が、果たして見て愛でることができるものかと。
「……ノーコメントでお願いします」
流石のアリスもここまで来ると、どうしようもなくなったらしい。
ぷいと彼らから視線を逸らして、無関係を決め込むことにしたようだ。
お日様の下繰り広げられる、このアルコール騒動。
どうして、穏やかな公園でそんな低俗な騒ぎが起きてしまったのか。
その発端は極めて平和的なものであった。
先日の無国籍亭襲撃事件。
店はボロボロになってしまったものの、店員客双方無傷であったこと。
そして、事件の後レナが無事に守備隊によって保護されたこと。
この二つを祝って、ちょっとしたピクニックをしようと、無国籍亭の面々から誘われ、それに応じたこと。
これがそもそもの始まりであった。
天気にも恵まれ絶好のピクニック日和となり。
それぞれが持ち寄った料理を広げながら、穏やかな時間を過ごす――
はずであった。
雲行きが怪しくなったのは、ギルトベルトがビールの樽を持って遅れてきたあたりからだ。
酒好きなフェナーとギルトベルトが、持ち寄った料理そっちのけで飲み会を始めてしまったのである。
「いやあ。ここまでひどい自爆は珍しい。まさかギルトベルトが、静かにしろと注意しに行ったヘッセニアに酒飲ますなんてなあ。ヘッセニアに酒は禁忌だというのに」
「禁忌?」
「ああ。ヘッセニア本人はアルコールは苦いから嫌だといって、すすんで飲もうとはしないけどね。ただし、一滴でも飲ませると……」
「あんな風に、絡み上戸の飲ませ上戸になルわけか」
「そういうこと」
レナに説明した通り、ヘッセニアはアルコールが口に合わないらしく飲みたがらない。
しかし、どういうわけか。
酒は嫌いなくせに、一滴でも飲んでしまうと、途端に彼女のテンションは爆上がり。
周りの人に無理にでも酒を飲まそうとする、タチの悪い酔客に早変わりするのだ。
その上、一瞬で酔っ払うくせに、そこからが非常に長く、彼女はいくら飲めども潰れないのだ。
結果、周りの人間をがんがん酔い潰す、ドランクモンスターが爆誕してしまうのである。
そんなヘッセニアにギルトベルトは迂闊にも飲ませてしまったのだ。
この結末になるのは、当然の帰結と言えよう。
「しかも酒の抜けは非常にいいらしくてね。ああなってるというのに、ヘッセニアはまったく二日酔いしないんだ」
「物凄くタチが悪いですね……」
「だろう? まあ、本人は酒の味が嫌いで飲みたがらないのが、救いだったんだけど……」
「ギルは最悪手を取ってしまった、と。しかも酔った勢いで。いやいや、ますます同情できなくなりますよ」
卓上の料理の半分を作ったムウニスの呟き。
まったくもって然り然り、とばかりに、テーブルを囲む全員がほとんど同時に頷いた。
酔いどれの三人と距離を置く面子は、全員素面である。
年齢的に酒が飲めないアンジェリカと、飲酒が戒律に引っかかるムウニスを除けば、皆昼から飲むことに抵抗があったのだ。
「まあ、奴ラがちゃんぽんしたおかげで、こっちは料理が充足したわけで。その点で言えば、感謝しなくちゃなラないかな?」
「確かに。大食らいなギルが居なくなるだけで、こうも料理が行き届くとは、思いもよりませんでした」
アリスお手製のミートパイを頬張る前のレナの一言に、ムウニスは肯んじた。
やはりギルトベルトは、あの立派な体格相応に食うようだ。
賄い飯も一人で作っているであろう、ムウニスの苦労が忍ばれる。
「そレにしても、意外なのは……ウィりアム。貴方って背丈の割には大食いなのね」
「うん? そうか? そこまで食べたつもりはないんだが」
「料理の減リ方見レばわかるよ。貴方のそばの料理だけ、妙に減ってるかラ」
「んん? おや、本当だ」
レナの指摘を受けて、テーブルをつぶさに観察。
そして言われて初めて気がついた。
確かに彼女の言う通り、俺のほとんど目の前にある二つの皿が奇妙に減っていることを。
皿が半月状に舐めたように綺麗になっていることを。
無論、料理が消えているのは、俺から見て内半分だ。
二つの皿に盛られていたのは、ターメイヤとライスボール。
共にムウニスが作ったものだ。
当然、俺も手を付けた。
その味が絶品であったことも知っている。
だが、しかし、はて。
ここまで露骨に減るまで、がっついてしまっただろうか。
三、四口は確かに食べたが、それくらいでここまでごっそり減るとは思えない。
なんとも摩訶不思議なことがあったものだ。
超小型の邪神でも現れて、料理を掻っ払っていったのか。
そんな間抜けなことを考えている、その時であった。
にゅっと、テーブルの下から誰かの手が伸びてきて。
。
むんずと料理をこっそりと手づかみ。
そして手はテーブルの下へと戻っていった。
俺とレナのやり取りのお陰で、二つの皿を見ていた一同はにわかに硬直。
一拍の沈黙が流れて。
次の瞬間には、ほぼ全員が全員に対してきょろきょろ目配せ。
今の、見た?
テーブルを囲んだすべての目は一様にそう語っていた。
と、いうことはつまり、全員見たということだ。
このテーブルの下に誰か居る。
それは動かしがたい事実なようだ。
下に居るのは職にあぶれた難民か?
それとも食うに困ったごろつきか?
いずれにせよこちらに気付かれたことを察せられて、暴れられるのは面倒だ。
と、なれば。
万一暴れられても、強化魔法で制圧できる、俺が下を覗き込む他あるまい。
一度全員に、下、覗くけど良いね? と目配せをして。
同じく無言の、全員分の返事を受けて。
ゆったり、そっとテーブルの下を覗き込んでみれば。
「あ……バ、バレた」
くたびれたコートとズボンを纏った一人の、くすんだ赤毛の少女がそこに居た。