第三章 二十二話 剣の天才
「あの噂は。どうやら本当だったらしい……ってことかな?」
路地裏に突き飛ばされた大佐が、大通りへと戻ってきた。
まさか、まさか。本当だったとは、と口ずさみながら。
「噂?」
「ええ。有名人にはついてまわる、言うなれば有名税的なヤツなんですが」
大佐はそう前置きして。
そして俺と肩を並べると、ゆったりとした口調で話し出した。
その噂ってやつについて。
「まだ共和国が健在だった頃です。時々、人間同士で決闘すらできる余裕をもっていた頃。決闘で負け知らずの剣士が居たそうです。その人は役者だったらしいのですが……徴兵されるほど強かったらしいのです」
「共和国が役者を? しかし、あの国は」
「そう。芸術、芸能の才を持つ者は、保護という名目で徴兵はしない。その方針でした。それを曲げてでも手に入れたい人材であったようです。もっとも、徴兵されたのは首都防衛戦。尻に火がついてからの話らしいですが」
「待って下さい。首都防衛戦と言えば……」
「その通り。戦争後半期に発生したいわゆる共和国戦役。その最後をしめくくる、最大の敗戦です」
農業国であった共和国が、数年にわたる天候不順で大不作を毎年のように記録していた頃の話だ。
よりにもよって、そのタイミングで邪神が共和国に侵攻した。
なんも前触れもなく。
ほとんど奇襲的に。
連続した不作により、衰弱し始めていた共和国は次々に国土を浸食され。
連合軍の救援が到着するも形勢逆転には至らず、あえなく共和国は陥落。
人類は久しぶりの戦線後退を余儀なくされたのだ。
そんな戦役で最大の戦闘が首都防衛戦であった。
いや、あの戦いを防衛戦と称するのは正確ではないか。
民間人を王国へ逃亡させるために敢行した捨てがまり。
それがあの戦闘の本質であった。
連合軍はもはや共和国の防衛能わぬと判断したのだ。
「市民を逃がす。そのことには成功しましたが……しかし、あの戦闘の損耗率は七割を超え、特に共和国兵の生き残りは、ほとんど居なかったと聞いております」
「ええ。その激戦を生き延びた数少ない兵の一人が、どうにも歌劇座の座長であるらしい――僕が聞いた噂ってのはそういうのです」
その真偽は如何に。
俺と大佐の視線はル・テリエ座長に注がれる。
俺らの動きを一瞬たりとも見逃さぬ。
そのために役者特有の眼力で睨み付ける彼は、ほんの一瞬だけ相好を崩す。
いかめしい雰囲気がふっと抜けさって。
そしておもむろに口開いた。
「懐かしい話だ。そして悲しく、恥ずべき記憶でもある。私たちは、母国を守り切ることができなかったわけですからな」
そして、認めた。
その噂が真なることを。
ニコラ・ル・テリエが、一介の役者などではなく、従軍経験者であることを。
「……通りで強いわけだ。あの絶望的な戦闘を生き残ったのだから、当たり前か」
「なに、君も似たようなものだろう。どこの誰かは知らないがね。君のその目は凡百な兵のそれとは大違いだ。数多の死線をいくつも乗り越えてきたのだろう? 違うかね?」
「ええ。誠に残念ながらその通りで」
「だろう? だから君の経歴、私に話してくれないかね? 興味がある。幸い近くにカフェもあることだし、是非ともコーヒーを飲みながら聞きたいところであるが」
「申し訳ないが、そのお誘いにお応えすることはないでしょう。剣を納めて、投降して。後日、面会室でのティータイムであればお付き合いしましょう」
「それでは私の都合が悪くてね。応えられそうにない。もし、そうしたいのであれば――」
歌劇座の座長は柔らかくなった顔を引き締め直す。
好々爺から、剣士の顔へ。
瞬く間に変貌させて。
「――私を倒して実現したまえ。坊や」
そう言って、半身に構えて、腰を落とした。
無駄のない構え。
これだけで彼が相当な剣の腕を持つことをうかがえる。
寄らば、斬る。
そんな意思が全身からにおいたっていた。
しかし、逆を言えば。
「……その割には貴方自身が仕掛けてくる様子。それがこれっぽっちも感じられないのですが」
彼に寄れば、彼に攻撃を仕掛ければ、遠慮なく反撃をする雰囲気には満ちているのに、である。
彼自身が進んで攻撃する意思。
これがまったくもって見て取れないのだ。
その一言に、険しい顔のまま、ル・テリエ座長は鼻で笑った。
「決闘ならまだしも、生憎と遅滞戦闘しか経験したことがなくてね。これしかやり方がわからんのだ。決闘でも人を殺めたことはないというのもある。それに……」
「それに?」
「説得してくれた君たちを、私は斬りたくはない。心に響く、素晴らしい説得であったよ。いつか舞台の上で君らの姿を再現できれば、と思うほどにね」
「っ……」
路地での説得が、彼の心に響いていたことを知る。
決して無駄ではなかったことを知る。
そのことを知って、俺は言葉を失う。
だって、そうだろう?
この人は説得に耳を貸せるほどに冷静なのに。
やったことが悪事と知っているのに。
「……どうして」
「うん?」
「どうして……そこまで冷静なのに……やり方が間違っていると自覚してるのに……種族主義に。排他的思想なんかに染まってしまったのです……?」
「知りたいかね? 復興のためだよ。母国のね」
「復興の、ため?」
「ああ、そうだ」
母国の復興。
共和国の再建。
これが共和国の民の悲願であるというのは、十分理解できている。
でも、だからといって。
だからといって!
「他人を! 誰かを! 異種族を! 拐って! 排除して! 不幸にして! そうまで手に入れるものなのかっ! そこまでして幸せを手に入れたいのか! そうまでして……そうまでして!」
「残念ながらそうだ、としか言えないんだよ。坊や」
感情が抑えきれない。
がなるようにして、心中そのままを口に出してしまう。
これは威嚇的な行動といってもいい。
そうにも関わらず、だ。
目の前の初老の彼は動じること一切なく。
それどころか優しい声色で言葉を返す始末であった。
子供をあやすかのような口調であった。
残念だけど、現実ってのは往々にして汚いんだよ。
ままならないんだよ。
そう言いたげな口ぶりだった。
「ウィリアムさん。もういいでしょう。彼は話は通じますが、覚悟は曲げません。言葉を交わせば交わすだけ、時間を稼がれてしまいます」
俺の肩に手がぽんと置かれる。
フィリップス大佐のものだ。
もう会話による説得は期待できない。
もう武力行使で彼を確保するしかない。
大佐は暗にそう語っていた。
「ウィリアムさん。単刀直入に聞きます。彼に、勝てますかね? 僕は無理です。銃を抜かなければ」
「……素手では私でも。強化なしで彼を打ち据えなければならないのに、隙を突いているのにこうも反応されては、難しいでしょう」
「では、同じ条件で戦ったのならば? 軍剣、貸しますよ?」
「ありがたいのですが、フラットな条件で戦ったのならば、私が負けるでしょう。ヒラの剣術の腕は……悔しいながら彼の方が上です」
「なんと。ウィリアムさんでも敵わないのですか」
「……残念ながら」
まだ、実家が健在であったころの話だ。
貴族の教養として、俺は剣術を叩き込まれた。
その師匠がよく言っていた。
もし、剣の天才と戦場にて敵として出会ったのならば。
決して同じ条件で戦おうとするなと。
卑怯でもなんでもいい。
有利となる条件を作って挑めと。
勝てばそれでいいのだからと。
それを幼い俺に告げたということは、俺にはあくまで人並みにしか剣の才がなくて。
そして実際、良く訓練された剣士の域を出ていないこと。
そのことはしっかりと自覚していた。
対して、ニコラ・ル・テリエという人間は間違いなく剣の天才だ。
感性のみで不可視の攻撃をいなすほどの才覚だ。
強化魔法を遠慮無く行使し、殺害前提で挑めば確かに天才を倒すことは出来る。
だが、そうは出来ない事情があるのならば。
そして俺自身にそうする意思がないのであれば。
「剣では彼に勝てないでしょう」
それが動かしがたい事実であった。
「剣では、ですか。つまり、剣以外ならば彼に勝てる算段がある、という訳ですね?」
「……はい。あまり気が進まない方法ではあるのですが」
「ほう」
声を潜めて話していたつもりであった。
しかし、俺らの動きに全神経を集中させているからだろう。
一連の話を聞いていたらしいル・テリエ座長が、興味深げに頷いた。
「おもしろい。いかなる手段で私を殺さずに、倒してみせると?」
「……興味がおありならお見せしますよ。本当に、気が進まないけれど」
静かに一歩を踏み出す。
間合いを詰めるためではない。
ただ単に移動するだけ。
だから彼は一切反応することなく、俺の動向を見るのみ。
歩んだ先には掃除道具一式があった。
先ほど慌てて逃げた掃除夫が置いていったものだ。
背負子に幾つも差した掃除道具。
その内からモップを選んで、取って、ヘッドを外して、本の棒にして。
そして魔力を流す。
強化するために。
彼の斬撃でモップがやられてしまわないように。
ふうと、一つ吐いた後に。
半身になり。
ゆらりとモップの柄を腰の位置に持っていく。
静止。
「なるほど。杖術、か。それが君の得物というわけか」
ル・テリエ氏が納得する。
俺が本手の構えを取っただけで悟ったのだろう。
こちらが俺の本来の得物であるということを。
杖術。
それが俺が得意とする戦い方。
そして家を失い、一人になってしまった幼き日。
そのとき、俺の傍に居てくれた、あの人が教えてくれた術。
だからこそ、心が動かされる。
目の前のル・テリエ氏に対するやるせなさと。
杖術を使うことで、否が応でもあの人のとの記憶が蘇ること。
その二つが合わさって、今の俺はとてもむしゃくしゃしてしまっている。
だから――
「本当に気が進まないんですよ。だって、こいつで戦うとなると――」
このむかつきを少しでも和らげるために。
今、俺はひたすらに。
杖術を使う羽目となったその原因に猛烈に。
「――俺は途端に加減が下手になる。骨の一本、二本はお覚悟を」
力一杯八つ当たりしたくて仕方がなかった。