第三章 十七話 紳士諸君へ
無国籍亭が種族主義者らの集団に襲撃を受けた――
その報を聞いて居ても立っても居られず、現場に急行せんとしていた大佐に同行を願い出た。
即応できる戦力が、一人でも欲しかったからだろうか。
フィリップス大佐は、ほとんど二つ返事で了承してくれた。
かくして俺は、守備隊が所有する最新型のオートモービルに乗り込んで、ゾクリュの街を往くこととなったのである。
飲み屋街に近付けば近付くほど、比例して音は大きくなっていく。
その音はゾクリュに似合う音ではない。
平穏とはあまりにかけ離れた、物騒で、非日常的な音だ。
聞こえてくる音に、俺は聞き覚えがあった。
悲しいことに俺にとっては馴染みの音だった。
風に乗って遠くから聞こえてくるのは、銃声、悲鳴、怒号。
そう。
即ち戦場音曲だ。
そんな聞きたくもない音曲を、疾走するオートモービル上にて聞いてしまった。
まだ現場からはそれなりに離れているはずなのに、である。
しかも、俺が乗るオートモービルの周りには取り囲むようにして騎乗の人となった幾多の守備隊員がいるのだ。
車輪が路面を蹴る音、馬の蹄音で本来話すのにも苦労するほどの騒音。
それに包まれていはずなのに。
そいつらを貫通してこうして戦場の音色が耳朶を打つということは。
戦場音曲なるものはとても悪目立ちするということなのだろう。
日常ではあまりにも浮きすぎていて、どんなに小さなものでも、顔をしかめるほどの大きさに聞こえてしまうのだ。
それは、そう。
まるで静まりかえった劇場でのひそひそ話のように。
「大佐! 馬上からの報告っ! 失礼しますっ!」
走行に伴う騒音に負けないための、腹からの大声。
見れば騎乗した守備隊員が、大佐に報告をすべくオートモービルと併走をしていた。
フィリップス大佐に、報告を携えてきた彼には見覚えがあった。
あれは……そう、乙種騒動のときか。
あのとき両の太ももを切られた、ベテランの軍曹であった。
どうやら無事恢復したらしい。
「先行していた者たちからの報告ですっ! 現場周囲の市民の避難、無事完了したとのことですっ!」
「ん。ご苦労。さて、ウィリアムさん」
大佐は視線を併走していた軍曹から、俺に移して。
さながら料理を持ってきたウェイターのような表情を見せた。
どうもお待たせいたしました――
大佐の表情は、こんな感じの意味を含ませたやつ。
「環境が整いましたよ」
もうなにも巻き込む心配が無い。
そんな環境が整った。
だから気兼ねなく暴れてくれ。
彼の顔はそう語っていた。
俺は大佐に倣って、不言にて回答。
肯んじて彼の意をくみ取る。
「ただし、二つのことは守ってください。一つはいくらとんでもない連中だからって、勢いあまって殺さないこと。殺しちゃったら、貴方を殺人罪で捕まえなきゃなりませんからね」
「ええ。私とて誰かを殺すのはご免ですから。喜んで遵守しましょう。二つ目は?」
「もう一つは……」
一度大佐はそこで言葉を切る。
一瞬だけだけども、口を閉ざす。
それは迷うような素振りにも見えた。
だが、深い迷いではないらしい。
ほんの一瞬だけ間を開けて、再び口を開く。
「彼らの主張を聞き入れないこと。種族主義に共感しないこと。意味は――わかりますね?」
今の議会が、政府が、そして王室が統合主義的路線を採用しているということはだ。
必然、それに真っ向から反抗する種族主義は反政府的な存在ということになる。
ただ単に、種族主義を主張するのであれば、取り立てて問題はない。
だが、今ゾクリュで起こっていることは、紛うことのない暴動だ。
暴力という物騒で誤った方法で、王国の在り方を否定しようとしている。
もし、俺がそんな連中と同調しようものならば。
それは俺が王国にとっての脅威に成り果てるということを意味している。
もし、そうなってしまったのならば。
大佐は一つの責務を果たさねばならないだろう。
王国の脅威を軍事力という暴力でもって排除する――そんな責務を。
俺は、フィリップス大佐にそんな重たい責務を負わせたくはなかった。
それに――
「靡きませんよ。自分が望む世界のために誰かを踏みつけるなんて。そんなこと、私は間違っていると思うのです」
「そいつを聞いて安心しましたよ。なら、僕は貴方を心置きなく送り出せるってもんです」
自分の理想のために、他の人々を不幸にしたくない。
その意思表明は大佐を満足させるに至ったか。
彼は相も変わらず威厳のない顔を、にっと崩してみた。
「進発する前に状況について、聞いてもよろしいでしょうか」
「どうぞどうぞ。何でもご自由に」
「はい。武装した種族主義者。彼らは……その。荒事に慣れているのでしょうか? その練度はどのようなものなのでしょうか?」
「ふうむ。どうなの?」
俺の、そして大佐の視線が、併走する軍曹に向く。
「はっ。正直言って練度はお粗末なものですな。まったく大した精鋭ぶりでしたよ。ウチのルーキー共が歴戦の兵に見れるくらいには」
途中ジョークを交えたあたり、どうやら彼らの練度は本当に低いものであるらしい。
事を起こすのに耐えうる人数を誇っておきながら、暴力行為にはてんで素人。
これが、今回の事件を起こした者たちの特徴らしい。
そうであるならば、だ。
なんとなしだが、彼らの正体が解ったような気がする。
「……恐らく、彼らでしょう」
フィリップス大佐が頷きながらそう言った。
恐らく歌劇座の一行であろうと。
俺とまったく同じ予感がしたようだ。
彼らは演劇のプロなれど、荒事では当然のこと素人だ。
故に、元暴力行使のプロである俺からすると、彼らと相対するにあたって一つの懸念が生じる。
それが勢い余って彼らを殺してしまうのではないのか、というものだ。
先のフィリップス大佐の念押しはそれを懸念してのことだ。
大佐に返したように、俺とて彼らを殺してしまうのは本意ではない。
邪神はともかく、同族である人類はは殺したくない。
それが、どんな種族であっても、だ。
だからついうっかりの事故を防ぐために。
オートモービルに乗り込む直前に、大佐から渡された軍剣に手をかけて。
「……大佐」
「はい?」
「お返しします」
「はいぃ?」
納剣状態まま、軍剣を大佐に突き出す。
必要ないからと言葉を添えて、返却する。
大佐は目を丸くして俺の顔を眺めた。
当然だろう。
これから鉄火場に赴くというのに得物を突き返すなんて。
自分のことながら正気の沙汰ではあるまい。
「その代わりと言っては何ですが。拳銃を貸していただきたいのです」
「銃、ですか? 構いませんが……いささか殺傷力が高すぎるのでは?」
「大丈夫ですよ。こうすればいいのですから」
当然の疑問と共に大佐が手渡してくれた、パーカッションリボルバー。
手慣れた手つきでシリンダーを取りだして。
はめ込まれたペーパーカートリッジをつまみ出して。
そして噛みつく。
火薬が零れないための栓でもある鉛玉に。
ぶつりと紙ごと噛みちぎって。
口に含んだ鉛玉を車外へと吐き出した。
噛みちぎった後をくるくるよじって、火薬がこぼれ出ないようにすれば。
「なるほど、空包ですか」
「ええ。これなら。どんなに狙い撃っても弾は当たりません。私が使うのはこの一発だけで十分です」
「ふうん。彼らの素人故の恐怖心を利用する、ってことですね」
「ご明察です。残りの五発はお返しします」
彼は俺が空包でなにを仕掛けるのか、それを悟ったようだ。
やはり、大佐は鋭い人である。
現に、一連のやりとりを車の外から眺めていた軍曹は、いまいち掴み損ねているらしい。
いかにもな訝し顔を浮かべながら、巧みに馬を操っていた。
彼が鈍いのではなく、むしろこちらがノーマルな反応と言ってもいい。
「さて。お待たせいたしました。ウィリアム・スウィンバーン。これより進発します」
「はい。現役が退役した人にこう言うのは、みっともないんですがね。お気を付けて。車の速度、緩めましょうか?」
「ご無用。ここから飛び降りればそれで済みます」
「お、おいおいおい。ちょい待ち。飛び降りるだって? こいつから?」
思わずといった体で軍曹が話しに割り込んできた。
慌てて当然だろう。
軍馬の襲歩に匹敵する速度の乗り物から飛び降りると言うのだ。
当然そんなことをすれば、大けがは必至。
いや、怪我で済めばいい方で、死んでしまう可能性だって十分にあるだろう。
「やめときな。路面は石畳。身体を打ち据えたらたたじゃすまねえ。戦う前から負傷のリスクを背負うってのは、あまりに馬鹿らしいことだぜ」
だから彼の心配は実に妥当である。
ただ、惜しむらくは。
その心配の対象が俺であることか。
「どうもご心配、ありがとう。ですが俺は大丈夫。ちょっとやそっとの無理は、あの戦争で飽きるほど体験してきたから。この程度の無理なら、まだまだ安全です」
「いやいやいや。安全性がよ、どこにも――」
「それよりも」
なおも心配してくれる軍曹の言葉を遮る。
人の言葉に被せる無礼を誤魔化すために。
努めて茶目っ気のある笑顔を作って。
「でも、出来るだけ急いで来て下さいね。敵陣に切り込むのは大得意ですけど、手加減しながら、それも殺さずを貫きながらやるのは、初体験なんで」
「は? あんた何を――」
――言ってるんだ?
そう続くはずであった軍曹の言葉を待たないで。
「それじゃあ。お先に」
その言葉を残して。
ひょいと車外へと飛び下りる。
「お、おい! あんた!」
慌てふためくのは軍曹の声。
突然の自殺行為に狼狽したようだ。
しかし、その心配はまったくもってナンセンス。
こと俺に関しては意味を成さない。
それを伝えるためには、言葉よりも行動で示し見せる必要があるだろう。
だから、俺は魔力を足に、腰に流して。
十分に強化して。
着地。
激烈な衝撃が身体を襲うも。
行動を阻害するほどでもない。
強化した脚力で衝撃すらも、強引にねじ伏せて。
慣性で滑る身体を力業で整えて。
たっぷり力を込めた一歩を踏み出す。
その一歩でオートモービルの、そして軍馬の速度を上回り。
現場に急行せんとする、守備隊を置き去りにする。
二歩。
三歩。
四歩。
一歩を刻む毎に速度は増し。
目指すべき場所へとみるみる接近していく。
進んで、進んで、進んで。
そして視界は捉える。
戦友らが産み出した酒場を襲撃する徒党の存在を。
数歩遅れて嗅覚も捉える。
つんと鼻につく硝煙のにおいを。
標的、発見。
ますます力を込めて接近。
尋常ならざる力で地を蹴っているためか。
きっとその衝撃を足の裏にて捉えたか。
幾人かが俺に気付いて目を向けて。
「な、何か! な、な、何かくる!」
「速い!」
いかにも慌てふためいた様子で仲間に周知。
じろりと両の手の指よりもずっと多い視線が俺を貫いて。
次いでおろおろとした手つきで、撃針銃の銃口を俺に向けた。
俺を迎え撃つ気でいるらしいが――
だが、彼らのその行動より前に俺は銃を抜いて。
彼らに銃口を向けて。
適当な場所に狙いを定めて。
一息に引き金を絞った。
乾いた音が鳴る。
雷管が、そして裂薬が弾けた音だ。
本来であれば、この音と同時に鉛玉が飛び出るのだけど。
今回は空包故に破裂音のみ。
ただただ、火薬が燃えるだけ。
弾は、出ない。
これが戦争であれば実に無意味な発砲であろう。
だがしかし。
「う、うわ!」
「撃った! 撃った!」
向こうは慣れていない。
荒事に、銃声に慣れていない。
だから、うろたえるのだ。
音が鳴ったならば、誰かが死ぬ。
そんな銃の特性を過大に解釈してしまったために。
俺を狙うことを忘れて狼狽する。
死の恐怖に負けて、折角俺に向けた銃口がそれぞれあらぬ方向に向く。
リボルバーの射線上に居る連中は、次の標的にされては困ると言わんばかりに仲間を押しのけて、その場から動こうとする始末。
おかげで、防御陣は崩壊して。
俺を迎撃する機会を失って。
隙を作ってしまって。
当然俺はその隙を見逃さなくて。
飛び込んで。
「こんにちわ。紳士諸君――いや」
そうして彼らは俺を胸元に入れてしまった。
至近の距離に俺を入れてしまった。
だから俺は。
「こんにちわ。紳士諸君」
彼らに失礼の無いように。
きちんと礼に適った挨拶を彼らに捧げた。