第三章 十六話 ないものねだり
その日無国籍亭はひどく騒がしかった。
騒がしいのはいつものことではある。
酒精のおかげで気が大きくなった客達は、おのずと声も大きくなれば、陽気にもなるのだから。
しかし今日の喧噪は、常のそれとはまったく趣を異としていた。
普段が陽性の音なれば、今回のものは陰性のもの。
銃声、怒号、悲鳴――そんな血腥い音に満ちていた。
「あーあ。くそがっ。店を好き放題ぶち壊しやがって」
物騒な音に包まれながら、怒り心頭な様子でぼやくのは、無国籍亭立ち上げメンバーの一人であるギルトベルト・ダウデルトであった。
彼がご機嫌斜めとなるのも無理もない。
いつも通り普通に営業していたら、どういうわけか急に襲撃されてしまったのだ。
こんなことをされれば、いかなる聖人とてとさかに来るに違いない、とギルトベルトは確信していた。
扉が荒々しく開かれたのは、開店してしばらく経ち、徐々に徐々に席が埋まりつつあった頃合いだった。
はしご酒をしようとした酔っ払いがが、勢いあまって乱雑に扉を開けてしまうことは、ままある。
しかし、まだ夕暮れにもなっていない時間帯で、そんなことがあるのは珍しかった。
だからギルトベルトは気になって、バーカウンター越しに開けられた扉を眺めて。
そして絶句したのだ。
何故であるならば、大昔のペスト医師がするようなマスクを着けた、見るからに怪しい連中が。
何処で手に入れたやら、最新式の撃針銃をその手に引っ提げて、入り口にて立ち塞がっていたのだから。
奴らは一体――?
その疑問を抱くも、戦場で培った反射神経は敏感に反応し。
時代錯誤も甚だしい、ペスト医師が引き金に指をかけるその前に、グラスを投げて応戦した。
結果は見事顔面に命中。
哀れにも強かに顔を打ったソイツは痛みに仰け反って。
その弾みに引き金を引いてしまい、発砲音と共に、天井に小さな穴が一つあいた。
そこからは店内は大混乱だった。
突然の銃声に客は大恐慌。
お陰で避難誘導に手間がかかってしまった。
ただ、向こう側も機先を制されたのが余程予想外だったのか。
襲撃者たちも何故か大慌てして右往左往。
お陰で一人の犠牲者も出すこともなく、取りあえずバックヤードに客を避難させることが出来たのだった。
両者の恐慌が収まるや否や、アナクロ極まる格好な連中はぱらぱらと鉛弾をばらまきだした。
が、体勢をより早く整えたのは無国籍亭の方。
襲撃者が射撃に移るよりも前に、魔法で、あるいはテーブルや椅子を用いて防衛戦を構築。
かくして無国籍亭の店内は、銃弾と魔法を打ち合う小さな戦場と化したのだ。
片や日常から非日常に無理矢理引っ張られた、非武装の者たち。
片や非日常な準備を重ねてやってきた、武装した者たち。
その二つがぶつかり合ったならば、結果は自ずと見えてくる――はずだった。
「どうして! どうして俺達が攻めあぐねてるんだ!」
襲撃者側からそんな悲鳴が上がった。
そう、この場においては。
本来あっさり飲み込まれるはずの非武装で抵抗するギルトベルトたちが。
何と、武装した襲撃者に互角と渡り合っているのである。
要因としてはいくつかある。
まずは練度の差だ。
襲撃者たちはどうにも、練度はいまいちらしい。
ギルトベルトがグラスを当てた程度で大いに怯み、行動に支障がきたすほどに低い練度であった。
その上、襲撃しておきながら何故か士気も低いらしく、何かにつけて及び腰な様子を見せていた。
対して無国籍亭側であるが、非武装という絶望的な状況にも関わらず、練度も士気も非常に高かった。
それもそのはずだろう。
なにせギルトベルトをはじめとして、その戦力はすべて元軍人であるのだから。
抵抗線にて戦うのは、早めの晩酌しにやってきて、この襲撃に不運にも巻き込まれてしまった、ギルトベルトらの戦友である。
ギルトベルトの戦友を巻き込んでしまったこと。
これは襲撃者側からすれば最大の不幸であった。
何故なら、襲撃者達は百戦錬磨の兵達を怒らせてしまったのである。
経験に裏打ちされた逆襲を、強かに受け止める羽目となったのだ。
戦況はまったくもって拮抗。
出入り口を陣取りひたすら引き金を引く襲撃者たちと、急拵えのバリケードに身を隠し応戦するギルトベルトたち。
そんな奇跡的な状況が出来上がっていた。
しかし、だというのに。
「しっかし、まあ。何というか。あんな連中に互角に持ち込むのが精一杯とは。情けない限りだね」
ギルトベルトはこの現状に満足していないらしい。
互角で戦ってしまっていることに、いかにも恥じている様子だった。
素人同然のごろつき相手ならば、例えこちらが非武装であっても鎧袖一触しなければならぬ。
そう考えているようであった。
しかし、いくら無国籍亭側の練度も士気も高くとも、である。
彼らが無謀にも襲撃してきたあの連中を、すぐさま粉砕出来ない理由もまた存在していた。
「仕方があるまい。向こうはこちらを殺してもいいが、こちらは向こうを殺してはならんのだ。あんな未熟な連中でも我らと互角に戦えるのは、そんなハンデがあってのことよ」
戦況が拮抗しているその理由を語るは一人の男。
エルフのその男はやはりギルトベルトの戦友であった。
戦傷なのだろうか。
エルフ特有の恵まれた造顔故に、右目に当てた真っ黒な眼帯がとても痛々しく目立つ男である。
「ひでえ話だよな。俺たちゃ被害者だぜ? 無抵抗のままじゃ殺されちまうのに、いざ自分の身を守るためにあいつら殺しちゃ、殺人罪に問われるなんてよ」
「それが法というものだ。諦めろ。仇討ちにせよ、返り討ちにせよ、それを認めてしまえば自力救済がまかり通る、そんな地獄の一丁目となってしまうからな。つい四百年ほど前のような世は、私はごめんだ」
「俺はそこまで長く生きてねえから、これっぽっちもぴんと来ねえんだがよ。そんなに酷いもんだったのか? 自力救済の世ってのは」
「うむ。気に入らない奴をぶっ殺しても罪には問われなくてな。きちんとした法がない代わりに、仇討ちが認められてたぞ」
「わーお……アナーキー……」
「だから、一度誰かを殺すと、殺された側の友人が仇討ちして、仇討ちされた奴の親族が仇討ちして……とおぞましい連鎖が続いたものだ。文字通り血で血を洗う、ロクでもない世の中だったぞ。多様人の国は恐ろしいものだと、心の底から震え上がったものだ」
「おー、こえーこえー。あいつらの被ってるヘンテコなマスクもそういや、四百年前くらいの代物だっけか。じゃ、奴らはそんなロクでもない世の中からやって来た、タイムトラベラーってところか」
「あるいは最後のラッパが、知らずの内になったのかも。もしかしたら、あの大戦争はアポカリプスであったのかもな」
「はっ。最後の審判、来たれりってか。残念なことに俺らの前に現れたのは、神は神でも邪な神だったけどな」
「しかし、もしそうだと大変だぞ。これからどんどんあんな奴らが墓場から這い出てくることになるからな」
「へえ、そりゃいいや。そうならよ……死んだ戦友にまた会えるからよっ!」
「違いないっ!」
軽口を叩きつつも、二人は隙を一切見せなかった。
それどころか、会話を交わしつつも相手の隙を逆にうかがう余裕すら見せていた。
二人がほとんど同じタイミングで反撃加えたのは、そのためだ。
まったく同じ隙を認め、片や鉄つぶてを、片や非殺傷性の属性魔法を、彼らの言うところの亡者どもに叩き込んだ。
その反撃の狙いは極めて的確であった。
たどたどしい手つきで再装填を行っていた襲撃者二人を、強かに捉え、あっさりと無力化することに成功した。
「ひゅう! 命中! お見事!」
口笛の音に続いたのは女の声。
ギルトベルトとエルフの男と同じく、バリケードの内側で身を縮ませているドワーフが声の主だ。
彼女の周りには、一見すると使い道がなさそうな鉄屑がいくつも転がっていた。
そんな鉄屑の一つを彼女は拾い上げると、次には魔力を流す。
すると手中のそれは見る見るうちに形を変えていって。
丸くなって、つぶて状になって、投擲するに向く形になって。
そしてふうと一息吐いて、すっかり変貌した鉄屑をギルトベルトに渡した。
それは先にギルトベルトが似非ペスト医師にぶん投げた、鉄のつぶてとまったく同じ形をしていた。
形成魔法――
これはドワーフが得意とする魔法だ。
彼らは特に金属への形成魔法の行使を得意とし、金属塊がそばにあれば、即席で武器を拵えることが出来た。
ギルトベルトの戦友は、今、この場でもその才を遺憾なく発揮しているらしい。
次々と投擲用の鉄つぶてを拵えては、ギルトベルトに押しつけていた。
「それにしても良く当たるわねえ。これだけぽんぽんぶん投げてれば、その内目が慣れて、簡単に避けられそうなものだけど」
「まったくだぜ。もしかしたらあのマスクのせいかもな。見るからに視認性が悪そうだしなあ。アレ」
「ええ……? 好き好んであんな悪趣味なマスクしてるのに。そのせいで視界の自由奪われてるっていうの……? 流石にそれはおマヌケにも程があるんじゃあ? わざわざ着けてるってことは、魔道具じゃないの? アレ」
「いいや。ぼくの見立てだとアレは魔道具じゃないよ。ただのマスク」
呆れが色濃いドワーフの言を返したのは、魔族の女、いや少女であった。
彼女もあの戦争を少年兵として戦った、ギルトベルトの戦友であった。
そんな彼女は両の手に沢山のパイントグラスを抱えており、おっかなびっくりといった様子で、三人の元へと歩み寄る。
「ますます解らぬな。奴らは何故あんなアナクロなマスクを被って、こんな凶行を」
「多分だけどさ。顔、見られたくないんじゃないかな? 顔全体を隠せるマスクとなると、限られてくるし。それだとしても、ぼくはあんなの着けるのはごめんだけど」
さっぱり皆目つかぬ、と首を傾げたエルフに、少女はそう答えた。
もしかしたらあの手のマスクは最近の流行かも知れない、と密かにギルトベルトは思っていた。
が、この場で最年少の彼女が言うからには、どうにもそうではないようだ。
「そいつを聞いて安心したぜ。もしあんなもんが流行ってたのならば、俺あ最近の若者は解らんって台詞を吐くところだった」
そんなことを吐くギルトベルトは、まだなんとか二十代である。
この齢で老人お決まりの台詞を言うのは、あまりに悲しすぎるだろう。
そのため、彼が抱いた安堵は大きなものであった。
「で、お前さんはどうしてウチのグラスをしこたま持ってやがるんだ?」
「うん。ちょっとさ。ぼく、いいこと思いついちゃったんだよね。上手くいけば、今より効率よくあいつら足止めできるかも」
「進言を許可しよう。で、そいつをどうするんだ?」
「うん。グラスに定着魔法をかけるんだ。鋭くてかたいガラスの破片を勢いよく撒き散らせるようなの。そいつをあいつらの頭上で発動させたのならば……」
「なるほど。破片がまんべんなく奴らに降り注ぐってことだな。あられ玉の代替としちゃ上出来だ。たしかに上手くいけば一網打尽に出来そうだが……さて、どうする?」
少女の進言を如何にするか。
全員退役してしまっているために、この場では誰が上官だとか、先任とかが存在しない。
故に一回は皆の意見を聞かねばなるまいな、とギルトベルトは思い、エルフとドワーフの戦友に問いかけた。
「採用すべきだろう。現状向こうの不慣れで助かっているが、いつ連中が慣れてしまうのかがわからん。なら、さっさと頭数を減らしてしまった方がいい」
「同感ね。それに、鉄つぶてと威力絞った魔法よりも。そっちの方が効率良さそうだし」
「よっしゃ、二人とも賛成。ついでに言えば俺も賛成だ。おめでとう。お前さんの進言は無事、受け入れられることとなりましたとさ」
「わーい。それじゃあ、はい」
ひどくわざとらしい歓声を上げながら、彼女はグラスの一つをギルトベルトに早速押しつけた。
どうにもグラスには、すでに定着魔法が施されているらしい。
その用意のよさにギルトベルトは舌を巻くも、しかし。
「おい。どうしてグラスを俺に押しつける。魔法を施したのがお前ならば、一番お前が扱い方を解っているはずだろう?」
「女の子に遠投能力を期待しないで欲しいな。この中で一番筋力ありそうなのおいちゃんだし」
そう言われるとまったくもって返す言葉がなかった。
魔法兵であったために、エルフの彼に腕力を期待するのは酷な話だろう。
ドワーフの彼女も元は工作兵。こんな力仕事には向かない。
対して肉体派でそれも現役時代、ばりばりの歩兵であったギルトベルト。
なるほど。
反論の余地無く適任であった。
「……解ったよ。で、発動条件はなんだ?」
「簡単だよ。空中で砕けばそれで発動するから。鉄つぶてでも魔法でもなんでもいい。適当なものぶつけて割って」
「おいおい。炸裂はまさかの手動かよ。昔、ヘッセニアが似たようなの作ったことあるんだが、そん時は手を離しただけで飛翔してくれた上に、邪神の頭上で勝手に炸裂してくれたんだが」
「ヘッちゃんとぼくを比べないでよ……未来の教科書に載るレベルの人と、何者でもないぼくじゃあ、その実力差は歴然なんだから。これがぼくの精一杯なのっ」
そう言うや、少女はぷくっとむくれて見せた。
その表情は十六になったばかりの彼女に相応なもの。
だから彼女より年上である大人三人は、この緊迫した場に似合わないほどに穏やかな笑みを浮かべてしまった。
「まったくもって彼女と同感だな。私もアリスと比較されても困る。何せ、本当はエルフではないのかと思うくらいに、アリスは属性魔法が巧みであったからなあ」
「ほーんとギルはデリカシーってやつがないよねえ。あの分隊と私ら一般兵を比べるのはいくら何でも……ねえ」
「へーへー。俺が悪うござんした……よっ!」
ニヤニヤと嫌みったらしい笑みを浮かべるエルフとドワーフに、形ばかりの謝罪をするや、衝くべき隙を見つけたらしい。
本当に唐突に。
ギルトベルトはにわかにグラス投擲した。
しかし、軽口を叩く戦友達も、流石歴戦の兵と言うべきか。
エルフは意表をつかれた様子なく、ギルトベルトの動きに即応し。
魔法で産み出した小さな風の塊をグラスにぶつける。
ぱんとガラスの破れる、軽い音と共に。
一つ一つがカミソリの鋭さを誇った破片たちが、ならず共らに降り注ぐ。
刃物の雨となって叩き付ける。
血煙、にわかに店内に満ちて。
間を置かず、十数人分の合唱響く。
苦痛の声を上げ、板張りの床に次々とその身を沈没させていった。
まさしく死屍累々。
野戦病院を彷彿とさせる、壮絶な現場がここに爆誕した。
「おうおう。えっげつねえ威力だなあ。まったくまったく。素晴らしい。褒めてつかわそう」
「ふふん。もっと褒めるが良いのだ。ぼくは褒められて伸びる子だからね」
褒められて少女は鼻高々なご様子。
さっきまでリスみたいにほっぺたを膨らませてたくせに、何とまあ現金なことだ、とギルトベルトは苦笑いを浮かべた。
「これなら最後まで持ちそうだな。お前ら喜べ。俺ら無傷でこれ、切り抜けられそうだぞ。勝てるぞ」
「守備隊がここに駆けつけるまで、この状況を保つ――ということだな?」
「その通り」
エルフの確認に、ギルトベルトは満足げに頷いた。
この状況を守備隊が来るまで保つことが出来たのであれば、だ。
それは守備隊とギルトベルトらの挟撃が完成することを意味する。
不利な形勢が、一気に有利なものへと傾く。
彼らの言うところの勝ちとは、そういうことだ。
「もっとも、奴らに戦況を考えられる余裕があれば、そうはさせんと死に物狂いで襲いかかってくるだろうがな。そうなっちまったら、随分と骨だ」
「うわあ……そうなっちゃったら。ヤバくない? だってさ」
心底絶望した声色でドワーフが呟いて、一度言葉を句切って。
そして勘弁してくれと言わんばかりの顔付きでぽつり。
「……そうなっちゃったら、私たち。ついうっかり殺っちゃうかも。私嫌だよー。豚箱入るの」
ドワーフの彼女が抱いた心配とは即ち。
死に物狂いでやってきたら、つい本気になってしまって、殺してしまうかも――といったものだった。
そしてどうにもその懸念は、この場に居る四人の兵全員に共通したものであったらしい。
こくりこくりとそれぞれ首を振って同意。
「まったく。どうしてここにウィリアムが居ないんだか。居たらもうちっと楽に出来たのにな」
ないものねだりだとは十分承知なれど、ギルトベルトは今この場に居ない、ウィリアム・スウィンバーンの顔を思い浮かべていた。
もし彼がこの場に居たのであれば。
今頃ギルトベルトらは――
「同感だ。そしたら、あいつらは一人も残さず昏倒していて。私たちはビールで祝杯を上げていたところなのにな」
「まったくだぜ」
とっくのとうにこの修羅場を終わらせ、勝利を祝してビールをかっ食らっていたはずなのに。
こういった膠着した戦況では、ウィリアムは切り込み役として無類の強さを発揮するのに。
なのにどうして奴は今ここに居ないんだか。
まったくもってままならない現実に、ギルトベルトは大きなため息を吐いた。




