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第三章 十四話 メフィストフェレス

 今日は雲一つ無い晴れやかな青空であったはず。


 散歩するには丁度いい、そんなお日柄。

 にも関わらず、なんと罰当たりなことに今日の彼女は、室内に籠もりきりであった。


 それも籠城しているのは、ごく普通の部屋ではない。


 窓という窓には黒い紙が貼り付けられ、加えて漆黒のカーテンをひいた部屋であった。

 おかけで、外からの光はまったくもって入ってこない。


 故にこの部屋で過ごすには陽とは別の光源が必要となる。

 それなのに、部屋を照らす照明器具と来たら、今日びレトロにも程があるろうそく数本のみ。

 おかげで辺りの様子を窺うには不足しないけど、本を読むことは叶わぬ程度の薄暗がりである。


 おまけの部屋自体の環境もよろしくない。

 小さな家族が一家団欒をするには丁度いい広さなれど、そこに数十人人間が詰めかけているのが現在なのだ。

 結果、人いきれで部屋はひどく蒸し暑い。


 その上長らく放置されていた部屋なのであろう。

 つんと鼻を刺すかび臭さすら存在している。

 収監者でさえ、もう少しマシな環境で日々を過ごしているはずだ。


 外は絵を描いたような快晴。

 それだけに、こんな陰気な部屋に居る自分が、一段と惨めになってしまうな、と彼女はひっそりと自嘲した。


「くそっ。くそっ」


 さらに都合の悪いことに、お節介にも室内に充満する陰気さと、蒸し暑さを助長する者が居るときた。

 ろうそくのか細い光でも、十分に視認できるでっぷりと蓄えた贅肉を醜く揺らしながら、辺り構わず当たり散らす影が一つあった。


 しかも周りの迷惑を一切考えずに暴れ回るその影こそ、彼女を含めた数十人が、この牢獄以下のウサギ小屋に押し込まれるきっかけを作った、すべての元凶なのである。


 いい加減にしてくれないかな、とげんなりしつつ、未だに暴れ回る影――、ハドリー・ロングフェローを彼女は眺めた。


「くそっ、くそっ。あの無能がっ。能なしがっ。自害する気概を見せずに、あっさりと守備隊に捕まりおってっ」


 普段の紳士的な態度は何処へやら。

 ハドリーは口汚い罵倒を口にし続ける。

 蝋燭の光量不足のおかげで、いまいち正確にその顔色をうかがうことは出来ない。


 が、口調、そしてひたすら暴れ回るその姿から勘案するに、今、彼は怒りで顔を真っ赤にしていることは容易に想像することが出来た。


 この癇癪の切っ掛けは、数日前に遡る必要がある。

 彼が傾倒する種族主義を実践するために雇ったならず者、そいつがどうにも仕事中に消息を絶ったらしい。


 彼の言う通り、本当に守備隊に捕まったのならば大事だ。


 捕まった男から、ハドリーとのつながりを把握され、その後間を置かず彼女たちとの関係も浮かび上がることだろう。

 根刮ぎ捕縛されるのは間違いない。


 だとしたら、なるほど。

 確かに目の前の長者の癇癪は納得できるものかもしれない。


「ロングフェローさん。まずは落ち着かれて下さい。まだ、守備隊に事が漏れたわけでは――」


「愚か者がっ! その手の都合の良い現実解釈が、身を滅ぼすことになるのだ!」


 あまりにも喚き散らすからだろう。

 哀れにもこの陰気な部屋に共に詰め込まれた内の一人が声を投げるも、これが逆効果。

 ハドリーの逆鱗に触れてしまったようで、ますます怒声の声量は大きくなってしまった。


 何かに当たらねば気が済まないハドリーの精神の幼さに辟易しつつも、しかし彼の言っていることはまったくもって正しいな、と彼女は思った。


 今をときめく長者をあやすためのあの言葉は、気休めにもならない、ただの現実逃避でしかなかったからだ。


 何か計画を練るのであれば、常に最悪の自体を想定しなければならない。

 何故なら現実というやつは、しょっちゅう人類に最悪の事態とやらを提供してくるからだ。

 人類はそれをあの大戦争で、土地と屍を代価に学んだばかりではないか。


 ハドリーは怒り方は甚だ幼稚であるけれど、その教訓をきちんと生かそうとしている。

 彼がここまでの成功を収められたのは、認識バイアスをかけることなく、きちんと現実を受け入れる能力があったからだろう。


「……なら、です。ロングフェローさん。もう計画は頓挫したも当然ではありませんかな? どうでしょう。ここは一度足踏みをして、一度体勢を整えるというのは?」


 ハドリーとは正反対に落ち着き払った声が、かび臭い空気を震わせた。


 声の主は怒り狂うハドリーを除けば、この部屋での一番の年長者である。

 流石は年の功と言うべきか。

 その声色には人を落ち着かせるに足る、包容力に満ちていた。


 しかし、今のハドリーにとってはそんな音色さえ、彼のヒステリーを治めるのには足りないようだ。


 それどころか、火に油というものだったらしい。

 身振り手振りをますます激しくしながら、半ばなじるような勢いで、年長者に食ってかかる。


「痴れ者がっ! ようやく王国を真っ当な状況に戻せるチャンスが見えつつあるのだぞ! 今更諦めてたまるか! その上、仮にここで計画を停滞させたとて、下手人が捕まってしまった以上、遅かれ早かれ守備隊はわたしの元へとたどり着く! そうなれば、もはや計画の実行は不可能だ! この崇高な任務。すべてか水の泡だ!」


「では? このまま計画を強行する、と?」


「当たり前だとも! それとも貴様ら、ここにきて怖じ気づいたか!」


 そしてヒステリーはどうやら、彼女を含めたここに居る者、すべてへの不信感に繋がったらしい。

 じろりと殺気立った目で、詰めかける一同を一周、二周と睨んで回った。


 流石は王国に名を轟かす、新興商人といったところか。

 何人かはその眼光に負け、俯いて視線を逸らした。

 もっとも彼女を含めた幾人かは、ハドリーの視線に屈せず、それどころか真っ直ぐに見返す余裕すら持っていたが。


 そんな幾人の反応がなお、気に入らないのか。

 大商人は、いかにもわざとらしい大きな舌打ちを一つ打って。


「この恩知らずどもが! 国を亡くし、本拠地を失ったお前らを再び蘇らせてやったのは誰か!? 多額の資金を投じ、復活の報せを世にばらまいたのは誰か!? わたしだろう!」


 今日一番の怒声、部屋に響く。

 彼が言わんとしていることは明確だ。


 投資金を回収させろ。

 パトロンとなってやった見返りを見せろ。


 この二つだ。

 そんな二点に激しい怒りを覚えているところが、実に商人らしい。

 典型的な銭ゲバだなと、彼女は内心で冷ややかな笑みを浮かべた。


「わたしがお前らの資金援助の条件を思い出せ! わたしの正義に協力する。それが条件であったはずだ! お前らとて、少なからずわたしの思想に共感するところがあるから、そいつを飲んだのではないのか!」


 息を呑む気配が場を支配した。

 ハドリーの言う通りだった。


 ここに集ったハドリーと彼女を除く者たちは、皆まったく同じ条件で彼からの援助を受けていた。


 腹に持つ目的は違えでも、思想の方向性はハドリーと同種のもの。

 全面的に賛同は出来なくとも、共感は出来る。

 だからこそ、彼らはハドリーから提示された条件を呑んだのだ。


 似たような考えを持つ者の手伝いをしながら、かつて彼らが持っていた名声を取り戻すことが出来る。

 たとえハドリーの思想が極端で多少穏当な代物とは言えなくとも、彼らからすれば、悪い話ではないのだから。


 おかげで、彼らは蘇ることが出来たのだ。

 感情そのままに彼らをなじる肥満の長者の言うところは、まったくもって正しいものであった。


 一度は消滅してしまったものの、ハドリーの援助によって、蘇ることが出来た存在。

 亡国の民でかつては絶大な名声を誇った存在。

 つまり彼らは――


「違うか!? 歌劇座の面々よ!」


 ――劇団・歌劇座。

 世界的な名声を持つ、演劇集団が彼らの正体であった。


 ロングフェロー商会の援助を受けるにあたって、彼ら歌劇座は一つの条件を提示されていた。

 それが種族主義的な"救済"の協力である。


 協力の一環として、彼ら歌劇座は、ハドリーの手の者が見境無く攫ってくる異種族の人々を、彼らがゾクリュ公演の拠点として使う、貸し切ったホテルに詰め込んでいた。


 王国各地に散らばる種族主義者を、歌劇座の一員としてゾクリュに呼ぶことで、守備隊の捜査の目を誤魔化す手伝いもしていた。


 いや、それだけではない。

 ハドリーが計画する"救済"。

 その最終局面の協力も確約していた。


 彼の言う最終的な"救済"とやらは、あまりに排他的すぎて、歌劇座の面々すら眉をしかめるもの。


 ハドリーが言う最終的な"救済"。

 それはいわゆる種族浄化なる手段であった。

 ゾクリュに浸透する異種族。

 それを武力でもって浄化する。

 斯様な暴力的手段が、ハドリーの真の目的であったのだ。


「……いち早く……いや今日だ! これより"救済"を実行する! 準備を急げ!」


 だから歌劇座の面々は、唐突にそう叫んだハドリーに仰天した。

 それまであくまで傍観者を貫いていた彼女でさえ、ぽかんと口を開けてしまった。


 彼女らが呆気にとられて当然だ。

 話があまりにも飛躍しすぎてしまっている。

 現実をきちんと見ることの出来るハドリーが、焦りの影響か、その能力が急速に陰りを見せてしまったようにすら思えた。


「お、お待ちください! まだ公演は残っております! "救済"はどんなに早くともすべての公演を終えてから。そういった話ではありませんでしたか!」


 元々、"救済"には及び腰だったためか。

 口々に早すぎる"救済"の実施に戸惑いと、再考を求める声があがった。


 それにいくら種族主義にいくらかの共感を抱こうとも、である。

 彼ら歌劇座は演劇集団。

 演者としてのプライドが、公演の途中放棄を許すことが出来なかったのである。


 しかし、そんな声を聞き入れるほど、今のハドリーには余裕がない。


「知らん! 状況は常に変わり続ける水物だ! 故にその時々、期に適った動きをせねばならんのだ! そして今後わたしたちを取り巻く環境が悪化する一方であるならば! 立ち上がるときは今、このときを他を置いて存在しない!」


「しかし! 決起に賛同する者がまったく集っておりません! いくら異種族を攫っても、そしてアジテーションを仕掛けても、この街の人間から種族主義的な意見がまったく上がらないことに、頭を悩ませていたところではありませんか!」


 彼らがこそこそと異種族を攫ってきた目的は、アジテーションにあった。

 王国全土には種族主義に共感しつつも、世情故にその意思を表明出来ない者が相当数存在している。

 それは、このゾクリュでも同じなはず。


 ならば、世情に抗い、種族主義的行動を世に示してやれば、勇気づけられた潜在的な種族主義者も自分らに賛同してくれるはずだろう――


 そのような見通しで、異種族狩りを敢行したのである。


 しかし、現実はそんなハドリーの期待にそぐわないもの。

 種族主義はこのゾクリュにおいては完全にマイノリティーであったのだ。

 それどころか居なくなった者たちを、心配する多様人がちらほら居るほどであった。


 アジテーションは失敗に終わり、ゾクリュを種族主義に染めるには、改善と時間を要する――

 ついこの間の会合でそう決めたばかりだというのに、舌の根乾かぬ内に、ハドリーは強硬策に出ようというのである。


 公演に関する取り決めがなくとも、このような反対意見が噴出するのは目に見えていた。


「構わん! この地がここまで統合主義に汚染されているとは知らなんだ! と、なれば我らが正義は相当な抑圧下にあるのだ! 抑圧から解放されねば、正義の御旗は立つまい! ならば! 我らが! この義挙によって! 旗が立つに足るその下地を作らねばならん!」


「無謀です! 成功する見通しがこれっぽちもないではありませんか!」


「だからこそだ! 義挙が無謀であればあるほど、息を潜める同志達の心を打つはずだ! この街の守備隊を飲み込むほどの勢力を手に入れることも、あり得ぬ事ではないのだ!」


 自分が摘発されるかもしれない――


 その極限のストレスは、人の視界をここまで狭まらせるものなのか。

 つい先ほどまでは、バイアスに左右されぬ見通しを見せていたハドリーなのに、ここに来て急に思考の柔軟性を失ってしまった。


 誰かが小さなため息をついた。

 興奮しているハドリーには聞こえなかったようだが、彼女はそのため息が誰のものなのか、その見当が付いた。


 先ほど落ち着き払った声で、ハドリーに問いかけた年長者、歌劇座座長ニコラ・ル・テリエのものだ。


 ため息の音色はすっかりと諦観に染まってしまっていた。


 目の前で癇癪を起こす長者を見て、これはもう話が通じないな――


 ――どうにもニコラはそう判断してしまったらしい。

 故に。


「……解りました。仰る通り、今すぐにでも立ち上がりましょう」


「座長!」


 半ば自棄になった口調で、かくも悲惨な一言を紡いでしまった。

 それを耳にした歌劇座のメンバーは、全員が全員、目を大きく剥いて、ニコラを見た。


 ――座長、嘘でしょう?


 彼らの目は一つの例外もなくそう語っていた。


「そうか! 流石はル・テリエ座長だ! わたしの言わんことをよく理解してくれた」


「ええ。我が歌劇座は団員全員。貴方の言うところの義挙に参加いたします。しかし――」


「しかし?」


「彼女は――」


 言葉尻をはくりと噛みつぶして、ニコラは彼女を見た。

 その動きに部屋に詰める全員が追従。

 薄暗闇の中、何対もの瞳がきらりと光って彼女を捉えた。


 ――歌劇座の一員ではない。


 ニコラが口の中で噛みつぶした言葉はこれであろう。

 歌劇座の一員でないから、今回の義挙に参加させるべきではない。

 ニコラが真にハドリーに伝えたかったのはそれであろう。


(きっと座長さんは。私に遠慮しているのね)


 今回の件は、荒事にそう詳しくはない彼女の目からしても、とてもではないが上手くいくとは思えない。

 守備隊に鎮圧されるのが目に見えており、この暴挙に参加した者は例外なく捕らえられることだろう。


 人のいいニコラのことだ。

 今回共に仕事をすることとなった彼女を巻き込んでしまうのは、あまりに目覚めの悪いことと考えているのだろう。


(でも、私は)


 彼女はゆっくりと目を閉じる。

 そして念じる。

 かつて自分が過ごしたありし日の故郷のことを。


 暖かな日差し。

 明るい青空。

 地平線の奥まで広がるブドウ畑。

 

 ころころと天気が変わって、涼しくて、世界がしょっちゅう鈍色に染まる王国では、見ることの出来ない光景。

 望郷の念に駆られる、そんな優しい光景。


 歌劇座の皆はそんな共和国に帰りたかった。

 邪神によって荒れ果ててしまった共和国をいち早く元に戻したかった。

 それを実現するための資金を得るためならば、彼らは悪魔にだって魂を渡すつもりでもいた。


 事実彼らは売った。

 種族主義の妄執に囚われる、豪商、ハドリー・ロングフェローに。


(そうだ……私は、いや私も)


 そして彼女も帰りたかった。

 あの素晴らしい日々に。

 あの愛すべき母国に。


 だから。


「……いいえ。お気遣い無く。やりますわ。私も」


 彼女――ルネ・ファリエールはゆっくりと目を開けてそう答える。

 自らも義挙に加わると断言する。


 そうだ。

 例えそれがどんなに他人を不幸にする、悪事であろうとも。

 その悪事が在りし日の共和国への帰還に繋がるのであれば。


「躊躇いません。これっぽっちも」


 かび臭い部屋に彼女の声が響いた。


 その声は静かで、しかし不思議とよく通る声であった。


「……それで? 何処に襲撃をしかけようというのです? まさか守備隊ではありますまい。数が段違いだ」


「ル・テリエ座長。潰すべきは何も守備隊だけではない。統合主義の象徴的存在。そいつを潰せば、種族主義の志を世に示すことができる。その存在を誇示できる」


「象徴?」


「ああ、そうだ」


 ハドリーは一度そこで間をおいて。


 そして狂気に満ちた面持ちで言い放つ。


「パブ・無国籍亭。異種と仲良く飲んだくれてる奴ら。奴らが今回の標的だ」


 と。

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