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第三章 十二話 品定めの視線

 そこには賑やかな喧噪が満ちていた。


 グラスの合わさる音。

 話し声。

 そして笑声。


 いずれも明るさを感じる、言うなれば陽性の音たち。

 それらが渾然一体となって、その場に溢れていた。


 ところはゾクリュの街の一角にある、パブリックハウス、無国籍亭。

 この場所はそんな音で一杯になることが日常であった。


 例え入店時には楽しくなくとも、一度ここに来てしまえば、場の空気に酔ってしまい、すっかりと陽気となって帰って行く。

 それが無国籍亭の来店者の常であるが、どうしたことか。

 今日に限ってはどうやら例外が存在しているようである。


 来店してからしばらく経ったというのに、ちっとも楽しげな表情を浮かべていない者が居るのだ。

 その顔に浮かぶ表情は、楽しさとは無縁のもの。

 それどころかしかめっ面を作っており、如何にも不機嫌そうである。


 むっつりと渋っ面を顔に貼り付けているのは、ゾクリュ守備隊の副官、ソフィー・ドイル。

 彼女は簡素な椅子に腰掛け、パブフードが並んだ机にて頬杖をついていた。


 その様子は実に苛立ちげ。

 来店して以来、時を重ねる毎に渋面を強くしていることから察するに、どうにも彼女はこの場所、無国籍亭に居ること自体が気にくわないようであった。


「まあまあ、ソフィーちゃん。そう機嫌悪くしないで、ね」


 そんなソフィーの対面から、彼女を宥める声が飛んでくる。

 声の主はソフィーの上官たる、ナイジェル・フィリップス。


 フィッシュ・アンド・チップスにモルトビネガーをたっぷり振りかけるその姿は、部下のソフィーとは対照的にどこか楽しげであった。


「……こんな時間で、このような状況で、かくの如き場所に来て。不機嫌にならない理由など、私には見つけることが出来ないのですが」


「まあ、そうだよね。折角パブに来てるっていうのに、お酒飲めないんじゃあ、ちょっと興ざめだよねえ」


 そう言ってナイジェルはフィッシュフライを頬張った。

 本来パブとは酒を飲む場所である。

 パブに訪れているのに、酒を飲むことが出来ないのであれば、パブを真に楽しむことは難しいのかもしれない。


「ま、ハーフパイントで一杯くらいなら飲んでもいいけどね。お酒弱くたって、その程度なら酔うことはないでしょ」


 ソフィーが不機嫌であることの理由を、酒が飲めぬことに求めたか。

 フライを飲み込んだナイジェルが、彼なりに彼女の心中を慮った発言をした。


 しかし、どうにもその気遣いは的を外していたらしい。

 それどころか、彼女の逆鱗を触ってしまったらしく、きつい視線を浴びる羽目になってしまった


「そうではありませんっ。私が言いたいのは、勤務時間中なのに我々がパブに居ることっ。それはあまりにおかしなことではないのか、ということですっ」


 ソフィーは早口でそうまくし立てた。


 勤務時間中にも関わらず、軍服を脱ぎ、あまつ酒は飲まないとはいえパブで油を売る。


 ただいま二人の状況を俯瞰すればこのようなものになる。

 誰がどう見たところで、それはただのサボタージュでしかない。


 生真面目な彼女からすれば、この状況はとてもではないが許容しかねる状況であるのだ。

 故にこの無国籍亭に滞在する時間が伸びれば伸びるほど、ソフィーの機嫌は悪くなっていったのである。


「まあまあ。ソフィーちゃん落ち着いて。ね?」


「これが落ち着いていられる状況ですかっ。これではただの税金泥棒ではありませんかっ」


「ああ、いいね。税金泥棒に是非ともなりたいね。軍隊が給料分か、それ以上の働きをしなきゃいけない世界なんて、僕は物騒で嫌なんだけどねえ」


「臣民の盾に、そして剣にもなれない軍隊なぞ、無用の長物でしかありませんっ。それは軍人にとっては恥ではありませんかっ」


「まあまあ。聞いてよ。たしかに僕は税金泥棒になりたいんだけどさ。でも、残念なことに、たった今も給料に見合う仕事してしまってるんだよ。これが」


「……それは、どういう意味で?」


 傍から見たら――いや。

 誰がどう見ても今のナイジェルは仕事を抜け出し、のんびりツマミを囓っている、勤労意欲のない男にしか見えない。

 にも関わらず、彼はこう言うのだ。

 こう見えても今、絶賛仕事中であると。


 日頃、模範的とは言い難い勤務態度を示すナイジェルなれど、この男は決して嘘を言う男ではない。


 だからソフィーは聞き返したのだ。

 とても仕事をしているようには見えぬが、一体どのような目的があって勤務時間中にパブにやってきたのかを。


「最近のゾクリュ。種族主義のせいでなんか嫌な感じじゃない?」


「ええ。それは確かに」


「んで、ここのパブの客層。よーく見てご覧」


 促されてソフィーは首を右に左に振る。


 多様人、魔族、エルフ、ドワーフ……四人類がまんべんなく、この酒場に集結していた。

 いずれも酒に酔い、顔を真っ赤にし、大声で笑い合っている。


 この光景をたった今話題に上がっていた種族主義者が見たら、怒りのあまり卒倒してしまうだろうな。


 ソフィーはそう思って、そしてはたと気がつく。

 彼女の上官が言わんとしていることに。


「……連中はそろそろここを標的に。あるいは、ここの客を帰り道にて攫ってしまおう。そう企んでいる、と?」


「絶対に、とは言えないけど。まあ、多分後者だろうね。酔っ払いを攫うのは、素面を狙うよりもずっと楽だろうから」


 つまりは異種族を攫っている種族主義者は、ここを見本市に使っているのだろう。

 次に攫うべく者を見繕うために、この店のどこかで見定めているのだろう。


 攫うのであれば酔いが深い者の方が、より良いだろう。

 連れ添いが居らず、一人で酒をかっ食らっているのであれば、なお良い――


 そんな具合で異種族の者を、一人一人を舐めるような視線で見回しているに違いない。


 ナイジェルが仕事と言ったのは、要するにあぶり出しだ。


 その手の怪しい視線をあちらこちらに振り回している者を見つけ、犯行に及ぼうとしたところを捕縛する。

 彼が言うところの仕事とは、このようなものであろう。


 しかしながら、である。

 ナイジェルが抱いた展望には疑問を挟む余地が存在していると、ソフィーは思った。


「ですが、大佐。いくら不届き者をあぶり出すと言っても。この賑わいから見つけるとなると……」


 それは相当に困難なことではないのか。


 ソフィーが抱いた疑問とはこれである。

 実に不安げな声色でナイジェルに問いかけた。


 ただいま夕暮れ時ということもあって、店内は満員御礼。

 見渡す限り、席は例外なく埋まっている。

 人海と呼ぶに相応しいこの人数から、怪しげな視線を右に左に向けている者を探すのは、至難の業と呼ぶ他にない。


 だから、ソフィーはいささかの不安を表明したのである。

 不審人物を探し出すこと、果たして能うのかと。


 しかしそんなソフィーの不安をよそに、ナイジェルはちっとも表情を崩さない。

 チップスを啄み、舌鼓を打つ余裕すら見せていた。

 そしてさらりと一言。


「安心してよソフィーちゃん。もう目星はさ。つけておいたからさ」


 と。


 それはソフィーにとって予想外の反応だった。

 二回、三回と、彼女は目を瞬かせて。


「……は?」


 そう聞き返してしまった。

 驚きのあまり、そんな音が口から漏れ出てしまった。


 困難と思われていたことを、目の前の上官はすでにやってのけたと言うのだ。

 そのあまりの仕事の速さにソフィーは、舌を巻くのを通り越して、ただただ呆気にとられるばかりであった。


 それでも、伊達に彼女も士官学校を主席で卒業したわけではない。


 一呼吸、いや、二呼吸の間でもって平静さを取り戻し。

 今度はきちんとした言葉で問い返す。


「その……目星とやらは。何処に居るのでしょうか?」


「ソフィーちゃんの背中側。三つばかし先のテーブルに居座っている男」

 

 そう言うや、ナイジェルは懐から紙幣を取り出してソフィーに突き出した。

 差し出された紙幣はとてもくしゃくしゃで、彼の整理整頓の出来ないズボラな性質を、思う存分に体現していた。


「こいつでさ、シェパーズパイでもバンガーズ・アンド・マッシュでも何でもいい。何か注文しがてら確認しておいで。あくまで自然な感じで、ね」

 

 どうやらこの場で目星を確認するのではなく、料理を注文するその一連の流れで自然を装い見てみろ、ということらしい。


 ソフィーは今すぐ首を回したい衝動をこらえて、一度小さく首肯した。

 くしゃくしゃな紙幣を受け取り、ゆっくりと立ち上がる。


 バーカウンターの端にある注文口へと歩みを進めつつ、ちらりと問題の席をのぞき見た。

 

 亜麻色の髪をした男が一人、そのテーブルを陣取っていた。

 男はゆっくりとした動作でハーフパイントのペールエールを傾けていた。

 この動きだけ受け取れば、この店に居るただの客にしか見えず、とてもではないが物騒な思想を抱く人物には見えない。


 だがしかし、だ。

 ソフィーはかの男を眺めて、とある確信を抱いた。


(なるほど。大佐の仰る通りだ。こいつが誘拐犯の一人と見て間違いなさそうだ)


 ソフィーにこの男が真っ当な人物でないと確信を抱かせた材料。

 それは男の目にあった。


 男の瞳はとても据わっていた。

 どういうわけかは知らないが、光が反射しておらず、その水色の虹彩はどことなく濁っているように見えた。

 生気を感じさせない目、と換言してもいい。


 そんな光を感じさせない眼差しをしているにも関わらず、である。

 男にはとても強烈な意思――いや、猛烈な感情か。

 とにかくそれが目に宿っていることが見て取れるのだ。


 その感情とは憎悪。

 生気がないのに感情豊かという一種矛盾めいた目遣いだ。

 狂気的な目付きと断言してもいいかもしれない。


 男はそんな狂気に満ちた目でじっと一点を睨んでいた。

 若い少尉はそんな男の視線の先を、つうと追ってみれば。

 カウンター席のとある一点に焦点が合った。


 女が座っていた。

 灰色の髪。

 魔族の女だ。

 耳は真っ赤である。

 頭は右に左に、前に後ろにと、とにかくふらふら、ふらふら。

 酒が大分進んでいるようだ。


(今回の標的は彼女、というわけか)


 確かにあの状態の女を攫うのは苦も無く叶いそうだ。

 不自然に見えない歩調で注文口に向かいつつ、目だけは男と標的となっている魔族の女をソフィーは捉え続ける。


 そして注文口にたどり着いたそのとき、状況が動いた。

 怪しい視線を送られていた魔族の彼女が、やおら立ち上がったのだ。


 やはり酒の量が過ぎたらしい。

 椅子から腰を上げるのにも難儀するほどの、見事な千鳥足であった。

 定まらない足取りで店を後にする。


 それを認めて、狂気的な目をした男もおもむろに起立。

 ハーフパイント程度の酒量では酔うには至らず、こちらは至って健全な足取り。

 酒場を出るその歩調もアルコールの支障は一切見られなかった。


 歩くのもやっとの女と、まったく酒の影響を受けていない男。

 もし二人の読み通り、彼女が標的で、彼が誘拐犯であるのならば――


(――あまりに危険だ)


 それを認めてソフィーはナイジェルを見る。

 彼女の上官はゆっくりと頷いて、立ち上がって。


 そして二人は軍人特有の規律だった歩みで、無国籍亭を退店した。

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