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第三章 十一話 ただの家出であるように

 不安に押しつぶされかけ、みっともなく痛飲してしまった日から二日が経った。


 自分のキャパシティを超えて飲んでしまったために、昨日は散々な一日を過ごしたのだが、流石に今日の体調は万全であった。


 そんな気持ち悪さと頭痛とは無縁な昼下がりである。

 屋敷に来客がやってきたのは。


 お客は体格のいい男たちであった。

 黒髪の男と、褐色の肌を持つ男の二人組。

 ちなみにその二人は俺の知古でもあった。


 黒髪は先日無国籍亭にて再会したギルトベルト・ダウデルト。

 そしてもう一人は海峡商国出身の、これまた無国籍亭のコック、ムウニスであった。


 共に俺の戦友であるから、はじめは彼らが訪れたのは、遊びに来たのかと思った。

 だが、二人の顔付きを見て、そんなお気楽な目的でここに訪ねてきたのではないと悟った。


 彼らの表情で深刻そのものであったのである。


 先日再会出来なかったムウニスはまだしも、である。

 屈託のない笑顔を浮かべて乾杯を交わしたギルトベルトが、あの時見せた息災そうな様子は何処へやら。

 とても重苦しい顔色を貼り付けていたのだ。


 これはただ事ではない。

 悪い話を聞かされるのは必至か。

 応接間に案内しつつ、俺はそんな覚悟をする必要があった。


「……顔、見れば何か悪いことがあったのはわかるけどさ。まずはお茶に口にして、一息だけつこうか」


 席に促しつつも、たった今アリスが入れてくれたお茶を勧める。


 こんな顔を一日中しては、仕事するずっと前にくたびれてしまうだろう。

 ほんの少しでもいいから、紅茶の芳香で肩の力が抜けてくれれば、と思ったのがお茶を勧めた理由だ。


 二人がおもむろにティーカップに口を付けたのを認めて、俺もティーカップを持ち上げる。


 琥珀色……よりもやや薄く、やや透明度が高い液面がそこにあった。


 しかし薄い色とは裏腹に、香りは実に濃厚。

 アプリコット……いや、桃の甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐる。

 ほんのりと感じる甘みは茶葉本来の甘味だろうか。

 ともかくこのお茶は、俺も初めていただくフレーバーティーであった。


 少しでもリラックスしてくれれば、という願いは天に通じたか。


 ふくよかな香りのお陰で、二人の肩はほんの僅かだけど柔らかくなった。

 顔はまだ深刻極まりないものであるが、それでもいくらか彼らの心を明るく出来たようで、ひっそりと俺はほっとした。


「……実はな」


 ソーサーを机に置いたギルトベルトが切り出した。

 その調子は顔色同様、切なるもの。


 背筋を正して話を聞かねばなるまい。

 俺も彼に倣ってソーサーを置いて。

 そして身を乗り出し加減に彼の話に耳を傾けた。


「レナが。昨日から仕事に来てないんだ」


「レナが?」


 どうやら話したいこととは、レナにまつわるもののようだ。

 俺の返答に対してギルトベルトが一度頷き、一呼吸をおいて。

 そしてまた口を開く。


「ああ。ずる休みする奴じゃないから、俺らもはじめはレナが風邪でもひいたのか、って思ってな。連絡もしなかったところを見るに、その余裕すらなくなるほどに体調崩したのかと思ってな。だから、さっきムウニスと二人で奴の部屋に行ったんだが……」


「行ったんだが?」


「いくらノックしようとも返事がなかったんだ。で、ご近所さんに話聞いても、二日前の夕方を最後に見ていないと言う。妙だなと思ってな。だから悪いとは思ったんだが、大家に連絡してカギ開けて貰って中に入ったんだよ。そしたらな、居なかったんだ」


「レナが?」


「ああ。レナが」


 舌を動かし続けて、口の中が少し乾いたのか。

 そう答えるや、ギルトベルトがもう一度ティーカップを口元に寄せた。

 大柄な彼が小さなティーカップを傾けている姿は、何だかままごとに付き合わされる、お父さんのようであった。


「家出、の可能性はないのか? 最近彼女が悩んでるとか、そういった様子は見せてた?」


「いいえ。そんな気配はまったくもって」


 わずかに肩をすくめて丁寧な口調で答えたのは、ムウニスであった。


 人を殴り殺せそうな立派な体格とは不釣り合いで、とても穏やかな気性の持ち主である。


 彼が炊事班に配属されたその理由が、料理の腕以上に、戦闘行為に彼の精神が、果たして耐えうるかどうかを疑問視されたことが大きい。


「それにですね。部屋には貴金属のアクセサリーが幾つか置いてありました。それもほとんどは皇国の伝統的なアクセサリーです。家出するのに、金になるものを置いていくなんて、あまりに不自然ではないでしょうか?」


「言われてみれば、たしかに」


 皇国の伝統的な工芸品や装飾品は、主に富裕層に人気がある。

 だから質屋に持っていけば、結構な額に化けてくれるものなのだ。

 持ち運びに苦労しない上に、多額の現金に化ける。


 本気で身をくらませたいのであれば、これ以上にないくらいに役立つ物を置いてくのは、たしかに不自然と言えた。


 と、するならば。


「つまり……何かの事件に巻き込まれてしまった、と?」


「ああ。今んところ、そうとしか考えられねえんだよ」


 より一層、深刻な声色でギルトベルトが答える。

 共に店で働く者が、そして戦友が行方不明になってしまったのだ。

 悩ましげな表情をして然るべきだろう。


「最後にレナを見たのは?」


「三日前。レナはおとといは休みだった。劇を観るために休みを取っていたんでな」


「劇? 歌劇座のやつ?」


「ああ。そうだ。苦労してチケットを手に入れたらしくてな。レナにしては珍しく自慢してたよ」


 世界的な劇団と、女優が見られるのだ。

 その喜びは、いくら感情をあまり表に出さないレナであっても、自慢せざるを得ないくらいに強いものであったことは想像に難くない。


 しかし、それはそれとして、彼女が三日前に観劇していたのは僥倖であるかもしれなかった。


 お陰で、もしかしたならば、レナの行方不明になるまでのその足取り。

 その一部が明らかになるかもしれなかったからだ。


 そして同様の考えは、後ろに控えて話を聞いていたアリスも抱いたらしい。

 ゆっくりと俺に近付いて、そっと呟く。


「……ウィリアムさん。アンジェリカさん、お呼びいたしましょうか?」


「うん。悪いけど、お願い」


「では、そのように」


 アリスの提案に俺は頷く。

 答えを聞いて、彼女はアンジェリカを連れてくるべく、静かに応接間から退出した。


「アンジェリカって……こないだお前が連れてきた、あの女の子か?」


「ああ。そうだ。実は彼女もその日、クロードと一緒に観劇していてね」


「ほう。そいつはいいことを聞いた」


 レナが劇を観ようとしていたその日。

 偶然にもアンジェリカとクロードも劇場に居た。


 もし、アンジェリカがあの日レナを見たとなればだ。

 彼女は劇が終わったその後に、厄介事に巻き込まれたということになる。


 大雑把なれど、居なくなってしまった時間帯を明らかにすることが出来るかもしれないのだ。

 そうすれば、守備隊にこのことを相談した時、彼らの調査がいくらか楽なものになろう。


 もしかしたならば、解決に要する時間もいくらかは少なくなるかもしれない。

 その可能性を見出してか、ギルトベルトもムウニスもその目にほんのりとだけど、希望の灯を点した。


 しばらく男三人で無言の時間を過ごして。

 そして、二人にとっての希望の象徴となるやもしれぬ娘がやって来た。


 アリスに引き連れられて。

 唐突に召喚されたことに戸惑うそぶりを見せながら、広間にアンジェリカがやって来た。


「お久しぶりです、えっと……ギルトベルトさん。と……?」


「ムウニスです。初めまして。よろしくお願いしますね」


「あ、こちらこそ初めまして。アンジェリカです。えっと、無国籍亭のコックさんですよね。お料理、とても美味しかったです」


「ありがとうございます。料理人冥利に尽きますよ」


 気性をそのまま表したような、人の良い笑顔をムウニスは浮かべた。

 そして一度彼はこちらをちらりと見て。


 良い娘ですね――


 彼は不言にて、アンジェリカを褒めてくれた。


 ああ、そうだろう、と彼に倣い、鼻高々な気分にて目で答えると。


 典型的な親バカになってしまったな、と言わんばかりの笑声染みた鼻息を、彼は漏らした。


「ああ。久しぶりだ、アンジェリカちゃん。急に呼んじまってすまないが、ちょっと聞きたいことがあってな」


「聞きたいこと、ですか?」


 再会の挨拶と、初対面の挨拶。

 それらをそつなくこなして、アリスが静かに引き出した椅子にちょこんと着席したアンジェリカに、ギルトベルトは問う。


「二日目に歌劇座の劇を観に行ったろう。その時にだな。劇場でレナを見なかったか?」


「レナさん、ですか? 見ましたよ」


「本当か? 本当に劇場にレナが居たんだな?」


「え……ええ。間違いなく。皇国の正装、なんですかね? とにかく見たことのない服を着ていて、とても目立っていました」


 食いつくようなギルトベルトの問いかけに、少し面食らいつつも、アンジェリカは答えた。


 彼女を怖がらせかねない彼の姿勢の抗議はさておくとして、これにて彼女の最後の足取りが更新される。

 少なくとも観劇するまではレナは無事であったことが確認された。


 と、なれば彼女が何かに巻き込まれたのは、劇場からの帰り道以降ということかになる。


「あ、あの。レナさんに、何かあったんですか?」


 大人達の様子がどうにも深刻なものだったからだろう。

 戸惑った様子でアンジェリカが聞いてきた。


 このまま誤魔化してもいいが、それはそれでアンジェリカに対して不誠実な振る舞いだろう。


 だから俺は正直に答えることにした。


「……レナがさ。行方をくらましちゃってさ。どうにも厄介事に巻き込まれたようなんだ」


「レナさん、がですか?」


 アンジェリカがこぼしたその一言に、ギルトベルトが渋っ面にて肯んじる。


 レナが行方知れずとなってしまった。

 そのことに強い衝撃を覚えたか。

 アンジェリカは幼い両の目をまん丸にして絶句した。


 それもそのはずだろう。

 彼女は三日前にレナを劇場で見たばかりなのだ。

 身近なところで、そんなきな臭い事件が起きてしまったとなれば、強いショックを覚えて当然というもの。


 さて、事件発生の絞り込みも出来たことだし、大佐なりソフィーなりに連絡を付けて、早速調査を――


「あ、あの。ちょっといいですか?」


 ――そんな風に、今後の動きを考えていると、アンジェリカが発言した。

 おずおずと手を上げながらの発言であった。

 そのために、広間の視線は彼女に集中することとなる。


 注目を集めてしまったこと。

 そのことに一瞬たじろぐ様子を見せるも。


「実はレナさんの件で、気になることがあって……」


 しかし躊躇いのない声色で、アンジェリカはその胸に抱いた懸案事項を語り始めた。


 ◇◇◇


「……いやあ。それはなんとも厄介な案件ですねえ」


 執務椅子に思い切り背中を預けながら、フィリップス大佐はそうぼやいた。


 ギルトベルトとムウニスから相談を受けたその日に、俺は二人を引き連れて守備隊の隊舎へとやって来た。


 本来街に下りるには、前もっての申請が必要だったのだけれども、監視役の守備隊員を捕まえて、無理を言ってここまで連れてきてもらったのだ。


 殿下を思わせる無茶振りで何とか大佐のお目通りが叶い、そしてレナが行方不明となってしまった件を彼に伝えたのである。


 そしてそれに対する反応が、先の一言である。

 もう厄介事はうんざり、といったご様子。


 考えてみれば、乙種騒ぎから今日まで、何かとゾクリュは妙な出来事が起きている。

 その都度守備隊は東奔西走しているのだから、彼がげんなりとしてしまうのも無理からぬ話であろう。


 だが、うんざりとしているのは、どうにもそれだけが理由でないらしい。

 椅子に背中を預けたついでに、部屋の天井を見上げつつぼそぼそと呟き始めた。


「……実はね。ここ数日になって急に、街で似たような事件がちょこちょこ起きてましてね。その対応に頭を悩ませているところでして」


「失踪者が多発している、ということですか」


「ええ。しかもね、失踪する人たちに、ちょっとした傾向というか共通点というか。とにかくそいつがあるんで、とても嫌な感じだったんですよ」


「傾向、とは?」


 どうやら急に行方知らずとなってしまったのは、レナだけではなかったらしい。

 大佐がこうして頭を悩ますからには、相当数の人間が急に居なくなっているようだ。

 しかも厄介なことに、居なくなる人間にはある共通点があるという。


 これが人知れず邪神に襲われていたことが原因ならば、居なくなる人たちに共通点なぞ生じるはずもない。

 連中は人身御供を要求しない限りは、手当たり次第に人を捕食するからだ。


 しかし、そうではなく、まるで狙ったかのように特定の人々が居なくなっているのであれば、だ。

 それはつまり、この失踪が人の悪意によるものであることを意味していた。


「魔族、エルフ、ドワーフ――こいつが共通点なんですよ。居なくなってしまった人のね」


「そして今度は、レナ……つまりは皇国人だ。ある意味異種族と言ってもいい。ってえことは、だ」


「ええ。そうです、ギルトベルトさん」


 気だるげな動作で大佐が天井に向けていた顔を正面へと戻す。

 そして数多の書類の山脈が根を下ろす、見るも無残な執務机に頬杖をついて。

 心底嫌そうな顔付きをしてぽつり一言。


「どうにも種族主義的なにおいがしてならないんですよねえ」


 その可能性を口ずさんだ影響か。

 明らかに部屋の温度が下がった。


 いや、その可能性は屋敷の段階でも薄々見え隠れはしていた。


 アンジェリカが言っていた、気になることがまさにそれであった。


 皇国の衣装を身に纏ったレナを憎しみの籠もった目で見る者が居た。

 そんな告白をされた時点で、十分に種族主義がこの件に関連しているとの推測は立てることはできた。


 が、それにも関わらず、俺らはその可能性を一旦見なかったことにした。


 だって、そうだろう。


 無国籍亭の空気を思い出してみるといい。

 あそこは種族主義なんかとは無縁で、むしろ融和を望む人々が集まる、そんな場所であった。


 そんな場所があるというのに。

 その店がある街、ゾクリュには、それを望まぬ輩が少なからず居る。

 強引な手段を用いても構わぬと思う奴すら居ると言うのだ。


 こんな悲しい現実、認めたくはないと思うのが、人情ってやつではなかろうか。


「それにしても今をときめく豪商が種族主義やもしれぬ、なんてねえ。こちらとしてはアテが出来て楽っちゃあ楽なんですが。いやはや一体全体、今の世の何がご不満なんだか」


 大佐のそれはまったく理解に及ばぬ、といった声であった。

 アンジェリカが見たというロングフェローの憎悪の視線の件も大佐に話してある。


 彼がそんな表情を見せた直後に、レナが居なくなってしまっている以上、関連を疑って然るべきだろう。

 しかも、最近のゾクリュはどうにも種族主義者が暗躍しているきらいもあるのだ。

 まずは疑ってかかって、損はないと見る状況だろう。


 事実、大佐は今後ハドリー・ロングフェローに探りを入れるらしい。

 クロならその内ボロが出るはずであるが……果たして。


「一番都合が良いのは、たまたま誰も彼もが家出したい気分だったってことなんだけど。そうなってくれるかなあ」


 ぽろりと出た大佐の言葉。

 本人が言う通り、それはあまりにも都合の良すぎる展望であろう。

 まさに楽観論、ここに極まれり、である。


 だというのに、ギルトベルトもムウニスも。

 そして俺も大佐の一言に深く深く頷いてしまっていた。

 心の底からそうであってくれ、と願ってしまっていた。


 何せ、ただの集団家出であったのならば。


 それは人が人を迫害しようとするとんでもない暴挙より、ずっとずっと救いがあることなのだから。

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