第三章 四話 この国から出ていけ
むしってもむしっても、しつこく芽を出す雑草とひたすら格闘していた午前中のことである。
丘の下から屋敷に登ってくる人の気配を感じて、雑草との戦に勤しむ手を止めた。
来訪者はゾクリュ守備隊の隊長、ナイジェル・フィリップス大佐であった。
俺の視線に気付いた大佐は、軍帽を脱いで軽く挨拶をした。
「おや、ウィリアムさん。こんにちわ。庭いじりに精が出ているようで」
「ええ、こんにちわ。時間は有り余るくらいですからね。何かするには丁度良くて。それよりも、大佐。今日はどういった御用で?」
「ああ、ヘッセニアさんにね。ちょっと用があって」
「ヘッセニアに?」
些細事ならクロードに伝えるか、伝令の兵を寄越すはずだ。
しかし大佐はそうせずに、直接屋敷を訪れてきた。
つまりは、それなりに重要な案件を携えてやってきた、と考えるべきだろう。
そして俺にではなく、ヘッセニアに用があるってことはだ。
それはつまり――
「……大佐」
「ん? なんでしょうか」
「申し訳ありません!」
深々と頭を下げる。
腰をほとんど直角に曲げる。
申し訳なさげに、しかし、しっかりと相手に聞かせるように大きな声で謝る。
「え? あ、あのー……ウィリアムさん? なんで急に頭なんか下げてるんです?」
「いえ。どうにもヘッセニアがまた厄介事起こしたみたいで。わざわざ大佐が直接足を運ぶくらいなんです。きっと、またとんでもないことをやらかしのたでしょう。申し訳ありません!」
ヘッセニアめ。
俺の叱責が怖くて黙ってやがったな。
怒られるのが怖くてだんまりするなんて、まんま子供のやることじゃないか。
後でクロードに告げ口してやるとして、俺からも一つ絞ってやらねばなるまい。
「あー……まず頭を上げて下さい。別にヘッセニアさんは今回なにもやらかしていませんので、謝る必要はありませんよ」
あんまりにも勢いよく頭を下げたからだろう。
かなり心配した声色で大佐が俺に言い聞かせた。
「……本当ですか」
「ええ。本当に」
ちらりと上目遣いに大佐を見る。
かなり困惑した顔付きで本当、本当、と、何度も頷いていた。
その姿に嘘の気配は欠片も見いだせない。
そうであるならば、さっきの俺の懸念は、どうやら取り越し苦労であったようだ。
「ああ……なら良かった。しかし、それならば、ヘッセニアにどの様な御用があって?」
本当に一安心。
ほうと大きなため息をつきつつ、なお大佐に問う。
ヘッセニアに職質を仕掛けるのではないのならば、今日の来訪の目的は何かと。
「そうですねえ。一言で言えば……」
適当な言葉を探しているのか。
視線を僅かに空に向けながら、大佐はそう呟く。
一拍、二拍の間を置いて。
そして言葉は見つかったか。
視線を俺に戻して。
にっと笑い顔を作って一言。
「社会貢献ってとこですかね」
しかし言葉を考えてくれたのはいいけれど。
情報量が少なすぎて、いまいち彼がヘッセニアにどんな用があるのか、それを把握することは出来なかった。
「あら。大佐。もう迎え来てたの。早いね」
結局大佐は何が言いたいのか。
それに頭を悩ませていると、屋敷からヘッセニアが出てきた。
今日もやはり白衣を羽織っていた。
「どうも、ヘッセニアさん。善は急げって言いますしね。こういったことは早めに動いて損はないもんです」
「それもそうか。いいわ。なら、もう行っちゃいましょう。準備は出来ているようなもんだし」
どうにも彼女は、白衣のままで大佐と外出する気でいるらしい。
先日と違って今回の白衣は汚れていないようだ。
なら、今回は無理にでも引き剥がす必要はないだろう。
しかしそれはそれとして、俺の中の謎はますます強くなる。
大佐とヘッセニア。
まずこの取り合わせだけでも珍しいというのに、あろうことか二人で外出するというのだ。
まるでさっぱり意味が分からぬ。
目的が読めぬ。
今の俺の頭の上には、たくさんの疑問符が浮かび上がっていることだろう。
「それじゃあ折角だし、ウィリアムさんも一緒に来ます? 社会貢献に。来て損はないと思うのです」
「私は構いませんが……しかし一体何処に行くのですか?」
「広場ですよ。ゾクリュのね。まあ、街の広場の中でも一番辺鄙な処にあって、大して広くないとこなんですが……」
どうやら広場に行って、二人でのんびりとお散歩――
――というわけではなさそうだ。
広場自体に用があるのではなく、広場にある何かに用がある。
しかもその何かとやらは、それなりに重要なものであるようだ。
で、なければ大佐はこうして言葉を一旦区切るまい。
こうして後に続く言葉を強調する真似なんてしまい。
さて、果たして目的の広場とやらに何があるのだろうか。
大佐は口を開く。
「そこに難民キャンプがありまして。ちょいと用が、ね」
◇◇◇
王国は多くの難民を抱えている。
それも当然だろう。
国土の何割かが邪神によって陥落してしまい、故郷を追われた人々が両手では数え切れないほどに居るのだから。
そればかりではない。
王国がいくらその領土を邪神に奪われたとはいえ、それはあくまで一部のみの話。
国土のすべてを喪失した国に比べれば、受けた被害は小さいと言わざるを得ない。
故にそういった国々の人々の受け入れも行っており、難民の数は膨大なものとなっている。
とは言え、大都市で暮らす人々からすれば、そこまで難民は身近な存在ではなかった。
差別的ではないかという声はあるけれど、政府は王都をはじめとする大都市には、難民キャンプを設置しない措置をとったからである。
現在大戦争の直後故に、民心は穏やかとは言えない状況にある。
市民が難民を敵対視してしまえば、大規模な暴動に発展しかねない。
それを恐れての措置であった。
「ですがまあ、ここゾクリュは別でして。何分ここは復興のための策源地。むしろ人が足りなくて困っているくらいですからねえ」
目的地である広場に着くや、大佐がそんな一言を漏らす。
俺の眼前にはこじんまりとした広場があった。
小さな子供が友達と追いかけっこするには、不十分しない大きさの広場。
そこに所狭しとテントが立ち並んでいる。
駐留キャンプを連想させるこの光景は、さっき話題に上がった難民キャンプである。
ゾクリュは大都市と呼んで差し支えない規模の街である。
と、すれば暴動を防ぐために、王都等と同じ措置がとられてもおかしくはないだろう。
しかし、現実としてゾクリュの内には難民キャンプはある。
これはひとえに、復興の労働力として政府が難民をアテにしているから、と見て良いだろう。
「とても静かですね」
半ば独り言のような語勢で俺は呟く。
難民キャンプは静謐そのものであった。
と、いうか人の気配が希薄だ。
確かにここに人の住んでいる痕跡は見つけることは出来るけれど、どのテントも今は留守であるように見えた。
「いつもはもう少し騒がしいですよ。今、静かなのは理由がありまして……ほら」
大佐が何処かに指を差す。
その指先に視線を滑らしてみると、そこには極めて秩序だった行列が四つほど出来ていた。
「ご飯の時間なんですよ。これから」
彼の言葉を受けて、視点を行列の先頭へ持っていく。
長いテーブルが置いてあって、その上には湯気を立ち上らせる寸胴鍋。
そして行列に並んでいる人たちは各々食器を手に携えていた。
なるほど。
どうやら炊き出しの時間であるらしかった。
「ヘッセニアさんにはね、あの鍋がきちんと働いているのか見て貰いたくて。あれは保温してくれる魔道具なんですが、最近どうにも調子が悪くてね。すぐに冷めるもんで困ってたんです」
行列の先頭にある鍋を、大佐は顎でしゃくった。
強化魔法しかロクに使えない俺には見分けが付かないけれど、あれはただの鍋てはなく、魔道具であるらしい。
温かい飯が饗されるかどうかで、人間のモチベーションは相当左右される。
冷めた飯が出てくると、物凄くがっかりしてしまうものだ。
従軍時代に何度か冷や飯を食わされた経験があるだけに、冷めているか否かで食後の満足感が全然違うことを、身をもって知っていた。
「なるほど。これは彼らの温かい食事を与えるためには必要な仕事だ。だから、屋敷で社会貢献と言っていたのですね」
「そういうことです」
ヘッセニアは既に俺や大佐の傍には居ない。
広場に着くや否や、さっさとあのテーブルの下へと向かい、しげしげと寸胴鍋を見て回っていた。
時折ヘッセニアは渋面を浮かべていた。
その様子から見るに、どうにも大佐の言う通り、鍋に施された定着魔法は上手く機能していないようであった。
「フィリップス大佐ー。ありゃダメですぜ。随分と昔の代物で、稼働式が劣化しちゃってる。いくら魔力を追加で足しても元がダメだから、普通の鍋よかマシ程度の保温機能しか発揮できてないよ」
一通り鍋を見て回ったヘッセニアは開口一番にそう告げた。
俺はあまり定着魔法には詳しくないが、機械と同じく魔道具も使用を連続していると劣化して、その内使い物にならなくなるらしい。
今のヘッセニアの口ぶりからして、もうあの鍋は限界を迎えつつあるようだ。
「そうですか。もう一度稼働式を定着し直すってことは出来ないのでしょうか」
「出来なくはないけれどー。そうすると元々あった稼働式を綺麗に消す必要があって面倒だから、職人はいい顔しないと思うな。時間もかかるし、買い換えちゃった方がいいよ」
「んー……魔道具の鍋って高いんですよねえ。お偉方に買い換えの陳情、通るかどうか微妙で……」
どうやらあの鍋は守備隊の持ち物であるらしい。
買い換えをすすめられた大佐は、如何にもといった渋い顔を作った。
どうにも許可が下りそうにないらしい。
「じゃあ、無理言って職人に直して貰うしかないね。ただ、向こうも面倒だから相当な額ふっかけてくると思うよ。それこそ買い換えと変わらないくらいの」
「うーん……ならどっちにせよ許可下りそうにないですねえ……土下座しても多分出してくれないだろうしなあ……どうしよう」
「ご愁傷様。しっかし、上もケチね。社会貢献のためなんだから、もうちょっと奮発してもいいじゃない。これだから現場を数字でしか見れない頭でっかちは……」
「いやあ。それは僕も同意見で、出来れば我を通して押し切りたいところなんですがね。今、僕らはワガママ言えない立場なんですよ。これが」
「ほーん。どうして」
「最近、二件も立て続けにデカイ事件起きちゃってますからねえ、ゾクリュ。その処理で小さくない額が動いてるんで、お財布握っている方々の覚えが悪いんですよ」
「うっ」
ぎくりとヘッセニアの小さな背中が震えた。
それまでヘラヘラと締まりのなかった顔が、にわかに引きつる。
大佐の言うデカイ二つの事件の内、片方は彼女が引き起こした爆発事件だ。
散々守備隊に迷惑をかけたが故に、彼女は強い罪悪感を覚えているようであった。
「……どなたかが善意で直してくれれば万々歳なんですがねえ。僕に使える額はお小遣い程度なんで、まず職人達は頷いてくれないでしょうし。あー、こまった。じつに」
わざとらしい口ぶりで大佐が独り言つ。
彼が言葉を口にする度に、ヘッセニアはますます居心地を悪そうに身を屈めていく。
……誓っていってもいいが、先の大佐の独り言は、間違いなく独り言ではない。
間違いなく言葉の行き先はヘッセニアだ。
これは交渉だ。
ヘッセニアの罪悪感を揺さぶる、半ば阿漕な手法の。
「あ、あのー……フィリップス大佐?」
「どうしました? ヘッセニアさん」
「……その仕事、私がやりましょうかねえ?」
「本当ですか。いやあ、助かりますよ。勿論、タダでとは言いません。ちょっとした謝礼も用意しますよ。……ま、経理の人はとっても嫌がるだろうけど」
「……いえ、タダでいいです……タダでなきゃダメです。善意に見返り求めちゃアカンと思うのです……」
「おお。それは重畳。いやあ、素晴らしい心がけですなあ。こんな素晴らしい志をお持ちの人がそばに居るとは。なんてラッキーなんですかねえ。はっはっはっ」
「……ははは」
そして罪悪感に訴えかける、荒っぽい交渉は終わりを告げる。
フィリップス大佐の完全勝利という形で。
とても面白いものを見せてもらった。
今度ヘッセニアが暴走して言うことを聞かなくなりかけたら、今のやり取りを真似するのもいいかもしれない。
問題児の手綱を取り方を教えて貰ったようで、沈んでいるヘッセニアとは対照的に、俺の気分は晴れやかであった。
「さすがに今日はああして使ってるんで、鍋の受け渡しは無理でしょうし……明日にでも屋敷に送っておきますよ。部下を寄こ――」
――部下を寄越します。
そう紡ぐはずだった、大佐の言葉はしかし口から出ることはなかった。
物音が大佐の言葉を奪ったのだ。
音は炊き出しの列から聞こえてきた。
ごつりという、鈍い音だった。
音の正体は何だろう。
気になって目を列へと向けてみると。
そこにはとんでもない光景が広がっていた。
炊き出しのボランティアに参加していたエルフの女性が蹲っていた。
目の辺りを抑えながら、背中を丸めていた。
彼女の近くには器が転がっている。
どうやらあれが彼女の顔、それも目の近くに直撃したらしい。
事故ではなさそうであった。
何故であるならば、彼女の真っ正面には――
「……この外人めっ!」
――明確な敵意を身に湛えた難民の男が立っていたのだから。
男の手にはあるべきはずの器はなかった。
彼がボランティアのエルフの顔目掛けて、器を投げたのは明白であった。
「ここは王国だ! エルフが好き勝手しやがって! 今すぐこの国から出て行け!」
さらに男は敵意を言葉にする。
大声で蹲るエルフに罵声を浴びせかける。
その声に場の空気は一変した。
困惑と剣呑が色濃くなる。
困惑したのは他の難民たちだ。
どうやら彼の言いたいことは、他の人たちの共感を一切得られなかったらしい。
この人は何を言っているのだろう、と白い目で彼を眺めていた。
そして剣呑な空気を湛えたのは、この場の警備に当たっていた守備隊員たちだ。
彼らはあっという間に、騒いだ男を取り囲んで。
腕を、肩を摑んで拘束。
列から男を引き離そうとしていた。
「離せっ! 俺は! 俺はっ!」
まだ文句を言い足りないのか。
身を捩って拘束を抜けようと男は試みる。
その場に留まろうと踏ん張ってみせる。
しかし、さすがは日頃訓練を重ねている守備隊員か。
取り立てて苦労した様子なく、列から男を引き剥がしていった。
男がいなくなって、場には沈黙がやって来た。
気まずい、とても気まずい沈黙が。
「……あの人は種族主義者だったのかな」
「……でしょうね」
その気まずさに引っ張られて、控え目の声量で囁く。
あれが最近の王国の悩みの種である種族主義者かと。
同じく後味の悪さを隠しきれない声色で、大佐が頷いた。
「うわー……ぷりぷり怒っちゃってまあ。今時、種族だなんだーって叫ぶの、ちょっと時代遅れじゃない? 戦場立ってたらそんなこと些細な問題って気づけたのに」
全員が全員そうではないが、ヘッセニアの言う通り、従軍経験者は種族主義とは真逆の見解を持つ傾向にあった。
そうなるのは実に単純な理由からだ。
戦場で一々遺恨を引き摺っていたら、とてもではないが生き残れなかったから。
ただそれだけだ。
「……しかし、彼らの言ってることも全てが間違いじゃないってのも頭の痛いところなんですよね」
「と、言いますと」
「種族主義に傾く一番の理由は貧困です。ご存じの通り、今、王国には相当数の難民が流入してきている。彼らは今を生きるのに必死なもんで、過酷で安い仕事も躊躇わずやっちゃうんですよね。結果として、元々その仕事やってた王国人が仕事からあぶれてしまうケースも、なくはないのです」
「今、この俺が貧しいのは難民のせい? だから出て行け? それって八つ当たりじゃない」
「まあ、それはそうなんですが。しかし、戦争で全てを奪われてしまえば、否応なしに恨み辛み、そして憎しみが心に蓄積してしまうものです。何かを恨むと気が楽になりますからね。戦争中ならそんな負の感情は全部邪神に向かってて、問題なかったのですが……」
ここで一度大佐は言葉を句切った。
いや、言いよどんだ、と言うべきか。
つまりは躊躇したのだ。
次に出る言葉を本当に出しても良いのか、と。
彼が何を言いたいのか。
そのあたりはついていた。
ついでに躊躇っているその理由も。
「戦争が終わってしまって。邪神が居なくなってしまって。そのやり場のない怒りが、同族である人類に向いてしまった、と」
だから、俺が代弁した。
大佐が言うか否かを迷っていた言葉を。
つまり彼は遠慮したのだ。
大佐自身は後方勤務で戦場経験が薄い。
それなのに前線で戦い続けた俺とヘッセニアに向かって、戦争が終わったから、こうなった。
なんて言うのは確かに気のひけることであろう。
そしてその推測はどうにも合っていたらしい。
気まずそうに頭を掻きながら、控え目に大佐は肯んじた。
「ま、これが一過性のブームで終わってくれれば万歳なんですがねえ。長く続くとなると……折角戦争終わったのに、人類同士でギスギスするの。僕はごめんですよ」
「……まったくです」
心の底から大佐の言葉に同意した。
本当に一過性の現象ですんで欲しいものだ。
そして思い返す。
先日訪れた、無国籍亭のことを。
あの場では生まれも国籍も、そして種族の垣根は存在せず、皆等しく騒ぎあって楽しんでいた。
そこに今日のような種族主義のにおいなんてこれっぽっちも感じなかった。
だからひたすらに願う。
折角終戦を迎えた世界が、種族主義の嵐が吹き荒れる、憂苦に満ちたものになってくれるなと。
あの無国籍亭のように、区別も差別もない。
底抜けに明るい未来になってくれよ、と。
とうとうストックが底をつきました……
誠に遺憾ながら更新ペース調整します……