第三章 一話 円卓会議
王都の宮殿はすさまじく巨大である。
数十人分の両手を用いてようやく数えきれる室数を有するのだから、その規模がうかがい知れよう。
そんな宮殿も、創建当初は貴族らが持つカントリーハウスと同規模の大きさであった。
が、王国が世界帝国の座に近付くに度に増改築が行われ、いつしかカントリーハウスの範疇を超え、堅牢な城塞の規模すら超越し、今では小さな街がすっぽり入るほどの敷地を有していた。
さて、改築による改築によって規模を膨張させてきた宮殿ではあるが、そんないきさつ故に、宮殿が抱える部屋の一つ一つに順列が与えられていた。
即ち部屋の設置が古ければ古いほど、格調高いものと見なされているのだ。
それ故、入室するのにも爵位や官職が問われる室屋も存在する。
そう。
只今十数人が頭を付き合わせる古めかしい部屋が、その最たる例だ。
通称円卓の間。
現在の王都に移る以前の宮殿から移設されたものと、まことしやかに囁かれるこの部屋の入室に必要な肩書きは、なんと各省庁の大臣か、もしくはそれに匹敵する官役職を有する者以上。
文字通り王国を動かす首脳陣のみにしか門戸が開かれていないのである。
かような雲上人らが狭い部屋に缶詰となってすることなど、古今東西一つしかあるまい。
即ち会議である。
それも国の運営に直結する重大案件を報告する重要会議だ。
今回もやはり、その例から漏れることはなかった。
「――以上が、今回ゾクリュ郊外で発生した生体兵器暴走事件の顛末であります。先日同じくゾクリュで起きた、騎士級乙種襲撃事件同様、元・独立精鋭遊撃分隊所属のウィリアム・スウィンバーンの貢献がなければ、被害はより甚大なものとなっていたことは疑いの余地はないでしょう」
古めかしい部屋に響くは極めて溌剌とした通る声。
声の主は、ピンと背筋を伸ばして起立する、多彩な勲章に飾り付けられた軍服を見事に着こなしている初老の男。
豊かな口ひげを蓄えた彼は陸軍大臣ハワード・ヴィリアーズ元帥である。
いかにも偉丈夫な外見に違わず、その内面も雄々しく、かつ竹を割ったような性格である故、彼の元に着く将兵達は勿論、国民からも絶大な人気を誇る人物であった。
本来は陰湿さとは無縁な人ではある。
だが、今日はどうしたことだろうか。
先の報告には、常の彼には似合わぬ感情がたっぷりとその声に込められていた。
特に後半部には、聞く者の耳に鋭く刺さるほどの皮肉の音が含まれていた。
「ふん」
そして決め手とばかりに、ハワードは荒い鼻息と共にじろりと円卓を見回す。
戦場拵えの炯々とした眼光で一同を睨む。
貴殿らが望むように彼を殺していたら、取り返しのつかぬ事態になっていたのだぞ――
彼がその力強い目で語ったのはこれである。
所属が常ならぬものではあったとはいえ、ウィリアム・スウィンバーンは間違いなく戦時中は自分の無数の部下の内の一人であった。
そんな部下が政治家共によって勝手に罪をでっちあげられ、挙げ句殺されかけたのだ。
政治屋の言い分は確かに一理ある。
が、感情では納得することが出来ず、強引に始末をつけようとした連中をハワードは未だに恨み続けていたのだ。
先の皮肉はそんな彼の心情をから来るものであった。
さて、そんな心中穏やかならぬハワードの皮肉を聞いた者共の反応はどうか。
大別すれば二つに分かれていた。
片やよくぞ言ってくれた、と言わんばかりに口の端をつり上げている者たち。
言うまでもなく彼らはハワードと同じく、一人の英雄への処遇に不満を持っている者たちだ。
彼らは、そのきつい視線が自らに向けられていないことを知っているからか、真っ直ぐに陸軍大臣の目を見返していた。
むろん、好意的な視線でもって。
そして片割れの連中は、言わずもがな、ウィリアムの死を願った者たちである。
元帥の言わんとしていることに反論できないことと、そして強烈な眼光にあてられたからだろう。
ハワードと目を合わさず、冷や汗を額に浮かべながら、じっと歴史を重ねた円卓をうつむき加減で眺めていた。
だが、物事には例外もまた発生しがちなもの。
ウィリアムの死を願っておきながら、人を殺せるのでは、と思わせるほどに強い眼光にまったく気後れしない者が居た。
それどころかその者には、じっと陸軍大臣の顔を見返す余裕すらあった。
「ヴィリアーズ元帥。質問、よろしいか」
「は」
その例外――国王の代理人としてこの場に出席するコンスタット・ケンジットは、いつも通りの抑揚のない声で問いかけた。
(流石は王国の政の場に長きに渡り居座る魍魎よ。文官でありながら、軍人の睥睨をもろともせぬとはな)
ハワードの眼光をさらりと受け流すこの総白髪の老人は、現国王の即位と同時に宰相に抜擢されて以来、一度たりともその席から退いたことのない化け物だ。
その在任期間は今年でなんと三十三年目。
四半世紀の間、国王の側近として経験を積んだ彼からすれば、この程度の睨みなど問題の内に入らないのだろう。
「件の生体兵器。市民にその存在を察知されてしまったかね?」
「はい。いいえ。すべては郊外で始終したために、一切を秘密裏に処理することが出来ました。唯一の例外は、捜索の際に帯同していた写真家がそれを見てしまったことでしょうか」
「して、その写真家への対応は?」
「彼が所有するすべてのカメラとフィルムを没収後、金を握らせました。依頼に対して不釣り合いに大きな額です。脅し文句を添えましたから、話すことはありますまい」
「没収したフィルムは如何に?」
「検閲済みです。アレに絡む写真は一切ありませんでした。ああ、それと念のために彼には監視はつけております故、ご安心を」
「そうか。ならばよかった」
感情の欠片も見られなかった老宰相に、ここに来て声だけではあるが安堵の色が灯った。
「このまま生体兵器の機密性を保持しておけば、だ。魔族協商への借りが一つ作れる。今後の彼らとの交渉材料の一つになりうるだろう。よくやってくれた」
「……はっ」
極めて優秀な人物であることを理解しつつも、ハワードはこのコンスタットなる老人に対して常日頃から、どうにもならない嫌悪感を抱いていた。
政治家において無私の人と評されるのは、褒め言葉であり、その身の清廉さを証明する良き言葉であろう。
コンスタット・ケンジットはこれ以上ないほどに無私の人であった。
それはそう。
過度と言えるほどに。
この男の場合、私の部分が本当にないのだ。
過去にも鉄血と称された宰相も居たことはあるが、どんな男でも一つや二つはその人柄を語るエピソードはあるものだ。
だがこの男にはそれがない。
彼の好みは国益の有無にいつだって直結していた。
その姿は国を運営のために存在する一つの機械のようで、まったく人間味を感じさせない。
そんな彼の在り方そのものが、ハワードにとっては気味が悪かったのである。
「宰相。陸軍大臣の報告に関連するやもしれぬ……ゾクリュに関わりのある案件があるのですが……報告、よろしいでしょうか?」
いつもの嫌悪感と共に報告を終え、ハワードが着席するの同時に声が上がった。
さきのコンスタット同様、感情がこもっていない平坦な女の声。
彼女もまた、ハワードの皮肉にこれっぽちも反応しなかった希有な人間の一人だ。
声の主はヘイゼル・バイロン。
共和国に存在していた国家憲兵隊を模した、比較的新しい組織である国憲局の局長を務める壮年の女である。
「国憲局長、発言を許可する。ゾクリュにまつわる案件とは一体?」
「はい。先日王都で拘束した種族主義者から思わぬ情報を仕入れまして。どうやらゾクリュの地に種族主義団体が秘密裏に流れたとのことです」
その発言に場がざわめいた。
ハワードも口を山形に曲げて思案顔となり、あのコンスタットでさえ僅かに眉根を寄せて表情を変える始末であった。
それだけ彼女の報告は威力があった。
種族主義――
それは最近の王国を、いや世界を悩ます一つの思想であった。
戦時中絶滅の危機に瀕して、それまで幾度となく諍いを繰り返してきた四つの人類が手を組み同盟を作り上げた。
はじめは戦争が終わるまでの仮初めの同盟とどの人類も思っていた。
が、同盟成立から五年経ち、十年経ち、二十年経ち……結局人類は終戦を迎えるまで同盟を維持し続けた。
八十年もの間同盟を結んだ結果、四人類はいわゆる腐れ縁の関係になりつつあり、統一の道を歩みつつあるのが現在の世情だ。
その流れに待ったをかけようとしているのが種族主義である。
只今の統一主義的な世情は異常である、と。
邪神が現れる前を思い出せ。
百年前を思い出せ。
お互いに殺し殺されていたあの時代を。
あの時の恨みを忘れてしまうな! と。
種族主義者が言いたいことをかいつまんでみれば、このようなものになる。
現在王国は戦中と同じく統一主義の立場をとっている。
と、なれば必然、彼ら種族主義者は反政府主義的主張に走ることになる。
特に最近は戦後の混沌とした世情も相まって、一部の種族主義者がさらに先鋭化。
暴動が発生することも珍しくはなくなってしまっている。
先日も王都で大規模なデモがあったばかりであった。
国を運営する者たちからすれば、種族主義は正しく頭痛の種。
そんな連中が、ただでさえここ最近雲行きの怪しいゾクリュに向かっているという情報が舞い込んだのだ。
おのずと空気は張り詰めたものになろう。
「……その話。信頼できるものか?」
軍人とは別種の鋭さをもったコンスタットの視線が、遠慮無くこの場の最年少のヘイゼルを射貫く。
常人なれば肝を潰し、受け答えがしどろもどろになってしまうだろう。
だが、ヘイゼルとて伊達に今日円卓の間に詰めかけているわけではない。
臆した様子もなく、しゃんと背筋を伸ばしたまま報告を続けた。
「ええ。直接身体に聞きましたので、まず嘘偽りはないかと。裏付けも取れております」
「……そうか。その者は今?」
「生かしております。殺して殉教者になられるのも面倒ですので」
「なら良い」
さらりと拷問から得た情報と告白しつつも、これまたさらりと答えるコンスタット。
そして人命をあまりに軽視した会話が二人の間を飛び交った。
きっと人道主義者が見たら卒倒ものの光景だろう。
現に飛び切りのお人好しで知られる教務大臣は気分を害したらしい。
真っ青な顔をしてうつむいていた。
「元帥。ウィリアム・スウィンバーンについて一点聞きたいことがある。彼の政治的主張はどのようなものであったか?」
再び老宰相の目は、陸軍大臣へと移る。
そして問う。
ゾクリュに向かった種族主義団体と、ウィリアム・スウィンバーンが手が組む。
そんな王国にとって最悪の事態の可能性、これはあるか否かを。
「はっ。少なくとも戦時中までは、種族主義ではないことは確かです。分隊には四つの人類すべてが所属しておりましたが、その手で揉めた記録がありませぬ故」
「なるほど。では、今はどうかね? 思想の鞍替えなぞよくあることだろう?」
「その線もないと見るべきでしょう。もし、彼が種族主義に染まったのあれば、ヘッセニア・アルッフテルに協力しようとは思わなかったはず。思想面においては、まず大丈夫なはずです……が」
「が?」
淀みなく自らの意見を主張してきたハワードが、ここにきて急に歯切れが悪くなった。
その理由はとても簡単。
単にこの先に続く言葉を、本心では言いたくないからだ。
この先を言ってしまえば、自分が守れなかったあの男をさらなる窮地に追い込むかも知れない。
あの流刑を腹立たしいものと捉えているハワードからすれば、それは本意ではない。
だが、しかし、そんな欲求をねじ伏せなければならない事情も、また彼は持っていた。
何故であるならば、だ。
先の言葉に続く事柄が、彼の職務に関連するものであるからだ。
国を脅威から守る、あるいは遠ざける軍人の義務にまったく則るものであるから。
意を決して、彼は口を開く。
「……思想に賛同しなくとも、反政府運動に加わる可能性はゼロではありませぬ。種族主義者が本気で今の国体をひっくり返そうと思うならば、それくらいの融通は利かせるでしょう。憂慮すべきはむしろそちらかと」
つまりそれは、ウィリアムと種族主義団体が利害でもってのみ手を組むという可能性だ。
もしあの流刑により、彼が国に対して恨みを抱いていたのならば、政治主張は一旦おいておいて反政府運動に加わることは十分に考えられるのだ。
そしてゾクリュで彼らが暴動を起こすとなると――
それこそウィリアムの死罪を望んだ政治家共が危惧した通りの展開となってしまう。
いくら独立精鋭遊撃分隊が一般にはその圧倒的功績故に、一つの戦場伝説と信じられ、実在を疑われているといえ、だ。
人知を超えた戦働きを見せるウィリアム当人のその実力。
それが白日の下に晒されれば、いやでも民衆は知るだろう。
あの戦場伝説は本当であったのだ、と。
英雄は本当に存在していたのだ、と。
そうなれば、ただちに彼は祭り上げられるだろう。
そしてゾクリュは種族主義一色に染まる――
そんな最悪な筋書きになってしまう可能性はたしかにあるのだ。
(そして腹立たしいことに、それを予防するには二つしかない)
より監視の目を強くするか、秘密裏に彼を消してしまうか。
その二つ。
だからハワードはじろりとコンスタットを睨んだ。
彼はどちらの策を採用せよ、と命じるのかを。
前者であってくれと願いながら。
果たして。
「ならば、より一層彼の者から目を離さないようにせねばならないだろう。元帥、ゾクリュ守備隊にその旨を厳命せよ」
前者であった。
その選択にハワードはほうと内心で安堵のため息をつく。
だが、それを表に出す前に、やるべきことが一つある。
監視策を採用すると言うことは、万が一監視から彼が漏れてしまったことを考慮しなければならない。
その場合の対応策を聞いておかねば。
「仰せのままに。しかし……もし、最悪の事態になってしまったのならば。如何に対応しましょうか」
「あらゆる兵器の使用とあらゆる対処行動を許可する。この意味は当然わかるな? 元帥?」
「……はっ」
老宰相の声に凄味はなかった。
いつも通り、淡々と言葉を紡いだだけ。
だが、そんないつも通りの反応を示しただけだというのにだ。
円卓の間は冷気に包まれた。
出席者の顔色がにわかに悪くなる。
宰相への恐怖によって。
その恐怖の大きさは絶大。
ハワードの睥睨を堪えることができた、ヘイゼルでさえ、額に冷や汗を浮かべるほどであった。
それもそのはずだろう。
もし、ウィリアムが種族主義の暴動に加わったのであれば。
それを静めるために、街一つを吹き飛ばしても構わぬ。
暗にコンスタットはそう命じたからだ。
顔色一つ変えずに。
(この冷血漢がっ。事態の解決のためには……街を……市民を巻き込んでも良いと言うのかっ)
そしてハワードは内心で宰相を罵る。
市民を巻き込んでも構わぬというその姿勢。
それがハワードの癪に障ったのだ。
市民は軍人と違って、国のために命を消費する覚悟はしていないのに。
未曾有の大戦をへて、市民はようやく安息の日々を手に入れたのに。
予告もせずに破壊しても構わぬと、この老人は言っている。
大を生かすために小を切る。
しかもその小は守るべき市民たち。
その姿は政治家にとってはあるべき姿なのかもしれないが。
しかし、国をそして王の臣民を護るために軍人を志したハワードからすれば、到底許容できるものではなかった。
叶うのならば、彼を一発ぶん殴ってしまいたかった。
「では、次の報告に移ろうか」
そんなハワードの怒りを買った決断でさえ、コンスタットにとっては重大決定ではないのだろう。
日常業務を機械的に処理するにふさわしい気のない声で、次の報告を促した。