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第二章 十六話 時間との勝負

「なにやってんだ! ウィリアム!」


 クロードの怒号とも悲鳴とも取れる大声が物見櫓の上にて響いた。


 彼の口にしたことはもっともだ、と、アリスも静かに同意した。

 彼女の眼前には、彼女の血の気を失わせるに値する衝撃的な光景が広がっていた。


 それはシェルターに向かっていたウィリアムが、踵を返して再び生体兵器に向かっていく光景であった。


 生体兵器を爆心地に誘導し、そこに固定するために拘束する。

 これが本日のウィリアムの役割である。


 拘束から爆発までの間が短く、それ故困難な役であったのだが、ウィリアムは一度は見事にこなしてみせた。


 逃げる時間を十分作りながら、爆風をやり過ごすためのシェルターに向かう彼の姿を見たとき、アリスは大きな安堵のため息をついたのであった。


 ああ、流石はウィリアムだ、と心底安心したのだ。


 距離が離れているとはいえ、急拵えの物見櫓の上も安全とは言い難い。

 彼女たちも身を守るべく、櫓のすぐ傍に造った待避壕に移るとしようとしたその時だ。


 破滅的な金属音が平原を揺るがしたのは。


 振り返ってみれば生体兵器の五体を縛る鎖の一本が、その中途でばっさり断ち切られていたのだ。


 甲鉄艦の係留に使われる鎖であれば、あの巨体が持つ力であっても破断させることはない、とヘッセニアが断言したのにだ。


 破断した鎖が一つだけであることがから推測するに、どうにも用いられた鉄の製鉄がお粗末であったらしい。

 復興のために質より量をスローガンに、鉄を次々量産しなければならないご時世が生んだ、予期せぬ陥穽であった。


 しかも破断した鎖は左腕を縛るものであった。

 片手とはいえ自由を得てしまえば、他の鎖の先に繋がる錨を引き抜かれかねない。


 作戦が失敗する空気が濃厚となった。

 で、あれば兎にも角にも撤退して、体勢を立て直すべき。


 そうするはずなのに、だ。


 ウィリアムは生体兵器を動きを封じるために踵を返してしまった。

 再び向かっていってしまった。


 それがこの状況下ではどれだけ無謀なことか熟知しているはずなのに。

 危険を顧みず突っ込んでしまった。


「……バカ」


 ヘッセニアが囁く。

 罵倒をする言葉であれど、声に籠もる感情は後悔の色が深かった。


 きっと先の言葉はウィリアムに向けたものでもあるが、同時に自分に向けたものなのであろう。


 こうなってしまうかも、と予測は出来たはずなのに、あの兵器の討伐の可能性を少しでも上げたいがために、ウィリアムにこの役を任せてしまったことを。

 自分の宿命と戦友の命を天秤にかけてしまったことを。


 彼女はそれを後悔しているように見えた。


 彼をそんな無謀な行動に走らせてしまったその理由をアリスは推測する。


 きっと彼はこう思ったのだ。


 今日を逃してしまえば次に倒せる機会がいつ得られるかが解らない、と。

 ならば強引にでも今日倒さねばならない、と。

 例えそれが、自身の命を消費する可能性を孕んでも、人のためになるならば仕方が無い、と。


(ああ、きっと。きっとかつてのあの人なら。悪い癖が蘇ってしまったあの人なら、そう思うはず)


 いくら彼の意思とは言え、ウィリアムに危機が迫るこの事態。

 アリスはとてもそれを許容することは出来なかった。

 居ても立ってもいられなかった。


「アリス!? 何処に行く!?」


 クロードの大声を背にして、アリスは物見櫓を駆け下りた。


 ウィリアムを止めなくてはならない。

 無謀な真似を今すぐに止めなければならない。

 彼女の頭の内はそんな思いで一杯であった。


 階段を駆け下りて、折り返しの踊り場でも速度落とさず、そのままの勢いで平原を駆ける――


 ――ことはできなかった。


 狭い踊り場で彼女の目の前に立ちはだかる者が居たからだ。


「フィリップス大佐! どうか! どうかそこを開けて下さい!」


 アリスの前にて通せんぼをしているのは、ゾクリュ守備隊の隊長であるナイジェル・フィリップスであった。


 どうにも彼はたまたま彼女の進路に居たというわけではなさそうだ。

 自身の意思で道をふさいでいるように見える。


 常からは考えられないほどに取り乱しているアリスを見て、いささかの動揺を示してはいるものの、それでもなお退く様子を見せないのがその証拠であった。


「……あー、アリスさん。まずは落ち着いて下さいな」


 アリスを落ち着かせるためであろう。

 ゆったりとした口調でナイジェルは彼女に言葉をかけた。


 だが、今のアリスに彼の言葉を聞き入れる余裕はなかった。


 ナイジェルに一切退く気がないことを悟ると、アリスは手すりと彼の隙間に何とか身をねじ込んで、強行突破を試みようとする。


 しかしそんなアリスの動きを予期していたのか。

 脇にすり抜けることを許さずナイジェルは、うら若いメイドの細い手首摑んで突破を阻止してみせた。


 以前ウィリアムから教わった護身術の一つを用いて、アリスはその拘束を外そうとした。

 梃子の原理を利用し、逆に相手の手首を捻って拘束から抜け出す技である。

 ウィリアムの指導によりそのコツはしっかりと摑んでいたはず。

 しかし、そうだというのに、どうしたことか。

 一向にナイジェルの手から抜け出すことが出来なかった。


 手首を捻ろうとするも、ナイジェルが予想以上に強い力をかけているだろうか。

 掴まれた位置から、ぴくりとも動かすことが出来なかった。


「大佐!! お願いします!! 離して下さい!!」


 だから彼女に出来ることといえば、最早頼み込むことしか出来なかった。

 アリスののその声は、哀願という表現がこれ以上になく当てはまる声色であった。


「……僕はウィリアムさんほどの才能はありませんがね。まあ、人並み程度には強化魔法を使えるんですよ」


 平均的な練度なれどナイジェルは強化魔法を使える――

 それが押しても引いても、アリスが彼の手を振りほどけないことの理由であった。


 その事実を告げられ彼女は青ざめた。

 そうであるならば、どうやってもアリスはこの拘束から逃れることが出来ないからだ。


 アリスは魔法――いわゆる属性魔法は稀代の才をもつのの、強化魔法に関してはウィリアムとは正反対にからきしであった。


 故にどうやってもナイジェルの拘束を解くために必要な力を入れることができない。


 ウィリアムの下に駆けつけることができない。

 アリスの血の気をさらに失せさせるのに十分な事実だろう。


「落ち込んでいるところ追い打ちかけるようで悪いんですがね。今、貴女が彼の下まで駆けようとしても、絶対にに間に合いませんよ。これは断言できる。何せ僕が必死に脚を強化しても、もはや間に合いませんからね」


 まして大した強化魔法を使うことがでない女性が駆けたところで、間に合う理由なんて一つも無いだろう? ――


 ナイジェルは言外にそう語りかける。


「そうであっても。私はっ!」


 当然、言われなくてもアリスはそのことは理性で理解していた。

 だが彼女の目の前にある懸念は、そんな理性を容易く揮発させる熱を持っているのである。


 だから絶対に無理だと知っていても、アリスはナイジェルの手から逃れようと必死に身体を動かし続けたし、絶対に間に合わないとしても、ウィリアムの下へ向かう意思を持ち続けた。


 そんな理性では理解できても、感情で納得していない様のアリスを見てか。

 小さくナイジェルはため息をついた。


「――それに今、貴女が変な動きして、怪我でもしてみなさい。ウィリアムさんがどんなに悲しむか、わからなくないでしょう?」


 そして攻め方を変えてみた。

 無理に吶喊して、アリスの身に何かが起こってしまえば、ウィリアムはきっと平静ではいられないだろう、と。


「それはっ」


 その効果は絶大だった。


 アリスは拘束から抜け出そうと試みる動きをぴたりとやめた。

 心の底から悔しげな顔を浮かべながら。


 アリスは反論できなかった。

 実際、自分の身に何かがあればウィリアムがどのような反応を見せるか、それを生々しく想像できたから。


 そしてそれを想像してしまえば、彼を傷つけることなんて出来るわけがない。

 かような罪悪感を覚えてしまえば、大人しくならざるを得なかった。

 

(そう。あの人も、誰かが傷付いてしまうことの痛みを知っているのに)


 どうして、こと自分の命だけはこうして軽く見てしまうのか。

 例外的に雑に扱ってしまうのか。

 そんな悪い癖をあの戦争の最中で克服したというのに。

 どうして今になってぶり返してしまったのか。


 押し黙って深く深く考えても、アリスにはとんとその見当が付かなかった。


「まあ、確かにさっきの彼の行動は、ちょっと考えなしに過ぎると思いますがね。それでもあれだけの人なんだ。なあに。きっと恙なく仕事を終わらせることでしょう。無茶したその代償は、ことが終わったあと、たっぷりとウィリアムさんにぶつけてしまえばいい」


 深い思考が故の沈黙を、単純に頭が冷えた証とナイジェルは捉えたらしい。

 軽口一つ口にして、ぽんとアリスの肩を叩いて促す。


 そろそろ自分たちも安全を確保しなければならない。

 一仕事終えたウィリアムを迎える準備をしなければならない、と。


 確かに心底悔しいが、今の自分に出来ることはそれしかない。


 改めて自分の無力さを痛感したアリスは、半ば項垂れるように頷いた。


 ◇◇◇


 大仕事をしようとすれば、必ずや何処かで不測の事態に遭遇する人生をこれまで送ってきた。

 今日はどうにもそんな運命から逃れられそうだと思っていたのに……実に残念だ。


 さっさと逃げないと行けないというのに、現在俺は安全が保障されるシェルターとは正反対の方向に駆けている。


 理由は簡単。

 左腕の拘束が外れてしまった故に、大きく暴れているヤツを止めるためだ。


 ここから先は一瞬のタイムロスすらおしい。

 集中しなければ、と息を吐いて気合いを入れて。


 ヤツに近付くその最中に、予備として設置した錨を蹴り上げる。

 進行方向へと蹴り飛ばす。

 強化した脚力によって超重量の鉄塊はいとも容易く、宙を舞う。


 それを追いかける、いや。

 追い越すために、限界一歩手前までに脚力の強化を強める。

 より一層力強く駆ける。


 地面をえぐり取ってしまうのでは、という懸念もあったが、どうやら陥没する様子はない。

 一安心する。


 一歩。

 二歩。

 三歩。

 四歩。


 二歩目で飛ばした鎖に追いつき、三歩目で追い抜く。

 そして四歩目で後ろ手に飛翔する錨をつかみ取る。


 踏み込みの音か、それとも鎖をつかみ取った際に生じた、素子が盛大にこすり合う音か。

 兎も角、音に反応したヤツは頭部で唯一自由な目をじろりと近付く俺に向けた。

 無論、害意に満ちた視線で。


 五体で唯一自由である左腕を動かし、何とか俺を返り討ちにしようとする。


「だけど、ちょっとばかし遅かったねっ」


 しかしほとんど全力の強化を施した甲斐もあり、ヤツが対応しようと動き出した頃には、既に俺の間合いにあった。


 ヤツの身体に絡みつく未だ健在である鎖を足場に駆け上がる。

 目指すはヤツの肩。

 ここまでは数分前の再現。

 だが、ここからの動きが異なる。


「せー……のっ」


 錨を肩に突き立て、力一杯踏みつける。

 遠慮せず強化を施した一踏みだ。

 当然血潮を吹き出しながら錨は貫通。


いや、そればかりか。


「――――!!!!????」


 絶叫、響く。

 至近で聞いていたため、耳を塞ぎたくなるもぐっと我慢。


 奴が苦悶の声を上げるのも当然だろう。

 なにせ錨を突き刺した勢いによって、腕が肩から切り離されてしまったのだから。


 これで再び腕の自由を奪った。

 対処完了。


 しかし時間の余裕は全くない。

 一刻も早くこの場から立ち去らねば。


 走る。

 走る。

 走る。


 風が顔に遠慮なく吹きつける。

 先日オートモービルを追い抜いた時とは比べものにならぬ程に強い。

 目が風によって乾くほどだ。

 足を止めてしばらく目を閉じたくなるもそれを耐える。


 何せ時計を見ることすら惜しくなるほどに時間がないのだ。

 そんなことをやってしまえば、間違いなく爆発に巻き込まれる。


 だから走る。

 走る。

 走る。

 ひたすらに。


「あった」


 激しく上下に揺れる視界の中、痩せた地面が人の大きさほどにぽっかりと口を開けている箇所を見つけた。

 あれこそが、俺を爆発から守ってくれる、ヘッセニアが作り上げたシェルターだ。


 半ば転がりながらシェルターへと逃げ込む。

 ただ、上を見上げれば青い空がそのまま見える故、このままではその機能を十全に発揮できない。


 防御機能を生かしきるには。

 壁から突き出た、この一見粗末な定着魔法が施された棒を引き抜かなければならない。


 俺はその魔道具の棒を摑んで、一息に引き抜く。

 間髪入れず、多少の砂粒を落としながら天蓋が穴を覆う。


 覆いきったすわその瞬間。

 近くで砲弾が着弾したのかと思わせるほどの衝撃が、シェルターを襲った。

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