第二章 十二話 オートモービルを抜いていけ
がたがた、がたがた。
悪路故に車輪が跳ねる。
視界も上下に左右に揺れる。
夜で冷やされた空気が、遠慮なく叩き付けてくる。
おかげで顔はすっかりと冷え切ってしまった。
それでも構わず、じっと前を睨み続ける。
夜半の闇にすっかり沈んでしまった平原をじっと、じっと。
俺を乗せたオートモービルは闇を裂いて走る。
先日ヘッセニアが大爆発を起こし、そして昨日ソフィーが謎の巨大生物と遭遇した現場に向けて。
急がねばならなかった。
ヘッセニアは、ソレが確認された現場に向かったはず。
そんな確信があった。
まごまごしていると、ヘッセニアとソレが遭遇してしまう。
そうなってしまえば彼女は、今までは比にならないほどの大蛮行をしでかす――
そんな予感もした。
それだけは防がなければならない。
かの大蛮行は、ゾクリュ守備隊にとっては、さほどダメージにはならないだろう。
むしろ、ソフィーと接触した化け物が消滅する形となり、街の治安維持という面で見れば、プラスにすらなる。
だが少なくとも俺やアリス、クロードにとっては、消すことの出来ない傷が出来上がる。
戦友達が傷付いてしまう。
そのことを容認できるほど、俺は冷徹にはなれなかった。
手に持つ気持ちばかりのカンテラと、弱気な月明かりが、うっすらと闇夜の世界を照らす。
車体から身を乗り出し目を細めて、必死に前方を睨んで、睨んで、睨んで。
そうして、オートモービルがどれだけ走った頃合いだろうか。
視界のしばらく先に、夜の闇とは、別種の趣を持った影が姿を現した。
「あれは――」
そのままでは良く見えない。
だから、魔力を目に流して視力を強化して。
もう一度その影を睥睨する。
影の正体は。
「居た! 件の巨大な化け物と……ヘッセニアだ!」
風に負けないように、大声でそう告げる。
独り言ではない。
きちんと言葉を向ける相手たちが居た。
その相手とは、同乗者であるクロードとフィリップス大佐、そして運転手であるソフィーである。
「どうやら既に戦端を開いているようだ。しかも、どうにもヘッセニアの旗色が悪い!」
さらにじっと眺めて、彼女の現状を彼らに実況する。
人を急かすような、響きを含ませながら。
その意味をくみ取ったか。
俺と同じ後部座席に居た大佐が運転席に身を乗り出す。
そしてソフィーに問いかける。
「ソフィーちゃん。もうちょっと速度、上げられない?」
と。
「残念ですが、これ以上は!」
ただしその返答は大佐の、そして俺の意に沿うものではなかった。
どうにも、車に乗せたボイラーは既にフル稼働であるらしい。
「大佐! ウィリアムに武装と急行させる許可を! ウィリアムなら、この車より早くアイツの下へ向かうことが出来ます!」
クロードのその要請のその後、妙な間が空いた。
ぱちくりと目をしばたかせるフィリップス大佐を見る辺り、クロードの発言に呆気にとられていたようだ。
もっとも、それは常識的な反応と言えるかもしれない。
最新型らしいこのオートモービルは今や軍馬はおろか、競走馬すら超越する速度。
そんな化け物染みた機械よりも、ちっぽけな人間が、その足で生み出すスピードの方が速いというのだ。
強化魔法の使い手だとしても、普通であれば、そんなことは不可能だ。
妄言の類と見なされても、仕方ないことだろう。
が、クロードの言は決して妄言ではない。
物事には例外が存在するのだ。
人は蒸気機関を用いた機械より速く走れぬ。
その例外が、たまたま俺である。
それだけのことなのだ。
「……うん。じゃあ、許可する。ウィリアムさん、お願いできますかね?」
「勿論!」
未だ信じられぬ、といった体だけれども大佐は許可を下した。
すぐさまクロードの軍剣とリボルバーを預かり、ベルトに差して。
魔力を脚部に流して。
そして飛び出す。
オートモービルから。
地面が迫る。
迷わず強化を施した足で蹴る。
一歩目。
労せずにして疾走する蒸気自動車を追い抜く。
視界が激しく上下に揺れる。
微弱な月明かりに照らされて、シルエットのみの姿となった化け物とヘッセニアへとみるみる近付いていく。
その間も、状況は変わり続ける。
俺とヘッセニアからすれば悪化の一途を辿る。
例の土を操る魔法を使って、奴はヘッセニアを捕らえたようだ。
その上、奴はぐっと身をかがめて力を溜める仕草を見せた。
突進する気だ。
動けないヘッセニアに。
させてたまるかと、ますます力を込める。
比例して速度も上昇。
耳に聞こえるものすべてが喧しい風切り音になるくらいに。
接近。
まだまだ俺の間合いには入らず。
奴はヘッセニアを屠らんとする、その第一歩を踏み出した。
なおも接近。
間合いはまだ。
一歩、二歩、三歩と奴もヘッセニアとの距離を詰める。
彼女はまだ逃げ出すことができない。
更に接近。
あと少しで俺の間合い。
されど、もうほとんど余裕はない。
あと数歩で、あの巨体と小さな彼女が衝突する。
接近。
接近!
ようやく俺の間合いに入る。
まだ、剣の届く範囲ではないけれど。
でもこの距離さえあれば十分。
奴と彼女が衝突寸前となったそれと同じ時。
より一層、大きな力を込めて地を蹴って。
跳躍。
滑空。
一挙に距離は縮まり。
蹴撃。
衝撃。
グロテスクな目標は弾き飛ばされる。
そして着地。
彼女の目の前に。
「ヘッセニア! 無事か?!」
開口一番に、彼女の無事を問う。
目で、彼女の全身を眺めて怪我の有無も確認。
くるぶし辺りまで、柔くなった地面に埋まっていること。
血がにじむ爪を欠いた左手。
そして無視して構わない程度の擦り傷を除けば、彼女に深刻な異常は見られなかった。
その事実にまずはほっとする。
安堵のため息を小さくつく。
対するヘッセニアは、いまいち状況を飲み込めていないらしい。
ぽかんと小さく口を開けてしまっているのが、その大きな証拠だ。
「ウィリアム? どうして――」
ここに居るのか――
きっと、そう続くはずだった彼女の言葉はしかし、最後まで続くことはなかった。
「――!!!!」
耳を劈かんばかりの大音声、響く。
もちろん人類によるものではない。
先ほど、蹴り飛ばしたあの巨体によるものである。
どうやら、少しばかりの知性はあるらしい。
打っとばされたことに怒りを覚え、打っとばした奴に仕返しをしようと考える程度の知性は。
奴の標的が俺に変わる。
俺を睨む。
再びその巨体がぐっと屈む。
また、突進する気だ。
あの程度の突進であれば、造作もなく躱すことが出来る。
が、今、俺の背後には足を固められたヘッセニアが居る。
避ければ間違いなく彼女を巻き込んでしまう。
で、あれば。
「っふ」
軽く息を吐く。
それと同時に、また思いっきり地面を蹴る。
奴の攻撃を待ち受けること、それが都合が悪いのであれば、対策は至極簡単。
こっちが逆に突っ込んでいけばいいだけのこと。
躊躇いもなく向かって来たことが、予想外だったのか。
奴はぴくりと小さく体を震わせて、突進の予備動作を中断。
その中断は、時間にすればほんの数秒の間だけだったのかもしれない。
けれどその数秒があれば、強化を施した俺には十分。
身を屈めるために角度をつけた、奴の大きな膝に飛び乗る。
次いでその膝を足場にして肩に飛び移って、クロードから借りた軍剣を抜剣。
そして突き刺す。
飛び乗った巨大な肩に。
「――!!??」
苦悶の絶叫、響く。
「ちょっとばかし、オイタが過ぎるんじゃないかな? だから――」
だがしかし、その剣の突き刺しですら、まだ過程にしか過ぎない。
左手で刺さった剣をしかと握って、振り落とされないための支えにして、しゃがみこんで。
右手は同じくクロードの拳銃を抜いて。
銃口をじろと俺を眺める、大きな顔に向けて。
「お仕置きだよ。ぼうや!」
引き金を引き絞る。
連射。
先の絶叫に負けぬほどのけたたましい発砲音、響く。
弾が切れるまで。
音は続く。
「――!!??」
異様にタフなれど、知性同様、痛覚もきちんと存在しているらしい。
顔面に弾丸を受けた奴は、悲痛に染まった叫喚を振りまく。
悶え苦しみ、右に左に、上に下にと必死に身を捩る。
その動きはきっと、痛みに悶えているだけではなく、肩に張り付いている俺を振り落とすためでもあるのだろう。
大きな動きに合わせて、俺の視界も右に左に、上に下にと激しくぶれる。
さて、そろそろか。
ここらで奴のお望み通り、この肩から離れてやるとしよう。
剣を引き抜く。
刃が肉と血と脂の上を、ずるり滑る感触を覚えて。
飛び乗った時と同じように、奴の体を足場に今度は後ろ向きに跳躍した。
奴との距離が離れる。
「クロード!」
そしてクロードに問う。
あらかじめそうしてくれ、と言葉を交わしたわけではないけれど。
しかし、長い間同じ戦場で過ごした戦友同士なら、ただ名前を呼んだだけで、言わんとしていることは伝わる。
この場合、俺が伝えたいのはただ一つ。
準備はいいか?
ただそれだけ。
「任せれた!」
目論見通り、意思の疎通は果たされる。
遅れて現場に到着したオートモービルから、クロードの声。
その声とほとんど同時に、奴が居る場所に火柱が上がる。
いや、その表現ではやや不十分か。
正確には奴が炎に包まれた。
クロードの魔法によって。
アリスほどの腕前ではないものの、クロードもそこそこの魔法の使い手であった。
更に激しい悲鳴を奴は上げる。
聞いてるだけで鳥肌が立ちそうな、それくらいに強烈なやつ。
きっとそれは断末魔なのだろう。
現に、炎に巻かれて悶える巨体の動きは、時を追う毎に小さくなって、弱くなって。
ついにはどうと、荒れ果てた大地に倒れた。
以後、動きはない。
ぴくりとも奴は動かない。
ゆらゆら篝火のように揺れる、大きな大きな炎を除いて。
決着は着いた。
ふう、と小さくため息をつく。
懸案事項が片付いた。
ちょっただけ、肩の荷が下りる。
が、それと同時に新たな問題が生まれてしまった。
それもとびきり気が重いやつ。
彼女が絶対に自らの手で遂げてやろうとしていた、宿命とやら。
今、俺らはそれに介入するばかりか、トドメを刺してしまった。
危機にあったヘッセニアを救うためとはいえ、これは彼女に恨まれても仕方がない。
きっと許してもらえないだろうが、それでもまずは謝罪をしなければ。
「……悪い。トドメを刺してしまった。恨んでくれて――」
「まだだ! あの程度ではアレを殺しきれていない!」
謝罪は途中で遮られた。
いかにも焦燥感に駆られた、ヘッセニアの大声によって。
まだ殺しきれていない――だって?
まさかと、未だ炎に包まれている奴に目を向ける。
すると地に伏したままの巨体、その背中がぐちゃりと粘着質な音を発しながら、にわかに隆起。
大きな腫瘍が生まれた。
次にはその腫瘍がひび割れて。
その瞬間、長い間戦場で培われた第六感が警鐘を鳴らす。
何かが起こると。
それも、俺らにとって不都合なことが起こると。
「ちっ」
まずは離脱。
距離を取らねば。
ヘッセニアの首根っこを引っ掴んだ後。
後ろ向きに大跳躍。
飛び退いたのとほぼ同時に。
急激に発生した奴の腫瘍も弾けた。
そして奴は再生した。
文字通り。
再び出生した。
腫瘍の内から、一回り小さくなって、その代わり一切の傷がなくなった姿で這い出てきた。
新たに生を受けた奴が地面を撫でる。
呼応して、濃密な土煙が生じる。
視界が塞がれる。
クロードはすぐに対応。
風を生んで土煙を吹き飛ばす。
「……逃げられた?」
「の、ようだな」
が、向こうの動きの方が、一足早かったようだ。
視界がすっかりクリアになったは良いが、肝心の相手の姿もまた消え失せてしまっていた。
慌てた様子で、ヘッセニアが石ころを拾い上げて、空高く放り投げる。
石は重力に従って、そのまま落下。
何一つ変わったところもなく、常識通り落ちてゆく石を見届けて、彼女は心底悔しそうに下唇を噛んだ。
きっと石に定着魔法を施して、居なくなった奴を探そうとしたのだろう。
だがどうやら、魔道具化した石の索敵範囲外に逃げてしまったようだ。
「あー、落胆してるところ悪いんですけどね」
心から落胆しているヘッセニアに、遠慮がちながら声をかける者が居る。
オートモービルに乗ってやってきた、フィリップス大佐だ。
ただし彼の彼女に向けてとった行動は、先の声色とは対照的にひどく物騒なものだ。
腰にぶら下げた拳銃、そいつをヘッセニアに向けていた。
彼に追随していたソフィーもだ。
当然だろう。
何せ俺の戦友は、よりにもよって脱走なんて真似をしてしまった。
彼らの見せている行動は、脱走者に向けるべき、全く正しいものだ。
だから内心は別として、俺は二人を咎めることが出来ない。
そして心から願った。
ヘッセニアよ。反抗してくれるなよ、と。
大人しくしておいて、ここは穏便に済ましてくれよ、と。
「こんな物騒な物向けておいてこう言うのは、なんですがね。詳しく話してくれませんかね。アイツのこと。何やら詳しいようだし。皆が安心する方向に持っていきましょうよ」
穏便に済ましたいのは、フィリップス大佐も同様らしい。
言外に話してくれさえすれば、最大限の譲歩は見せようとヘッセニアに語りかけた。
「……」
彼女は両の手を上げて、抵抗の意思がないことを露わにする。
暴れる気はないようだ。
それについては、ひとまず一安心。
だが魔族の戦友は相変わらず頑固でもあった。
先日牢で見せた態度と似たものを、ここでも披露したのだ。
ただしその態度は、先日のそれとまったく同じものではない。
大佐を、クロードを、そして俺を眺めたあとに、視線を地面に落としたその姿は、何かに迷っているように見えた。
その姿は話す切欠を探しているようにも見える。
「……ヘッセニア。君の宿命とやらは、もう多くの人に知られてしまった。ここまで来てしまったら、もう隠しきれないよ。だからさ」
だから俺は一縷の望みをかけて、彼女に問いかける。
切欠を与えてやる。
もうどうやっても隠せない。
話さざるを得ない状況なのだ、と伝えてやる。
「……解った。話すわよ」
そしてその意図を汲んでくれたか。
深いため息と共に、ようやくヘッセニアが貝のように閉ざしていた口を開いた。
「あれは兵器よ。生体兵器」
「兵器? あれが?」
驚くことにあの生物の正体は兵器であるらしい。
恐らく定着魔法か、魔道具を用いてアレを生み出したのだろう。
「かつて私たち魔族が、邪神を討伐するために生み出した……とてもグロテスクな兵器よ。外見のみならず、色んな意味でね」
「色んな意味で?」
「そう。色んな意味で。一番グロテスクなのは……アレの原料」
きっと彼女が与えられた宿命に関して、詳しいことを一切語らなかったのは、その原料に理由がありそうだ。
余程言いたくないものなのか。
何度も何度も、口を開きかけては閉じ、開きかけては閉じを繰り返す。
やがて決心が付いたのか。
深く息を吸って、吐いて。
「倫理に……触れるものなんだ。アレの原料は」
絞り出すような口調で、ヘッセニアはそう告げた。