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第二章 十二話 月下対峙

 ゾクリュ郊外の、戦争の傷跡生々しく残る平原。


 虫や小鳥を除けば、未だに動物が定着しないそこは白昼でも森閑としているのだが、多くの生き物が寝静まった深夜となれば、その静けさには磨きがかかる。

 あまりにもしいんとしすぎていて、返って耳鳴りを覚えてしまうほどに。


 そんな色濃い沈黙が横たわる平原を、ヘッセニアは行く。

 音は彼女の周りにだけ存在していた。


 ヘッセニアにまとわりつく音は、がちゃがちゃ、がちゃがちゃと何か器械が動くもの。

 彼女が跨がる安全自転車が、その音の主であった。


 ゾクリュに流れ着いた直後、何か役立つことがあればと購入し、廃屋に隠しておいたのだが、まさかこんな場で役に立つとは。


 備えあれば憂いなしとは、戦時中にことあるごとにクロードが口にしていた言葉であった。


 なるほど確かに今まさに、彼の口癖に当てはまる状況である。

 あの隊長は、ただ口うるさかっただけではなかったのだな、と彼女は今更ながら実感した。


「いっ……つつつ」


 傷口が冷たい夜風に染みる。

 思わず声を出さずにはいられないほどの痛みが、ヘッセニアの左の指先に走った。


 仄かな月明かりに照らされた指を、ちらと彼女は見る。


 親指、人差し指、中指。

 その三つに本来あるべき爪はない。


 変わって強烈な自己主張をするのは、てらてらと月の光を跳ね返す真っ赤な血。


「爪を無理にひっぺがすのは……自分が思ってた以上に痛いものなんだなあ」


 お陰でことある毎に傷が染みるどころか、痛みのせいで左手に上手く力を込めることが出来ない。

 物を摑む動作でさえ、ちょっとした気合いが必要になるくらいだ。


 その影響を現在進行中で受けている。

 左手はしっかりとハンドル持ってはおらず添えるだけ。


 軍隊生活を送るまで自転車に乗ったことがなかったが故の不慣れさと、不整地故のでこぼこが相まって、真っ直ぐ走ることが出来ていない。


「でも、こうでもしなければ、逃げ出せなかった。だから仕方ない」


 とは言え、自分の起こした行動に後悔を抱かなかった。


 こうでもしなければ、あの営倉を抜け出すことなんて出来なかった。

 自分の身を文字通り削れなければ、今、ここには居なかった。


 それほどまでにあの牢は、看守は、そしてある日から突然的確になった拘束は、抜け目がないものだったのだ。


 しかし一見完璧な物でも人が作り出した以上、どこかしらに弱みやほころびはあるもの。

 ゆっくり。そして丹念に探せば、あの営倉とて、突くべき穴があったのかもしれない。


 だが、そう悠長にことにあたる余裕が、ヘッセニアには許されていなかったのである。

 故に、強引な手段でもって抜け出すしか思いつかなかった。


「思った以上にアレの変質が早い。急がないと」


 地平線に日が沈むかどうか、そんな頃合いであった。

 ゾクリュ守備隊の隊舎がにわかに騒がしくなったのは。


 何が事件があったのか。

 耳をそばだててみると、こんな声が聞こえてきたのだ。


 あの爆発現場で、正体不明の巨大生物と遭遇した

 にらみ合いになって発砲するも逃げられた――


 と。


 正体不明の巨大生物。


 間違いない。

 あの日ヘッセニアが、とびきりの爆発を浴びせたその対象。


 そして、そいつの討伐こそが、いやその存在そのものが彼女が背負った宿命であった。


 生きていたか。


 確実に葬ったかどうか、自信が持てなかったとはいえ、あれだけ盛大に吹き飛ばして置きながら、まだ死に至らしめることが出来なかったとは。


 そのしぶとさに舌打ちをしたくなる。


 それも話を聞く限りでは、守備隊とアレは互いににらみ合いをしたとのこと。


 本来であればそれはあり得ないはずだ。

 アレは人類を見かければ、すぐに身を隠す。

 そのように()()()()()()()()


 それが身を隠さずに、それどころかまじまじと守備隊を睨み付けたのとすれば。

 長く手付かずだった故に、その性質に変化が生じ始めているとしか考えられなかった。


 しかも、その変化は、危うい兆候と換言してもいい。


 今は、かつて植え付けられた、人類に対する畏れが希薄になっているだけかもしれないが、これが悪い方向に転がってしまえば……


 ならば、のんびりと営倉の粗を探している暇はない。

 時間がない。

 乱暴でもいいから、ここから抜け出さねば。


 そうして彼女は自らの爪を三つ剥くに至ったのだ。


「一刻も早く、アレを葬り去らないと」


 その独語には焦りの色が濃い。

 ペダルを踏む足にも力が入る。

 速度が増す。

 車体は跳ねはますます強くなった。


 改めて力を込めて、どれくらい経ったころだろうか。

 車輪の跳ね方が、また一層強くなった。


 今度は速度を上げていないのにも関わらず、である。

 速度が原因でないなら、車輪が大きく跳ねる要因はただ一つだけだ。


 即ち、今走っている道が悪くなっているだけのこと。


 ヘッセニアはペダルを漕ぐ早さを徐々に落として、ちらと車輪の接地面を見た。


 元々、整地とはほど遠い状態ではあったものの、今や輪をかけて荒廃の度合いが酷いものとなっていた。


 着いたのだ。

 先日ヘッセニアが吹き飛ばして、そして守備隊がアレと出会ったその件の現場に。


 ヘッセニアは自転車を止めて、半ば乗り捨てる勢いで下車。

 そして乱雑に自転車を倒すと、彼女は街で拾っておいたくしゃくしゃの新聞紙を取り出して。


(定着、開始)


 そして念ずる。

 新聞紙に魔力を流す。

 自らのイメージした機能を、その新聞紙に与えるために。

 定着魔法を行使する。


 その定着作業自体はものの数秒で終わった。


 次いで彼女は、見た目は全く変わりがない新聞紙を両手で持ってピンと張りを作る。

 張った新聞紙を、乗り捨てた安全自転車のハンドルに押し当て、ぎゅっと力を加え始めた。


 尋常であれば、紙が金属に負けて、あえなく新聞が破れるはず。


 が、この場に置いてはそうはならなかった。


 ぬるいチーズにナイフを入れるかのような滑らかさでもって。

 新聞紙が、自転車のハンドルを両断した。

 からんと乾いた音を立ててハンドルが地面に転がる。


「お次は……」


 もはや金属片と化したハンドルを手に取る。

 そして再び、定着魔法を施す。


 先の新聞紙は、金属をも切り裂く魔道具に。


 そして今度はは――言うなれば、自律し誘導する小型爆弾に仕立てる。


 対象の魔力さえ知っていれば、命中かたたき落とされるまで、追尾する機能。

 それを金属片に持たせた。


 アレの持つ魔力の波長は知っている。

 もし、まだアレがこの現場の地下で身体を休めているのであれば、金属片は真っ直ぐにそちらへと走って行くはず。


 果たして。


 ヘッセニアは下手にて天高く金属片を放り投げる。


 月明かりの柔らかい光を反射しながら、それは高く、高く上がり。

 重力に従って、放物線を描いて落下する――


 はずだった。


 金属片は頂点に達するや否や、何者かに力一杯ぶん投げられたかのような勢いで急加速。


 放物線と呼ぶにはあまりに急な角度で、落下していき。

 ずどんと地面に突き刺さり、なおも進んで、地中に潜って。


 ついには、足下でどん、と一度突き上げられるような振動が、足から伝わってくる。


 それはつまり、居たのだ。

 彼女の宿敵が、この地面の下に。


 そして命中したのだ。

 たった今拵えた魔道具が。


 先の振動とは別種の揺れが、ヘッセニアの身体を揺らした。

 これが意味することは。


 彼女が、彼女の宿敵と相対するということ。


「重畳、重畳。まだこの場に留まってくれて、感謝するよ」


 逃げ出して以来というもの、全てが自分の思い通りに物事が進んでいる。

 とても痛い思いをして、爪を剥いだ甲斐があったもの、と、宿敵を前にしてヘッセニアは不敵に笑った。


 今、宿命との距離はまさに目と鼻の先。

 その距離でもって、宿命とヘッセニアはにらみ合っていた。


 以前の爆破は、宿命を果たすには至らなかった。

 その爆発がヘッセニア会心の出来であったにも関わらず、だ。

 先の爆発が彼女の精一杯のものである以上、宿命を打倒する手立てはないように思える。


 だが、当の本人の態度は余裕に満ちたもの。

 それも当然。

 彼女にはそれでもなお、アレを倒せるという自信があるのだから。


 そもそも前回、処理し損じたのは距離が問題であると、彼女は踏んでいた。


 当時ヘッセニア本人は、目を細めてようやく宿命が視認出来る距離に居た。


 その位置で今回のハンドルに使った定着魔法と同じものを駆使し、時限式の爆弾に変えた鉄屑の下まで誘導させる手法を用いたのである。


 爆発に巻き込むことには成功したが、距離が離れているため、威力の減衰が起きていない位置まで誘導できたどうか、それが確認出来なかったのである。


 だが、こうして奴は健在な以上、きちんと誘導しきれていなかった、と見るべきだろう。


 だから、今度はきっちりと誘導、いや、奴の至近の距離で爆発させなければならない。


 都合のいいことに、宿命とは相当近い距離で遭遇している。

 外す道理はあるまい。

 なら、今回こそ奴を吹き飛ばせるはず。


 盗み聞きした情報を鑑みる限り、まだ奴は、人類に対する攻撃性は持っていないはず。


 なら、悠々と乗り捨てた自転車を、高威力の爆弾に仕上げることは出来るだろう。


 そう思って、ヘッセニアが安全自転車に手を伸ばしたその時。


 彼女のその見通しにバイアスがかかっていたことを知った。

 無論、自信の都合の良い方に。


「――!!!!」


「なっ」


 突然、彼女の宿命が叫び声を上げた。

 それどころか、見た目からは想像だに出来ない機敏さをもって、ヘッセニアに向かって突進を仕掛けてきたのである。


 完全に不意を突かれた形のヘッセニアは、やむなく自転車への定着魔法の行使を断念。


 さほど優れてない運動神経の全てを駆使し、横っ飛び。


 一回、二回、三回。

 体が転がる。

 しかして、回避は成功した。

 

 が、代償はあった。


 爆弾に変えるはずだった、新品の自転車は奴が蹴り飛ばしてしまい、今や遙か彼方。

 プランが狂ったのだ。


 しかし、流石独立精鋭遊撃分隊の一員と言うべきか。


 ヘッセニアは少しも焦らず、上体を起こしがてら、手元に無数に転がっていた石ころを拾い上げる。


 大きさ故に、これを爆発物に変えても、大した威力は期待できないが、牽制に使うなら十分。

 まずは、体勢と大勢を立て直さなければ。

 

 振りかぶって、宿命へと石を――

 投げることが出来なかった。


 唐突にずぶんと、ヘッセニアの体が沈んだのだ。

 比喩的な意味ではない。


 文字通り彼女の体は、くるぶしの辺りまで地面にめり込んでしまったのだ。 

 前触れもなく、本当に唐突に。


くっそ(ミエルダ!)


 今、何が起こってしまったのか。

 彼女はすぐさまそれを理解することが出来た。


 魔法を使われたのだ。

 倒すべき、あの化け物に。


 かつて魔族の先人達がアレに、その身を隠すために授けた土を操るその魔法。

 奴はそれを用いて、ヘッセニアの足下を流砂に変化させたのだ。


 流砂と言えど、底なしとはほど遠く、ごくごく浅いもの。

 脱出は十分に可能だ。


 が、同時に抜け出すのに、小柄なヘッセニアの力では、少しばかり時間がかかるのも事実。


 そして彼女の宿命が、この小競り合いを終わらせるためには、その僅かな時間があれば十分だった。

 脱出に手間取るヘッセニアに向けて、その巨体は再び突進を開始。


 あれよあれよの内にその距離が縮まり。

 あっという間に回避能わぬ、必殺の間合いに持ち込まれた。


 最早雌雄は決した。


「畜生めっ」


 忌々しげに、ヘッセニアは吐き捨てる。

 恨めしげに、迫り来るその巨体を睨む。


 あと少しで宿命を果たせると思ったのに。

 畜生。畜生! 


 ひたすらに痛恨の念を抱いて。

 そしてグロテスクな巨体は、小さなヘッセニアを轢過――


 することはなかった。

 

 突然のことだった。


 真っ直ぐに彼女に向かってくるはずの奴が、急に弾き飛ばされたのだ。

 肉を強かに打擲する音の後に。

 視界をかすめた空飛ぶ一つの影によって。


 恐ろしく勢いのある何かが飛んできて、そして衝突して、アレが打っ飛んでいった。

 ヘッセニアはどうにかそのことだけは理解した。


 すとん、と彼女の目の前に、彼女の宿敵を弾き飛ばした何かが舞い舞い降りる。


「ヘッセニア! 無事か?!」


 着地するや否や、その何かはヘッセニアを気遣った。

 その声に彼女は聞き覚えがあった。


 ウィリアム・スウィンバーン。


 何かの正体は彼女の戦友であった。

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