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第二章 十話 遭遇

 ソフィーは荒れて痩せた土地を見慣れていた。


 ゾクリュの東側は戦争の影響で、生命のにおいが僅かにしか感じられない、そんな土地が広がっていたのだからそれも当然だろう。


 配属当初見る度にセンチメンタルを抱いていたその風景も、今や心を動かすに足らず。


 視界に入っても特段目を奪われることはない程に、慣れを覚えてしまっていた。


 そんな荒地に耐性を得たソフィーと言えど、だ。

 只今、彼女が立つその大地には圧倒されてしまっていた。


 そことて本来であれば、いつも見慣れている戦争の爪痕と呼ぶべき場所。

 ならば、取り立てて感動なんて生まないはずなのに、それでもソフィーをは情を動かされていた。


 そこには戦争の傷跡を、隠すように繁茂している背の低い下草たちはその姿を見事に暗ましていた。


 若々しい緑は消え失せ、代わりに目に入る色と言えばは、例外なく土色、土色、土色―――

 とても暗く、重苦しい色のみ。


 それもモグラの大群が好き勝手に掘り荒らしたのでは、と思わざるを得ないほどに、地面は平らとはほど遠いものとなっている。


 まさに荒廃、ここに極まれりといったところ。


 それににおいも強烈だ。

 ソフィーのこれまでの人生で、嗅いだことのない異様なにおいが辺りに立ちこめていた。


 土が焼けたにおい。

 正体はそれだ。


 そう。

 今、ソフィーは先日ヘッセニア・アルッフテルが爆発を起こして吹き飛ばした、その地点に居た。

 ゾクリュ守備隊隊長より与えられた任をこなすために。


「――。少尉?」


「ん……ああ、すまない。なんだろうか」


 あまりに壊滅的な光景に、圧倒されてしまったからだろう。

 真面目なソフィーには珍しく、しばらくぼうとしてしまい、部下の問いかけに反応することが出来なかった。


「この辺りの捜索は終了しました。やはり欠片も見つかりませんね。ここに居着く動物はまだ見ませんから、巣に持っていかれた、ということはまずないと思うのですが」


「……そうか。では次に行こう」


「は」


 ヘッセニアが破壊した範囲は、かなり広いものであった。

 軽く見て回る程度ならともかく、事細かく調べるとなると、とてもではないが一日はおろか数日を費やしても終えることが出来ないくらいに。


 大雑把なれど、いくつかの区画かに分ける必要があったのだ。


 兄と呼ぶには、いささか年の離れた軍曹より報告を受けて、彼女は言う。

 もう、この区画には用はない。

 次に区画に行こう、と。


 軍曹は浮ついた様子はなく、淡々とした様子で答え、普段のシゴキ対象である兵らにそれを下知。

 その手際は実に鮮やかであった。


 ソフィーはそんな様子に、少しばかりの嫉妬を覚えた。

 彼女が気を抜けば心を砕かれ立ちん坊してしまう光景。

 しかしあの軍曹には気にする様子がまったく見られない。


 それどころかここに来た当初、ソフィー同様に、その破壊され具合に圧倒され肝を潰してしまった部下らに、こう発破をかけたのであった。


 呆けるな。気をつけ。これくらい戦場じゃよく見る光景だ、と。


(これが、戦場経験の有無の差、か)


 そう、彼からすれば、戻ってきただけなのだ。

 一年前の日常に。


 故にソフィーや他の兵らと違って、動揺するに値しない光景なのだろう。

 むしろ、敵の襲撃の可能性がずっと低いことから、この場の方がずっと気楽なのかもしれなかった。


 そう思い至り、ソフィーの心になお嫉妬の影が色濃くなる。

 抱いたものは持たざる者が、持つ者へ向ける嫉妬だ。

 本来自分が持っていなければならない落ち着きを持つ軍曹が、今は堪らなく妬ましい。


(我ながら醜いな。無い物ねだりした挙げ句、持っている者を妬むとは)


 そして彼女の何より悲劇的なところは、その嫉妬がひどく見苦しいものであるという、自覚を持つほどには自律出来ることにあろう。


 結果として、彼女は部下に嫉妬を抱いてしまったことの自己嫌悪で、気分が沈まざるを得なくなった。


「おい、貴様ら。何をもたもたしているか。少尉殿はとうに準備できている。さっさとかかれ」


 軍曹のちょっとした心遣いだろうか、おろおろと要領の得ない動きを見せていた兵らに一喝。


 軍曹の口がこう紡いでいた。

 お前らと同じ、戦場未経験の少尉殿はしゃんとしているぞ、と。

 なら、お前らも気張らんか、と。


 自己嫌悪に耽っている今のソフィーにとっては、その気遣いが堪らないくらいに痛い。


 彼女の心は叫ぶ

 違う、そうじゃない。

 私も彼らと同じだと。


 実際口に出して叫びたかった。


「初めは誰もが、そんなもんですよ」


 ソフィーがあるべき士官の姿を必死に演じていること。

 彼はそれを感じ取ったのだろう。

 ぽつり呟くようなその声の調子は、とても柔らかいものであった。


「端っから士官らしく振る舞える人なんか居やしません。最初はみいんなオロオロ、ビクビク。そりゃそうだ。いくら勉強しても、いくら訓練しても、実戦のにおいと空気は体験できないんですからね」


「……私たち士官は、四年間も士官としての必要な知識、態度をみっちり叩き込まれたのだ。しかも国費で。すぐさま適応出来ないのは、期待を裏切っている以外に捉えようがない。税金泥棒、と誹られても仕方があるまい。如何に私が四年間ぬるま湯に浸かっていたか、改めて実感したよ」


 しかし、ソフィーの自己嫌悪は根が深いもの。

 そうそう常の精神状況に戻ることは出来ずに、湿った声色で、自虐的な台詞を彼女は口にした。


「自責なさる必要はありますまい。私も長いこと軍に居て、それなりの数の新任少尉殿の指揮下に入ってきましたがね。すぐに適応出来た人なんて見たことありませんよ」


「……そういうものなのか?」


「ええ、そうですとも。貴女たちは、広範な知識をお持ちで、なおかつ判断力は私よりもずっと上でしょう。足りないのは、現場の実態の知識と、そこで振る舞うべき態度と仕草だけ。そいつは学校では教えられません。ですから、私たち下士官が必要なんです。足りないそいつらを補うために。私らを見て足りないものを学ぶためにね」


「つまり、誰しも士官が通る道だと? これも士官教育の一つだと?」


「いわゆる実地研修ってやつでしょうな。最近王都からやって来た大尉殿が、わかりやすいですかな。聞けば、乙種を倒した元軍曹の彼が、新任少尉時代の大尉の下についていたそうで。感じませんでしたかね。時々大尉殿が何故か、如何にも頭が上がらなさそうで、居心地悪そうにしてるの」


「言われてみると……」


 ウィリアム・スウィンバーンがプリムローズ大尉に、唐突に面会を求めた時のことを彼女は思い出す。


 確かのっけの会話で、彼らはお互いに少尉殿と軍曹と呼び合った。

 それも、大尉の方がどこか怯えた様子で。


「ま、そういうことなんですよ。下士官が新任少尉殿の最後の教育にあたるのは、仕事の内なんでね」


 あの時は、訝しみしか抱かなかった光景なれど、今の会話を聞いた後ならばなるほどと納得できる。


 新任時代を知悉した相手であるが故に、大尉はどこかやりづらさを覚えていたのだろう、と。

 如何にも立派な将校である大尉も、たった今のソフィーのように、要領の得ない時代があったのだ。


 あまりの功績故に、兵卒らの間では半ば戦場伝説と化して、実在を疑われているあの独立精鋭遊撃分隊の分隊長殿でも、頼りない少尉時代があったのだ。


 こうしていざ現場に来て、オロオロしているのは自分だけではなかったのだ、と。

 そう思うと、ソフィーの心中も少し軽くなった。


 現金な性格だと我ながら呆れるも、お陰で先ほどまでの強烈な自己嫌悪は鳴りを潜めていた。


「しかし負担ではないのか? 私のようなヒヨッコを受け入れるのは?」


「先ほども言いましたが、これも仕事ですからね。やることなんで、ただただやるだけですよ。それに」


「それに?」


「気休めに聞こえますが、少尉殿は優秀でこっちも支え甲斐がありますんでね。いくら上官と言えど、ロクでもないのと当たるのはご免です。こっちのやる気もなくなりますから。いい将校になれますよ、貴女は」


「士官を目の前に、よくもそんなことを言ってくれるな」


 言葉こそ咎めるそれではあるが、ソフィーの声色には責めるものはない。

 むしろ、軽く笑みさえ浮かべてさえいる。

 冗談を叩き合う時のとても軽妙な空気が、二人の間にはあった。


 そしてようやく移動の準備が整った、兵らと向き合い近付くべく一歩を踏み出す。


「ん?」


「どうかなされました?」


 が、一歩踏み出しただけで、それでおしまい。


 その時、折角軽くなったソフィーの空気を妙なものにする出来事が起きたのだ。


 いや、彼女は感じ取った言うべきか。

 違和感を。


 その違和感は最初とても微弱なもので、何かがおかしいと漠然に思うだけ。

 故に上手に言語化出来なかった。

 

 しかし、意識を集中させてみると――その違和感の正体を摑むことに成功した。

 わずかにではあるが。


「……地震?」


 じんわり、ゆらゆら。

 身体が揺れているのが知覚出来た。


 ただし明言できるほどの自信を、ソフィーは得ることが出来なかった。

 なにせその揺れはとても微弱。

 目眩か地震か、その判別がいまいちつかなかったのだ。


「……本当ですな」


 ソフィーにつられて、じっと五感を研ぎ澄ました軍曹が頷く。

 やはり地震であったか。

 気のせいではなくて良かった、とソフィーはほっとする。


 急に神妙な顔をした上官二人らに、兵らは訝しみの表情を浮かべている。

 だが勘のいい兵は、今何が起きているのか察しが付いたようだ。


 ちらと、軍曹に咎められない程度の小さな動きで、足下を見たのがその証拠だろう。


 それにしても、長い地震であった。

 初めてその存在を認めてより、もう十秒は経つというのに、まだ揺れ続けている。


 揺れはまだ続く。

 収まる気配はなく、むしろ強くなる一方。


 鈍感な兵もようやく地震の存在に気付く。

 しかし声を上げたりと、目に見える姿で戸惑う様子はない。

 目の前に何よりもおっかない軍曹が居るからだろう。

 下手な動きを見せれば、拳骨が飛んで来かねない。


 どん、と何かに突き飛ばされるような、極めて強い揺れにソフィーらは襲われた。

 じわじわと揺れは強くなっていっただけに、それはまさに奇襲的な衝撃であった。

 全員が全員それまでの姿勢を崩し、足を大きく開いて揺れに耐える羽目となる。


 これはなんとも奇妙な揺れだ。


 ソフィーはそう思った。

 だから何が起きているのか、それを確認しようとしたその矢先。


「う、あああああああ!」


 叫び声がした。


 部下らのものではない。

 新しい足跡等を発見した際、その記録写真の撮影を依頼された街の写真家のものだ。


 ソフィーの視線は写真家に伸びる。

 その声、その顔は恐怖に染まりきっている。

 一体何が。


「な、何だ! あれは!?」


 次いで、部下らの声。

 口々に困惑の言葉。

 そしてそれぞれの顔には、言葉と同じくらいに当惑の表情を貼り付けていた。


 視線は皆一様に、二人の上司の背中側の、それも頭上にあった。


「何が――」


 許可もされていないのに、こうも騒ぎ立てるということは、恐怖の軍曹の鉄拳制裁を忘れてしまうほどに、強烈な何かを見たということ。


 その存在は何なのか。

 確かめるべくソフィーは振り返り、多くの視線が集まるその場所を眺めて。


 それを見て、ぽかんと口を開けて。

 言葉が途切れて。


「あった、の、か?」


 そしてどうにか、続くはずだった言葉を絞り出した。


 市民である写真家を青ざめさせ、戦場経験のない若い兵らを困惑させ、そして新品少尉たるソフィーの言葉を奪った、そのナニか。


 それはあまりに異様な存在だった。

 体中に土の汚れを纏わせている。

 どうやら地中に潜っていたらしい。

 地震はアレが地表に出るときに生じたものか。


 サイズは大きい。

 とても巨大だ。

 ソフィーが最近見た、あの騎士級と匹敵するほどに。


 けれども邪神ではない。

 だが、やはり異様な存在だった。

 それだけ目を奪われる特徴がソレにもあった。


 異形であった。

 瞼を欠いた双眼。

 唇がなく露出したままの歯牙。

 そぎ落とされた鼻。


 いずれも人間の特徴を有しておきながら、グロテスクに変質していた。


 きっとヘッセニアの爆発に巻き込まれたことが原因だろう。

 痛々しい火傷により、体表の組織は原形を留めていないことも気味悪さをさらに強調していた。


 人を圧倒させるに足る迫力があった。

 今の写真家や兵らやソフィーはぼうとせざるを得なかった。


「総員ッ! リボルバーッ! 構えッ!」


 だがこの場にはたった一人だけ、呆けなかった人物が居た。

 歴戦の軍曹だ。

 彼は訓練の時とまったく調子で、兵らに射撃準備の命を下した。


 その声にソフィーははっとする。

 そうだ。

 この状況で、あのような巨大な生物に出くわすと言うことは。


 きっと、あれが我らが探し求めていたモノに違いない。

 そしてまだソレが生きているのであれば。

 さらに都合のいいことに、奴はこちらの動きをまるで観察するかのように、動かずじっと見入っているのであれば。


 なら、やることは――


 呆けた中でソフィーは一番に復帰。 

 ホルスターからパーカッションリボルバーを抜く。

 銃口を向ける。

 撃鉄起こす。

 射撃準備はここに終える。


 ふうと一息吐いて。

 ちらと軍曹を横目で見れば。

 彼女のいち早い復帰に満足げな、男の顔がそこにあった。


「少尉殿!」


 ソフィーから遅れてしばらくして、兵らも立ち直ったようだ。

 彼らも準備を終えたらしい。


 軍曹からの報告を受けて、僅かにソフィーは息を吸って。


「了解! 全弾斉射! てえ!!」


 あらんかぎりの大声で射撃命令を下した。


 数多の撃鉄は雷管を叩く。

 衝撃により小さな爆発が生まれた。

 そしてそれが火種となって、茶色火薬に引火して。

 先のソフィーの声とは比較にならぬほどの破裂音がその場に響いた。


 幾多の銃口から飛び出た鉛玉は。

 目にも留まらぬ勢いで、ソレに殺到。

 しかしてその多くが直撃した。


 血が、吹き出す。滴る。


「――――!!!!!」


 ソレは叫び声を上げた。

 いや、泣き声か。

 おぞましい声があがった。


(ますます気味が悪い! ますますやりにくい! だが!)


 無条件に抱く自らの嫌悪感を無理に飲み干して、ソフィーは構わず引き金を絞り続ける。

 兵らもソフィーに追従。

 絶え間なく発砲音は響く。


 弾雨がソレに降り注いだ。

 真っ正面から容赦なく。


 その密度に危機を覚えたか。

 辛抱堪らぬといった体で、ソレは四つん這いになり。

 どん、と一度荒れに荒れた地面を平手で叩いた。


「くっ」


 そこまで力任せに叩いたようには見えなかった。

 だが、ソレはどうにも魔法を使えるらしいかった。


 手が地面に着くや否や、叩く勢いからは考えられないほどの土煙が派手に舞った。

 守備隊の面々を覆い包む。


 視界が奪われた。


「射撃中止! 撃つな! 抜剣のままその場に留まれ!」


 ソフィーは口の中に土粒が入るのを構わずに叫んだ。射撃中止、と。

 視界は奪われ、無闇に撃てば同士撃ちのおそれがあるからだ。

 発砲音はぴたりと止まる。


 状況は悪化した。

 銃が使えない。

 あの巨体を倒すのに、そして身を守るのにもっとも心強い友が封印されてしまった。


 気休めに抜剣の許可はしたものの、護身になるか甚だ疑問であった。

 重量を生かした攻撃をされれば、ひとたまりもない。

 反抗もむなしく、あっさりと押しつぶされるだろう。


 だから、守備隊の面々は緊張した。

 この土煙に乗じて、アレが攻撃してくるのでは、と。


 が、その緊張は幸いにも杞憂に終わった。

 待てども待てども、反撃らしい反撃を受けず。


 そのまま土煙は晴れていった。

 あの巨体は何処へと消え去ってしまっていた。


 緊張の糸がほどけた。

 ほとんど全員が、安堵のため息を吐いた。


「……逃げたようですな」


「そのようだ。だが、しかし」


「ええ」


 万が一、ということもある。

 確認せねば。

 用心せねば。


 いつでも発砲できるよう銃を構えながら、ソフィーと軍曹は、あのナニかが二足で立っていた場所へと慎重に近づき、目を落とし。 


「――軍曹」


「ええ。見つけましたな」


 そして、彼女らは見つけた。

 目に焼き付くほど眺めたからだろう。

 今更写真を見比べる必要がなかった。


 同じだったのだ。

 そこの刻まれていた足跡と写真の物はまったく同じであった。


 探し求めていた物が、見つかった瞬間であった。


 ◇◇◇


 そしてその夜。

 ゾクリュの守備隊に、謎が一つ氷解したという、喜ばしい情報がもたらされた、その夜のことであった。

 

 ヘッセニア・アルッフテルが脱走したのは。

 

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