第二章 二話 昼下がりのティータイム
その期間中、ほとんどが追い込まれていたとはいえ、しかし、邪神戦争中、人類は年中無休で戦い続けていたわけではない。
最終決戦前後は有名無実となってしまったものの、輪番で休暇を取ることが出来たし、戦況が小康状態となれば戦場でも一息つけることもあった。
この時は後者であった。
反攻作戦が成功して、邪神に奪われた土地の一部を取り戻した直後の話だ。
その地に蔓延る邪神をあらかた駆逐し、仮初めの平穏を手に入れた多くの兵士には小休止が与えられていた。
仮眠を取る者。
戦友と雑談の花に咲かせる者。
上官の目を盗んで、なんとかして酒を飲もうと画策する不届き者。
真面目に装備を点検する者――
兎角、急に現れた貴重な自由時間を、思い思いに満喫しようと必死なように思えた。
さて、そんな自由な時間を甘受しようとしている者たちの中に、独立精鋭遊撃分隊の姿もあった。
隊員六名の内、余暇の使い方は綺麗に真っ二つに分かれた。
一人で時間を費やそうとしている者たちと、集まって一緒に穏やかな時間を共有している者たち。この二つだ。
共に余暇を過ごそうとしているのは、ウィリアム、アリス、クロードの三人。
殺風景な野っ原にぽつんと根を張る切り株を今、まさに彼らは車座にて囲まんとしているところ。
この三人には一つの共通点がある。
それは出生国にあった。
三人が三人とも、王国出身であるということがそれだ。
そして、半ば病的なまでに喫茶に命を懸ける王国人が三人も集まれば、空いた時間にすることなど決まっている。
それはティータイム以外に考えられない。
だから、彼らは短い憩いの時間で茶を飲んで、最大限に楽しむ――そのはずだった。
「な、何じゃあ! これ!」
怒号が飛ぶ。
分隊の三人以外の怒鳴り声だ。
声の主は小柄、なれど頑健な体躯を持つドワーフの男であった。
階級は中尉。
彼は分隊員ではない。
一緒の戦場で戦ったのも何かの縁だからお茶しよう、という突然の誘いを、二つ返事で受けてくれた快漢である。
そんな気立てのいい男が、随分とご立腹の理由は何か。
しかもさっきまで、アリスお手製の代用食としての、椎の実クッキーにはご機嫌に舌鼓を打っていた直後の変節である。
余程のことがあったのか、と問えば、余程のことがあった、と答えざるを得なかった。
その余程のこととは他ならぬ、切り株の上にて湯気を上げるカップの中身である。
「なんか妙にくせえぞ! 何だ! 何の葉っぱ使った!」
口に含んだ液体を四方八方まき散らしながら、ドワーフの中尉はまくし立てる。
どうやら、饗されたお茶が気に入らなかったようだ。
茶菓子も本来口に入れることのない、尋常ならざる素材なれば、茶葉として用いた葉もまた常ならぬもの。
代用なりに美味に仕上げたクッキーとは真逆に、その代用茶はどうやら悲惨な味であるようだった。
その味の酷さは筋金入りらしい。
ドワーフとは別に、王国の隣国である共和国の将校も席を共にしていたのだが、口を付けてより今まで、ずっとゴホゴホとむせていた。
「スウィンバーン軍曹。説明をしてやれ」
やれやれ、といった風でクロードはウィリアムを促した。
バネを利かせて、おもむろにウィリアムは起立。
背筋をぴっと伸ばして、お冠のドワーフに向き合った。
「はっ。代用した葉は、ハーブの一種であります」
「はぁぶぅ? いやいやいや、ぜってえ嘘だろ! ハーブにしちゃあ香りも薄いし、そもそもこれは香りじゃなくて臭いだ! ただのくさい色の着いた湯だ!」
「いえ。正真正銘ハーブであります。ただ……」
「ただ?」
「何処かの庭から種が風に運ばれて、この原っぱで野生化したものでありますから、少しばかり香りが変わっているかもしれません。が、野生風味と思えば、これはこれで個性とも考えられますし、乙なものかと」
そのウィリアムの一言に答えるかのように、二つの物音。
クロードとアリスが問題のハーブティに口を付けた音だ。
しかし二人の王国人は、先のドワーフと共和国人のように、怒ったり、むせたりもせず。
それどころか、満足げな小さい吐息を漏らす始末であった。
「……嘘だろ?」
その光景は相当衝撃的なものであったのだろう。
少しの拒絶反応を見せない王国人たちに、ドワーフの中尉はあんぐりと口を開けて、驚きのほどを露わにした。
「……だから」
小さく、音が鼻にこもった声がぽつり。
いわゆる、共和国訛りだ。
それはずっと、背中を丸めてむせていた共和国人の中尉の声であった。
「だから! 王国人の舌はアテにならんのだ! 酷い料理を日常的に食べてるから、毒かそれ以外しか判別出来ない、罪深き舌に墜ちてしまっているのだ!」
ハーブティによって受けた衝撃は、ドワーフの彼よりもずっと強かったのだろう。
より大きな声で、より口汚く、代用茶とそれを差し出した者たちを罵った。
美食の国、と名高かった国の出身からすれば、このハーブティーの味は到底許せるものではないようだ。
その罵倒を受けて頭に血を上らせる、彼が言うところの罪深き舌を持つ者が居た。
クロードだ。
我慢ならぬ、とばかりに勢いよく立ち上がり、鳶色の癖毛を持つ共和国人の中尉を目を三角にして睨んだ。
「おい、何を言うか! 聞いていれば上から目線でボソボソ喋りやがって! 戦争でもないのに、カタツムリ食ってたような国の奴は舌と脳までジメジメ、ヌメヌメと陰湿になっちまうのか!?」
「貴様、我が国の料理を愚弄するか! エスカルゴを食したことあるのか!」
「ないわ! だけど、あんなもん人が食うものではないわ! 野鳥のおやつだ! あれは! 食えるか!」
「家畜の胃袋を貪る連中に言われたくない! けだものではないのだぞ! あれこそ食べ物ではあるまい! ただの残滓だ!」
「はっ! ハギスの良さを解らねえとは! 共和国人も随分とお子様な舌をしてるなあ!」
隣国同士である王国と共和国はやはり隣国の常として、友好的とは言い難い関係にある。
それ故互いの国民は、互いの国に思うところ含んでいる傾向にあった。
だが、それにしたとしても、である。
こうもぎゃあぎゃあと、互いに国の癖の強い食べ物をあげつらって、罵り合う二人の姿はまるで子供であった。
そんな子供返りしてしまった二人を尻目に、ウィリアムは着席。
ちらと、二人を見てぼそりと口を動かす。
「……まあ、ハギスは……ねえ。北部の人しか食べないし。エスカルゴの方が癖ないし、普通に美味しいし、クロードが劣勢かな」
「ハギス、見た目も味も好き嫌い分かれますよね。私も……ちょっと」
「王家主催の晩餐で、卓上のほとんどが共和国料理の時点で、まあ、お察しだよね」
自国料理に極右的な愛国心を見せるクロードに対して、ウィリアムとアリスが見せた反応は冷ややかなものであった。
特に熱くもならず、マイペースにクッキーと茶を口にしているあたり、二人は端っから料理で共和国に敵うとはこれっぽっちも思っていないようだ。
「……あんたら良くそれ、飲めるな」
少しも表情を変えずに、それどころかリラックスした感で、茶を飲む二人が相も変わらず信じられないらしい。
どこか引きつった顔で、ドワーフの中尉が尋ねかけた。
表情から察するに、彼もまた、このハーブティーを人の飲むものとは認識していないようだ。
「味のない水で、ティータイムするよりは、ずっとマシですから」
アリスが返答する。
王国人にとっては当然のことを。
ティータイムと称しておいて、味と香りのしない液体を飲むなんて、信じられぬことであると。
そう告げる。
「……王国人って変わってるな」
なおも続く、稚拙な言い争いを背景曲に、ドワーフは感想を紡ぐ。
その声色は万感籠もった、心からの一言であると容易にうかがわせるものだった。
◇◇◇
穏やかな昼下がりのことだ。
見ているだけでも楽しくなりそうな光景が、テーブルの上には広がりつつあった。
各段に軽食やお菓子を乗せたケーキスタンド、クロテッドクリームにジャム、そして忘れてはならないティーカップ。
由緒正しき、アフタヌーンティーの情景だ。
見ているだけでわくわくする。昼下がりとはこうでなくてはならない。
ティーカップは今は空だが、あと少しすれば綺麗なお茶が注がれることだろう。
その時こそ、ティータイムの始まりである。
「……こんなきちんとしたお茶会なんて。私初めてです」
アンジェリカが、テキパキとした動きで準備を進めるアリスを見ながら、半ば圧倒されたような口ぶりで言う。
確かに卓上にそびえ立つケーキスタンドは迫力満点だ。
相対するのが初めてであれば、気圧されるのも無理もないかもしれない。
「ウィリアムさん」
「なに?」
「……ええっと。こういった時って。作法とか……食べる順とかあったりして?」
アンジェリカの緊張の度合いは、中々に高いものであるらしい。
作法云々を気にしだした。
そんな様子がなんだか可笑しくて、自然と笑みがこぼれる。
だから、ちょっとだけからかいたくなってしまう。
「まあね。あるよ」
努めて真面目な口調で告げる。
「それは……どういう」
にわかに湛えた俺のかたい雰囲気につられて、アンジェリカの表情もより一層真面目なものとなる。
それは、もう、唾を飲み込む音が聞こえそうなほどに。
きっと長々とした説明が飛んでくることを、予期してだろう。
一音たりとも聞き逃さぬ、と言わんばかりに、ずいと彼女は身を乗り出した。
だからそんな彼女に応えるため。
俺は次の言葉を、より強調するために。
一度呼吸を置いて。
間を置いて。
真っ直ぐに彼女の目を見て。
そして重々しい口調で、こう言った。
「お茶の作法とはね」
「作法とは」
「つまり」
「つまり?」
「楽しく飲めれば万事ヨシ。おわり」
アンジェリカの表情が変わる。
ぽかんと呆けたやつに。
そんな様子によって我慢の限界が訪れた。
勿論俺の、それも笑いをこらえる我慢だ。
喉の奥から殺しきれない笑い声が、くぐもった音となって漏れ出る。
からかわれたことに気がついたようだ。
容赦なく非難の視線が、アンジェリカから飛んできた。
「ごめん、ごめん。でも、本当なんだよ。まあ、確かに貴族同士の社交目的のお茶会だと、かたっ苦しい作法はある。でも、こうして内々のお茶会の時は気にする必要はないさ」
「……本当なんですか? そんな適当なことが」
確かにスタンドの下段から手を付けろ、だとか、そもそもティーカップの持ち方や、スプーンの置き方にも細かいマナーはある。
が、余程見苦しくない真似をしない限りでは、多少の無作法なんて誰も気にしないもの。
教養の有無をチェックしてちくちく揚げ足を取り合う、陰湿な遊びが大好きな貴族を除けば、お茶会なんてものは楽しければそれでいいのだ。
それに小手先のマナーを充実させるよりも、心から楽しむ姿を見せた方がホストは喜ぶものだ。
当然だろう。
お茶会とは楽しく時間を過ごしたい、あるいは提供したい、という思いでもって開くものなのだから。
だから楽しむことがお茶会の最大のマナーというのは、誤りではない、と自信を持って言える――のだが。
「本当なんですか?」
「本当」
「本当に本当?」
ちょっとからかい方が度に過ぎたか。
どうにも、アンジェリカからの信頼を失ってしまったようだ。
「本当ですよ」
「アリスさん」
さて、どのよう弁解して、信じて貰おうか。
そう頭を悩ませているところに、ティーポットを乗せたワゴンを押してきたアリスの助け船。
「楽しく飲んで頂かないと、こちらも困ってしまいます。不手際があったのでは。不快な思いをさせてしまったのでは。そう考えながらやるお茶会なんて、ただ、気まずいだけですから」
「だよねえ。ただ、お茶を身体に入れるだけのティータイムなんて、もううんざりだしね」
「もう? 二人とも、前にそんなお茶会。経験したことあるんですか?」
「戦争中にね。一応はリラックス出来てたんだけど……まあ、みんな何処か殺気立ってて、心から楽しめない……そんなティータイムばかりだったよ」
殺気立つのも無理もない。
兵舎でのティータイムはそれほどではなかったものの、外の時はいつ襲撃があっても良いようにと、武器を傍らに置きながらやったのだから。
当然、緊張感を適度に維持せざるを得ず、お互い会話に集中することが出来ない。
うんとか、ああとか、はいとか、そんな上の空な会話となってしまい、結果、楽しくないお茶会と成り果てるのだ。
あるいは――
「戦場に居るせいで気が立ってるから、あろうことか、参加者同士で喧嘩したりね」
いつぞやの、クロードと共和国の将校との一件がその典型だ。
普段なら受け流せそうな些細なことが、とさかに来てしまい、結果子供染みた口喧嘩へと発展してしまうのだ。
しかし、今にして思えばあの件の場合、全てが戦場のせい、とするわけにはいかなかった。
「……まあ、でも。ホスト側に問題がなかった、とは言えないんだけどね。お茶っ葉がないから、その辺のハーブ摘んで代用茶として仕上げたり。その時はお湯よりはマシだと思い込んでたけど」
「ええ。このお屋敷に来て、久しぶりに道ばたにあった野生化したハーブで、お茶を作ってみましたけど……美味しくなかったですねえ」
「正直あそこまで不味いとは思ってなかった。よくあの頃は、アレを喜んで飲んでたよなあ」
当時は全くそうは思わなかったが、あの時は確かに俺らに落ち度はあったのだ。
戦場に居た時にはあのお茶は悪くはない、ように思えた。
が、戦争が終わって、久しぶりに野生風味のお茶を飲もうと思い至り、野草化したハーブをお茶にしてみて、ようやく俺達は現実を知った。
ドワーフの将校の全く言う通りだったのだ。
香りなんて上等なものではない、ただのくさいお湯を抽出しただけだと知ってしまったのだ。
とてもではないが、人が飲むものではなかった。
あんなものを何故、戦時中はありがたって飲んだのか、自分のことながら不思議なくらいに理解できなかった。
そんなものを饗されたのだ。
あの時の共和国の彼みたいにアリスと一緒に、ずっとごほごほむせながら、ああ、これならゲストが怒って当然だと、遅まきながら実感した。
「……ははは」
多分、味覚が完全に狂っていたことの恥と、悲惨な味を思い出したせいで、俺とアリスの目は濁りきっていたのだろう。
乾いた笑い声がアンジェリカより聞こえた。
おっと、いけない。
アンジェリカの知らない過去の話を広げてしまった。
話について行けない状況では、どう頑張っても人は楽しさを覚えぬもの。
楽しいティータイムのためには早急に話題を変えねば。
「さて、そんな物が不足してばかりだった、ひどい思い出話よりも、です」
同じ考えに至ったアリスはぱんと軽く手を打ち鳴らし、俺と彼女の間にあった、往事の記憶を追い払って。
「始めましょうか。何も不足することのない、そんなお茶会を」
そう告げて、アリスはカップにお茶を注ぎ始めた。
純粋なお茶っ葉由来の素晴らしい芳香がこの場を包み込む。
それはアフタヌーンティー始まりの合図。
こんなかっちりとしたティータイムの経験がない、アンジェリカは何から手を付けたらいいのか、それを迷う素振りを見せた。
が、先の楽しめばそれでいい、というアドバイスを思い出したか。
思い切って彼女は、フォークとスプーンで最上段のケーキをつかみ上げた。
果たしてこれでいいのか、という戸惑いの表情と、アリス謹製のケーキへの期待の面持ち。
その二つが混ざったアンジェリカの複雑な顔が、なんだか微笑ましくて。
ほんのり口角を上げながら、俺はキュウリのサンドウィッチを手元に寄せた。
きっと、楽しい一時になるだろう。
そんな予感が、胸いっぱいに広がった。