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第二章 一話 宿命談義

「ねえ。ウィリアム、宿命ってこの世に存在すると思う?」


 硝煙の煙でさえも西日で真っ赤になった頃。

 灰色の長い髪を風にはためかせながら、彼女が唐突に問いかけてきた。

 とても真面目な顔色で言うものだから、俺は驚いた。

 普段の彼女は底抜けに明るく、極めてマイペースで、こんなシリアスな空気を湛える人間ではなかったからだ。


「……宿命?」


 呆気にとられるあまり、問いかけに答えることが出来なかった。

 出来たのは問いかけを問い返すという、要領の得ない真似のみ。


「そう、宿命。この命がこの世界に生まれ落ちる前から、定められた運命。本人の意思すら無視して、各々がそれに当たるべしと定められた、そんな融通の利かない世界との契約」


「藪から棒になにさ。クロードからお堅い詩集でも借りて読んだ? そのキャラ似合わないよ」


「からかわないで。誤魔化さないで。答えて」


 けらけらと笑い飛ばせばいつもの彼女に戻るのでは、と思ってみたけれど、どうにも彼女は本気らしい。

 有無を言わさぬ口調でぴしゃりと詰め寄られる。

 質問に答えよと。


「そうだな」


 不誠実極まりないけど俺は初めてここで、彼女の問いかけに真剣に向き合ってみる。

 宿命。はて、宿命、か。


「……そうだな」


 先と同じ台詞をぽそりと口ずさむ。

 深く考えながら。

 そして至る。

 彼女の問いの答えに。

 具体的な例と共に。


「きっと、あるんじゃないのか。宿命ってやつは。王国の貴族の生き方なんか、まさにそうだ、と言えなくないか?」


「君の国の? ノブレス・オブリージュってやつ?」


「そう、それ。貴族はすわその時、王の、国土の、そして臣民の盾と剣になるべし、ってやつ」


 ゆっくりと首肯。

 そして言葉を続ける。


「人は生まれた先の環境を選ぶことは出来ない。王国の貴族に生まれた以上、その環境に染まらねばならない。母の腹に宿ったその時点で、そうならねばならぬ、と定められているならば。それは宿命に他ならないだろう」


 そうだ。

 あれは王国貴族の宿命に他ならない。


 貴族特権の多くを失い、大地主と大きな差がなくなろうとも、貴族はその義務を放棄することを拒んだ。

 まるで貴族として生まれ落ちることの条件として、世界と交わした契約かのようにそれを大事にし続けた。


「……それは果たして宿命? 貴族のそれは、逃げようと思えば逃げられるじゃない。抗えるじゃない」


「往々にして外部から見れば宿命ってやつは、簡単に逃げ出せそうに見えるものさ。でも、当人達にとってはそうではない。その証拠に……ほら、ご覧よ。あそこでたくさん眠っているのは――」


 そしてその結果が目の前にたくさん横たわっている。

 凡百の兵とは一線を画する屈強な体格に、それぞれの得物に刻まれた紋章。

 そこかしこにある、そんな特徴を持った遺体は例外なく――


「――みんな貴族だ。分の悪い戦いでも義務から逃げることが出来ず、また逃げようともしなかった、誇り高い貴族の最期の姿だ」


 その者が貴族であったことの証拠だ。


 そう、人類の存亡の危機という、極めてマクロな脅威に対しても貴族は宿命に従い、戦場に赴き、そして命を散らしていったのだ。

 全ては臣民のために、いや、人類のために。

 争うように率先して最前線に立って、そして多くが死んでいった。

 かくしてこの百年で、没落、断絶する貴族家は、史上例を見ないほどに頻発することになったのだ。


「君にも、あるのか? そんな逃げられない宿命が」


 宿命を受け入れ、こうして屍となった彼らを見る彼女の目は、とても複雑なものだった。

 運命に抗えなかったことに憐憫を抱きつつも、与えられた使命をしかと果たしたことへの敬意。いや、憧憬。

 夕日により茜色に染まった彼女の横顔は、そんな二つ感情がない交ぜになったものだった。


 物言わぬ貴族達に本当に深く感情移入しなければ、あんな顔にはならないだろう。

 だから思ったのだ。

 彼女もまた、そんな宿命を背負った者なのではと。


「……そうね。あるよ。とても重いやつが。逃げたくなるくらいの。でも、私がどうにかしなければならない、そんな宿命が」


「そうか」


 果たして、その推測は真であることが証明される。

 相も変わらず深刻そうな面持ちで、彼女は小さく、けれどもしっかりと頷いた。


 だが、その宿命が何であるのか。

 彼女は一向にそれを語ろうとしなかった。

 きっと、宿命の部外者である俺には、話せない、あるいは話したくないことなのだろう。

 だから俺もしつこく詮索はしなかった。

 話したくないのなら、それでいい。


 以降、会話はなかった。

 マイペースに地の果てへと帰って行く陽光が、東から空の支配権を月へ順次売り渡している、そんな頃合いの出来事であった。


 ◇◇◇


「ん……んあっ」


 我ながら間抜け極まる声を上げてしまった。

 身体はほとんど痙攣のように、びくりと震える。

 口元、というか唇の端も何だかスースーする。

 どうやら涎を垂らしてしまったようだ。


 意識が朦朧としている。

 何が自らの身に起こったのか、それがいまいち把握できない。


「うん? んんん?」


 横着にもシャツの袖で涎を拭って、さて、一度深呼吸。

 そして状況確認。


 目の前には、さらさらと涼やかな音を奏でる小川。

 小鳥のさえずりに、風の音。

 そしてロッドホルダーに支えられた釣り竿。

 いずれも平和な代物ばかりが、視界に飛び込んでくる。


 先ほどまでの茜色で、そして死体ばかりであった世界は影も形もなく消え去っていた。

 ということは。


「夢……か?」


 ここでようやく、意識がはっきりとしてくる。


 そうだ。

 確か俺は暇つぶしと、あわよくば夕飯の食材目当てに、丘の下の小川で釣りをすることにしたはずだ。


 糸を垂らした直後は絶好調で、次々から次へとヒット、ヒット、ヒット。

 まさに入れ食い状態で魚を釣り上げていたのだが、いつしかぱたりと当たりは途絶えて――

 そしてそこからの記憶も、当たり同様に途絶えている。


 どうやら退屈してしまい、すとんと意識が落ちてしまったらしい。


「そうだよな。夢だよなあ」


 夢の内容を思い出す。

 夕焼けの世界に、たくさんの戦死体。

 終戦を迎えた現在では、世界中何処を探しても見つけられない光景であった。


 そうだ。あれは過去の夢。

 戦時中の夢。

 それも分隊時代の記憶であった。


「しっかし、まあ、なんで今更あの頃の夢を」


 お気楽の代名詞とも言える一人の女性隊員が、とてもシリアスになっていたのだから、確かに印象深いものであった。

 記憶を辿ってみても奴が真面目な空気を纏ったのは、後にも先にもあの一件のみだ。

 忘れがたい出来事、と言ってもいいだろう。


 が、とは言え、何故今になってそのことを夢で追体験したのか。

 その切欠がとんと見当がつかなかった。


「まさか」


 おもむろに脳裏に走ったのは、誰であったか、それは忘れてしまったけど、戦時中に教えて貰ったことだ。

 大昔、何処かの国において異性の夢を見る時は、それはその異性が自分に懸想しているからと考えられていたことを。

 外国の、それも大昔の思想であれど、だ。

 それに則るのであれば……


「まっさかあ」


 あまりに馬鹿げた考えにげらげら大笑い。


 それは、ない。

 断言できる。


 あの明るく元気な偏執狂が、誰かに慕情を抱く姿を全くもって想像できない。

 奴はそれくらいに変わり者だ。


「それに、アレだ。もし、万が一そうだとしたら。俺がとても困る」


 友人としては付き合うにいい奴だけど、だからこそ困るのだ。

 俺は彼女をそういった対象で見ることが出来ない。

 が、それを馬鹿正直に伝えて、振ってしまえば友人として付き合うことは困難になってしまうだろう。

 かと言って、適当な気持ちで受け入れてしまえば、速やかな破局が訪れるのは火を見るより明らかだ。


「それにしても、奴が恋愛かあ。くくく。いやあ。失礼なのは承知だけど、なんとも似合わんなあ」


 ひとしきり笑ったところで、一陣の風が頬を撫でる。

 どこからか夜の空気を運んできたらしい。

 肌寒さを覚える風であった。


 空を見る。

 茜色にはほど遠いけど、ほんのり空は黄色が差していた。


 そろそろ潮時か。

 ずっと川の流れに任せるままであった、糸を引き上げる。


「ま、そりゃそうだわな」


 途中で居眠りをこいてしまったのだ。

 当然、既に餌は魚に食い逃げされてしまっていた。


 が、残念とは思わない。

 何故ならと、ブリキのバケツに目を向けてみれば、夕暮れに向かい行く西日をてらてら跳ね返すいくつかの魚影。

 そうだ。

 ボウズにならずに済むどころか、大漁とも言える釣果であるのだから不満はない。


 それどころか暇つぶしが夕飯のレパートリーを豊かにする結果となったのだから、大満足。

 アリスであれば、釣れたこいつらを美味しく調理してくれるだろう。

 どういった料理にしてくれるのか。

 期待に胸を膨らませながら、屋敷が建つ丘を登る。


「そういえば」


 魚と言えば、だ。

 もう一つ思い出したことがあった。


 それはやはり、先ほどまで物思いの主役であった、戦友の彼女のことだ。

 アリスが分隊に入ってくる前の話だ。

 ある時、今日のように魚の大量調達に成功したことがあった。

 その日の料理番がアイツであったのだが。


「……まさか、味付けはおろか、ぬめりも鱗もエラもワタも取らないで饗するとは思わなかったな」


 どこかより掻っ払ってきたパイ生地に、そのまま魚をぶっ刺して焼いた奇妙なナニか。

 なんかこんな感じの料理があったはず、と、奴が作り出したのはそれであった。


 多分スターゲイジーパイを作ろうとしたのだと思う。

 ただ出来上がったのはスターゲイジーパイとは、似ても似つかぬとんでもないブツであったが。


 目を瞑れば、あの名伏し難い邪神に負けぬほどにおぞましい姿が目に浮かぶ。

 味付けどころか臭い消しすらやってなかったために、ナニかから漂っていたあの生臭さすら蘇りそうである。


「……うっ。おえっ」


 ……ああ、思い出さなきゃ良かった。

 あの時抱いた悪寒が蘇ってしまった。


 そんな強い後悔を覚えつつも。

 きちんとした料理でおぞましき想像を打ち砕いてくれるであろう、アリスが待つ屋敷へ戻る足を急がせた。

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