第一章 一話 御前裁判
「ウィリアム・スウィンバーン。前へ」
重厚な声が玉座の間に響いた。
拒絶も意見も許さない、そんな不思議な語勢であった。
まさに国王が発するにふさわしいものと言えよう。
そんな声に俺は応える。
一歩を踏み出す。
その一歩により、玉座の間に居る全ての視線が俺に集まった。
一挙手一投足をじっと見つめてくる。
あまり無様な姿を見せるのは、あまりにも格好が悪すぎるか。
努めて堂々とした足取りで、玉座へと歩を進めていって。
そして跪く。
ゆっくり、ゆったりとした動きで。
典礼に依るならば跪く前に、礼をしなければならない。
右の拳を自らの心臓の前に持ってくる、敬礼を王に捧げねばならない。
だが、今回俺はそれを省略した。
いや、省略せざるをえなかった。
その答えは両の手首にある。
鉄の冷たくかたい感触。
ずっしりとした重量感。
手にはめられたるは、無骨な手錠。
だから手の自由は、今の俺にはない。
そう、俺が今玉座の間に居るのは謁見のためではない。
今の俺は罪人。
王に直々に裁かれるために、俺はここに居た。
「不敬罪、大逆未遂、国家転覆未遂――貴殿の罪状だ。極めて重い刑を下さねばならないのは、承知しておろうな?」
「はっ」
短く返事をする。まあ、そうなるだろうな、と思いながら。
いずれの罪も単体で死罪になり得る、とても重い罪だ。
それが三つも俺の罪状として並んでしまっているのだから、まず極刑は免れまい。
ちなみに言えば、その三つの罪、すべて身に覚えはなかった。
王家は人並みに敬愛していたし、だから王族を殺そうと思い至ったこともない。
それに俺は軍人だ。
国への献身を義務付けられた人間だ。
それなのに、どうして国家を転覆しようと思うことがあろうか。
荒唐無稽な罪状と言わざるをえない。
多分、これは歴史に残る大冤罪なのだろう、とすら思う。
けれども、俺はそれらの罪を甘んじて受け入れようとも思う。
きっと、それがこの国に出来る、俺の最後の奉公なのだから。
最後のお勤めとして受けれるべきだ。
心の底からそう思った。
「恐れ多くも申し上げます」
参列者と言うべきか、傍聴人と言うべきか。
判断に迷う人の群れから一声が聞こえてきた。
少年のように高い、男の声だった。
あまりに鮮やかな動きであったために、王を守る近衛兵は反応出来なかったらしい。
声からほとんどを間をおかず、するりと一人の男が玉座の前へ躍り出ていた。
そして流麗な動きで敬礼を捧げ、俺の隣で静かに跪く。
そいつは綺麗な男だった。
女性と見まごうほどに。
この男には見覚えがあった。
戦場で肩を並べた記憶があった。
確か――
「ネイサン・ティレルにございます」
どこかの街の防衛戦で、そして最後の作戦で生死を共有した、俺の戦友の一人。
そいつが俺の罪をかばわんと、一歩前に出て勝手に奏上を始めた。
下手すれば不敬に問われかねないというのに。
「この男、ウィリアム・スウィンバーンは誠の忠臣。誠の英雄。わたくしには、彼がそのような罪を犯すとは、到底思えませぬ。陛下、どうかご再考を。どうかお調べ直しを」
「ご無礼をお許しを。わたくしからも申し上げます」
また一つ、どこから声が上がる。
再び男の声だ。
しかし今度は野太く野性味に満ちた、いかにも男らしい声。
ずんずんと、足音踏み鳴らして人の群れをかき分け、声の主はゆらりと姿を現した。
必死に止めに入る近衛を、力尽くで押しのけてあっさり王の御前へ。
無骨な動きで敬礼を捧げて、俺の隣に男はずしりと跪いた。
石像のように巨大で分厚い身体。
そしてジャガイモのようにごつごつとした顔。
この男にもやはり、見覚えがある。
「バーナード・スチュワートに」
とある陥落地の奪還戦で、そして最後の作戦で苦楽を共にした彼も、先のネイサン同様やはり俺の戦友であった。
「彼はあの戦争――国家の、人類の。いや、この世界のすべての文明の存亡を賭けた、あの忌まわしき戦争を終わらせた讃えるべき英雄の一人。そんな男を裁いて、殺してしまったならば。素晴らしき陛下が、後世からどんな悪名を賜ってしまうか。それを考えると震えが止まりませぬ。ご再考を」
二人揃って不敬を覚悟で勝手に前に躍り出て、俺をかばおうとしている。
その気持ちはありがたい。
けれども、よせばいいのに、と思った。
いくら自分の身を危うくしようとも、だ。
俺にかけられた罪は取り消されることはないのだから。
「では、貴殿らは予の判断が誤っていると。そう申したいのだな?」
王のその台詞に、二人は返答に窮した。
いかにも老獪で頭の回る王の言いそうな台詞だ。
こう問われてしまえば、臣下は否定することなどできない。
実にずるい言葉だ。
ちらと両隣の二つの視線が俺に集まる。
そして目はこう語る。
すまない――と。
(気にするなよ。戦友たち)
彼らに倣って、目でそう返す。
そう。
ことはもう俺らただの軍人が、どうこう言って、なんとかなるレベルではないのだ。
何故ならこの御前裁判。
これはまったくもって、政治の産物であるのだから。
乱暴に言えば、俺は――いや、俺の居た部隊は強くなりすぎた。
気がつけば軍としての戦術を数人で担えるほどに。
それほどまでに強くなりすぎたのだ。
戦中ではまさに英雄と呼ぶにふさわしい存在だろう。
二人が俺をそう讃えてくれたように。
だけど、戦後となると、それは過剰な力だ。
むしろ、平穏を崩しかねない脅威となりうる。
国はいまや、死力を尽くしきってボロボロの体。
戦中であれば敵に向かったはずの、戦争が生んだ大衆の不満。
戦後になればその矛先が、さて、どこに行くのであろうか。
言うまでもない。
政治を行う人々にその不満が集中する。
そんな中、英雄と讃えられるに値する者が、野放しになっていたのであれば。
不届きを画策しようとしている連中が、そんな者に目を付けたのであれば。
現政体を打倒するための神輿として担ぎ上げられかねない。
内戦が起きかねない。
戦後復興に注力しなければならないのに、だ。
勝ち負け問わずにそれは亡国への近道でしかない。
そのシナリオを防ぐには、俺という危うい種子を排除するしかないのだ。
他に方法がないのだ。
そうだ。
戦後に英雄は必要ないのだ。
存在してはならないのだ。
つまりはこの裁判は人身御供。
国という神が、その生命を維持するために捧げられる生け贄。
それが今の俺であった。
だがしかし、俺はそれでいいと思った。
俺の命を使って、平穏が手に入るならそれでいい。
平和のために俺が死ねばいいとは、なんと安い犠牲だろうか。
拒む理由なんて存在しない。
「しかし、貴殿らの言わんとしていることも、また道理。死を与えるには、あまりにもったいなき男。されど、罪は罪。我らは彼を罰せねばならぬ。故に――」
だが、しかし。
二人の決死の陳情が通じたのか。
あるいは元々、そうするつもりだったのか。
にわかに王の口調が柔らかになる。
翻意の気配が濃厚となる。
その気配に場がざわめいた。
政治屋たちは困惑にざわめいた。
かつての同僚、軍人たちは期待にざわめいた。
そしてこの場の全ての人間の視線が王に集まる。
王は。王は一体何を言おうとしているのか。
皆が皆、唾を飲み込んで王の言葉に耳を傾けた。
「ウィリアム・スウィンバーン。貴殿を流罪に処す。遠流先は典例に従い、ゾクリュとする。良いな?」
流罪。
王の発したその言葉に、場のざわめきはさらに大きくなった。
俺の死の望む者は、まさかの減刑に慌てふためく。
助命を願う者は、心から喜んでいいものかと、口々に相談し合う。
確かに死罪に比べれば、科せられる刑は軽くなった。
しかし流罪は決して軽い刑ではない。
罪人の公権の一部が剥奪される刑罰、それが流罪だ。
つまり、真っ当な国民と言えない身分に落とされるのだ。
社会的には半分死んでいると見ることができよう。
「陛下。そのような判決は――」
けれども、死罪よりは随分と軽い刑罰なのも事実。
だからこうして、先の二人とは別の立場から抗議の声が上がる。
発言者は首相コンスタット・ケンジット。
政治の事実上の最高責任者。
彼はこう言わんとする。
俺にはきちんと死んで貰わねばならないと。
「宰相。先の言葉をもう一度予に言わせるつもりか?」
しかし、国王。
彼の言葉を遮る。
二人の武人にかけた言葉をもう一度言わねばならないのか、と問いかける。
やはりその言葉の威力は絶大であった。
宰相は出かかった言葉をはくりと口の中で噛みつぶして。
押し黙って。
そして一言。
「……はっ」
短く王に追従。
コンスタットの後に言葉を発する者はいなかった。
即ち、それは俺への刑罰がほとんど決定したということ。
それを正式なものとするためにあと足りないのは。
「陛下」
跪き、視線を下に向けたまま王に呼びかける。
「謹んで刑をお受けいたします。身に余るご慈悲、感謝いたします」
「うむ」
そう。足りないのは俺自身の同意。
それがなくとも刑は執行されるはずだ。
が、この場を綺麗に締めるには、やはり俺の同意が必要となろう。
まごまごしてるとこの減刑でも足りぬと、また声を上げてしまう者が出てしまう。
それを防ぐためにも、きちんと意思表明をしなければならなかった。
俺は流罪でいいと。
流罪を受け入れると。
そう、公言する必要があったのだ。
「よろしい。執行の準備が整うまで、牢で罪の重さを自覚するが良い。では、これにて」
――閉廷。
こうして、俺の僻地への追放が正式に決定された。
俺は誰にも気づかれないくらいの、小さなため息を吐く。
これは失望のため息か?
いや、違う。
これは安堵のため息。
戦争の最後の残り香である、英雄がようやく退場することへの安堵の。
俺が表舞台から消えることによって。
これでようやく。
「終わった……ようやく戦争が。ああ、良かった」
これでようやく。
世界に戦後が訪れるのだ。