第一章 十七話 分隊員たる所以
「おい! 何を! やめろ! 無謀だ!」
怒号にも似た制止の声が響いた。
声の主はあのベテランの軍曹だ。
彼にとって俺の取った行動は、予想外もいいところだったのだろう。
白兵で倒すことが出来ないとされている相手に、剣を抜いて、わざわざ吶喊しに行く。
今の俺の行動はそれであり、誰がどう見たって蛮勇極まる行動でしかない。
もちろん、俺だって誰かがそんなことをすれば止めに入るだろう。
そう思う俺が、やるべきではないことを進んでやっているのは、一見矛盾でしかないように見える。
だが、さにあらず。
俺には確証があるのだ。
あの乙種と渡り合う、否。
圧倒することが出来るという自信が。
「聞こえてるのか!! 引き返――」
声を聞き入れずなおも前進を止めぬ俺に、軍曹はより音量を上げて、俺を止めんと試みる。
だから俺はそんな彼に行動でもって心配ない、と告げるために。
ちょっとした工夫を加えた一歩を刻む。
以降の足裁きは、例外なくその工夫を加え続ける。
その工夫はそう。
俺が先に、騎士級を蹴り飛ばした時にも使ったものであった。
視界のブレが大きくなる。
桁違いの推進力を受けて、ぐんとより一層乙種に接近する。
聴覚も風切りの音を捉え始める。
それに混じって背中より、からからと音が聞こえた。
俺の一歩を受けた石畳が力に耐えかね、砕けてしまったことを意味する音である。
「なっ」
人間が石畳を踏み砕いた。
目の前で起きたその事実が信じられないのか。
息を呑む気配が軍曹から感じ取れた。
工夫を重ね続けた結果、今や、駆ける速度は軍馬の襲歩を超えるものとなる。
にわかに人間離れした速力を見せた俺に、乙種は強い危機感を抱いたか。
半身となり、ぐっと腰を下ろして、前膊と一体化した刃の切っ先をぴたりと俺へ向ける。
それはいつでも身体を動かせるための構え。
人類の剣の使い手が、例外なく見せる動きだ。
そこに乙種の知性を感じさせた。
乙種との距離が詰まる。
詰まる。
詰まる。
詰まる。
間隔が縮まる度に、肌はちりちりとした感覚を脳に伝える。
その熱源は、言わずもがなあの乙種の動きを一瞬たりとも見逃さぬという、熱視線。
ちりちりの強さがどんどん強くなる。
距離を詰める度に。
一歩を刻む度に。
そして今や熱感と呼ぶには、あまりにも強いものとなる。
針を刺されたような痛みとなる。
それは俺が乙種の間合いに、一歩足を踏み入れたことを意味していた。
「――!!!!」
冒涜的な大音声、響く。
乙種のものだ。
古い時代の甲冑騎士を連想させるその巨体は、俺に対抗するように、石畳を砕く勢いの強烈な踏み込みを見せた。
その直後。
雷光が如き一閃、煌めく。
凶刃、迫る。
乙種化したおかげで、発達した瞬発力を生かしたそれは、人類にとって本来見ることは出来ても躱すこと能わぬ、必殺の一振り。
勿論、俺とて例外ではない。
回避せんと何処かへと飛び込もうとも、空中にて叩っ切られるのみ。
乙種の勝利と相成るだけ。
ただし、それはあくまで俺本来の身体能力で躱そうとするのであれば、の話であるが。
「す、ふっ」
息を吸って。
吐くと同時に、地面を思いっきり蹴る。
後ろ向きに飛ぶ。
乙種に駆け寄っていったときと同じく、工夫をしながら。
石畳は、またしても砕ける。
しかして、俺の身体は尋常ならざる加速を達成する。
その加速度たるや、極めて強烈。
血液が身体の表側に引っ張られていく感覚すら覚えるほどだ。
果たして、体中の血液を偏らせるまでの加速を遂げた甲斐は報われる。
人類が躱せぬはずであった一撃は、ただただ空を斬るのみに終わった。
回避成功。
それはつまり人外の存在たる邪神の一閃、それをも上回る速度を俺が叩き出したということ。
そして着地。
慣性により、両足はそのまま石畳の上を滑ろうとする。
だが、それすらを力でねじ伏せる。
より一層の力を込めて。
俺は再び乙種へと突撃。
前方へと、飛ぶ。
必殺の一撃を躱されたことにより、今の奴には如何ともし難い隙が生まれている。
これを突かずにはいられない。
先よりも、更に強烈な加速度来る。
身体の表側に集まった血液は、今度は背中側に押しやられる。
風は身を切る勢いで遠慮無く顔を叩いてくる。
それらに怯まず、一歩、二歩と地面を蹴って。
奴の間合いに入り、それより奥にある俺の間合いに入って。
駆けがてらに勝手に借りた軍剣を振りかざす。
瞬きをするの間に攻撃をスカされ、あまつ胸元まで踏み入られたことを受けてか。
乙種の動きが一瞬止まる。
馬鹿な、あり得ん。
そう無言で語るが如きの行動であった。
「まあ、だけど」
振り抜く箇所を定めながら呟く。
騎士級の困惑は当然のことだと俺自身も思う。
何せ、目の前の人類が、明らかに人類のそれを超越した動きを見せているのだから。
俺の純粋な身体能力は実を言うなら、よく訓練された兵士の域を出ていない。
とでもではないが、一人一人が戦術をひっくり返しうる実力を持つ、と言われた分隊の評判に敵うものではない。
では、俺があの分隊で曲がりなりにも活躍出来た理由は何か。
答えは俺が一芸に秀でていたから、であった。
その一芸が、先ほどより動きの一つ一つに加えている工夫であった。
(強化開始)
身体に流れる血液とは別にある魔力という不可視の要素。
それを意識的に肉体、あるいは手に持つ物に流してその機能を爆発的に向上させること――
これが工夫の正体だ。
そう、俺の一芸とは魔法。
魔力でもって自らの身体能力を、あるいは武具を強化する単純な魔法である強化魔法。
俺はその才能が、どうにも人よりも極めて優れているらしい。
これが俺があの分隊で活躍せしめた、要因にして最大の武器であった。
そして、今この瞬間もその一芸を遠慮無く行使する。
手に持つ軍剣と、全身の筋肉に魔力を流し込んで。
「っ」
そして呼気と共に一振り。
剣の行く先は、騎士級討伐のセオリーとされている、関節部。
――ではなく。
騎士級以上の硬度を得た腰回りの甲殻。
尋常であれば火花と共に一閃は甲殻に弾かれて、それで終わり。
が、魔力によって強化された臂力と、武具としての機能を底上げされた剣をもってすれば。
硬い感覚は一切手に伝わらず。
さくりと、土にスコップを入れたかに似た感触を伴って。
借り物の剣は甲殻を切り開く。
「なんと」
それは驚愕の光景である。
本来あり得ぬ光景でもある。
だから背中からは三つの驚嘆の呼吸が聞こえてくる。
アンジェリカの、若い守備隊の、そして軍曹の息づかいだ。
特に軍曹の驚きは、とても大きいものらしい。
思わず、と言った体でぽつりと紡いだ驚愕の一言がそれを物語っている。
ただ、アリスからはそういった様子は伝わってこない。
当然だ。
分隊ではこんな光景、しょっちゅう見られたものだから。
そうであるならば。
この次にやって来る光景も、彼女は容易に想像できるに違いない。
「あっ!?」
アンジェリカの声がした。
何か見てはいけない物を見てしまったような、そんな焦りを含んだ声だった。
その声と時同じくして、俺の手元にも一つの変化が生じる。
と、言うより、彼女の一声は俺のその変化に応じたものであった。
がつんと、一度破壊的な音と手応えがあった。
その原因を突き止めるのは簡単。
手に握られた剣の柄から、つうと切っ先に向けて視線を滑らせてみれば。
そこにあるべきはずの刃が、何処を見ても見つからない。
数打ち物の剣は、流された魔力による負荷と、本来斬れぬはずの甲殻を斬った無理と、そして強化された俺の臂力に耐えかねて、ぽきりと折れてしまったのだ。
「そんなっ」
心の隅々まで、絶望に浸かってしまったことを容易に窺わせる声は、あの若い彼のものだろう。
あと少しで倒せそうなのに、武器が壊れてしまって、この一撃での討伐が不可能になってしまった。
なるほど。顔を真っ青にするには、確かに足る光景だ。
きっと俺もこの場でなければ、大なり小なり焦りを覚えたことだろう。
だが、今回に限って言えば。
この場に限って言えば、そうではない。
何故であるならば。
「じゃあ、頼むよ」
言葉をその場に置いて、俺は大きく後方へと飛びのいて乙種との距離を取る。
そして置き去りにした言葉を拾う者が居た。
それが誰かを考える時間なんて必要ない。
「はい。承りました」
その人とはアリスだ。
そしてその答えと同時に、彼女は魔法を行使。
鋭く尖った岩を一つ拵えて、そのまま乙種に射出。
岩が宙を走って。
走って。
走って。
走って。
そして乙種に命中する。
常であるならば、岩は甲殻に負けて粉々に砕けるはず。
しかし、今回はそうはならなかった。
何故なら、彼女はついさっき俺が切り裂いたその傷口に向けて、魔法を放ったからだ。
故に粘り気を含んだ水音と共に、魔法の岩は乙種の身体に突き刺さった。
斬られ、そして腹部に岩を受けて、巨体はよろりとよろめく。
が、致命とはならない。
二、三歩空足を踏んで、その場に留まろうとする。
「それでは皆様。頭を庇ってどうかお伏せになりますよう」
「……え?」
瀕死なれど、まだ乙種は生きている。
さっさとトドメを刺さねば、再生能力により回復されてしまう。
だから、少しは慌てなければならないのに。
それなのにアリスの態度と声は、完全に緊張感に欠けていた。
まるで、既に決着が着いたかのようだった。
だから、若い守備隊は気の抜けた声を出したのだろう。
軍人の習性と言うべきか伏せろと言われて、ほとんど反射的に伏せてはいたが、内心ではこう思っていることだろう。
この人は何を言っているのかと。
ただ、俺にはもう解っていた。
もう決着が着いているということを。
アリスはにわかに乙種に背を向け、歩を進める。
大胆な行動である。
言わずもがな、乙種がアリスに一撃を加えるのに最高の機会であるからだ。
しかし、乙種はアリスを襲わない。
傷が深く、それどころではない。
それを見越しての行動だろう。
さて、アリスの行く先は。
アンジェリカだ。
若い守備隊が反射的に伏せ、受傷故に元々伏せているような他の隊員を除けば、この場で伏せていないのは彼女のみ。
そんな少女をアリスは、おもむろに抱きかかえた。
守るかのように。
ぎゅっと。
「息苦しいかもしれませんが、ご容赦下さい。さっき私は、少しだけ」
「え……? え?」
唐突なアリスの行動に、目を白黒させているアンジェリカ。
構わずアリスは言葉を繋ぐ。
「乱暴な魔法を使いましたから」
その言葉を紡いで、間をおかずクラック音が聞こえた。
音は乙種から聞こえた。
いや、正確には、その腹部……突き刺さった岩から聞こえた。
見ると岩には無数の亀裂が走っていた。
しかもそれは現在進行形で増えつつあった。
やがてひびが、岩全体に隈無く走ったかと思えば。
唐突にして岩は爆ぜた。
乙種の身体もろともに。
甲冑騎士に似た身体が上下に分かれる。
中に詰まった肉と臓物をまき散らしながら。
明らかな致命傷。
決着。
「……勝った、のか?」
控え目に問う若い声。
先ほどより怯えきっていた彼は、どうにも唐突に訪れた結末が信じられないでいるらしい。
上下二つに泣き別れた、乙種をじっと見ている。
その視線を見る限り彼は、邪神の豊富な生命力によりあの状態から復帰するのでは、と恐れているようであった。
だから軍人の先輩として一つ、騎士級についての知識を教授することにした。
「いくら乙種と言えど、再生力の弱い騎士級だ。あそこまで破壊してしまえば、もう奴はその身を治すことが出来ない」
「じ、じゃあ?」
「ああ、そうさ」
そして彼を安心させるために、彼が心から待ち望んでいる言葉を贈る。
「俺達の勝ち、さ」
その言葉の威力は覿面であった。
ほう、と深く長い息を吐けば、強ばった身体はたちまち緩んでいき。
「ああ……良かった」
真に心のこもった一言を紡ぐ。
その顔を見る限り、すっかりと安心したようだ。
……実は彼には、伝えるべきことがあった。
それもとても言い辛い、とびきりヘビィなやつが。
気が弛緩しきっている今なら、それを言う絶好の機会と見て、意を決して口を開く。
「それより、君には一つ謝らなければならないことがある」
「え?」
「……剣のことさ。すまない。支給品を壊してしまった。だから」
柄だけとなってしまった、彼の軍剣を掲げて告げる。
俺に半ば奪われた形で破損してしまった。
支給品が壊れてしまった顛末を、簡略に述べればこれである。
これは処分されざるをえない失態と言ってもいい。
クロードに根回しを頼んで懲戒は回避させる気ではいるが、それでもきっと、始末書だけは回避することは出来ないだろう。
だから、今のうちに言っておかないと。
始末書を書いたことのある先輩として。
少しでも彼の負担が軽くなるように。
「今のうちに始末書の文面、考えた方がいい。経験から言わせてもらおうと、いざ紙の前に座ると、頭が真っ白になるから」
そして俺はこっそりと祈りを捧げた。
俺のせいで誰かが余計な説教を受ける羽目になるのは、とても心苦しいから。
心の底から祈った。
どうか、ここの守備隊の責任者が寛容な人間でありますよう。
どうか、あの堅物のソフィーが彼の始末書問題を処理しませんように、と。