第一章 十二話 望まぬ再会
今頃、アリスとアンジェリカは街の散策を楽しんでいることだろう。
出来るならば、俺も混じりたかった。
だがそれをやってしまえば、何のために街に降りてきたのか、それがわからなくなってしまう。
俺は今、ゾクリュ守備隊の隊舎の一室に居る。
ここでクロードと面会することになっていた。
それこそが今回、俺が街に降りてきた目的であった。
そう、俺は今日問い詰めるためにここにやって来たのだ。
アンジェリカの声の件を、どうして俺に隠していたのか。それが知りたかった。
安物の椅子の上で、二人の守備兵に見張られながらクロードを待つ。
しばらくそうして待っていると、扉が鳴る。
来た。
ノック音を聞くや、すかさず俺は起立。
いきなりのことに驚きを隠せぬ守備兵を尻目に、扉が開かれる前に胸を張って敬礼。
一拍遅れて扉は開かれる。
向こう側から二人の人影。
片方は待ち人たるクロード。
そして、もう一人は若い女――ゾクリュ守備隊の副長ソフィー・ドイルだ。
今回の面会は、彼女同席で行うことになっていた。
「待たせたな。お前から出向くこと、なかったの――に?」
扉を開けるや、いきなり敬礼を捧げる俺を認めて、クロードは驚きにより言葉がつかえる。
目を丸く見開いているあたりに、彼が覚えた驚きの強さが表れていると言えよう。
「いいえ。少尉殿にご足労いただくなんて、とんでもないことでありますから」
敢えて敬語を使う。
敢えて初めてクロードと会った時の、彼のかつての階級で呼ぶ。
俺がこうしてクロードを呼ぶ時は、いつだって彼に対して本気の抗議を行う時だ。
だから、どうして大尉を少尉と呼んだのか。
それがまるっきり解らぬといった体のソフィーとは違って、クロードは緊張により体を強ばらせた。
「……ぐ、軍曹。なな、何か、あったのか?」
そして彼も、俺が軍に籍を置いていたときの階級で呼ぶ。
その声色もやはり、緊張の色が濃い。
士官学校の出の将校で、なおかつ年齢も俺より上なれど、こと軍歴となると俺の方が長くなる。
分隊結成時、まだ新米少尉だった彼のサポートと、ちょっと苛烈な戦場教育を施した時の記憶が、にわかに蘇ってきてるのだろう。
「何か、ではないでしょう。アンジェリカのことです」
「アンジェリカの……? まあ、立ち話も何だ。かけよう」
促されて、再び着席。
なおも抗議の姿勢は崩さない。
努めて険しい目つきを作って、真っ直ぐにクロードを見続ける。
「で、アンジェリカが、どうした?」
「声を聞いたそうです。このゾクリュに来る前に、"冒涜的な、恐ろしい声"を。これが何を意味するか、解らぬ少尉殿ではありますまい。何故、小官に伝えなかったのですか」
そして本題を切り出す。
どうして黙っていたのか、どういう意図があってのことか。
言外に圧を込めて問い詰める。
さて、クロードの反応は。
驚愕。
呆然。
ぽかんと口を開けていた。
「……おい。嘘だろ? そんなこと、俺は聞いてない」
「何?」
そして表情にふさわしい、とても気が抜けた声色で呟く。
そんなこと知らない。初耳だ、と。
その顔を見るに、嘘を言っているようには見えない。
クロードは馬鹿正直で、腹芸なんて器用な真似が出来る男ではない。
だから今の言葉は彼の本心そのままのものであろう。
「本当だ。ただ、報告書には摘発に入った娼館で保護したと……それだけが書いてあるだけで。そんな邪神の声を聞いたとか、そんな情報は何も」
「んん?」
「何ならその報告書、読むか? 今持ってきている。ちょっと待ってろ」
そう言って鞄を漁り出すクロード。
そんな彼に遠慮無く非難の視線を飛ばす者がいた。
この街の守備隊の第二の責任者であるソフィーだ。
「僭越ながら、大尉殿。部外者に文書を閲覧させるのは……」
「彼は部外者ではない。軍からの業務を請け負う者でもある。業務に必要な情報を提供するのは、我らの義務だよ」
「しかし彼は……」
流罪されている罪人である。
そもそもそんな男に、仕事を頼むこと自体が異常なことだし、軍の文章を見させるなんてもってのほかだ。
ちらと俺を見たソフィーの目はそう語っていた。
彼女の思うことはもっともだ。
真面目な彼女の性格が伺えて、個人的には好感が持てる。
だが今のクロードにとってはその真面目さは、ただ面倒くさいだけなのだろう。
目的の書類を見つけた彼は、小さくため息を吐いた。
そしていかにも気が乗らない、といった表情を顔に張り付かせて、口を開いた。
「……少尉の言いたいことは解る。が、これは王女殿下の勅命でもある。むしろ、止めることの方が、問題となるだろうよ」
これを下手に止めると不敬となるが、それでいいか。
今のクロードの台詞の意図だけを掬い取れば、このようなものになろう。
つまりは脅迫だ。
生真面目なクロードにとっては、あまり使いたくなかった言葉だろう。
だが、その効果は覿面。
不承不承、といった態度を見せながらも、ソフィーはぱたりと口を噤んだ。
「その保護した連中は、アンジェリカと話は?」
書類を受け取りつつも、クロードに問う。
今度は普段通りの言葉遣いで。
「勿論したらしい。が、特に報告なし。茫然自失として、受け答えに要領を得ず、とだけ書いてあった」
態度を軟化させた俺にほっとしたのか。
いささか強ばらせた肩を緩ませて、そう返答した。
ソフィーの一応の同意を取れたこともあって、俺は早速渡された書類に目を通す。
シキユウという街に、無認許で営業している闇娼館があったこと。
子供に客を取らせているという、青線として黙認するには、あまりに黒い噂があったこと。
実際摘発の時に、あと一歩のところで商品となりそうだった十一歳の少女を保護したこと。
書類は実に詳らかに、一連の事件について語っていた。
出来のいい書類と言えるだろう。
が、気になるところがないわけではない。
「ん……? アンジェリカ、その後二週間、シキユウの守備隊に保護されてたのか」
「ああ、そのようだ。で、その間、運良く殿下が巡幸して、アンジェリカの噂を……」
「なら、奇妙だと思わないか?」
礼を失しているのは承知だが、クロードの言葉を途中で遮る。
「何がだ?」
「その間、ずっとアンジェリカの証言について報告がない。二週間、ずっと茫然自失で話せる状況になかったってことか? そうなら、彼女を送る場所は、俺のところじゃなかったはずだ」
その場合孤児院ではなく、療養院に送られることだろう。
だが現実にはそうはならず、ほとんど真っ直ぐに俺の下へと、送られてきた。
それに屋敷にやって来た当初から、アンジェリカとの会話は問題なく成立していた。
茫然自失、という報告自体が怪しい。
となればシキユウの守備隊は、アンジェリカと意思の疎通を行ったことを伏せ、あまつ事実の捏造さえ行った上で、彼女の身柄を引き渡したということになる。
ここまで手の込んだことをしたために、声の件が俺はおろかクロードにも伝達されなかった。
つまりシキユウの守備隊は、意図してこの件を伝えなかったのだ。
そうしか思えない。
「まさか……守備隊の連中が」
隠蔽したのか。
信じられぬ、といった体で呟かれるはずだったクロードの言葉はしかし、口から出ることはなかった。
唐突に音がした。
本部の外から。
何かが、弾けて崩れるような、そんな破壊的な音。
それは爆音。
戦場で嫌でも聞いた、お馴染みの音。
それを受けて、部屋に居る者の反応は全く同じもの。
軍人か、軍人だった者しか居ないために。
俺もクロードもソフィーも、そして監視役の二人も。
全員が全員、反射的に床に伏す。
爆風はやってこない。
ただ、建物を振るわしただけ。
「な、何だ。今のは」
床から頭を上げた後の反応は、真っ二つに分かれた。
この街の守備隊三人はただただ狼狽。
ソフィーの一言が、その混乱の強さを物語る。
そんな彼女らを横目に俺とクロードは。
ほとんど同時に窓へと駆け寄って。
そして窓を開放。
音の源を詳らかにせんとする。
この部屋は五階。
窓さえ開ければ、街を一望出来る。
「あれか」
爆音の音は何か。
確認するために、顔を右に左に振る必要はなかった。
窓を開ければ、とある一角から、土煙がもうもうと上がっているのがまず目に飛び込んだ。
あの方角にあったものは……確か市場であっただろうか。
建物が倒壊したのか、それとも他が原因か。
目を細めて、よく見て。
そして一瞬、土煙が揺れた。
煙の向こう側に影が見えた。
人型の影。
大の大人よりも、二回りほど大きな不気味なシルエットが。
「……クロード見えたか」
「ああ、お前ほど目は良くないがな。見たくないもん見ちまったよ」
窓枠に身を預けたクロードが、なんてこった、と、右手で前髪を掻き上げるように頭を抱えた。
うんざりとした声色だ。
煙のお陰で影絵のようになってしまったけれど。
あのシルエットは忘れようもない。
忘れたくとも、忘れることが出来ない。
大昔の甲冑騎士を連想させる、ごつごつとしたあの禍々しく、そして巨大な輪郭は。
もう二度と会いたくないと願っていた、"奴"のものだ。
「久しぶりだなあ……騎士級見るのは」
クロードに倣って窓枠にもたれ、頬杖をつきながらぽつり独りごちる。
それは他人からすればきっと、とても呑気な仕草に見えただろう。
人類が天敵、邪神。
その生き残りが、再び街に現る。
すわその時に、見せる仕草ではないな、と我ながら思った。