零話 プロローグ
南正義は17歳の高校2年生である。
人一倍正義感が強く、警察官を夢見て勉強の日々を送っている。
しかし取り立てて運動は得意でもなく、だからといって好きな教科や嫌いな教科があるわけでもない。
苦手な人物がいるわけでもなし。
飛び抜けた好物があるわけでもなし。
成績は高いがいたって平凡。
しかし常にルールを正しく守り、己の信じる正義であろうとする。
それが南正義の特徴らしい特徴である。
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窓から差し込む夕日が机を照らし、そこから伸びた影の一つが俺の足にかかっている。
古い校舎なので何度拭いても窓ガラスは少しだけ曇り、その曇りが逆に光を屈折させて、幻想的な光景を見せる時がある。
春もまだ半ばといったところで日が沈むのがかなり早いのだが、それでも冬の一番早い頃よりは格段に世界が明るく感じる。
そんな季節でも部活の人は遅い時間まで活動を続けていて、そのために顧問の先生は席をはずしている。
人気の少ない職員室は何だか気味が悪い。
そう、ここは職員室…の生徒指導スペース。
今日も今日とて帰宅部としてさっと帰ろうとした矢先、担任の先生に首根っこを掴まれてここまで連れてこられた。
それって暴力じゃないですかと聞いたら、教育的指導だから問題ないと返ってきた。
それで済むなら暴力教師云々のニュースなんて流れないよなあ…。
先生は先週末に提出した俺の進路希望調査票をじっと眺めていたが、やがて深い溜め息と共に俺の方へ顔を向けた。
そして真剣な表情でこう言った。
「警察官は止めておけ」
「それ去年も聞きました」
実を言うとこの呼び出しは初めてではなく、去年も同じことをやっている。
その時は新入生だから今後他の進路が見つかるだろうと多目に見てもらえたのだが。
「君が中学生の時から見ている私としては本当に進んでほしくない道だ。
君の性格では警察官はあまりにも棘の道過ぎる」
「そう言われましても…」
先生は俺の進路希望調査票を自分の机に放り投げて俺の方へ身体を向けた。
扱い雑だな…。
「君のその正しくあろうとすることが悪いと言っているんじゃないんだ。
ただ、警察と君の考え方には決定的な違いがある。それをわかってほしいんだよ」
先生は話を続けながら机をあさり、俺の成績表らしきものを取り出してそれを眺めた。
「君は勉強ができる奴だ。
今からでもしっかりやれば路線変更できるだろう。
…そうだ、学校の先生はどうだ?
教えるのは別に嫌いじゃないだろう?」
既に先生の頭の中では俺の将来は別のものになっているらしい。
だけど俺は考えを変える気はない。
色々考える先生の意見を俺はばっさり切り捨てた。
「子供の頃からの夢です。諦めたくありません」
先生の一人言が止まり、しばらくして溜め息と共に俺の成績表をまたも机へと投げ捨てた。
「わかった。そこまで覚悟しているなら、何も言わん。
サポートさせてもらおう」
「じゃあ!」
ただし、と先生は人差し指を立てて忠告した。
「もし今後君の正義にもとる行為をしている奴を見かけても、必ず後ろ楯を確保してから動くことだ。
一人では絶対に動かないこと。いいな?」
真剣な眼差しで俺を見据える先生。
それに対して、俺は素直にはいと答える。
「では今日はもう帰っていい。
わかったな?
ちゃんとおとなしくしていろよ」
「はーい」
それくらいの判断は俺にだって出来る。
もう子供じゃないんだから。
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昔から勧善懲悪のお話が大好きだった。
悪を制して正義が勝つ。
俺の名前と同じ正義の2文字は、俺を表す漢字であり、俺の憧れだ。
正義をかざす方が悪い、みたいな話も聞いたりはするけど、そんなのは人のあり方として間違ってると思う。
誰かに迷惑をかけるのがかっこいいだとか、あえてルールに逆らってるのがすごいだとか、意味のわからない自慢をしている人を俺は好きになれない。
人としてルールは守るべきだし、迷惑をかけるのは生きる上で必要な部分だけでいい。
人と人が支えあって仲睦まじく暮らす。
それが人類の理想の姿のはずだ。
それをわかってない人が多すぎる。
だから俺が警察になって、みんなの意識を根本から変えるんだ。
人として正しいあり方を誰かが示さなくちゃならないのだから。
…とはいえ先生の言うことも最もだよなあ。
警察官が逮捕されるような案件だって時々あるわけだし。
でも、だったらそういう人たちは何で警察官なんてやってるんだって話にもなるんだけど…。
「そういえばさっき先生に呼ばれてたけど、将来の夢の話でもされたのかい?」
夕日に照らされた帰り道。
いつものように幼馴染みの河口鮎と他愛のない話をしていると、ふと思い出したように鮎がその話題に触れてきた。
「ああ、去年とおんなじだよ。
あの先生、俺が警察官目指すのが気に入らないんだろ」
「仕方ないよ。
中学校の頃の正義の行動を知っていれば、誰だって向いてないって思うさ」
先生は元々俺たちが通っていた中学校の教師だったが、高校の教師が数人やめたとかで人手不足になり、急遽高等学校教諭の資格を持っている先生が応援で異動になったのだ。
他にも何人かいるらしいが、俺の中学校から異動した先生はあの人だけだった。
その中学生の頃、とあるグループが一人の生徒にパシリをさせたり暴力を振るっていた事があった。
よくあるイジメってやつだ。
当時の俺も正義に拘っていたので、当然そのグループに突っかかった。
イジメられていた生徒はそれで助かった。
というか、その生徒は彼らのターゲットから外れ、代わりに俺が「逆らった罪」とかでボコボコにされたのだ。
だけどそこは正義を名乗る俺。
負けじと痣だらけの腕と足を動かして戦い続けたのだ。
時に噛みつき、時に頭突きを食らわせ…。
俺が動けなくなりそうなところで、事態に気づいた鮎が先生をつれて駆けつけてきたのだった。
結局そのグループは謹慎処分をくらい、俺も反省文を書かされた、という話である。
「あの時もそうだけどさ、正義は考えずに行動しすぎなんだよ。
先生をつれた状態で止めろって言えば、彼らだってそれ以上はしなかったはずだ」
「無駄さ。
その場はそれでなんとかなっても、どうせ後で俺一人呼び出されて同じことになってたって。
ああいう奴等は一度、ガツンとやらなきゃわからないんだよ」
「できてなかったくせに」
「ぐ、む…」
もちろん自分を鍛えようとジムに通ったり、空手やら柔道やらの習い事をしたこともあったが、何故か上手く身に付かなかった。
やり方はわかっているのだが、どうにも体が追い付かないのだ。
相手の拳を認識した頃には既に俺の顔に痣ができているというような、致命的な反射神経の鈍さが原因だと考えているのだが。
「ま、まあいいだろそんな話!
どうせ俺は誰に何を言われようと警察官になるんだから」
「まあそうだね。正義はそういう人だよね」
「な、なんだよそれ…?」
「ふふ、別にー?」
鮎はにやりと笑いながら小走りで俺の先を歩いていく。
そんないつも通りの鮎にやれやれと思いながら、俺はその後をついていった。
住宅街を歩いていくと、やがて十字の交差点に差し掛かった。
俺の家と鮎の家は微妙に離れていて、俺はこの交差点を真っ直ぐ、鮎は右に曲がる。
遊びに行くときなんかにもこの交差点を待ち合わせ場所にしたりするので、俺たち二人の間で【待ち合わせの交差点】なんて呼んだりもしている。
「じゃあ正義、また明日ね!」
「ああ、また明日な!」
鮎が大きく手を振り、自分の家へと帰っていった。
そして俺もまた、自分の家へと続く道を歩いていく。
いつも通りの帰り道。
いつも通りの日常。
しかしこれから起こることは、いつもと違っていた。
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俺の家へ向かう道の途中には公園がある。
なんてことはない、住宅街の真ん中にある普通の小さな公園だ。
その公園から複数の男の笑い声と、どすっと言う鈍い音が何度も響いていた。
何が起きているのかを見ようと公園を覗くと、鼻や耳にピアスをしているいかにも不良といった三人の男たちが、身体中泥だらけで服もボロボロになっているみすぼらしい男性をバットで殴りつけている場面を目撃したのだった。
「止めて…止めてください…」
「ひゃははは!!なんだよ、テメーがでてきゃいい話だろ!?」
「俺たちだってこの公園でサッカーして遊びたいんだからよぉ!」
「薄汚ねぇジジイに昼寝されてると迷惑なんだよ!
だから退きやがれってんだ!」
どうやらチャラ男たちは公園で寝ていたホームレスの男性を追い出そうとしているらしい。
確かにホームレスがいるのは少し気分が悪いが、だからと言って暴力を働いてまで追い出す理由にはならない。
あの男性だって、もしかしたら好きでホームレスになったわけじゃないかもしれないのに。
そもそもこの公園はしばらく前から球技の類いが禁止になっている。
サッカーをするといっているのに、バットを持っているのもおかしい。
彼らの言い分にはまるで正当性がなかった。
俺はすかさず携帯で110番に電話をし、事情を説明した。
後は警察の人が何とかしてくれるはずだ。
しかし俺が電話を切った時、男性は既に虫の息だった。
このままでは殺されてしまう。何とかしなくちゃ…。
でもどうしたらいい?
先生と約束したんだ。
もう無茶なことはし い !
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「俺たちはみんなのためにテメーを追い出すんだよ!
つまり、俺たちの行いは正義なわけ!
テメーは悪者なの!
分かるかオイ!?ひゃははは!!」
…今、あいつは何て言った?
あいつらの行いが正義?
気に入らないだけで人をよってたかって殴りつけて、それが正義だと?
…ふざけるな。
ふざけるなよ!
そんなものが正義であってたまるか!
俺は思わず男性の前に飛び出した。
正義を振り翳して他人を脅かす輩が許せなかったのだ。
いきなり俺が出てきたことに驚いて、三人とも手が止まる。
「なんだこいつ?」
「この制服は近くの高校のだな」
「おいおい、大人の話し合いに口出しすんなよな。すっこんでろガキ!」
近くでよく見ると、そのチャラ男たちは意外にもガタイがよく、ひょろひょろした俺ではあっという間にくしゃくしゃにされかねないような圧力があった。
それでも俺は退くわけにはいかない。
俺の信じる正義を馬鹿にされて、黙ってみているなんてことはできないのだ。
敵うまいとわかっていても、どうしても一言、こいつらに言わなければならないことがある。
「お前らみたいな奴の主張が正義であってたまるか!
お前らこそ、この社会にとって不要な存在なんだよ!」
チャラ男の一人の眉がピクリと動いた。
「お前らなんて、本当の正義の前じゃ何の力もないんだ!
今に見てろよ、もう警察をよん…!」
ゴスッ!!!
……………あれ?
俺はいつ倒れたんだ…?
頭が痛い。
何か…頭から垂れてる。
生暖かいものが…。
赤い…これは、血…?
「お、おい…なんか血の量ヤバくねーか?」
「ああくそ、このガキがムカつくこと言うもんだから本気で殴っちまった…」
「ひっ…こ、こいつ動かねーぞ!?」
「ああ…そんな…私を庇ったりしたせいで…」
「おい、あれサツじゃねーか!?くそ、このガキが呼んだのか!!」
「君たち!そこで何を…こ、これは…!」
頭が痛い。
身体があつい。
いしきがとおのく。
おれは、おれは………………………………。
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南正義は17歳の高校2年生であった。
人一倍正義感が強く、警察官を夢見て勉強の日々を送っていた。
しかし取り立てて運動は得意でもなく、だからといって好きな教科や嫌いな教科があるわけでもない。
苦手な人物がいるわけでもなし。
飛び抜けた好物があるわけでもなし。
成績は高いがいたって平凡。
しかし常にルールを正しく守り、己の信じる正義であろうとする。
それが南正義の特徴らしい特徴であった。
そして彼は、己の正義を貫いたために死んでしまった。
しかし彼の信じる正義は、彼にとってかけがえのないものであり、彼の全てだったのだ。
だからこそ、彼は男に自分の正義を否定されたことに怒りを覚え、反抗した。
そして、自分だけの強い正義を心に宿していたからこそ…世界は彼を選んだのだ。