【5】雨の夜に思い出す
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自分が彼女の寝台に寝かされていることを理解するのに時間はかからなかった。
瞬きにしてひとつ、ふたつ。
額に乗せられた濡れた手巾は温く感じる反面、彼女の手から伝わる体温は冷たく心地の良いものだった。
身に着ける衣服はごく一般的な町娘、といった装い。暖炉の火に照らされた灰色の髪は一つに纏められ無造作に背中から腰のあたりへ流している。顔は腕枕でその半分程しか分からなかったが、まだ若い娘だ。年の頃は15、6だろうか。幼さがあり、女性というよりもまだ少女と言ってよい年齢だろう。
暖炉の火に照らせたその表情は穏やかで、少し前まで男が置かれていた殺気や焦燥といった状態のものとは遠い。
眠る彼女の頬に触れようと伸ばした手がそれに届く前に彼女が身じろぐ。
「う、ぅ…ん。ふわぁ、……あれ?…寝てたぁ?」
眠気を引きずるようにして頭を上げた少女が目を擦りながらこちらを顔を向けてくる。
慌てて伸ばしたを引っ込めて、目を瞑ってしまった。
(なぜ、俺は寝たふりなんて…)
起きていることを少女に気づかれまいと咄嗟に寝たふりを取ってしまった自分に密かに動揺している間に、少女の気配がより間近に迫ってくる。
少女は男の額に乗った手巾を取ると自身の手のひらを当てて熱の具合を測った。
「む~。まだ熱が高いわ。…やっぱり、ギザン先生に診てもらわないと」
額に触れる少女の手はひんやりとしていて、心地よかった。
そんな男の考えなど知らず、少女の手は額から離れていってしまう。
「まだ日は登ってないけど、あの飲んだくれが日の出の鐘と一緒に起きてるはずもないだろうし…」
手巾を水に濡らして再び男の額に戻した少女は独り言ちる。
「…仕方ない。今から行って、起こして連れて来るしかないかぁ」
どうやら医者を連れて来ることに決めたらしい。寝台から離れた少女だったが、「その前に…」と一人つぶやきながら暖炉のあたりで何か作業をすると、再び男の傍へと戻ってきた。
「よっと、…」
少女は男の頭を抱えて上半身を抱えるように起こすと、口移しで何かの液体を男の口内へと流し込む。
(―――!!?)
反射的に瞑っていた目を見開いてしまったが、少女の方が目を瞑っていたお陰で男の寝たふりがバレることはなかった。
口移しで流し込まれる液体の正体が水と分かると、男は大人しくそれを嚥下することにした。
少女の唇が離れて再び水を流し込まれること三度。
男がちゃんと水を飲んだことを確認した少女は、再び男を寝台に寝かせ立ち上がると壁にかけていた外套を羽織って部屋を出て行った。
遠ざかっていく少女の足音を聞きながら、男は寝台に身を起こす。
(な、…何だったんだ。…今のは?!)
いや、口移しでの水分補給だったことは理解している。それよりも手慣れた少女の行動に動揺していた。
おそらく気を失っている間、あのやり方で何度も自分に水を飲ませてくれていたのだろう。
だがしかし。
平民とはいえ、妙齢の女子が異性に軽々しく行ってよい行為ではない、―――はずだ。
(……顔が熱いのは、きっと熱のせいだ)
男は些か状況にそぐわない自分の思考に頭を抱える。
「殿下」
脇の窓から潜めるようにしてかけられた声に目を向ければ、そこには黒ずくめで顔の下半分まで黒布で覆った男が二人。
「カールと、ランサか」
「はい」
答えたのは年嵩のカール。ランサはその目に安堵の表情を表す。
「…誰もいないから入ってこい」
「はっ」
代々王家に使える『影』である彼らは、足音もなく先ほど少女が出て行ったドアから室内へと入ってくると男の側で片膝をつく。
「殿下。我らの追跡が追い付かず、申し訳ございません」
「よい。…それよりもゲートウードたちは、どうした…」
「…間に合いませんでした」
「………そうか」
あの場に残していくしかなかった部下たち。おそらくはその死体さえ奴らが片付けてしまったのだろう。今更現場に戻ったところで、部下の遺体を回収してやることはできない。今の自分にできるのは、ただ彼らの忠誠に心の中で詫びて謝意と感謝を述べるのみ。
「殿下。お身体は?」
「あぁ、動ける」
答えて寝台から起き上がる。立ち上げる際に膝に力が足らずよろめく。
「殿下!」
「っ、………大丈夫だ」
予め用意していたのであろう、ランサが差し出す服と外套を身に着ける。
右腕がまだうまく動かすことができずカールに手伝われながらだったが、着替えることができた。
「…いつからいた?」
「かの少女が眠ったあたりから」
「………そうか」
改めて室内を見渡す。そこには生活に必要最低限のものがあるだけだった。
暖炉、水がめ、寝台、テーブル、椅子、衣類を入れる小さなタンスと小物が少し。
そして、寝台脇の小窓に飾られた一輪の花。
何んという名前の花なのか男は知らない。花の種類など薔薇ぐらいしか思い浮かばない。しかしこれだけは男は確信が持てた。この花に華美で豪華な名前などない、という事。
小さな花瓶に活けられたその赤い花を手にして、そのまま男は少女の家を後にする。
◇◇◇
あの時の花は、男の、レイフォン・ノア・アキレアの執務机の引き出しの中にある。
かつて彼の父から贈られた書籍の頁にはさむ、栞の押し花として飾られている。
「お?どうした?」
「…出かける」
立ち上がり扉へと向かうレイフォンの返答に、「意外な!」と言わんばかりの表情を作るアレンだったが、彼の手に先ほど渡したもう一つの報告書があることに気づくと今後はニヤリと笑う。
「そうか。気を付けて行って来いよ~。…あっ!『影』は付けて行くよな!!?」
「…………」
「おい、お~~い。お前さんはもう『放蕩者の第六王子』じゃないんだぞ~」
「分かっている。……二人連れて行く」
「おしっ。…んじゃ、行ってこい!」
ニコニコ。いや、ニヤニヤと笑ってアレンは手を振る。
「…………アレン」
「ん?」
「お前のそういうところが俺は嫌いだ」
次話、『雨の夜の訪問者』へつづく。