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【4】雨の夜に思い出す


なんだかんだと、もう一年近く前の事を思い出してしまうのは、きっとこの冷たい雨のせいだ。


あの夜からもう一年ほどが経つ。


あの時を振り返ると相当無謀な行動だった、とエステルは一人青ざめる。


いくら人の生き死にを抱えた緊急事態だったとは言え、気を失っている人間の服を剥いで、医者でもない素人が傷を縫って、薬湯を飲ませるなど冷静に考えればアウトだ。


しかし、件の人物が生きているのか死んでいるのか、エステルに知る術はない。


夜が明け始めたころ、エステルは医者を呼びに家を出たのだ。30分程してギザン先生を連れて戻った時には寝台に眠る彼の姿はどこにもなかった。


「…ちゃんと生きてなさいよね。……なんて言うか、……後味悪いじゃない、ねぇ?」


勤め先からの帰り道、冷たい雨の中を歩く人影はまばらで、軒先で雨宿りをしている黒猫に同意を求めても返事が返ってくることはない。


ギザン先生を連れて家に戻り彼が居ないことが分かって急いで辺りを探したのだが、何処にも彼の姿を見つけることはできなかった。


彼がどこの誰で、どうしてあんな酷い怪我を負ったのかも終始意識のなかった彼から話を聞くことなどはできるはずもなく。しかし、あの頃のあの時期に、この王都であんな怪我をして行き倒れていたのだ、その後無事に生きて帰れたはず、などと楽観的に考えるほどエステルも世情に疎くはない。


この一年、アキレア王国は近年まれにみる大波乱だった。


まず、兄弟達を殺して王座についたと噂された第四王子はその噂が真実であった、らしい。


第四王子は王座に就くや、まだ幼い第八、第九、第十王子達を国家反逆罪と称して公の場で処刑。有力貴族出身の側妾を母親に持ち、王位継承権を有する弟王子達が邪魔だったのだ。


王宮正門の広場に作られた断頭台に上がった弟王子達は、10歳を迎えたばかりのまだ幼子。第十皇子に至っては、まだ6歳だった。


これには平民貴族問わず、宰相ディミリオ・ユーグレンへの批判の声が上がったものの、その殆どのものがユーグレン家の持つその権力を内心恐れていた。


国王が側妾の侍女に産ませた第七王子は隣国シプーベルとの最前線へ追いやられ、ほどなく戦死。これも噂ではユーグレン家による暗殺だったという。そうして第四王子以外に国王の血を継ぐ直系王子はいなくなり、ディミリオ・ユーグレンの栄華は盤石なものとなった。


元から政治や軍事に興味のない第四王子は、国政を祖父と母親の側妾に任せきりで、自身は昼間から側女や娼婦を侍らせて酒浸りの享楽に耽る日々。


母親の側妾は、先王の喪も明けきらぬうちから公然と愛人たちを囲い、国の要職や権力、金品を与える。


ユーグレン家と政治的に対立する貴族議員や、娘を側妾として先王の後宮に入宮させた有力貴族の家々が王家への反逆罪や収賄罪などで次々と取り潰しや国外追放となった。


のちにこれはディミリオ・ユーグレンによる策謀だった分かり、証拠不十分として罪が取り消しになるのだが、あの頃の王都では大貴族はじめ下級貴族、平民や軍もユーグレン家を恐れ、誰もが息を潜めていた。


しかし、そんなディミリオ・ユーグレンの横暴が続くほどアキレアはまだ腐りきっていなかったらしい。


数年前に王家から出奔し行方知らずと噂されていた第六王子が戻ってきたのだ。そして、第四王子とユーグレン家の罪を暴いて糾弾する。


母親である側妾の奔放さ故にその出生時より第四王子は本当に国王の種なのだろうか、と多くの者が疑惑を持っていた。


産み月よりもふた月近く早く産気づいた側妾は、なんと先代国王の落とし胤と噂のあった侯爵と関係を持ち子を孕んだのだ。


その当時、あるひとりの側妾に寵愛を注いでいた国王は、王妃は勿論他の側妾と閨を共にする事が全くなくななっていた。


そんな時期に生まれた第四王子である。同じ頃、誕生した第五王子にも同様の疑惑が向けられた。


王位簒奪の野心を抱いていた侯爵は宰相の謀略に加担、宰相の息のかかった第五王子の母親の側妾とも関係を持って孕ませたのだ。


托卵の事実を知る第五王子の生母は数年前に病死していて、直後に実家の男爵家も宰相によって秘密裏に取り潰されていた。


侯爵は自身が王になることを目論み、それを承知していた宰相は第四王子誕生後すぐに敵国に情報を流した国家反逆罪をでっち上げ、辺境の国領地へ追いやった。


当時、強固に極刑を望んだ宰相とそれに連なる一派を止め、その刑を国王直轄領での生涯幽閉としたのは国王自身だった。


第六王子によって暴かれたディミリオ・ユーグレンの謀略の数々。その殆どが王家への反逆とアキレアを私物化し自身の私腹を増やすものだった。


国王と王太子の暗殺。

ゴーシュ公国へ帰国した王妃と王女の暗殺未遂。

第二王子の戦死も宰相の策略に乗せられた結果で、さらには戦時の勅命による臨時税と謳って貴族並びに国民から集めた税金はその大部分がディミリオ・ユーグレンの懐へ入っていた事が分かり、一族の財政全てに調査が入ると驚くことに臨時税はもちろん軍備費、国庫や国領地の一部までもが数代前からのユーグレン家に流れていたのである。


主君たる王家と国を裏切ってきた事実が白日の下に晒されたディミリオ・ユーグレンは、その全ての罪を自身の娘である側妾に被せた。


曰く、国王の暗殺も王妃の暗殺未遂も全て自身の産んだ子を王位につけたい側妾がやったこと。


共謀者たる侯爵が国家反逆罪で王宮から遠ざけられると、主家の財政の一部を私物化していたユーグレン家の家令と結託し国税にも手をつけたらしい。国庫の着服もその家令家が代々やってきたことであり、自分は一切知らなかった。


父親として、家長として事の次第に気づけなかったことを遺憾と思うので、娘と家令には然るべき罪を償わせ、自身は宰相位を返上したのち領地で謹慎したい。


といったものだった。


側妾ひとりでこれだけの計略がなされるとは到底考えられず、宰相職はじめ国の要職を担うユーグレン家に代々勤めて来たとはいえ、いち貴族家に支える使用人が長年国庫を着服する事など出来るはずもない。


到底その主張が通るはずもなく。結局、ディミリオ・ユーグレン自身も国家反逆罪に問われることとなった。


長年政敵と成りうる有力貴族を陥れ、豪商などを賄賂で囲い込みその地位と影響力を拡げてきたユーグレン家の没落に困惑する者は多いが、連罪を恐れてディミリオ・ユーグレンを擁護する者など誰一人として居なかった。


現在、ディミリオ・ユーグレンは今その罪を新国王によって計られている最中で、第四王子とその母親共々、北の離宮に軟禁されているらしい。


国王デリック一世の死から始まった一連の内乱は新国王、第六王子の即位によって漸く収束した。


第六王子。唯一残った王家直系男子でその名前を、レイフォン・ノア・アキレア。数か月前に新国王に即位した彼はレイフォン一世となった。


かつて、デリック一世の寵愛を一身に受けた悲劇の公女『ハルメアの薔薇姫』を母に持つ王子。


出奔後は父王の幼年時代からの友人であり、第四師団を直属の配下とするランドルフ・リード将軍の元で密かに養育され、名君と評判のハルメア公の後ろ盾もあり、帰還後は外交政策において早々に隣国シプーベルとの停戦協定を結び外交問題を決着させた事で現在は国中の期待が高まっている。


エステルがこの一年にあった世情を振り返りながら通りを歩いていると、その脇を一台の馬車が通り過ぎていった。


「うきゃっ!?…………あ~ぁ、最悪」


馬車はこの雨の中を結構なスピードで通っていたため、エステルは泥水を被せられてしまった。


日も暮れて夜も深まった暗い時刻、雨のため明かりも持てず歩くしかないエステルを馬車の御者は気づかなかったのだろう。引かれなかっただけ幸運と思うしかない。


「あぁ~あ、これ落ちるかな…」


腰のあたりまで泥水を被せられたエステルは、ブーツや外套についた泥をどうするか一人愚痴る。


「あれはひどいですね」


後ろから男に声をかけられる。


エステルが振り返ると、そこには一人の、金髪の青年が笑顔で立っていた。




















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