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【1】雨の夜に思い出す

強くなる雨音が気になって戸を締めに伸ばした手が止まる。


そういえば、あの日もこんな雨の夜だったな。


「…今夜も冷えるわね」


エステルは真冬の厚い雲から降り注ぐ冷たい雨を見つめて思い出す。彼と遭遇した日を。


だがその記憶ももしかしたら私の願望、欲望そのた諸々日頃の鬱憤とかなんとかが積もりに積もった結果見てしまった幻覚だったのではないだろうかと本気で思ってしまう様な曖昧なものになりつつある。


「3番さんの料理あがったよ!」

「あ、はーい!」


エステルは窓の戸を閉めて、ごった返す客を器用に避けながら厨房の方へと小走りに移動する。


「エステル〜。ビール4つ追加だ〜」

「こっちは3つ!大至急で頼むよ!」

「はいはい。分かりましたよ」

「エステルちゃんは今日も可愛いね〜」

「ギザン先生。今週のツケはちゃんと払ってよね!」


店内を移動しながら客の注文も受けていく。


「早くしな」

「すみません、女将さん」

台から料理を受け取ると厨房から女将が顔を出してきた。

「エステルか、……あんたはそれ運んだら上がっていいよ」

「え?…でも今夜は第二師団の分隊さん達が沢山来てるのに?」

「この雨だ、これ以上客は来ないね。あとはジニー達で大丈夫だよ。あんたは早番だから日暮れで上がりだったのに、悪かったねこんな時間まで残らせて」

「お〜い、エステル。料理まだか〜」

「はーい」

「明日も早番だ、頼んだよ。まったく、ジニー!ライラ!!油売ってないでさっさと働きな!」

馴染み客と談笑する他の給女に声をかけながら女将は厨房の中へ戻って行った。

「ミラ。悪いけど7番と9番テーブルにビールをお願い」

帰った客のテーブルを片付けている少女に受けた注文を伝えて料理を運びに行った。


3番テーブルは馴染み客の集まりだった。

「待ちくたびれたぜ、エステル」

第二師団十一分隊のメンバーだ。

「ごめんなさい。今日は分隊の人が多くて、てんてこ舞いよ。何かのお祝い?フレッドリーさん」

「おうよ!聞いてくれ、エステル!今回の東の森での討伐でライルがB級魔獣を仕留めたんだ!」

大柄な体躯のフレッドリーはビールの入った杯を少年ライル・メイスンの前で掲げる。

「やめて下さいよ、フレッドリーさん。…僕一人で仕留めた訳じゃないんだし」

「何言ってんだよ、ライル。魔導師のお前が追い込んで致命傷まで負わしてくれたお陰だぜ!ねぇ、隊長!」

「そうだな。フレッドリーの言う通りだ。自信を持っていい、ライル」

「ホーク隊長まで、…もうっ、これ以上揶揄わないで下さいよ〜」

散々周りに過剰な賞賛を浴びせられて耐えられなくなったのか、ライルはテーブルに突っ伏し両手で顔を覆う。

「凄いじゃない!もう立派に一人前の魔導師様ね、ライル!」

「いやっ!いやいやいや!!まだそれは気が早いですよ、エステル!」

テーブルから起き上がった勢いでライルの椅子が倒れる。

「そうなの?」

「そうです!!」

倒れた椅子を直しながらライルは律儀に説明した。

「良いですか?僕はまだ下級魔導師なんです。これから経験値を上げて中級魔導師になり、上級魔導師に昇級出来てようやく『色付き』魔導師の試験が受けられる資格が貰えて無事試験に合格出来れば、やっと一人前と言えるんです。たかだかB級魔獣を一匹二匹倒したぐらいで浮かれてはいられないんですよ」

「…そうなの?」

「ライルはまだやっとB級一匹だもんな〜。今年はお前の歳で『色付き』の試験を受けた奴が二人もいたって話だし。先は長いな!」

フレッドリーが笑いながらライルの背を力一杯叩いて励ます。

「っ!!…痛いですってば!」

「まぁ、そういう訳だな。目指す先は長いが、これも大事な一歩だぞ、ライル」

「ホーク隊長。…ありがとうございますっ!ライル・メイスン、これからも精進致します!」

勢い良く立ち上がり隊長に敬礼するライルの椅子が倒れる。

「それはそうと。今夜は上がりか、エステル?」

「はい。明日も早番だからもう上がっていいって女将さんが」

「ほんと働き者だよなぁ、お前さんは。女将もいい看板娘を紹介して貰ったって言ってるぜ」

「…もう帰るのか?」

「はい。雨も強くなってきているし」

「送って行こうか?」

「いえいえ!!ホーク隊長にそんなことさせられません!」

「いやしかし…」

「今日は討伐もあってお疲れでしょう?皆さんもゆっくり飲んで行って下さいね」

「……」

なぜかフレッドリーが手で口を押さえ笑いを堪えて肩を落とすホーク隊長を見ている。横ではライルが悲壮な顔で同じくホーク隊長を見ている。ほかの隊員も同様で、近くのテーブルで会話が耳に入っていた別の隊の隊員達も皆フレッドリーの様に笑いを堪えるか、ライルの様に悲壮な表情をしてエステルとホークを見ていた。

そんな周りの状態を不思議に思いながらエステルはほかの隊の顔見知りの隊員たちとも一言二言挨拶をし、店内を移動して従業員控え室に入る。制服代わりの前掛けを外し外套を羽織ると店の裏口から出て行った。





◆◆◆

日暮れから降り出した雨はまだ止む気配はなさそうだった。

酒場を出たエステルは人通りのない大通りを小走りに急ぐ。外套を着ていても冬の冷たい雨が凍てつく寒さを伝えてくる。


一年前のあの日もこんな雨の日で帰宅を急いでいた。


エステルの家は王都北側の端の端。職場の『ボーキンスの酒場』からは遠いし市場からも離れているがボロ屋なので家賃が安い。大家のトローニー夫妻は家賃さえ遅れずにちゃんと払っていれば良い大家と言える。

家族はもとより頼れる親族もおらず、無一文で行く宛のなかったエステルにとって仕事があって住む場所があり、労働の対価に給金がもらえて毎日ちゃんとご飯が食べられる今の生活に不満はない。


この国、アキレア王国は隣国シプーベル王国と長い間戦争状態が続いていたが、何度目かの停戦協定が締結され落ち着いたのは一ヶ月程前のこと。


国王と王太子が相次いで亡くなった頃、国の混乱に乗じたシプーベルが国境を侵犯してきた。


当時東部の国境近くの農村で働いていたエステルは敵国の兵士に村が焼かれ、幸運にも命を落とすことなく敵兵に身を辱められる事もなく生き残り、仕事と住む所を無くした。

多くの村人や雇い主は殺され、頼れる当てがなかったエステルは国境防衛の増援に来た第二師団が引き上げる際に一緒に王都へ来た。

十一分隊のホーク隊長や隊員たちの紹介で『ボーキンスの酒場』で働けることになり、家も借りることが出来た。


王都防衛任務に就く第三師団がいる王都は隣国からの脅威に怯えなくて済んだし、国内の内情が混乱していてもアキレアの軍は優秀でシプーベルの侵略は東部国境地帯で防がれた。


それでも国王と王位を継ぐはずだった王太子が立て続けに亡くなり内政は混乱を極めていた。


国王には王妃の産んだ王太子の他にも側妾たちが産んだ王子が複数いた。

王太子が亡くなって直ぐ王位に就いたのは第二王子で、彼は王妃の産んだ三人の子供の一人であり、兄である王太子が亡くなった状況としては彼が次の王になるのは正当だ。当人が王としての資質を備えていたかは別として。だが、彼も亡くなった。

王位に就いて直ぐ自ら戦地に赴き、そこで死んだ。

軍歴もなく王太子として優秀だった兄に劣等感を持っていた彼は自らが隣国との戦争を終わらせることで内政を掌握したかったのだろう。

次に王位に就いた第四王子は第三王子と第五王子を殺して王位に就いたと噂され、この頃から王家は血で血を洗う王位争いが始まる。

王太子と第二王子を亡くした王妃は自らが産んだ三人の子の最後の一人である王女を連れて生家である同盟国ゴーシュ公国へ逃げ延びる。

側妾の一人でユーグレン家の娘とその子の第四王子に命を狙われたからだという話だ。

有力貴族のユーグレン家の力は大きく、国内外への影響力を持つ現当主で宰相も務めるディミリオ・ユーグレンは孫である第四王子の王座を守るためであれば何でもする男だ。

王と王太子が相次いで亡くなったのも宰相が関わっているのではないかと噂される程。


彼がエステルの家の前に行き倒れていたのはそんな頃だった。








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