⑦ 『ヘイスターの奇跡』
長身の剣を抜いて、逃げ惑う王国兵へと突撃するヘンリー。
「バカ野郎!! ガキはすっこんでやがれ!!」
ありったけの声でジェイは叫んだが、むしろそれがヘンリーの反骨精神に火をつけてしまったようだ。
彼は無抵抗の王国兵に向かって剣を振りおろした。
「食らえぇぇぇ!!」
――ガッ!
しかし剣は兵の肩口に食い込んだものの、そこから動かくなってしまった。
「なぜだ!? なぜ斬れないんだ!?」
ろくに剣の稽古などしたこともなかったのだろう。
ましてや初めて生身の人間を斬りつけたのだ。
そう簡単に切り裂けるものではない。
「いてええ!! くそぉぉぉぉ!!」
――ドンッ!
「ぐあっ!」
王国兵は勢い良く体当たりするとヘンリーは剣を離して尻もちをついた。
「貴族の小僧か!! せめててめえの首を国へ持って帰ってやる!!」
もはや手負いの猛獣と化した王国兵は、肩から流れる血など構いもせずに、腰から短剣を取り出す。
一方のヘンリーは顔を青くして、尻ごみしていた。
「てめえ! 俺はブルジェ家の子息だぞ! 偉いんだぞ!」
「うわあああっ!」
ヘンリーの声など耳も貸さずに、王国兵が短剣を振りかざした。
「やめてぇぇぇぇ!!」
監獄塔の小窓から姉リアーヌの絶叫がこだます。
……と、その時だった。
「ぐおおおおおおっ!」
という雷鳴のようなジェイの叫び声とともに、一本の剣が王国兵目がけて飛んできたのだ。
――ズンッ!
振り返る間もなく、その剣は彼の背中に突き刺さる。
「ぐわあああっ!」
空気を切り裂く声があたりを震わせたが、致命傷には至らなかったようだ。
気を取り直した王国兵は這って逃げるヘンリーの背中を追いかけて再び剣を高くかざした。
しかし、そうはさせじとジェイが彼の背中に体当たりをする。
――ドンッ!
背中と肩に刺さったままの剣が抜け落ちると、二人はもみ合うように転がった。
何度かもみあう二人。しかし王国兵は血を多く流し過ぎたようだ。
持っていた剣が彼の手から離れると、ジェイが馬乗りになった。
そして素早く落ちた剣を拾い上げて、兵の首をなぎ払ったのだった。
――ブシュッ!
勢い良く飛び出た血がヘンリーの白い肌をも赤く染めていく。
彼にとって血を見るのも初めてなら、人が目の前で息絶えるのも初めての光景であった。
言葉を失い、ただ震えて涙を流すヘンリー。
そんな彼をジェイは強く抱きしめると、耳元で力強く言葉をかけた。
「俺のそばから離れるな。いいね」
「う、うん」
ヘンリーが素直にうなずく。
少し離れたジェイはニコリと微笑むと、町の中を駆けていった。
その背中を見つめながら、ヘンリーは己の無力さと無謀さに、ただ泣きじゃくるしかなかったのだった。
………
……
炎に包まれた領主の館が崩れ落ちるまで、さほど時間はかからなかった。
そしてその頃には、王国兵は一兵たりとも町に残っておらず、おびただしい数の亡骸が死屍累々と館の入り口に積み重なっていた。
王国の残兵が潜んでいないかヘンリーとともに見回っていたジェイは、兵がいないのを確認すると領主の館へ戻ってきた。
30人のヘイスターの兵たちはみな返り血を全身に浴びて真っ赤だ。
しかしジェイの姿を見るなり笑顔を作ると、真っ白な歯を覗かせた。
全員が町を守り切った充実感とジェイに対する尊敬の念で溢れ返っていた。
ヘンリーはその様子を見て、ようやく姉がジェイを頼りにしている気持ちが理解できたのだった。
そして事が落ち着いたら、彼に「弟子入り」しようと心に決めたのである。
そんな少年の決意など気付くはずもなく、ジェイは目の前に進んできた執事のマインラートと酒場の店主のクリオの二人を見るなり小さく微笑んだ。
「じゃあ、後は頼んだよ。マインラート殿」
「承知いたしました」
マインラートは小さくおじぎをすると、兵たちの方を向いて大声をあげた。
「勝どきをあげよ!!」
――おおおっ!!
兵たちが一斉に拳を天に掲げて叫び出す。
ジェイは後ろに控えていたヘンリーをそっと前に押し出すと、彼の耳元でささやいた。
「ほら。ここは皆と一緒に声を出すんだ」
ヘンリーは緊張の面持ちを浮かべたが、こくりとうなずくと夜空に向かって叫びだした。
「うおおおおおお!!」
兵たちの輪の中に入って喜びをあらわにするヘンリー。
兵たちも普段はつっけんどんにしているヘンリーの姿を見て、余計に興奮したようだ。
――おおおおおっ!
という雄たけびを何度も上げ、全員で抱き合って喜んだ。
そのほんとんどが目から涙を流している。
彼らの様子を目を細めながら見つめていたクリオは、マインラートに対してつぶやいた。
「奇跡ですね……」
「ああ……。ヘイスターの奇跡じゃ……」
皆が喜びと感動に浸る中、一人平静のままのジェイはクリオに手招きをした。
それに気付いたクリオは急いで彼の元へ駆けていった。
「ジェイ様。いかがしたのでしょう? 何やら顔色が優れないようですが」
「いや、なんでもない。それよりも監獄塔の人々を外に出してやってくれ」
ジェイは口元を緩めたまま静かに指示を出した。
そしてクリオが何人かの兵をともなって監獄塔へ向かったのを確認すると、「ふぅ」と大きく息を吐き出したのだった。
「領主様の館をみごとに焼いちまったな。リアーヌは許してくれるだろうか」
そうつぶやきながら、彼は側にあった大きな石に腰をかけた。
ふと自分の腹に手を当てる。
返り血で目立っていなかったが、腹に深く刺された痕がある。
どうやらヘンリーを助ける際につけられたようだ。
血がとめどなく出ているのが分かった。
「こいつはまいったな……」
彼はそう独り言を漏らすと、そのまま石の上で意識を失ってしまったのだった――
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