⑥ 『熱い夜を迎えて』
◇◇
リーム王国の軍勢がヘイスターの領主の館で勝利を祝した宴会を始めた頃。
館から少し離れた監獄塔の3階では、ひそひそとささやく声がこだましていた。
「くっそ! 王国の奴らめ。人の家で好き放題騒ぎやがって」
「ちょっと、ヘンリー! 声が大きい! 外に聞こえるわよ!」
そこにいたのはリアーヌとヘンリーの姉弟であった。
言うまでもなく、リアーヌが自ら命を絶って井戸に身を投げたというのは、偽りの報せである。
そしてこの監獄塔に身を潜めているのは彼らだけではなく、町の若い女性たちもいた。
王国兵たちが町を徘徊して、彼女らに危害を加えるのを防ぐために、ジェイが命じたのだ。
なお監獄塔の入り口は固く封じられているため、彼らは3階の小窓まではしごをかけて、ここに入ったのである。
「姉さんは悔しくないのかよ! あんな薄汚い奴らに館を占領されて! 俺が館に行って、あんな奴らやっつけてやる」
「しぃっ! いいから黙ってなさい。これもジェイの考えがあってのことなのだから」
ヘンリー以外の男たちは、ジェイからの指示で、町の中で身を潜めている。なんでも王国兵相手に一泡吹かせるためらしい。
しかしそのメンバーにヘンリーは含まれなかった。
それは彼の安全を第一に考えたジェイの心遣いであったが、若いヘンリーにはとうてい納得がいかなかったようだ。
しかしジェイからは「事が全て済むまでは絶対にここから出るな」ときつく言い渡されている。
リアーヌは口をへの字に曲げて、ヘンリーに向かって首を横に振った。
「へんっ! なんだい! ジェイ、ジェイって! 姉さんは昨晩からあいつの名前ばっか言ってるじゃないか! そんなにあいつにぞっこんなら、早くお嫁にでも行ってしまうんだな!」
「な、なんてことを言うの!!?」
途端にリアーヌの顔が真っ赤になる。
周囲からは「くすくす」と笑い声が湧きあがってきた。
しかしヘンリーにはその反応も面白くなかったようだ。
彼もまた顔を真っ赤にして口を尖らせた。
「冗談だよ! 俺は反対だからな! あいつは皇子様の殺害を企てた罪人らしいじゃねえか! そんな奴と姉さんがくっつくなんて、俺が許さないからな!」
ヘンリーの言葉の後、周囲はピタリと静まり、監獄塔の中が静寂に包まれる。
それはジェイの存在を知った時から、誰もが心の中に秘めていながら、口には出さなかった『禁句』だったのだ。
なぜなら町を救うために立ち上がってくれた人のことを、悪く言いたくなかったからだ。
リアーヌは悲しみと憤りが混じったような、複雑な表情でヘンリーを見つめていた。
姉の刺すような視線に耐えきれなくなったのか、ヘンリーは窓ぎわに寄る。
そしてオレンジ色に変わってきた空を眺めながら、ぼそりとつぶやいたのだった。
「……俺をこんなところに閉じ込めた奴なんて、誰が信用できるものか。見てろ。いつか俺だって……」
この若さ溢れる反骨精神が誤算となろうとは、さしもの『彗星の無双軍師』と言えども、気付けなかった――
………
……
夜の帳が落ちる頃。
大広間の兵たちはすっかり酔い潰れ、多くの者たちがその場で大きないびきをかいて横になっていた。
そんな中、こちらもすっかり出来あがったデュドネ少将に対し、一人の兵がひざまずいて進言したのだった。
「少将。寝室をご用意いたしました。御案内いたします」
「うむ、そうか……。ところで……『アレ』は用意してあるんだろうな?」
頬と鼻の頭を赤くしたデュドネは、ニヤニヤしながら兵へ問いかける。
ここで言う『アレ』とは『若い女性』であることは火を見るより明らかだ。
兵は頭を下げたまま、返事をした。
「はっ! 『熱い夜』を過ごしていただくにじゅうぶんな『アレ』をご用意させていただきました」
デュドネの口角がますます上がる。
ゆっくりと立ち上がった彼は、「はぁー」と兵に酒臭い息を吐きかけた。
「よくやった。今のは俺からの礼である。俺様の息を体に沁み込ませて精進せよ」
「ありがたき幸せにございます」
「グヘヘ。では早速、デザートをいただくとしようかのう」
何の疑いもせずに、肥えた腹を揺らしながら兵の後ろをついていくデュドネ。
そして2階にある領主の寝室までやってくると、甘い香の匂いによだれを垂らした。
――ガチャッ……。
兵がドアを開けた瞬間に、待ちきれなくなったデュドネは部屋の中に駆け込んでいく。
しかし直後、彼の酔いはどこかに吹き飛んだ。
「な、なんだこれは!?」
なんと部屋の中には大量の藁が敷き詰められているではないか。
しかも足元がぬめっている。
唖然とした彼であったが、まがりなりにも軍人だ。
身の危険を察知し、無意識のうちに部屋のドアの方へ駆け戻ってきた。
しかし……。
――ドゴォンッ!
鋭い蹴りが彼の大きな腹を襲うと、彼は部屋の中に逆戻りされてしまったのである。
「ぐへっ!!」
つぶれたカエルのような声が漏れ出る。
激痛の走る腹を抑えたまま、彼はドアにいる人物に目を向けた。
それはつい先ほどまで彼を案内していた兵だ。
「き、貴様ぁ。自分が何をしているか分かってのことか!」
「ああ、もちろん分かっているさ。少将には『熱い夜』を過ごしていただきたい、ただそれだけだ」
「なんだとぉ!!」
いきり立つデュドネだが、大量の酒と腹痛が体の自由を奪っている。
そんな彼を見下ろしたまま、兵は腰から取り出した火打石をカチカチと鳴らした。
それを見たデュドネの顔色が変わった。
「そ、それは……! おい、おい! 変な真似はよせ! 何が望みだ!? 言ってみろ!」
「望み? ふはははっ! 笑わせるな、少将殿! 望みなど一つに決まっているだろう!」
――カチッ!
火花が兵の足元の藁に小さな火を作る。
その藁にしみ込ませてある油によって、みるみるうちに部屋は炎に包まれた。
慌てて這うように進んできたデュドネは、兵の足元にしがみつきながら泣いて懇願した。
「じょ、冗談が過ぎるぞ! 貴様の望むものなら何でも叶えてやる! だから早くここから出せ!」
「そうか……。なら遠慮なくいただくとしよう」
――ガッ!
兵は右足のつま先でデュドネのたるんだ顎を蹴りあげる。
「ぎゃっ!」
そして短剣を抜くと、仰向けに寝転がった彼の胸元の勲章をはぎ取った。
「ひいっ! な、何をする!? 貴様は何者だ!?」
その問いかけに、兵は目深にかぶっていたかぶとを脱いだ。
そしてニヤリと口角を上げながら答えたのだった。
「我が名はジェイ・ターナー。冥土の土産にこの名を持って行くがいいさ」
「ジェイ・ターナーだと……。馬鹿な……。『彗星の無双軍師』は権力争いに敗れて失脚したはず……」
「権力争いだと……?」
ぴくりとジェイの眉が動く。
しかしのんびりと問い詰めている暇はなさそうだ。
ますます炎が高くなり、ついに天井を焦がし始めた。
階下からは「焦げくさくないか?」と訝しむ王国兵たちの声も聞こえ始めている。
汗をかいたことで、ようやく酒が抜けたデュドネは、大声をあげて助けを求めようとした。
「おいっ! 誰か……」
――ズンッ!
しかし彼の言葉は最後まで発せられることはなかった。
ジェイの短剣が深々と彼の胸を貫くと、デュトネは一撃で事切れたのだった――
………
……
デュドネの息の根を止めた後、急いで部屋の外に出てドアを閉めたジェイは、大声で叫んだ。
「誰か来てくれ!! 屋敷の中に敵兵が潜んでいるぞ!! 少将が討たれた!!」
――ドタドタドタッ!
一斉に兵たちが2階へと駆けあがってくる。
みな一様に酒が入っており、あまりに突然の事態を前にして、正常の思考ができていないようだ。
「どうしたんだ!?」
「中に少将が! 閉じ込められた!」
「なにっ! そこをどけ! 俺たちが開ける!!」
血のついた短剣を手にし、返り血を浴びた味方を前にしても、彼らは怪しむことなく部屋のドアを開けた。
――ゴオオッ!!
その瞬間に部屋から飛び出した炎が、数人の兵たちを包みこむ。
「ぎゃああっ!」
「た、助けてくれ!!」
炎に包まれた兵が目の前の人に飛びついたところで、彼らは大混乱に陥っていった。
混乱の波が2階から1階へと押し寄せていくと同時に、真っ黒な煙と真っ赤な炎もまた階下へと襲いかかる。
既に風となって兵たちの合間をくぐり抜けていったジェイは、真っ先に館の玄関に出ると、外に向かって大声を上げた。
「今だ! 一斉に放てぇぇぇ!!」
――おおっ!
号令とともに、領民たちによって火のついた藁の束が館の中へと放り込まれていく。
油のしみこんだ真紅の絨毯が炎の道に変わると、木造の館は大きな爆発音と共に燃え上がった。
「出ろ! ここから出るんだ!!」
大慌ての王国兵たちは、武器を手にすることすら忘れて、我先にと館の入り口に殺到する。
そこに待ち構えていたのは、執事のマインラート率いる30人の兵たちであった。
「敵は無防備だ! そのまま一網打尽にしてしまえ!!」
――おおっ!!
それはまさに罠にかかった野獣と同じ。
王国兵たちは次々と彼らの槍や剣にかかり、断末魔の叫び声を上げていったのである。
「罠だ! 罠だったんだ! ぎゃああ!!」
「ぐわあああ!!」
それでもどうにか死線をくぐり抜けた王国兵もちらほら出始める。
だが、それもジェイ・ターナーの想定内であった。
彼はほうぼうの体で逃げる彼らの背に向かって、大声を上げた。
「我が名はジェイ・ターナー!! この町を襲うならば、この『彗星の無双軍師』が再びお相手いたそう!」
逃げる兵たちの間で戦慄が走ったのは言うまでもないだろう。
それほどに『彗星の無双軍師』の名は、彼らにとって恐怖の以外の何ものでもなかったのである。
転がるようにして町の外へと向かう王国兵たち。
その背中を見ながら、ジェイは乾坤一擲の奇策の成功を疑っていなかった。
……が、その時だった。
彼の目が大きく見開かれると、直後には鬼のような形相となって駆け出したのだ。
「しまった!!」
彼の視線の先にあったのは一本のロープ。
それは監獄塔の3階の小窓から地上へ伸ばされたものだ。
つまり監獄塔で待機していたはずの誰かが、町の中へ抜けだしてきたことを意味していたのである。
それはいったい誰か……。
だが、ジェイが考えるまでもなかった。
なぜなら甲高い少年の声が聞こえてきたのだから……。
「われこそはヘンリー・ブルジェ!! 町を襲う狼藉者たちめ! 我が正義の剣の錆にしてくる! うらああああっ!」
御一読いただきまして、まことにありがとうございます。
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