⑤ 『敗北』
◇◇
リーム王国がヘイスターの町への降伏勧告を出した満月の夜から23日が経過した。
満月の日から始まり、再び満月に戻るのが23日。
この世界での1カ月にあたる。
そして、この日は満月の夜。すなわち返答の期限であったが、ヴァイス帝国からは使者すら現れなかった。
そして24日目の夜が明けた。
王国軍の大将、デュドネ少将は、よく肥えた体を椅子の背もたれに預けながら人を呼んだ。
すると王国軍の兵であることを示す兜を目深にかぶった兵が入ってきたのだった。
デュドネは潰れた声で命じた。
「おい。敵の様子はどうか?」
「はっ! 寝静まったかのように静寂のまま、何も動きがございません」
「ほう……。諦めたか……。うむ、ならば町へ行ってこい」
「はっ!」
すぐさま外に出ようとする兵に対し、デュドネは「ちょっと待て」と鋭い声で呼び止める。
そしていやらしい笑みを浮かべた。
「領主は若い令嬢と聞く。ここへ引っ張ってこい。どうせ処刑される身なのだ。その前にたっぷり可愛がってやろう。グヘヘ」
「かしこまりました」
兵は特に感情を表すことなく、淡々と返事をしてその場を後にしていったのだった。
………
……
偵察に行った兵が戻ってくるのに、さほど時間はかからなかった。
しかし彼が持ち帰ったものは、デュドネを落胆させるものであった。
「何? すでに死んでいただと?」
「はっ」
「お前……。少し声がかすれているがどうした?」
「申し訳ございません。少し体調を崩しておりまして……。それよりも町の井戸にこれがございました」
兵がデュドネに差し出したものは書状、そしてひと束の髪だった。
「これは……。遺書か……。『私の命と引き換えに、領民の命だけはお助けください』だと。ふんっ! 殊勝な女め。これはその女の髪というわけか」
「それは分かりません。しかし、その女が身を投げたと思われる井戸の周囲には大量の血の痕がございました」
デュドネは気味悪がって、髪の束を地面に放り投げた。
領主である貴族令嬢の死の報せに、もはや町の制圧への興味が半分以上そがれたようだ。
苦々しい顔つきで愚痴をこぼし始めたのだった。
「このデュドネ少将様が、わざわざこんな辺鄙な町の制圧に来てやったのだぞ。ずいぶんと無礼な迎え入れだとは思わんか?」
彼は目の前の兵に対して、少将であることを示す勲章のバッヂを見せびらかす。
兵はさらに深く頭を下げて返事をした。
「はっ」
「もっと『熱く』迎え入れて貰わんことには、釣り合いが取れん! 違うか!?」
「はっ!」
「もうよい! これより町の制圧へ移る! 抵抗する者は、女や子供であとうとも容赦するな! ……いや、若い女だけは生かしておけ! よいな! 熱い夜を過ごしたいからのう!」
「はっ!」
兵が出ていくのを見計らって、デュドネもゆっくりと重い腰を上げる。
そして本陣を引き払うと、整列していた200人の兵に向けて号令を出した。
「皆のもの! 進めぇ!」
――おおっ!!
空の色が完全に青色に変わった頃。リーム王国軍の進軍が開始されたのだった――
………
……
ヘイスターの領民たちは他の町への往来が禁じられているが、逆に他の町からの訪問者もほとんどいない。辛うじて月に一回程度の行商人くらいなものだ。
そのため、町の文明は大きく遅れている。
水道は引かれておらず、町の真ん中にある大きな井戸が利用されているし、これから訪れる冬の寒さは、大量の藁を利用して暖を取る。
ただ悪いことばかりではない。
世俗から隔離されているせいもあってか、領民たちは一致団結しているために犯罪が起こらない。
町には小さな監獄塔があるのだが、その入口は固く閉ざされ、小さな窓が3階から覗いているだけだ。
つまり監獄は不要だという、領民と領主の意思表示であり、それが彼らの唯一の挟持と言えるのかもしれない。
そんな団結力のある彼らが相手となれば、訓練されていない寡兵とは言え、多少の抵抗はあるだろう。
デュドネはそう踏んでいた。
しかし彼の予想は大きく外れることになる。
それは町の門の目の前までやってきた時のことだった。
「全軍止まれぇ!」
普通は門の近くまで兵を進めれば、弓や石などで迎撃されるものだ。
しかし、まったくの無抵抗ではないか。
怪しんだデュドネは自ら馬を進めて陣頭までやってきた。
すると次の瞬間、彼は目を丸くした。
「な、なんだと……!?」
なんと門が大きく開かれているではないか。
それだけではない。
門から覗く町の中は綺麗に掃除されており、さも王国軍の兵たちを歓迎しているかのようだ。
「おいっ! お前ら! 先に行ってみろ!」
「はっ!」
デュドネが近くにいた二人の兵に門の中へ向かうように命じた。
兵たちは駆け足で門へと消えていく。
そして町の中からデュドネに向かって大きく手を振ったのだった。
「我らに恐れをなしたか……。ふんっ! 女め。なかなか賢明な判断ではないか。生きておったら可愛がってやったものを……」
彼はなおも悔しさに口元を引きつらせながら、ゆっくりと馬を町の中へと進めていったのだった。
………
……
「お待ちいたしておりました。新たな領主様」
デュドネが先頭となって町の入り口までやってくると、突然目の前に現れたのはちょび髭を生やした男だった。
大将の身を守らんと二人の兵がデュドネの前に出る。
それを片手で制したデュドネは、馬に乗ったまま男のそばに寄った。
「なんだ? 貴様は」
「この町の酒場の店主をやっております。クリオと申します。以後お見知りおきを」
「ふんっ。そうか」
興味なさげに返事をしたデュドネ。
対してクリオはごまをするように腰を低くして続けた。
「さっそく領主の館にて、領民たちに歓迎の宴を用意させております」
「ほう」
「家畜の豚をこの日のためにまるまる一頭、調理いたしました。是非、ご堪能ください」
「うむ。それはよい。では、案内せい!」
「はい!」
大きな腹が示すように美味い料理には目がないデュドネは、途端に上機嫌になる。
領主の館は町の規模の割には大きい。
200人くらいならじゅうぶんに収容できるだろう。
デュドネの後ろを行く兵たちもまた喜びの声をあげながら、さながらピクニックに行くような足取りで前へ進んでいったのだ。
この時点で、デュドネは盲目となっていた。
もしこのクリオという男が出迎えに来なければ、彼は町の隅々まで不審な点がないか兵たちに見て回らせただろう。
しかしそうはさせなかったのだ。
これによって町の中にじっと身を潜めたヘイスターの兵たちの存在は気付かれることはなかった。
大きく開けられた門。
綺麗に掃除された道。
そして丁寧な出迎え。
これら全て敵を欺くための『奇策』であった。
そんなことなど露とも知らず、至る所に藁の山が積まれた町の中を、王国軍は悠然と闊歩していったのだった。
………
……
ほどなくして、デュドネ少将率いる王国軍は領主の館に入った。
真紅の絨毯がなぜかぬめっていたが、勝利を確信した彼らは気にすることもなく、館の奥へと進んでいく。
そして、デュドネは大広間に全ての兵を入れると、自身は一段高くなった場所から高らかと宣言した。
「ヘイスターの町は制圧した!! 無血で帝国領を屈服させたことは、王国史に長くその栄誉を刻むことになるであろう!!」
――おおおおっ!!
兵たちから大歓声が上がる。
そして広間の中に領民たちの手によって大量の料理と酒が運ばれると、彼らは勝利の美酒に酔いしれた。
この瞬間、リアーヌ・ブルジェが治めていたヘイスターの町は『敗北』した。
……だが、この敗北もまた『彗星の無双軍師』の思い描いたストーリーの一部であることなど、誰が想像できようか。
いや、広間の隅っこで酒も飲まずに一人たたずんでいる兵だけは全て知っているに違いない。
なぜなら彼は……。
ジェイ・ターナーその人なのだから――
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