④ 『なら負けるしかありませんな』
◇◇
翌朝――
前の晩、俺は安宿からリアーヌ・ブルジェの住む領主の館に移った。
やはりこんな辺境の町でも貴族の暮らす屋敷のベッドは、安宿のそれとは一味違うものだ。
おかげさまで旅の疲れもすっかり癒えるほど、ぐっすりと寝かせてもらえたさ。
それでも夜明けとともに目を覚ましたのは、軍にいた頃からの習慣だ。
着替えを済ませ部屋を出ると、目に飛び込んできたのは仁王立ちしたリアーヌだった。
「おはようございます! ジェイ様!」
俺がこっそり逃げださないか心配で見張り番をしているつもりだったのだろう。
大きな瞳の下にあるくまを見れば一目瞭然だ。
まったく……。いつからここにいたのやら……。
俺は彼女を安心させようと、口元を緩めながら挨拶をした。
「おはよう。リアーヌ様」
彼女はここに戻った後に、不揃いだった髪を綺麗に整えたようだ。
肩より少し上で切り揃えられた髪型は、少しだけ彼女の印象を活発なものに変えている。
それは昨晩の月夜よりも、今朝の眩しい朝日がよく似合っていた。
「朝食の用意ができております! ジェイ様」
屈託のない笑顔を向ける彼女に対し、俺は目を細めた。
「わざわざ領主様がお出迎えにこなくてもよかろうに……。それに『様』というのはやめてくれ、リアーヌ公」
俺の言葉に、彼女は眉間にしわを寄せながら頬を膨らませる。
「だったら、私に対しても『様』というのもやめてください! 耳にするだけでムズムズしちゃうわ!」
「ああ、それがお望みならそういたしましょう。リアーヌ卿」
「もうっ! いじわるなんですね!」
髪を揺らしながら背を向けた彼女を見て、俺は懐かしい光景を思い出していた。
――ねえ、ジェイ。私のことは『君』って呼んで。私、そう呼ばれるのが夢だったの。
幼い頃から王宮から出ることがかなわなかった君は、星の数ほど読んだ恋愛小説で登場したお姫様に憧れていたんだよな。だから俺に「君」と呼ばせた。
俺が初めて君のことを「君」と呼んだ時に見せてくれた、はにかんだ笑顔をこの先一生忘れることはないだろう。
もう二度とこの世で見ることができない、その笑顔を――
「ぼさっとしてないで、早くついてきてください! ジェイ!」
前を行くリアーヌが俺を名前で呼ぶ。
俺は気恥ずかしさを紛らわせるように、ニコリと微笑みながら返事をした。
「ああ、今行くよ。リアーヌ」
リアーヌがちらりと振り返る。
結んだ唇が大きな弧を描き、瞳が嬉しそうに細くなる。
そして再び俺に背を向けた彼女は弾むような足取りで前へ進んでいったのだった。
………
……
朝食を済ませた後、俺は作戦立案に移った。
地図の広げられた机と、椅子が何脚か並ぶ小広い部屋が、『作戦室』なんだそうだ。
俺はリアーヌと、昨晩出会った老紳士とともにそこへ入った。
「ではジェイのことは、マインラートに任せますからね!」
リアーヌは、そうぶっきらぼうに言い放った後、悔しそうに唇を噛む。
彼女に対してマインラートと呼ばれた老紳士は深々と頭を下げた。
「かしこまりました。お任せください、お嬢様」
朝食の際、リアーヌは俺と一緒に作戦を練りたいと懇願してきたが、さすがにそれはお断りしたよ。
可愛らしいお嬢様に隣でぺちゃくちゃとしゃべられたら、集中できないからな。
それにこのマインラートという、いかにも生真面目なナイスミドルは、今でこそブルジェ公の執事として働いているが、かつて軍人だったって言うじゃねえか。
――マインラート殿を俺の『監視』につけてくれたらいいさ。
そう俺はリアーヌにお願いした。
これ以上、食い下がる訳にもいかないと察した彼女は渋々その提案を受けてくれたんだ。
俺との面識はないが、きっと彼なら的確な助言をしてくれるだろう。
今のような難しい局面は、一人で考え込むより、複数で議論を重ねた方がいい。
かつて俺が『明星の五勇士』と呼ばれた仲間たちとそうしたように――
「では、早速戦況からお話いたします」
最後の最後まで後ろ髪を引かれるようにしていたリアーヌが出ていく。
それを確認したマインラートはハスキーな声で告げてきたのだった。
………
……
戦況は……。
まあ、大方の想像通りに『最悪』だった。
広げた地図は一本の川以外は何もない平原。
川沿いにポツンとあるヘイスターの町は、まさに「狙ってください」と言わんばかりの射撃の的のようなものだ。
しかも防備も紙きれと同じ。
幾度の戦争により傷ついた門に、底の浅い空堀。さらに穴だらけの壁。壁が修復しきれていない部分は木の柵が設けられているという始末。
その町を攻めるリーム王国の軍勢は200。
町を攻める兵としては随分と寂しいが、それでもヘイスター相手なら十分すぎるだろう。
攻城兵器はなく、槍兵中心の部隊とのことだ。
対するヘイスターの戦力は兵士30名。
みな普段は農地を耕す領民だ。
つまり槍や弓の扱いに慣れているはずもない。
投石すらままならないというから、軍勢というよりは自警団というレベルに等しい。
門を抜ければ、木造の領主の館までは一本道でさえぎるものなど何もない。
そしてその館を制圧されれば、敵軍の勝利となる。
もし俺が敵の参謀なら、俺と『明星の五勇士』の6人だけでも、半日もかけずに町を制圧できる自信がある。
「こいつは参ったな……」
思わず本音が漏れる。
すると次の瞬間、背後から甲高い声が聞こえてきた。
「へんっ! 情けねえ声出しやがって! 高名な天才軍師様のお出ましと聞いてやって来たが、どうやらとんだ勘違いだったようだな!」
棘のある憎まれ口だ。俺は声がした方へ顔を向けた。
するとそこには一人の男が、腕を組んで扉にもたれかかるようにして立っていたのである。
歳は十六か十七くらいだろうか。すらりとした長身の美少年だ。
整った身だしなみ、さらに清潔感のある肌や髪を見れば、一目で高貴な身分の御子息であることは分かる。
それに、気の強そうな大きな瞳、少し癖っ毛のブロンドの髪、透き通るような白い肌と、『誰かさん』に瓜二つだ。
俺の口元が思わず緩んだ。
それを見て少年は口を尖らせた。
「何がおかしいって言うんだよ! 笑いたいのはこっちの方だ! 姉さんが目を輝かせてお前のことを話すものだから、どんなにすげー奴か期待してた俺が馬鹿だったぜ」
「ヘンリー様。少し口が過ぎるかと」
マインラートが少年をたしなめる。
俺は彼を片手で制すると、つかつかとヘンリーと呼ばれた少年の前までやってきた。
そして小さく礼をした。
「申し遅れました。ヘンリー殿。俺はジェイ・ターナー。以後、お見知りおきを」
「……ヘンリー・ブルジェ……。この町の領主、リアーヌ・ブルジェは俺の姉だ」
こちらが名乗れば、しっかりと名を返す。
少しばかり口は悪いが、良くできた弟さんじゃねえか。
もしこの場にリアーヌがいたら、そう褒めていたところだ。
ニコリと微笑みかけると、彼は顔を赤くしてそっぽを向いた。
どうやら気が強いところも、姉にそっくりのようだ。
彼は気まずさを紛らわすように、つっけんどんに問いかけてきた。
「と、ところで、何か『いい作戦』は思いついたのかよ?」
「いえ、まだ」
俺が首を横に振る。
その様子に、ヘンリーは呆れたように首をすくめた。
「へんっ! 思いつきっこねえよ! だって勝てるわけねえんだから!」
「ほう。なぜそうお思いか?」
「町の防御も手薄なら、兵もしょっぱい。勝てる要素なんてあるわけねえだろ!」
「ふむ。言われてみればその通りかもしれませんな」
彼の口調に、ぶつけようのない苛立ちを感じる。
きっと俺に棘のある言葉を向けたのも、この苛立ちからくる八つ当たりのようなものだろう。
ではなぜ彼は苛立っているのか……。
その答えは一つしかない、そう俺はふんでいた。
だから彼に話を続けさせたんだ。
「ああ、負けだ! 負け! たとえここに神様がいても、この戦は勝てっこない! 姉さんは処刑されてしまうんだ! それはもう運命なんだよ!」
やはりそうだ……。
ヘンリーの目尻にうっすらとたまった光るものを見れば、誰だって気付くはずだ。
ヘンリーは姉リアーヌの『死』を誰よりも恐れている。
そして今、目の前にいる人に、誰よりも強い『希望』を抱いているんだ、と。
ならばその『希望』を『現実』に変えてみせよう。
姉思いの弟のためにも。
俺は「はぁ」と大きく息を吐く。
ヘンリーとマインラートの注目が集まったところで、少しだけ語調を強めて言ったのだった。
「なら負けるしかありませんな」
二人の目が大きく見開かれた。
俺はニヤリと口角を上げて続けた。
「さあ、始めようか。乾坤一擲の大勝負を!」
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