⑧ 『必然の奇跡』
◇◇
ジュスティーノ・ヴァイスの描いたストーリーは、とても美しいものだった。
ジェイ・ターナとアンナ・トイという知名度抜群の二人を『悪』に見立て、兄と婚約者を亡き者にすることで『同情』をかう。そして『奇跡』のように彼は立ち上がり、『悪』を討ち果たし、皇帝に即位する。
長らく続いた戦争で経済は疲弊、政治の上でも貴族と皇族の争いに、帝国は大いに荒廃していた。
国を立て直すには、『悪』と『奇跡』の存在が不可欠と考えたのだろう。
まだ少年の域を出たばかりだというのに、ここまで全て実行しちまうのだから、たいしたもんだ。
素直に感心する。
しかし、俺はもうごめんなんだよ。
これ以上『醜く汚い泥沼』にはまるのは。
だから全てを絶つことにしたんだ。
そうすれば自由だ。
クロ―ディア……君が熱望していた景色に向かって、この翼を大きくはばたかせてみせるんだ……。
………
……
パオリーノ・ヴァイスがリアーヌ・ブルジェ奪還の交渉に出てからは半日が経過した。
既に日は大きく傾き、空の色が青からオレンジへと変わりかけている。
町から離れた場所に陣を張っていたルーン将軍は、静かに彼の帰還を待っていた。
ヘイスターにいる兵は300ほどと聞いている。
もし殿下が日没を待っても還ってこなければ、1000の兵を率いて町へなだれこむだけだ。
「しかしパオリーノ殿下の見栄張りにも困ったものだ」
最初から兵でヘイスターを制圧してしまえばいいものを……。
軍人らしい考えで、顔を曇らせていると、突然慌ただしい足音が耳に飛びこんできた。
――ダダダダダッ!!
何ごとかと彼は険しい顔つきになる。
すると直後に、伝令がテントの中へと転がり込んできた。
「も、も、申し上げます!!」
天地がひっくり返ったかのように動揺している兵に、ルーン将軍は眉間にしわを寄せた。
「伝令たる者。常に冷静であれ! そう習わなかったか!」
「は、はいっ!」
「では報告せよ!」
「はっ!」
伝令は一度深呼吸をする。
そして一息に告げたのだった。
「パオリーノ殿下が殺害されました!!」
「なにっ!?」
ルーン将軍は思わず腰かけていた椅子から身を乗り出す。
「こちらがその証でございます!!」
そう言って伝令が差し出したのは、茶色の柔らかな髪の毛と、彼の所持していた宝剣であった。
彼は言葉を失ってしまった。
伝令は太鼓を連打するように続けた。
「アンナ少将が兵を率いて進軍!!」
「馬鹿な!!」
ついに彼はテントから飛び出した。
すでにヘイスターの挙兵は全軍に伝わっているのだろう。
ここまでやってきた1000の兵たちは、みな大慌てとなっていた。
ルーン将軍はひらりと馬にまたがると、大声を上げた。
「しずまれ!! 敵は少ない!! 負ける相手ではない!!」
しかし兵たちは一行に落ち着く気配を見せない。
すると町の方から雷鳴のような声が響いてきたのだった。
「時は来た!! 立ち上がるは今ぞ!!」
それはアンナの一喝であった。
――うおおおおおっ!!
そして彼女の呼びかけに呼応したのは、なんと帝国軍の指揮官たちだったのである。
「しまった!!」
もちろんルーン将軍は、一部の者たちが暴徒化してパオリーノ殿下に襲いかかることは知っていた。
だがまさかヘイスターの町に交渉に行った彼がその場で殺害されるとは思ってもいなかったのである。
その上、帝国に反旗を翻すように兵を率いてやってくるなんて、誰が想像できようか。
「おのれぇぇぇ! ジェイ・ターナーの差し金か!!」
彼は地団太を踏んだ。
とにかく大混乱に陥った帝国軍をまとめるのに必死にならざるを得ない。
だが、『氷血の姫将軍』が手を緩めるはずもなかった。
「目標はルーン将軍の首ただ一つ!! パオリーノの片腕である奴も許すな!!」
アンナの咆哮が轟いた瞬間に、帝国兵の槍の先が一斉に自分の方へ向いてきたのだ。
「くそぉ!! 退却だ!!」
とにかく今は敵味方が乱れるこの場から離れ、自分に味方する人数が知りたい。
彼は陣頭に立つと、一目散にその場を離れた。
そうして小高い丘を登り切ったところで、彼は兵をまとめた。
残っているのは300人くらいか。
アンナ率いる反乱軍が追ってくる様子はない。
「ふむ……。上手く巻いたか」
彼はぼそりとつぶやいた。
しかし、そこで一つのことに気付いたのである。
「馬車は連れてこれなかったか……」
それはブルジェ家の一家を乗せた馬車のことだ。
乱戦のさなか、その馬車を引いて逃げられなかったのである。
「ここで戻れば再び戦闘か……」
だがそうなると相手の方が兵の数では上回る。
さらに言えば、仮に彼らを取り返しても、暴徒化するはずの兵たちはすでに彼の周囲にはいないため、ジュスティーノに言いつけられた一家殺害はできないだろう。
「このまま奴らの手に渡してしまうことが最善だな……」
そう判断した彼は、兵に帝都への帰還を命じたのだった――
………
……
――ジュスティーノ殿下が殺害される! ブルジェ家は一家でさわられ、生死不明!
――犯行はかつての英雄、ジェイ・ターナーとアンナ・トイの二人らしい!
――悪魔だ! 奴らは悪魔に違いない!!
まるで油のしみた絨毯の上に火のついたマッチを落としたかのように、民衆の間で噂話は広がっていった。
ヴィクトール皇太子は「重篤の皇帝陛下への看病」という名目で、表舞台からは完全に姿を消している。そこで、一人残されたジュスティーノ第三皇子の動向に世間の注目は集まっていった。
自身が大けがを負っただけでなく、姉、兄、そして婚約者を失った不遇の皇子は、人々の同情の的となる。それでも彼は、貴族院などの会議で皇族代表として出席し、気丈に振舞った。
その姿に、貴族だけでなく民衆たちの誰もが涙をしたという。
それら全てがジュスティーノの思惑通りだった。
季節は秋から冬へと移り変わっていった――
この世界では故人を偲び、喪に服するのは2カ月とされている。
ちょうどパオリーノ第二皇子の死去が報じられてから、2カ月が経過した時のことだった。
その日、数千人は収容できる帝都の大広場には入り切れんばかりに人々が押し寄せていた。
そして、広場の正面にある中央宮殿のバルコニーに彼らの注目が集まっていたのである。
そこにジュスティーノ第三皇子がやってくるというのだ。
小雪のちらつく中、今か今かとその瞬間を待ちわびる民衆たち。
寒さに息も白くなる。
そんな中だった。
――うわああああああっ!
割れんばかりの大歓声と共に、バルコニーにジュスティーノ第三皇子が姿を見せたのだ。
喪中であることを示す黒い服に身を固めた皇子は車いすで登場した。
彼の背後にはルーン将軍、そして傍らにはネイサン・ベルナールの姿がある。
ネイサンの手には包みが持たれていた。
鳴りやまぬ大歓声を浴びせる民衆たちに対し、ジュスティーノが「静まれ」と言わんばかりに右手をそっと上げる。
すると広場の中は、ぴたりと静かになった。
小鳥のさえずりさえも聞こえてきそうなほどに静寂に包まれたところで、口を開いたのはルーン将軍だった。
「みなも知っての通り、哀れにもパオリーノ殿下およびオーウェン・ブルジェ卿の一家は、ジェイ・ターナーとアンナ・トイの二人の悪魔の手にかかってしまわれた」
人々の間で憤怒のため息がもれる。
それが大きくなる前に、将軍は続けた。
「そこで帝国軍と貴族院はさっそく二人に対する処罰を審議した。その結果、本人のみならずその家族も全員処刑と決まった!!」
直後にネイサンが包みをはらりと取る。
するとポール・トイの頭が現れたのだった。
――おおおおっ!!
民衆たちは熱狂に包まれた。
ジェイの妹のリナはすでに『死んだもの』とされているため、この場に首がさらされることはなかった。
しかし、民衆たちにしてみれば、そんなことはどうでもよかった。
『悪魔』の父親を首にしたことは、民衆たちのぶつけようのない鬱憤を晴らすのに絶大な効果を発揮したのである。
――おおおおおお!!
帝都が再び熱気に包まれる。
ジュスティーノがもう一度右手を上げると、人々は再び口を閉ざした。
しかしその熱気は白い湯気となって、人々の視界を曇らせている。
そんな中、空気を切り裂くような声をあげたのは、ジュスティーノ本人であった。
「二ヶ月前の今日!! 我が国はかつてない悲劇にみまわれた!! みなが心を痛め、涙したことだろう!! 現にわれも毎晩のように悲嘆にくれていた!!」
――おお……。
人々から大きなため息がもれる。中には既に涙している婦人もあった。
ジュスティーノはなおも声を張り上げた。
「しかし! 涙ばかりを流していても、何も変わらない!!」
一度言葉を切り、民衆を見回す。
彼らはジュスティーノの言葉を、固唾を飲んで待っていた。
ジュスティーノはますます声を張り上げた。
「我々は前に進まなくてはならない!! そうは思わないだろうか!?」
ジュスティーノが人々に問いかける。
――おおっ!
彼らはそれに地鳴りのする声で答えた。
ジュスティーノはその返事に弾けるように続けた。
「われわれの無念を晴らし、全ての民の心が安らかになるために、われがなさねばならぬことは、ただ一つ!」
広間の中がざわつき始めたのは、とある期待をしていたからだ。
その期待に応えるように、ジュスティーノは叫んだ。
「憎きジェイ・ターナーとアンナ・トイの二人を討つ!! われの手で天誅をくだしてくれよう!!」
――わああああああっ!!
灰色の空を震わせるほどの歓声の中、ルーン将軍とネイサンの二人がジュスティーノの両脇に立ち、彼を立たせた。
それは皇族、帝国軍、貴族院の三者が共に手を取り合って、『悪魔』を討つ不退転の覚悟を示していたのだ。
ジュスティーノは剣を抜き、高々と突き上げた。
そしてありったけの声で叫んだのだった。
「ヴァイス帝国に栄光あれ!!」
――ジュスティーノ! ジュスティーノ! ジュスティーノ!
自然と湧きおこる「ジュスティーノ」コールに、彼は笑顔で応える。
そしてこの狂信的な熱気は帝都のみならず、帝国全体を包んでいくことになる。
厳しい冬を越え、じゅうぶんに帝国内にジュスティーノが起こす『奇跡』に対する期待がふくらんだ春のある日。
「全軍!! 目標はヘイスター!! 進めぇぇぇ!!!」
輿の上に乗ったジュスティーノは5万の帝国軍に大号令をかけた。
――おおおおおっ!!
兵たちは鬨の声をあげ、一歩ずつ前進を開始する。
誰もが『奇跡』を信じて疑わなかったに違いない。
なぜならヘイスターの兵は1000も満たないのだから。
むしろ必然の奇跡だったのだ。




