⑥ 『悪に仕立てられた軍師』
◇◇
オーウェン・ブルジェがジュスティーノに呼ばれたのは、リアーヌがさらわれてから5日後のことだった。
なお彼は自分の屋敷で過ごすように申しつけられており、ジュスティーノの屋敷に入るのは半月ぶりのことだ。
緊張した面持ちでひざまずいた彼に、ジュスティーノはにこやかに話しかけた。
「オーウェン卿がここを出てからは、どうも屋敷の掃除が行き届いていなくて困る。さすがは法王様のそばで奉公してきただけあって、僕の見えないところで良い仕事をしてくれていたんだね」
「……ありがたきお言葉。もったいなく存じます」
もちろん歯の浮くような褒め言葉を言いたくて、ここに呼んだわけではないだろう。
オーウェンは固い表情を崩すことなく、ジュスティーノの言葉を待った。
するとジュスティーノはそよ風のような静かな口調で続けたのだった。
「外の世界を見てきたオーウェン卿なら分かると思うが……。国がまとまるのに、最も必要なものは何だろうね」
「強い王かと……」
「あははは! 卿も意外と浅はかだな! 違うよ。まったくもって違う」
オーウェンは少しだけ頭を上げて、ジュスティーノの方を見上げた。
するといつの間にか鼻と鼻がぶつかるくらいまでジュスティーノが顔を近付けているではないか。
「ひっ!」
思わず情けない声を出すオーウェンに対して、ジュスティーノはますます愉快そうに口角を上げた。
しかしその目は断じて笑っていなかったのである。
「それはね。『悪』と『奇跡』だよ」
「悪と奇跡……」
「貴族も民も、みんなが共通して『悪』と思えるような存在。そして人智を超えた不思議な『奇跡』を与えられた王」
「……つまり、どういうことでしょう?」
オーウェンがこらえきれずに問いかけたのは、一刻も早くこの場から立ち去りたかったからだ。
ジュスティーノはゆっくりと彼のそばから離れると、冷たく言い放ったのだった。
「君と君の家族には死んでもらう」
オーウェンの目が大きく見開かれた。
ジュスティーノは彼に背を向けると、自分の足で部屋を出て行こうとする。
その背中に向かってオーウェンが叫んだ。
「おっしゃっている意味が分かりません!! なぜ私たちが死なねばならないのですか!?」
ジュスティーノはちらりと顔だけをオーウェンに向けながら答えた。
「君の役目は法王への働きかけ。もうそれは終わっただろう。ならば最後は、国のために命を捧げる。当たり前の理屈じゃないか」
「国のために命を捧げる……」
「君には兄さんとともにヘイスターへ向かってもらう。出立は今日。君の妻と息子も一緒だ」
「うあああああ!!」
オーウェンは猛獣のように叫ぶと、ジュスティーノの背後を襲った。
しかしジュスティーノはそれを分かっていたかのように、ひらりとかわすと、彼の背中を蹴り飛ばした。
「ぐっ!」
前のめりに倒れたオーウェン。
ジュスティーノは、その背中をぐりぐりと踏みつけながら言ったのだった。
「望み通りに娘と一緒に死なせてやるんだ。しかも死後は国葬され、一家そろって英雄となる。歴史に名が残るのだから感謝しなよ」
「うがあああああ!」
なおも暴れるオーウェンに対し、ジュスティーノはあごに強烈な蹴りを食らわせた。
オーウェンは気を失った。
ジュスティーノはクリオに「水でもかけて目を覚まさせろ」と命じ、奥の方へと消えていったのだった。
◇◇
それは俺、ジェイ・ターナーがリアーヌ・ブルジェと共にヘイスターへ入ってから、ちょうど10日後のことだった。
「ジェイさまぁ! やっぱり来たよぉ!! パオリーノ殿下!」
領主の館に控えていた俺たちに、コハルが元気な声で報せてきた。
俺とアンナ、そしてリアーヌの三人は互いに目を見合わせた。
そしてコハルに、パオリーノ一行の詳細について報告してもらった。
………
……
彼らの目的は、言うまでもなく「リアーヌ・ブルジェの解放」そして「ジェイ・ターナーとアンナ・トイの投降」である。
アンナは俺をかくまった共犯者として見られているんだろうな。
『悪』は強大であるほど、民衆は一つにまとまるもの。
かつてその名を轟かせた俺とアンナの二人なら『悪』にうってつけだったという訳だ。
よく考えてやがるぜ、まったく。
その『悪』に立ち向かうのは、皇帝の息子たち。
第二皇子のパオリーノが彼らを代表してやって来た。
リアーヌの父オーウェン、母、そして弟のヘンリーも一緒らしい。
万が一、ジェイ・ターナーにリアーヌがたぶらかされていた場合に、家族を説得にあたらせるというのが名目だろう。それに『悪』から解放された娘を家族で出迎えるのは絵になるからな。
彼らの護衛はルーン将軍が率いる帝国軍だ。
コハルの口からは、小隊を率いる指揮官の名前が出た。
「いずれも私へ書状を送ってきた者たちばかりだ」
アンナがぼそりとつぶやく。
つまりパオリーノ殿下に殺意を抱く者たちばかり、ということだ。
「……となれば、これから起こることは一つだな」
「全員、惨殺」
俺の言葉を継いだアンナが、さらりと恐ろしいことを告げる。
リアーヌはすっかり震えあがってしまった。
「ど、ど、どういうことでしょうか?」
「言葉の通り。帰りの馬車の中で、殿下とお前ら一家は殺される。暴徒化した帝国兵たちによってな」
アンナがさらりと答える。
相変わらず他人の気持ちなんて、これっぽちも考えないで物を言う女だ。
リアーヌなんて目を回してその場で倒れそうになっちまったじゃねえか。
マリーナが優しく支えてあげなかったら、そのままひっくり返ってたところだぜ。
俺は凍りついた空気を変えようと、報告を終えたコハルに笑顔を向けた。
「コハル、ありがとな」
「ううん! 大丈夫だよー! だから、ご褒美にちゅーして!」
「ははは! ちゅーはもうちょっとコハルが大きくなってからしてやるよ! それまではこれで我慢だ」
軽い調子で答えて、コハルの頭を撫でる。
彼女は「仕方ないなぁ」と言いながら、嬉しそうに目を細めていた。
……が、なぜだろうか。
場をなごませたはずなのに、先ほどよりもさらに空気が重くなっているのは……。
ふと見れば、アンナ、リアーヌそしてマリーナまでもが、突き刺すような視線を俺とコハルに向けている。
「おいおい、目で俺を殺す気か?」
と、眉をひそめた俺に対して、彼女たちは口ぐちに言った。
「ゲスめ……」
「もうっ! 知りません!」
「ジェイさん。もう少し空気を読まれた方がいいわ」
何がなんだかよく分からないが、あまり深入りしない方がよさそうだ。
俺は「ごほん」と咳払いをすると、表情を引き締めて全員を見回した。
そして高らかと宣言したのだった。
「さあて、じゃあ始めるとするか! 乾坤一擲の大勝負を!」




