② 『強引な出会い方』
◇◇
カラン、カラン――
扉を開けると同時に鳴り響く、来店を報せる鐘の音。
それに呼応するように、低い男の声が聞こえてきた。
「いらっしゃい」
声のした方を見れば、そこには微笑を浮かべた店のマスターの姿。
店内にはその他に、身だしなみの整った老紳士が一人で座っている。
ここなら俺の敵になるような人はいない。
今まで訪れた町の酒場では、あきらかに不審な男たちが俺を舐めまわすように睨んできた。
きっとアンナに雇われた監視用のゴロツキどもだろう。
どこへ行っても生きた心地がしなかったのは、ヤツらのせいと言っても過言ではない。
だがこの町にはここも含めて、そんな感じの悪いヤツらは見当たらない。
だからようやく腰を落ち着けて酒をたしなめそうだ。
店主の目の前のカウンター席に座ると、「強めの酒を一つ」と小声で頼んだ。
コトリ……。
茶色の酒が入ったコップが、小さな音を立てて置かれる。
俺はそれを手に取ると、酒に映った自分の顔を見つめた。
ひでえ顔してやがる。
別に自分を卑下する訳ではないが、素直にそう思ったよ。
俺はそんな自分の顔を見なかったことにしようと、ぐいっと酒をあおった。
昔から酒と女を完全に絶ち切った生活をしていた俺。
たった一口含んだだけで、かっと体が熱くなるのを感じた。
まあ、時間はあるんだ。
あとはちびちびと飲んで、ぶっ倒れないようにするさ。
……だが、ちょび髭が良く似合うマスターは、そんな俺の気持ちを汲み取ろうとはしなかった。
「この町……。なんて呼ばれているか知ってます?」
「ヘイスターだろ」
「いえ、そちらではありませんよ」
「そうか……」
まったく興味がわかない。
話を切って酒をあおったのは、「もう話しかけるな」という合図だ。
だがマスターは、俺のちっぽけな願いなど聞き入れることなく続けた。
「ここは『エサの町』と呼ばれているのですよ」
なんだ? 『エサの町』とは……。
しかしここでその疑問を声に出したら、それこそ彼の思うつぼだろう。
視線を酒に向けたまま、俺は小さなため息をついた。
彼は少しだけ声のトーンを上げて続けた。
「じつ言うと、私は数年前まで王宮で料理人をしておりましてね。名のある軍人様のことは、世間並みには存じ上げているつもりなのですよ」
「ごちそうさま」
まだ酒が残ったままにも関わらず、小銭をカウンターに置いて背を向けたのは、彼が明らかに俺の正体に気付いているからだ。
俺はもう他人とは関わり合いを持ちたくないんだ。
それをどうして分かってくれないのか。
心の中で嘆いても、俺の背中に絡みついた彼の視線はほどけない。
そして俺が一歩、扉の方へ足を踏み出した時。
彼の痛烈な叫び声が俺の背中を貫いたのだった。
「どうかお助けください! この町と若き領主様を!」
ぴたりと足を止めたが、背を向けたままぼそりと呟く。
「悪いな。人助けに興味はないんだ」
「あなたならできるはずです!! だってあなたは……」
――ガタッ!!
俺は急に反転すると腰に差していた短剣に手をかけながら彼につめよった。
「黙れ!! それ以上口を開いたら、その喉を掻っ切ってくれる!!」
猛獣のような眼光を彼に向ける。
しかし彼はたじろがなかった。
むしろ身を乗り出しながら、顔を真っ赤にして続けたのだった。
「この町の領主様が何と呼ばれているか! あなたは御存じですか!? 『彗星の無双軍師』様!!」
「うるさい! 知るものか!!」
「ならお教えしましょう! 『処刑台に上げられた貴族』ですよ! 残酷に処刑されることを運命づけられているのです!!」
その言葉は、沸騰しかけた殺意にばしゃりと浴びせられた冷水だった。
大きく目を見開き、言葉が出てこない。
すると彼はさらに声を大きくして続けたのだった。
「この町の領主様はリアーヌ・ブルジェ公! まだ穢れなき十八の乙女なのです!! どうか哀れな彼女の人生に『希望』をお与えください! ジェイ・ターナー様!!」
と……。
◇◇
俺が投獄されていた五年で国境線は大きく後退した。
そして平原のど真ん中にあるヘイスターが残されたのは、『戦争のエサ』とするためだったのだ。
互いに戦争の準備が整ったところで、ヘイスターの町が侵攻され、領主が処刑される。
それをきっかけとして戦争が始まり、きりの良いところで休戦。
再び戦争となれば、今度は帝国から王国領となったヘイスターの町が侵攻される……。
その度に領主である貴族は処刑されていった。
いつしか彼らは『処刑台に上げられた貴族』と呼ばれるようになったらしい。
当然、領主として送られてくる貴族は、醜い権力争いに敗れた、いわゆる『落ちぶれ貴族』。
ところが、今の領主であるリアーヌ・ブルジェは、まだ爵位もない貴族令嬢なんだそうだ。
「まだ何も知らぬ少女が処刑されてしまうなんて、あまりにも不憫ではありませんか……」
マスターの悲痛な声を聞いたところで俺は再び席を立った。
マスターは最後まで期待の目を向けていたが、「すまんな。俺には無理だ」と言わんばかりに、手をひらひらさせてその場を立ち去ったのだった。
夜の帳が下りるとよく冷える。
足早に宿に入ると、俺はベッドへ直行した。
酒もいい具合に回っている。
このまま深い眠りについてしまえば、すぐに朝だ。
そして昼前にはこの町を出て、旅人を装って悠然と国境を越える。
ここらの警備はぬるいと聞いていたから、問題なく隣国へ入ることができるだろう。
そうして俺は『自由』を手に入れるのだ。
敵意に色塗られた陰謀も、虚飾のメッキが貼られた栄光にも操られることのない人生。
なんて素晴らしいんだ……。
徐々に薄れゆく意識の中、自由を夢見て頬が緩む。
だが、完全に眠りに落ちる寸前に、脳裏にふんわりと光の玉が浮かんできた。
その玉は細い声で話しかけてきたのである。
――あなたは間違っている。それは『自由』とは言わない。単なる『逃げ』よ。
優しく包み込むようで、それでいて厳しく突き放すような女性の声だ。
俺にはその声の持ち主が分かっていた。
忘れるはずもない。
君の声を。
決して結ばれることはない愛を語り合った相手。
皇帝の愛娘、クローディア・ヴァイスを――
――『自由』は立ち向かわなきゃ掴めないわ。
――さあ、どうだかな……。なんでそう思うのさ?
光の玉の君に問いかける。
別に答えなんてどうでもいいんだ。
俺はただ愛しい君と会話しているだけで幸せを覚えていたのだから。
しかし、光の玉はすぐに消えていった。
俺はまた一人となった。
寒々とした喪失感は、視界を一層の漆黒に染めていく。
ああ……。
君と次会えるのはどこだろうか。
もしかしたら君のいる遠い天の向こう側かもしれないな。
俺もすぐに行くさ。
なぜなら俺は自由なんだ。
どこにでも行ける。
たとえそれが死後の世界であっても。
そんな風に想いを馳せながら、俺は眠りについたのだった。
……だが、次の瞬間。
――ドタドタドタッ!
さながら太鼓の音のようなけたたましい廊下を走る音が、俺の意識を覚醒させた。
目を見開き、「起きろ!」と体中の細胞に命じる。
痺れたままの体が、急速に機能を取り戻そうと、心臓から全身へ血液を激しく送りこんでいった。
実に皮肉ではないか。
つい先ほどまで『死』をもいとわぬ虚無感に包まれていたのとは裏腹に、『生』を渇望する本能が身も心も支配しているのだから。
そして……。
「動ける!」
そう確信した直後……。
――バンッ!
と勢い良く扉が開けられたのだ。
俺はベッドから落ちると、近くの机まで転がっていった。
そしてその上に置かれた短剣を手に取って、素早く構えたのだった。
「何者だ!?」
薄い雲に覆われた月夜では光が足りなさすぎる。
断りもなく部屋に入ってきた無法者が二人であることは、うっすら床に映った影で分かる。
だが、それ以上のことは何も分からない。
目が慣れれば、相手の姿をとらえることは不可能ではないはずだ。
それまでの時間をどうにか稼がなくてはならない。
ところが聞こえてきた声に、俺は目を丸くしたのだった。
「突然の無礼、どうか御容赦ください! 私はこの町の領主、リアーヌ・ブルジェと申します!!」
凛とした声が耳をつんざく。
そしてようやく雲間を抜けた月の明かりが窓から差し込んでくると、その声の持ち主の姿がくっきりと目に飛び込んできた。すると、その姿に俺は心を奪われてしまった。
それはまるでおとぎ話に出てくる妖精のようだ。
長くて美しいブロンドの髪。
月に照らされて青白く透き通った肌。
意志の強さを表す大きな瞳。
そして穢れのない純白のドレス……。
それまで感じていた命の危険などどこぞに飛ばし、しばらくその幻想的な姿に目を奪われてしまった。
言葉を失っている俺に対し、彼女は続けたのだった。
「これより三日後! この町はリーム王国に侵攻されます! だからどうかお助けください!! 『彗星の無双軍師』、ジェイ・ターナー様!!」
と――
◇◇
これが俺とリアーヌ・ブルジェとの出会いだった。
今思えば、ずいぶんと強引な出会い方だったよ。ほんとに。
そして俺は彼女と出会ったからこそ、本当の『自由』を謳歌することになるんだ。
ただこの時の俺は「めんどくせえ……」としか思っていなかったんだがな……。
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