④ 『握られた手』
◇◇
リアーヌがリーム王国で暗殺される――
マインラートが文字通りに命を懸けて俺に託してくれた書状には、確かにそう書かれていた。
それが真実かどうかは分からない。
しかし、わずかでも可能性がある以上、放っておくわけにはいかない。
例えそれが誰かの仕組んだ罠であったとしても、俺は絶対に彼女を救ってみせるんだ――
………
……
大きな月が雲に隠れたのを見計らうと、俺とコハルは疾風となって丘を駆けおりた。
目指すはふもとに張られたテント。
警備は薄い。
忍びこむ技術なら右に出る者がいないコハルの誘導によって、俺はなんなくテントの前までやってくると、中にいる人物に声をかけたのだった。
「へっ!? ジェイ!? なに? どうしたの!?」
「細かい話は後だ。このままだとリアーヌの命が危ない。俺と一緒にくるんだ」
寝まきのまま顔だけを覗かせてきたリアーヌ。
彼女の腕をぐいっと引っ張ると、俺は彼女を抱き寄せた。
「ちょっと! な、な、なにを……むぐっ!」
大きな声を出しそうな彼女の口を手で塞ぐ。
彼女は目を大きく見開いて、俺を凝視していた。
「いいか、少しだけ伝えておく」
リアーヌが小さくうなずく。
俺は低い声で続けた。
「マインラートが殺された」
「うぬっ!?」
「黒幕はジュスティーノ殿下だ。マインラートが残した書状に全て書かれていたんだ。リアーヌが王国内で殺害される計画もな」
「ううっ!?」
リアーヌの力がふっと抜ける。
どうやら俺を信じ、身をゆだねてくれるようだ。
「ジェイさま! そろそろ見回りがきちゃうよ!」
「ああ、今行く! リアーヌ、走れるか?」
彼女がコクリとうなずいたところで、俺は彼女の口から手を離した。
そして右手で彼女の左手をつかむと、そのまま駆け出したのだった。
森の中へ入る。
背後からは人が追いかけてくる気配はない。
前を行くコハルの背中から少しだけ視線をそらし、リアーヌの横顔を見る。
小さく口を開けた彼女の顔は、出会った頃と何ら変わらず、透き通っていた。
なんてロマンのかけらもない再会なんだろうな。
そんな風に思えた。
しかし、よくよく考えてみれば、出会いもひどいものだったよな。
思わずくすりと笑みがこぼれた。
「はぁはぁ……。な、何がおかしいの?」
リアーヌが息を切らしながら問いかけてくる。
「なんでもねえよ。……まあ、元気そうでよかったよ」
「はぁ!? この状況で何よそれ!」
彼女をつかむ手がわずかに強くなる。
すると呼応するように、彼女も強く握り返してきた。
熱が直接伝わってくると、年がいもなく胸が高鳴ってしまう。
空はまだ曇り空だ。
しかし俺の心に覆っていた灰色の雲は、不思議にどこかへ消えていたんだ。
………
……
ヘイスター周辺の大平原から少し離れた山間で、俺たちは身を潜めた。
ここで一晩やり過ごし、ヘイスターの町へ向かう予定だ。
少し落ち着いたところで、彼女にマインラートの書状を見せた。
彼女は彼の死の事実がショックで、書状の内容にまで気持ちが追いついていかないようだ。
そこでマリーナに彼女が落ち着くまでそばにいてもらうことにした。
俺は携帯用のランプのそばに座り、マインラートからの書状をもう一度読み返す。
しばらくすると、マリーナが一人で戻ってきた。
「もう大丈夫。ずいぶんと疲れていたみたいだから、ぐっすり寝ているわ」
「ありがとな。助かるぜ」
小さく頭を下げると、彼女は静かに首を横に振って笑顔を見せる。
俺は視線を書状に戻した。
「未だに信じられないのよね。あの大人しいジュスティーノ殿下が全て裏で糸を引いていたなんて」
「人はみかけによらねえってことかもな」
「ねえ、ジェイさん。この書状のこと。どこまで信じているの?」
彼女の顔に目を移す。
真剣な眼差しからして、冗談で問いかけているわけではなさそうだ。
口元をわずかに緩めると、さらに声の調子を落として答えた。
「書状の中身は事実だと信じている。マインラート殿が命をかけて手渡してくれたものだったからな」
「その言い方だと『書状の中身以外』は信じられないって受け取れるわ」
ひとりでに笑みが漏れる。
相変わらずマリーナは勘がいい。
俺は続けた。
「なぜあの町にマインラート殿がいた? なぜタイミングよく俺たちが町に到着した時に瀕死だった? なぜクリオがあの場にいた? 全て都合がよすぎると思わないか?」
「つまりあの書状を絶対にジェイさんの手に渡したかったと」
「……なぜ『俺』なんだ? それなりに力のある貴族に手渡して、白日のもとにさらした方が、よほど皇族を追い詰められる」
「たとえば『ジェイさんを罠にはめるため』とか?」
俺はゆっくりと首を縦に振った。それを見てマリーナが口を開いた。
「かつての英雄の名声は地に落ち、美しい婚約者を誘拐された哀れな皇子様に同情が集まる」
「ヘイスターのアンナ。『弟思い』で通しているパオリーノ殿下。この二人にも何らかの働きかけをしているに違いない。俺を排除し、己の名声を上げるためにな」
「ふふ、一気に四面楚歌ね」
「おいおい、何だか楽しそうだな!?」
「ふふ、でもジェイさんはそれを望んでいたんでしょう?」
「勘違いするな。俺が望んだのは自分の身を危険にさらすことじゃねえよ」
「じゃあ、何を望んでいたの?」
リアーヌの幸せと笑顔を守ることさ……。
なんてクサいことは口にできない。
俺は黙って書状に視線を戻した。自分でも表情が暗くなっていくのが分かったが、この先のことを考えるとどうしようもない。
そんな俺を見て、マリーナは心配したのだろう。
さらに体を寄せると、俺のふとももにそっと手を添えた。
「巻き込みたくなかったんでしょう? 彼女のこと」
「……彼女だけじゃねえよ。マリーナたちだって同じさ」
「ふふ、何を今さら。でも、ありがと。その気持ちだけでも嬉しいわ」
ここで話が途切れると、静かな時が流れた。
マリーナの添えた手の温もりが、予想もつかない未来への不安をかき消してくれる。
「ありがとな」
自然と口から出た感謝の言葉。
マリーナはニコリと微笑んだ。
「諦めなければ希望は現実に変わる……。変えましょ。ジェイさんとリアーヌさんの未来を」
そう締めくくった彼女は俺のひたいに優しく口づけをすると、自分の寝床へと消えていったのだった。
………
……
翌朝――
大方の予想通り、消えたリアーヌに対する捜索はほとんどされなかった。
つまり彼女の『誘拐』は既定路線だったということだ。
そして気になることが一つ。
「ん? どうしたの? ジェイ。人の顔をじろじろ見て」
「いや、なんでもない」
そう、リアーヌのことだ。
一晩たってだいぶ落ち着いたのか、普段通りに見受けられる。
しかし、彼女の本心はどうなのだろうか。
ジュスティーノ殿下のことを心から慕っているなら、俺が適当な理由をでっちあげて彼女のことを誘拐したと考えてもおかしくない。
だがもしそうなら、大声をあげて助けを求めるだろう。俺ならそうする。
だからきっと……。
そんなことを考えている隙に、俺とリアーヌの間にステファンが割りこんできた。
「ははーん! 分かったぞ、ジェイ! リアーヌちゃんがお前のことを疑ってるんじゃねえか、って心配なんだろ?」
「なっ! なにを言ってんだ!?」
いや、おおむね図星だ。しかし、そんなストレートに言うことはないだろ!
そう心の中でつっこんでいると、リアーヌがくすくすと笑った。
「ふふふ、そうだったの? なら心配は無用よ」
「どういうことだ?」
彼女は俺の顔を真っ直ぐに見つめると、しっかりとした口調で言ったのだった。
「だってジェイは私の騎士様だから。私は何があってもジェイを信じてる」
ずんと胸に響くストレートな言葉だ。
俺とステファンは大きく目を見開いて、顔を見合わせてしまった。
するとリアーヌはぷくっと頬を膨らませた。
「もうっ! 私なにか変なこと言ったかしら!?」
「い、いや、なんでもない。ありがとな」
そう返すのが精いっぱい。
ようやく我に返ったステファンはいやらしそうな顔つきに変わった。
「ひひひ。愛されてるねぇ、ジェイ様」
「うるせー! そろそろ出るぞ! 早く準備しやがれってんだ!」
「へいへい。お邪魔虫はここらで退散しますよー。ひひひ」
最後の最後まで冷やかしながら、ステファンが去っていった。
俺とリアーヌは二人だけとなる。
どこか気まずい空気が流れていた。
だが彼女の本心を聞き出すには今しかない。
だからぐっと腹に力を入れて、告げたのだった。
「リアーヌ。もしお前さんが望むなら、今から王宮まで送り届けたってかまわないだぜ」
一瞬だけポカンとした顔をしたリアーヌだったが、すぐに目を細めて微笑んだ。
「ふふふ。強引にさらっておいて、ずいぶんな言い草ね」
頭をかきながら、口を尖らせる。
「すまなかったな。誰も傷つけないためには、ああするしかなかったんだ」
「ふふふ。冗談よ」
そこで一度話が切れた。
だがここで彼女が本心を聞かなかったら、俺はこの先、ずっとひとりよがりになってしまいそうな気がしてならなかった。だから彼女の言葉を黙ったまま待った。
すると彼女は言いづらそうに口ごもった。
「あのね……」
俺は何も口を挟まない。彼女にも俺が次の言葉を待っているのが伝わったのだろう。
一度大きく息を吸うと、意を決したように表情を引き締めて続けた。
「おとぎ話のような、王子様にさらわれるお姫様に憧れていたの」
その言葉を耳にした瞬間に、目の前が真っ白になった。
そして頭に響いてきたのは、クロ―ディア……君の声だったんだ。
――女の子はね。誰もがおとぎ話に出てくるお姫様に憧れるものよ。
あの時は、信じられなくて、邪険に笑い飛ばしてしまったな。
でも今、彼女は君とまったく同じことを口にしてるじゃねえか。
――ほらね? これで分かったでしょ?
目を細めて微笑む君がふとよぎった。
淡雪のように君は消えていく。
再び恥ずかしそうに顔を赤らめているリアーヌが目に入ってきた。
「……嬉しかった。王子様っていうには、ジェイは年を取り過ぎているけど」
「悪かったな、おっさんで」
「ふふふ。だからね。私は戻らない。お父様やお母様には心配をかけてしまうけど、全部終われば、きっと分かってくれると思うから」
「ジュスティーノ殿下のことはどうなんだ?」
「……分からない。でも、あの純真な御方が悪いことを考えているとは思えないの」
「そうか……」
それ以上、彼女の口から何か引き出すのは酷なことだと思えてならなかった。
だから俺は話を切った。すくりと立ち上がり、彼女に手を差しのべた。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか。お姫様」
にやっと口角を上げる。
目を丸くした彼女は、顔を真っ赤にして口を尖らせた。
「まあ! ジェイって、ほんと意地悪!」
でも彼女は、戸惑うことなく俺の手をしっかりと握ってくれたんだ。
それがたまらなく嬉しかった。
残念だが俺は王子様なんてキャラじゃない。
汚れ役が似合う、泥まみれの男だ。
だが、そんな俺の手でも、迷わずに握ってくれるなら……。
絶対にこの手を離さない。
そう決めたんだ――