③ 『悪魔の罠』
◇◇
俺、ジェイ・ターナーは完全に言葉を失っていた。
マインラートが託してくれた書状。それは彼の字で間違いなかった。
そしてそこに書かれていた内容が、にわかに信じられるものではなかったのである。
「ジュスティーノ殿下が、すべての黒幕だったというのか……」
そう、全部彼の仕業だったと記されていたのである。
俺が投獄された原因となった『不可解な夜襲』も、貴族と皇族の争いも、そしてクロ―ディアの死さえも……。
すべて彼が『皇帝』となって、この世界を牛耳るための布石だったと断言していたのだ。
「あの野郎……! 可愛い顔して、なんてことしやがる!!」
ステファンが顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
しかし他の面々は、ジュスティーノの『悪魔』とも言える所業の数々に、ただ言葉を失っていた。
実際に俺もそのうちの一人だ。
そして書状の終わりの方には、過去のことではなく、未来についても書かれていたのだった……。
………
……
ジュスティーノ・ヴァイス皇子との婚儀を目前に控えた冬。
リアーヌ・ブルジェは外交デビューを行うことになった。
相手はリーム王国。
彼らの婚儀に王国から客を招き入れ、友好関係を築く。
そうして長きに渡った戦争に終止符を打とうというのが名目なのである。
「では、お父様、お母様。行ってまいります!」
リアーヌは真夏の太陽のような明るい声で告げた。
オーウェン・ブルジェはぎこちない笑みを浮かべていたのだが、誰もそのことに気づこうとはしなかった。
それは娘であるリアーヌも同じだった。彼女は父ににこりと微笑み、見送りにきた大勢の人々に一礼した。そして、流れるように振りかえると、用意された馬車に乗り込もうとした。
その背中に向けてオーウェンの口が動く。
だが声が発せられる直前に、車いすに乗った彼女の未来の夫の声が響き渡った。
「リアーヌ。僕が一緒に行ってやれなくて残念でならないけど、しっかりやるんだよ」
「はい! おまかせください!」
ジュスティーノ・ヴァイスの純真な笑みに、リアーヌは同じくけがれのない笑顔で答える。
傍目から見れば、まるで絵画になるような美しさであろう。
だが、リアーヌを見送りにきた多くの面々のうち、オーウェン・ブルジェだけは知っていたのだ。
このうち一方は、天使の仮面をかぶった悪魔であることを――
その悪魔は馬車に馬を並べている男に声をかけた。
「では、護衛を頼んだよ。ルーン将軍」
「かしこまりました」
リアーヌを乗せた馬車がゆっくりと走り出す。
オーウェンはこらえきれずに涙を流し始めた。
周囲からすれば、可愛い娘を送り出す父親の情愛に感動すら覚える光景だ。
だが彼の胸の内がまったく異なっていた。
なぜなら彼は『未来』を知っていたからだ。
愛娘リアーヌ・ブルジェがリーム王国で暴徒に襲われて命を落とすことを……。
婚約者を失った哀れな皇子として、ジュスティーノが民衆の同情を集めるために……。
リアーヌを見送った後オーウェンは、とぼとぼと屋敷の中へと戻っていった。
彼の一縷の『希望』は、マインラートが記した真実を暴露した書状だった。
だがそのマインラートも先日、秘密裏に始末されたと聞かされた。
それでも書状のことは何も耳に入ってきていない。
こうなれば信じるより他ないのだ。
その書状が、ジュスティーノの野望を打ち砕くことができる誰かに届けられていることを……。
………
……
リアーヌの見送りを終えたジュスティーノは、オーウェン・ブルジェの屋敷から少し離れたところまで車いすでやってきた。
するといつの間にか背後に人が立っていた。
その者は車いすを押しながら、低い声で告げた。
「あの書状は確かにジェイ・ターナーの手に渡りました」
ジュスティーノはちらりと背後を振り返る。
彼の目線では、背後に立つ人の鼻から下しか見えない。
しかし、それでじゅうぶんだった。
なぜなら、特徴的なちょび髭が目に入ってきたのだから……。
「ご苦労さま。これでお膳立ては完璧だね」
彼はそう告げた後、ニタリと悪魔のような笑みを浮かべたのだった。
………
……
リアーヌ・ブルジェが帝都を出立した翌日。
ヘイスターの町に一通の書状が、領主代行のアンナ・トイ宛てに届けられた。
送り主は彼女の父、ポール・トイだ。
彼女は無表情のまま書状を開いた。
そして一通り目を通すなり、興味なさげにそれを机の上に放ったのである。
その様子からして娘の心配をする父親からの愛情こもった内容でなかったのは明らかというものだ。
では、どんな内容であったのか。
それは次の通りであった。
――ジェイ・ターナーがリアーヌ・ブルジェを誘拐しヘイスターに逃げ込んでくるはずである。その時は、ジェイを殺せ。奴の亡骸とともにリアーヌを無事に帝都に送り届ければ、お前の罪は許され、帝都に戻されることになるだろう。
「くだらない……」
そうつぶやいた彼女は、放り投げた書状のことなど見向きもせずに、領主としての仕事に没頭し始めたのだった――




