① 『人が涙を流す時』
◇◇
サザランドからの帰還後、俺たちは帝都に留めおかれた。
処遇が決まるまでは、自由を許されないらしい。
だが滞在用に通されたのは豪勢な宿であったから、悪いように扱うつもりはなさそうだ。
一方、リアーヌの生活にも変化があった。
ヘイスターを二度救った英雄として叙勲された彼女は、大きな屋敷を王宮内に与えられた。
そして……。
「お父様!! お母様!!」
「リアーヌ!!」
彼女の父、オーウェン・ブルジェとその妻が解放され、親子は久々の再会を果たしたのである。
ジュスティーノ・ヴァイスとの婚姻も来春と決まり、今は穏やかな毎日を家族水入らずで過ごしているらしい。
なお俺たちは決別したあの日以来、一度も顔を合わせてない。
だから彼女のことを風の便りで聞くたびに、胸をなでおろしていたんだ。
………
……
季節は移り、春から夏へと変わった。
相変わらず帝都の王宮内で過ごしている俺は、中庭に出て空を見上げていた。
「これでよかったんだ」
目に入る陽射しが痛いほどに眩しい。
雲一つない青空とは裏腹に、心の中はずっとどんよりしたままだった。
「ふふ、そう言う割にはなんだか寂しそうね」
俺は声がした方に目を向ける。
マリーナだった。
大きな日傘を差した彼女は俺のすぐ隣に腰をかけた。
「寂しい? どうして俺が寂しがらなきゃなんねえんだ?」
「さあ……。それを分かっているのはジェイさん自身だけなんじゃないかしら?」
「ふんっ。正直言って、ほっとしてるんだよ。これでリアーヌは『処刑台に上げられた貴族』から脱したんだからな」
「まあ! 私は別にリアーヌ公のことを口にした覚えはないのに」
マリーナがいやらしい目つきで俺の顔を覗き込んでくる。
俺は彼女の視線から顔をそらした。
「ふふ、まあいいわ。これでライバルが一人減ってくれたんだもの」
「ライバル? 何の話だよ」
「ううん、こっちの話。……ところで、メアリー妃との婚姻を断ったそうね」
彼女の言う通り、俺はパオリーノ殿下から持ちかけられた皇族のメアリー妃との婚姻を断り続けている。
ちなみに俺と仲間たちは、軍への復帰が正式に認められた。
だがその地位はまだ500人の兵を率いる隊長クラス。
ヘイスターに送られたアンナに変わる参謀長の地位は、今は空白のままだ。
メアリー妃と婚姻し、皇族の仲間入りを果たせば、正式に『参謀長』と『副将軍』の地位が与えられることになっているのだ。
「どうして断るの? とてもいい話だと思うのだけど」
俺は再び視線を空に移した。
もしメアリー妃と婚姻すれば、俺は『醜くて汚い泥沼』にどっぷりとつかることになる。
それじゃあ、クロ―ディアとの約束が果たせなくなっちまうんだ。
しかしそんなことを言ったって、信じてはもらえないだろう。
だから俺は適当にごまかした。
「結婚なんて一生に一度のことだろ。そうやすやすと決められるか」
一瞬だけ目を丸くしたマリーナ。
まさかそんなくだらないことが本心であるとは思っちゃいないだろう。
でも、相手が必死に隠そうとしていることに踏み込んでこないのが、彼女の優しいところだ。
彼女は目を細くすると、口元に微笑みを浮かべた。
「ふふ、31にもなってまだそんなことを言ってるのね。そのうちおじいちゃんになっちゃうわよ」
「ははは! しわくちゃのじじいになってから、若い嫁をもらうのも男のロマンってもんだ」
「ふふ、くだらないロマンだこと」
マリーナはゆっくりと立ち上がり、その場を立ち去ろうとした。
ちらりと彼女に目をやると、彼女は視線を合わせてきた。
そしておもむろに口を開いた。
「パオリーノ殿下のご意向は、今となっては帝国の法よ。法に背くことは、秩序を乱すも同じ。ジェイさんなら秩序を乱すことがどれほどの重罪か、よく分かってるはずよね」
「秩序……ね」
そうつぶやいたっきり、俺は何も言葉を発さなかった。
小さなため息をついたマリーナが静かに立ち去っていく。
俺はただ何も考えずに青空を見上げ続けていたのだった――
………
……
季節はもう一つ進み、秋となった。
ジュスティーノ殿下とリアーヌ・ブルジェの婚儀まで半年をきり、にわかに帝都がお祝いムードに包まれてきた頃。
俺の手元に一通の書状が届けられた。
「ルーン将軍から……か」
なんとなく想像はついていたさ。
何度もメアリー妃との婚姻を断り続けてきたのだから。
言うこと聞かぬ犬にいつまでもエサを与え続けるほど、彼らもお人よしではない。
――貴殿にヘイスター守備の任を申しつける。急ぎ単身で赴任のこと。
「500の手勢ですら連れて行かせねえってことか。もっとも、連れていけと言われても、ハナから一人で向かうつもりだったけどな」
既にこうなると予想して荷物はまとめてある。
……といっても、数枚の着替えと、わずかな金だけだが……。
「さてと、じゃあ行くとするか」
そうつぶやくと、部屋から外へ出た。
吹き抜ける風が思いのほか冷たくて、身震いする。
羽織っていた外套に身をくるむと、足早に帝都の門へと足を向けた。
……と、その時だった。
「あら? ジェイさん。黙って行っちゃうなんて、ずいぶんとつれないのね」
背後からマリーナの声が聞こえてきたのだ。
振り返らずに、手をひらひらさせて答えた。
「ちょっと街まで買い物いくだけさ。わざわざ声をかけるほど、寂しがり屋ではないんでね」
「そう……。買い物ね。何も買う前から荷物が多いなんて変な趣味ね」
しっかりと気付いてやがるな。
相変わらず勘のいい女だ。
俺は何も言わずに歩きはじめた。
さよならを言うのは趣味じゃないから。
しかし……。
「あはは! ねえ、ジェイさまぁ! 今日はライトリーの町で泊まるんでしょぉ!? だったら名物のカニを食べようよー!」
コハルが底抜けに明るい声で話しかけてきたのだ。
そして俺の右に並んで歩き出した。
背には大きなリュック、肩には紐がついた水筒をかけている。
明らかにどこかへ旅をする格好だ。
「ふふ、あの町はお酒も美味しいのよね。お姉さんも楽しみだわ。あら? コハルちゃんはお子さまだから、お酒は飲めないわねぇ。残念だわ」
「むむぅ! あたしだってジュース飲むもん!」
まさか……。
二人とも本当についてくるつもりか……?
しかし、それは二人だけではなかったのである。
「がはは! ジェイ殿! 冬は寒いからのう! もっと暖かい服で行かないと凍えてしまいますぞ! わしなんて5枚も着込みましたからな! がはは!」
アルバンの大声が背中から響いてきた。
「……ジェイ様。道中の宿はわたくしが手配いたしましょう」
そしてロッコが前に踊り出て頭を下げれば、
「ライトリーは遊ぶところがねえからな! 次のティリウムの町まで我慢だぜ! あそこは綺麗どころが揃ったお店を知ってるんだ!」
と、ステファンが左に並んできた。
五人全員が何ごともなかったかのように、俺と旅をしようとしているではないか。
熱いものが腹の底からこみあげてきて、思わず足が止まってしまった。
すると仲間たちも、俺にならって足を止めた。
「お前ら……。俺がこれからどこへ行くか、知ってるのか?」
そう問いかけると、ステファンが軽い調子で答えた。
「ヘイスターだろ? また、何をやらかしたのか知らないが、厄介な場所へ飛ばされちまったなぁ! ははは!」
「どうしてだ? わざわざ俺に付き合って『処刑台』に上がろうとするんだ?」
その問いに答えたのはロッコだった。
「……仲間だからです」
たったそれだけ。
だがその一言に、俺の心は激しく震えていた。
何か口に出さないと、嗚咽がもれてしまいそうで怖かった。
だから俺は本音を漏らしたんだ。
「お前ら……。馬鹿だな」
「ジェイさん。あなたに言われたくないわ」
俺が背後を振り返ると、五人は横に並んだ。
そして……。
一斉に頭を下げてきたのだった。
誰も何も言葉を発さない。
でも、五人から伸びた絆の糸は俺の胸にしっかりとからみついてきた。
だから彼らの声は、確かに心の奥まで届いていたんだ。
――俺たちも連れていってくれ!
と……。
ツンと鼻の奥に痛みが走る。
自然と目がかすみ、目尻に涙がたまってきた。
「お前ら、やっぱり馬鹿だぜ」
声が微かに震えていたのが気になったのか、コハルがちらっと顔を上げた。
必死に顔をそらしたが、間に合わなかったようだ。
彼女は小さな声でささやいてきたのだった。
「ジェイさま。泣かないで!」
その言葉に、みなの顔があがった。
「馬鹿やろう! 泣いてなんかいねえよ! あくびをしただけだ!」
ごまかすように、ごしごしと目をこする。
すると全員がにんまりと笑って俺のそばに駆け寄ってきた。
「ジェイ! 今夜はパァっと飲もうな! 悲しいことなんか全部忘れてよ!」
「ジェイ殿! いつでもこの胸をお貸しいたしますぞ!」
「ジェイさん。寂しい夜は私がいつでも添い寝してあげますからね」
「ジェイさまぁ! ちゅーしてあげよっか!? ちゅーしたら悲しいの、治るかもよ!」
「……ジェイ様。悲しい時はいつでもこちらのハンカチをお使いください」
お前ら、知っているか?
涙ってのは、悲しい時以外も出てくるもんなんだよ。
絶対に切れない、友情を感じた時……。
とかな。
そんな恥ずかしいことを口にできるはずもない。
ニヤリと口角をあげると、再び足を前に出した。
不思議なもんだ。
なんで処刑台へ上がりに行くのに、こうも足が軽いのだろう。
弾むような足取りで帝都を出たのだった。
………
……
ヘイスターまではおよそ5日間の道のりだ。
初日はコハルの言った通りに『ライトリー』という町で泊まることにした。
町にある宿屋に荷物を置き、夕食を取りにいこうと外に出た。
すると息を切らして俺たちを追いかけてきたのは意外な人物だった。
「ジェイ・ターナー様! クリオです……!」
クリオという名よりも、よく通る特徴のある声と、ちょび髭を見て気付いた。
「ヘイスターの酒場のマスターか!? どうしてこんなところに?」
瞳が赤く腫れている。
明らかに泣きはらしたあとだ。
「とにかくこちらへ来てください!」
駆け出した彼の背中を、何も考えずに追っていく。
そして人目のつかない物陰に入ったところで、俺たちは大きく目を見開いた。
「マインラート殿!!」
それはリアーヌの執事だ。腹を刺されており、ひたいには大量の脂汗が浮かんでいる。
「マリーナ! 頼む!!」
「はい!」
軍医のマリーナが急いで処置に当たったが、素人目にも彼が助かる見込みはないと分かる。
彼の手を握った。
するとわずかに目を開いた彼は、かすれる声を発した。
「そこにおられるのは……。ジェイ様か……」
「マインラート殿!」
「ああ……。やはり希望を捨てなくてよかった……。どうかこれを……」
震える手で渡してきたのは、血まみれの書状だ。
「これは?」
「そこに書かれているのは全て事実です……。どうか、どうか……」
「マインラート殿! もうしゃべるな!」
マレーナが必死に治療をしているが、マインラートの瞳からは光が薄れていく。
そして彼は最期の力を振り絞って口を動かしたのだった。
「リアーヌ様のこと……。よろしく頼みます……」
そこで彼は事切れた。
何度か深呼吸を繰り返し、心を落ち着ける。
そしてようやく言葉を出せるまでになったところで、茫然自失として立っているクリオにたずねた。
「マインラート殿をこんな目にあわせたのは誰だか分かるか?」
何度か首を縦に振るクリオ。
だが彼の口から発せられた名前は、想像をはるかに超えるものだった……。




