⑩ 『戦いの終わり』
◇◇
俺たちがサザランドで集合したのは、第二次ヘイスターの戦いが始まってから11日後のことだ。
小高い山の上で身を潜めた俺たちは、目の前の惨状を見て、みな言葉を失ってしまった。
元よりサザランドの町の防備は薄い。
それでも少数の守備兵たちは、よく守っていた。
しかし門や城壁はもはや風前のともしびだ。
多くの守備兵たちが崩されかけた門の前に仁王立ちし、壮絶な最期を遂げていく。
だが最後の抵抗とも言える玉砕攻撃も、もう終わりに近いようだ。
いつ町の中に敵兵がなだれ込んでもおかしくない状況だったのである。
俺の隣にいたステファンがつぶやいた。
「こいつはひでえな」
「ああ、あと半日持てばいい方だ。むしろ、ここまでよく戦ったと、指揮官を褒めてやりてえな」
しばらく戦況を見つめていたところで、偵察に行っていたコハルが戻ってきた。
「どうやら町の領主、ヴィクトール皇太子、トミー・ベルナールの三人は尻尾巻いて逃げだしたみたい。残っているのは、にっくきアンナ・トイだけっ! もう町を救うのは無理だし帰ろうよぉ」
「ええ、コハルちゃんの言う通りだわ。無理をして救い出す相手じゃないでしょう?」
よほどアンナ・トイという女は、女性たちからは嫌われているらしいな。
二人とも驚くほどに視線が冷たい。
すると彼女たちにいらぬ火をつけたのはステファンだった。
「きひひ。ジェイも隅に置けねえな。アンナとはちょっとイイ関係だったから、情がわいちまったんだろ?」
「ちょっと、ジェイさん。『イイ関係』ってどういう関係でしょうか?」
「そうよ! あたしという女がいながら、他の女に手を出すなんて……。コハルは納得いきませんっ!」
俺は「はぁ……」と大きくため息をつくと、熱くなったマリーナとコハルに、ばしゃりと冷水を浴びせた。
「味方の指揮官を救出し、敵の大将に降伏を申し出る。そうすれば、町の被害は最小限で食い止められるはずだ。俺たちはただ一人を救うためにここに来たんじゃない。それだけは忘れるな」
言葉を失った彼女たちをそのままに、冷静な口調で続けた。
「処刑されるはずの俺の命を救ったのはアンナだ。お前たちに火の粉がかからないように、帝都から遠ざけたのも、こうして再会させてくれたのも彼女さ。……まあ、あの性格だから、俺もすっかりだまされてたんだけどよ」
仲間たちにとっても意外だったのだろう。
すっかり静まり返ったところで、物静かなロッコが口を開いた。
「……受けた恩は、恩で返す。それが俺たちの掟だ」
めったにしゃべらない者の言葉ほど重いものだ。
彼の一言で、みなの目の色が変わった。
「ああ、そうだな……。よしっ! やってやろうじゃねえか!! ジェイ! 俺は燃えてきたぞ!!」
「がはははっ! ジェイ殿! 守るのは得意ですぞ!! 俺にお任せあれ!」
「もうっ! あたしも頑張るしかないじゃない! でもコハルはアンナとジェイさまがちゅーするのだけは許さないんだから!」
「ふふふ、ライバルは多い方が燃えるってものよねぇ。いいわ、私もお手伝いしましょう」
全員が俺を見つめる。
みんないい目をしてるじゃねえか。
「ありがとな」
そう小さな声で礼を言うと、ぐっと身を乗り出して告げたのだった。
「ではこれよりサザランド救出作戦を始める!」
「「おおっ!!」」
………
……
サザランドの町の中へと続く門はいくつかあるが、その全てが敵兵で埋め尽くされていた。
「これじゃあ町の中に入るのも一苦労だな」
と、思わずため息を漏らすと、コハルが小さな胸を張った。
「ふふっ! あたし『秘密の通路』知ってるよ! えらいでしょ! ちゅーしてもいいのよっ!」
こうして俺たちはコハルに従って秘密の通路を抜けて、町の中へ潜入した。
そして、物陰で身を潜めていたアンナを見つけたのだった。
右腕にひどい傷を負っているのが、遠くからでも分かる。
彼女の左手には短剣がしっかり握られ、刃は自分の首に突き立てられている。
絶望しか感じられない彼女の顔。
まるで心を折られた自分を見ているようで痛々しい。
「まったく……。らしくねえぜ」
俺はぐっと足に力を入れる。
ここまで休みなく動き続けてきた体は、とうに限界を超えていた。
しかし彼女を助けるために愚痴なんか漏らしてる場合じゃねえ。
かつて心を砕かれた相手を、なぜこうまでして助けようとしているのか、自分でも不思議でならなかったさ。でも、ここで彼女を見捨てれば、クロ―ディアの言う『自由』を手放すような気がしてならなかったんだ。
だから疲れた体に鞭を打った。
「待ってろよ! 今助けてやるからよ!」
味方と敵の兵が溢れ返る中を縫うようにして駆け抜けていく。
そうして、彼女がまさに手にした短剣で首をかき切ろうとしていたところで、その細い腕をつかんだのだった。
色を失った瞳を見た瞬間に、俺は無意識のうちに言葉をかけた。
「絶対に手放しちゃいけねえよ。『希望』だけはな」
彼女は顔をみるみるうちに歪ませると、まるで子どものように泣きじゃくり始めたのだった。
おいおい、やめてくれよ。
俺は女の涙が得意じゃねんだ。
「そんなに右腕が痛えのか? ちょっと我慢しろ。町の外でマリーナが待ってるからよ」
そう冗談を言うのが精いっぱいだった。
それでも彼女は嗚咽を漏らしたままだ。
どうすることもできない俺は、彼女の手をぎゅっと握った。
「立てるか? 行くぞ」
と問いかけた次の瞬間には強引に立たせ、そのまま走りだした。
温かい手だ。
氷血なんて嘘っぱちじゃねえか。
「いいか。この手を離すんじゃねえぞ」
前方にはアルバンとコハル。後方ではステファンとロッコが奮戦し、俺とアンナの行く道を作る。
来た道を再び疾風のように駆け抜けていくと、すぐに町の外に出た。
俺たちは足を止めず、マリーナが待機している山の中へ入ったのだった。
「マリーナ! けが人を頼む!」
俺の鋭い口調に表情を引き締めた彼女は、アンナの腕を取って、じっと傷口を見つめた。
放心状態のアンナは抵抗することなく、されるがままにしている。
ちらりと彼女を見たマリーナは、優しい口調で言った。
「これは深いわね。少ししみるわよ。がまんなさい」
消毒液を彼女の傷口に当てる。すると彼女は大きく目を見開いて、口元を歪ませた。
「いたっ……!」
「ふふ、『氷血の姫将軍』さまでも、女の子っぽい声をあげるのね。お姉さん、少し安心したわ」
マリーナがにやにやと笑みを浮かべると、アンナはぷいっと横を向いた。
俺はマリーナと目を見合わせた。
どうやらアンナにいつもの調子が戻ってきているようだ。
俺はほっと胸をなでおろした。
彼女のことはマリーナに任せておけば大丈夫だろう。
ならば俺のすべきことは一つ。
言うまでもなく、単身で終戦の交渉を行うことだ。
「ジェイ……。どこへ行くの?」
背中からアンナの細い声が聞こえてきた。
ずいぶんとしおらしい声だ。
調子が狂っちまうじゃねえか。
きっとその表情も、弱々しいに違いない。
そんな彼女を俺は見たいとは思わなかった。
「俺の知るアンナ・トイはどこまでも気高い戦士だ。そんな声出すんじゃねえよ」
何も言葉が返ってこない。
しかし、さっきよりもほんの少しだけ強い視線が背中を刺してくるのが分かった。
思わず笑みが漏れる。
彼女の方を振り向かずに片手を高くあげると、手をひらひらさせた。
「ちょっと戦を終わらせてくるわ」
そして火の手があがり始めた町へ向かって、駆け足で向かっていったのだった――
………
……
それは間一髪だった。
町中への突撃の号令がくだされようとしていた寸前に、俺は滑り込むようにして王国軍の大将と交渉のテーブルについたのである。
「町の領主、皇太子殿下はともにここを離れ、守備兵を率いていたアンナ・トイ少将も傷を負って退いております。もはや町は貴殿らの手に落ちました。これ以上の町を傷つけることは、攻撃ではなく狼藉となりましょう」
「うむ……」
「もし罪なき民を傷つけるおつもりなら、この『彗星の無双軍師』が全力で御相手しようではありませんか」
「それはいかん。……分かった。町への総攻撃は取り止めとしよう」
「民の命を守る英断、きっと後世まで語り継がれましょう。では、これにて失礼いたします」
意外にもあっさりと交渉はまとまった。
きっとパオリーノ殿下の息が多少なりともかかっているのも影響しているのだろう。
だがなにはともあれ、これで目標はすべて達成した。
サザランドが敵の手に落ちてしまったのは残念だったが、これ以上のぜいたくは望めまい。
仲間たちの元へ戻った俺は、交渉結果の一部始終を話した。
誰もが納得した表情でうなずく。
だが、アンナだけは悔しそうに唇を噛みしめていた。
俺たちはそんな彼女を引きずるようにしながら、帝都へと帰っていったのだった――
◇◇
こうして第二次ヘイスターの戦いと、サザランドの戦いは幕を閉じた。
それらの戦いは、パオリーノ殿下によって『作られた激闘』であったことは間違いない。
だが、俺は抗った。
ヘイスターが守られた一方で、サザランドが陥落したという結果は、殿下の『思い描いた未来』と何ら変わらないだろう。
それでもアンナ・トイとサザランドで暮らす多くの領民たちの命を救ったことは、彼の手の内にはなかったことだ。
ほんの少しでも未来を変えられたことに、今は胸を張ろう。
『醜くて汚い泥沼』から足を引き抜いたことを意味しているのだから。
だが、まだ終わりじゃないはずだ。
もっともっと高く、自由にはばたかねばならない。
そして誰も見たことがない景色を見に行くんだ。
それが君と交わした最後の約束だから――
御一読いただきまして、まことにありがとうございます。
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