⑥ 『未来を創る者』
◇◇
第二次ヘイスターの戦いから11日目の昼。
サザランドの門はもはや破壊寸前であった。
だがそこに疾風のように現れたのは、『氷血の姫将軍』こと、アンナ・トイだったのである。
「この門が破られれば、町は焼かれる!! 民を守るため、なんとしてもここを守るのだ!!」
――おおっ!
氷のように冷たくなった兵の士気が、彼女の言葉により再び炎のように燃え上がる。
「開門!! そのまま突っ込め!!」
――うおおおおおっ!!
彼女は先陣を切って敵兵の中へと斬り込んでいった。
「な、なんだ!?」
「敵だ! 敵が突撃してきたぞ!!」
ふいを突かれた玉砕攻撃に、王国兵たちの対応が遅れる。
そこにアンナは手にした長剣で斬りつけた。
「ぐああああっ!」
派手な断末魔の叫び声とともに王国兵の一人が仰向けに倒れる。
すかさず彼女は号令をあげた。
「皆のものぉ! 我に続けぇぇ!!」
しかし元より捨て身の玉砕なのだ。
言わば焼け石に数滴の水を垂らしたにすぎない。
すぐに帝国軍は押し返されていった。
そして彼女を守る護衛たちは一人、また一人と数を減らしていき、ついに彼女自身も窮地に陥ってしまった。
それでもなお彼女は剣を敵に向け続けた。
「諦めなければ、希望は必ず現実に変わる」
この合言葉だけをかたくなに信じて。
しかし……。
――ズンッ!
「ぐっ……!」
流れてきた矢が腕に刺さる。鋭い痛みに、全身の力が抜けた。
――カランッ……。
手から剣がこぼれ落ちてしまった。
「もはやここまでか……」
腕に深い傷を負った彼女は、急いで町の中に戻ると、物陰に身をひそめた。
そして腰に差した短剣を抜くと、敵にとらわれる前に自らの手で命を絶とうと決めたのである。
「後悔などないさ……」
彼女は晴れ晴れとした表情でそうつぶやいた。
そして、つかの間の静寂の中、脳裏には走馬灯のように過去の記憶がよみがえっていたのであった――
………
……
もう六年も前のことだ。
当時、軍の『副参謀』であったアンナ・トイ中佐は、帝国軍の最高責任者であるルーン将軍に呼ばれた。
――話というのは他でもない。貴公に『参謀長』の役職に就いてもらうことになった。
――しかし、その職にはジェイ・ターナー大佐がおります。
――言わせるな。……彼には死んでもらうことになったのだ。残念だがね。
――それは……。どういう意味でしょう。まさか、無実の罪で処刑をなさるおつもりでしょうか?
――ははは! 人聞きが悪いぞ、中佐。そうではない。次の戦いで『悲劇』が起こる。その責任を取って、彼は処刑される。それだけだ。
――なぜ彼……大佐の命を奪わねばならないのでしょう?
――クローディア殿下亡き今、彼は皇帝陛下の婿養子になるという未来とともに、居場所を失ったのだよ。
――つまり将軍が大佐を重用していたのは、大佐が皇族の仲間入りする可能性があったから……。ということでしょうか?
――だから、君。人聞きが悪いことを口にするでない。トイ家の次期当主へ正式に決まった君と、農民の出であるジェイ・ターナーとでは、扱いが異なるのは当然であろう。それに我が国はそろそろ戦争するのに飽きた。戦うだけしか能がない彼がこの世からいなくなれば、戦争は終わる。そうは思わんかね?
――……私には分かりかねます。
――もういいだろう。いつもよりもずいぶんと口数が多いではないか。
――申し訳ございません。
――アンナ中佐。未来とは希望などという妄想から作られるものではない。『選ばれた人間』だけが創ることができるものなんだよ。君も他人の未来を創ることができる立場となるのだ。そのことを良く肝に銘じておきなさい。
それからわずか一ヶ月後だった。
ジュスティーノ第三皇子が『悲劇』に見舞われたのは……。
だが、ルーン将軍と『未来を創る者』の思惑通りにはならなかった。
なぜならジュスティーノが命を落とさなかったからだ。
つまりジェイ・ターナーを処刑するには理由が足りなすぎたのである。
そこでアンナは将軍に申し出た。
――ジェイ・ターナーの身は私にお任せください。ルーン将軍。
――獄中で人知れず始末してくれるだけのこと。わざわざ君の手を煩わせるまでもなかろう。
――いえ、ジュスティーノ殿下をあのような目に合わせたのです。あっさりと命を奪うだけでは足りません。
――はははっ! 君も言うようになったではないか。
――ええ、私は『未来を創る』立場の人間ですから。
こうしてジェイ・ターナーの処分はアンナ・トイに委ねられた。
そして彼女は淡々と彼の未来を創造したのだ。
醜く汚れた世界から、彼と彼の仲間や家族を遠ざけるという未来を――
帝都を離れていく彼の背中を見つめながら、彼女は漏らした。
――これでいいの。私を恨むといい。そして二度と、ここに戻ってこなければいいわ。あなただけは汚れて欲しくないから。
その目から、一筋の涙を流して――
しかし六年後。
ジェイ・ターナーは帝都に舞い戻ってきた。
眩しいくらいに純白な貴族令嬢を引き連れて……。
――なぜ? なぜ戻ってきてしまったの? あれほどの仕打ちにあっておきながら!
彼女は悔し涙を流した。
そしてジェイ・ターナーは、かっこうの『エサ』となる未来を彼女は知っていた。
腹を空かせた猛獣たちは、彼女の予想どおりに、容赦なくその肉に食らいつくだろう。
そして彼女はさとったのだった。
――次に居場所を失うのは、私ね……。
しかし悲観などしなかった。
もうこの世界に未練などなかったからだ。
こんな『希望』なき世界などには――
………
……
ポツポツと雨が落ちてきた。
天も彼女の孤独を悲しんでいるのだろうか。
灰色の空を見上げながらつぶやいた。
「ああ……。願わくば、愛する彼に、大いなる祝福があらんことを」
敵兵が近くを駆ける音が大きくなってきた。
「もう時間がない……」
微かな笑みを浮かべた口元ととは裏腹に、白い頬には熱い涙が一筋つたう。
彼女は動く方の左手で短剣を握りしめると、首筋に刃をあてた。
そっと目をつむる。
脳裏に浮かんでくるあまたの戦場。
彼女の隣にはいつも彼がいた。
そして今、彼女は彼を感じていたのである。
あの大きくて優しい温もりを――
「愛してる」
……と、その時だった。
「絶対に手放しちゃいけねえよ。『希望』だけはな」
そう耳元でささやかれたのだ。
幻聴だろうと彼女は思った。
もしかしたら魂だけは先にあの世にたどりついたのかもしれない。
だが……。
動かないのだ。
左手が……。
首を掻っ切るはずの短剣が、びくりとも動かないのである。
彼女はそっと目を開いた。
そして、その細い瞳に映った光景が現実であると確信した瞬間に……。
「うあああああ!!」
号泣した。
「そんなに右腕が痛えのか? ちょっと我慢しろ。町の外でマリーナが待ってるからよ」
それは幻聴ではなかったのだ。
なぜなら右腕に真っ白なハンカチを巻き付けて応急処置を試みている彼……。
ジェイ・ターナーが微笑みかけてくれているのだから。
「立てるか? 行くぞ」
「ううっ、えぐっ……。どうして? どうしてここに?」
「細けえことは後だ。とにかくここから脱する。今はそれだけを考えろ」
彼は強い口調でそう告げると、強引にアンナの手を引いて立たせた。
「いいか。この手を離すんじゃねえぞ」
ぎゅっと左手が握られる。
九死のさなかだと言うのに、胸が高鳴り、頬に赤みが帯びてくるのを止められなかった。
絶対に手放すものか。
この手に握られているのは『希望』なんだから。
彼女は声には出さずに、心の中でそう叫んだ。
そして壮絶な戦場へと踊り出た。
だがアンナは分かっていたのだ。そこには仲間たちが、ジェイの未来を切り開かんと輝きを放ち続けていることを――
「ジェイ!! ここは任せろ!! 早く外へ!!」
ステファンが、無双の槍を振り回しながら敵を寄せつけない。
彼の周囲に敵が多くないのは、ロッコの弓が押し寄せる敵を射ぬいているからだろう。
「ジェイ殿! 俺に続いてくれ! うおおおお!!」
アルバンが巨大な盾を前に押し出しながら、道を作っていった。
その背後にはコハルが、的確に安全なルートを指示している。
その中を、ジェイとアンナは一陣の風となって駆け抜けていった。
「……ごめんなさい」
アンナの口からでた謝罪の念。
だがジェイは大きな声で笑い飛ばした。
「はははっ! お前さんらしくねえ。いいんだよ、いつも通りにツンとしてれば」
アンナの口元にようやく笑みがこぼれた。
それは彼女の希望が現実に変わった瞬間であった――




