① 『帝都追放』
………
……
それはまさに『天国から地獄』と表現するに、ピタリとあてはまる半生であった。
貧しい農民の出身でありながら、二十五歳の若さでヴァイス帝国軍の参謀長を任されるまで出世した俺、ジェイ・ターナー。この頃の俺は英雄『彗星の無双軍師』とあだ名され、その名を国中に轟かせていた。
――ヴァイス帝国に『彗星』のごとく天才軍師が現れたそうだ!
――これでリーム王国との戦争も、帝国の勝利に間違いない!
――アルフレド・ヴァイス皇帝陛下も『彗星の無双軍師』様のことを認め、彼を婿養子に迎えるなんて話も出ているそうだ。
自分で言うのも何だが、それはまさに『彗星』のような輝きだったと思う。
そんな俺に降ってわいたかのような悲劇をもたらしたのは、ヴァイス帝国の第三皇子であるジュスティーノ・ヴァイス殿下の初陣であった。
当時の殿下はまだ十六歳の少年。
いわば『箔』をつけるために総大将を任命された。
だが実質は参謀である俺が総大将の役割を担うことになっていたんだ。
「ジェイ・ターナー大佐。『彗星の無双軍師』とあだ名される貴殿がそばにいてくれるだけで、僕は心強いよ。貴殿に全てを委ねましょう! 我が軍を勝利に導いてください!」
そう笑顔で告げてくれた殿下は、優しい性格の持ち主で、俺をすごく頼りにしてくれていたのを覚えている。
そんな彼の期待に応えるべく、全力で敵を蹴散らしていった。
だが、あと一歩まで敵を追い詰め、総攻撃を翌日に控えた晩。
なんと殿下が『不可解』な夜襲を敵に仕掛けたというのだ。
「ありえない……。どうして……」
唖然とするしかない俺であったが、さらに悪いことを聞かされた。
その夜襲が見破られ、殿下は敵中に取り残されてしまったらしいというではないか。
俺は即座に仲間を呼び寄せ、決断した。
「これより敵中を突破し、殿下をお救いする! 皆の者! ついてまいれ!!」
――おおっ!!
こうして俺と五人の仲間たちは決死の突撃を敢行。
みごとに瀕死の殿下を救出した。
そして翌日には、総大将の負傷を隠しながら敵の殲滅に成功したのだった。
「よくやった! 俺はお前を誇りに思う!」
と、俺の親代わりであり、尊敬する上官でもあるルーン将軍に褒められた時は有頂天だったさ。
だが、帝都に戻った俺を待っていたのは殿下救出の勲章ではなかったんだ。
つまり、言われなき罪状だった――
「敵と手を結び、殿下殺害を企てた罪で、貴様を解雇する。処分は追って伝えるため、ここで震えて待つがいい。この薄汚い反逆者め!」
かつて部下だった衛兵に唾を吐きかけられる。それでも何も感じなかった。
いったい自分の身に何が起こっているのか、さっぱり分からなかったからだ。
そして「いつかきっと疑いが晴れて解放されるに違いない」と信じて疑わなかったのである。
しかし、いくら経っても釈放されることはなかった……。
最低限の食事は与えられたよ。
それでも、食事を運びにきた兵からは汚い言葉で罵られ、窓すらない真っ暗闇な独房にぶち込まれ続けていれば、いくら聖人であっても気が狂うに違いない。
日に日に弱っていき、ついに立ち上がることすらできなくなってしまったのだ。
まさに『地獄』の日々が延々と続いた……。
だが、そんな俺をさらに絶望の淵へ突き落す悪魔が現れることになる。
投獄されてから一年たったある日。
失意のどん底にいた俺の前に現れたのは、一人の女だった。
「ずいぶんと無様な姿ね。ジェイ・ターナー」
「アンナ・トイ中佐か……。なんの用だ?」
「言葉づかいに気をつけなさい。私はもう『少将』。かつて『大佐』であったあなたよりも既に階級は上なの。もっとも今のあなたは単なる罪人ですけど。ふふふ」
相変わらずいけすかない女だったな。
彼女は『氷血の姫将軍』とあだ名された上級貴族出身のエリート将校。見た目だけなら確かに『姫』と呼ばれるだけあって美しい。しかし『氷血』のあだ名の通りに冷酷な女だ。
三つ年下の彼女も飛ぶ鳥を落とす勢いで出世を果たし、俺が参謀長だった頃は副参謀として俺の下で働いていた。
勝利のためならいかなる犠牲もいとわないと公言していた彼女とは、出会った頃からまったく馬が合わなかった。
戦の最中であろうとも、何度も意見がぶつかりあっていたのを記憶している。
後から知ったことなのだが、俺が投獄された後すぐに彼女は少将に昇進し、俺に代わって参謀長の地位についたらしい。
そんなことを聞かされなくとも、ピンときたさ。
俺は彼女にはめられたんだってな……。
彼女はニヤリと口角を上げながら問いかけてきた。
「ここから出たい?」
「どういうことだ?」
「ふふふ。もしあなたが望むなら、ここから出してあげてもいいのよ」
何を言い出すかと思えば……。
よくもいけしゃあしゃあとそんなことが言えたものだ。
俺は何も答えずに、彼女に背を向けて寝ころんだ。
もうお前とは話をしたくない、という意図であるのは言うまでもない。
だが俺の気持ちなどお構いなしで、彼女はねっとりとした口調で続けてきた。
「ふふふ、強がらなくてもいいのよ。もしここから出して欲しい、というなら一つだけ条件があるわ」
そこで話を切った彼女。
彼女の話に興味はないはずだ。しかし、俺の意地とは裏腹に、耳は彼女の言葉をじっと待っていた。
だが、彼女が俺の思惑通りに行動したことなんて一度もなかったじゃねえか。
この時もそれは変わらなかったんだ。
「私の『モノ』になりなさい。ジェイ・ターナー」
自然と目が大きく見開かれ、ぐわっと腹の底から怒りが込み上げてくる。
口の中まで抑えきれない感情が寄せてくると、俺は彼女に背を向けたまま叫んだ。
「ふざけるな! 帰れ!!」
この時、彼女は何も言わずに立ち去っていった。
そして、ここからが本当の地獄のはじまりだった……。
時が経つにつれ、俺の信頼する仲間や友人たちが、次々と帝都を追われて辺境の地へと飛ばされていったのだ。
俺と関わったせいで、彼らの人生が壊されていく……。
そのたびにアンナ・トイは俺の前に現れ、例の言葉を投げかけていった。
「私の『モノ』になりなさい」
しかし俺は耐えた。いつかきっと俺の無罪が証明され、堂々とここから出られる『希望』を持ち続けていたんだ。
それも仲間たちとの間で『鉄の掟』があったおかげだろう。
――『希望』を捨てるな! 諦めなければ『希望』は必ず『現実』に変わる!
だが、俺はついに屈することになる。
それは彼女がここにやって来るようになってから4年の歳月が経った頃だった。
「あなたの妹さん……。リナさんだったかしら? 彼女には私の屋敷で働いてもらうことになったから」
「な、なんだと……。まさかお前、リナにまで!! この悪魔め!!」
父と母に先立たれた俺にとって、彼女はただ一人の家族だ。
彼女が不幸になることだけは、たとえ魂を悪魔に売っても許されることではない。
血の涙を流しながら俺は頭を下げたんだ。
「……頼む……。俺のことは好きにしていい。だから妹だけには手を出さないでくれ……」
彼女はニタリと不気味な笑みを浮かべながら、牢獄の中に入ってきた。
強引に俺を仰向けに倒して上にまたがる。そして耳元でこうささやいたのだった。
「もう『希望』なんて持たないことね。彗星は星屑となって燃え尽きたんだから……」
と……。
………
……
その翌日。釈放された俺は、帝都追放を言い渡されたんだ。
外の空気を吸うのは、実に五年ぶり。
しかし美味しいとも不味いとも感じなかったのは、完全に心を失っていたからだ。
昔の馴染みからわずかな餞別を受け取ると、行くあてもない旅に出た。
「私のモノになれ」と言っていた割には、こうもあっさりと突き放されるとは思ってもいなかった。
……が、まあいい。かえって好都合というものだ。
なお妹のリナはアンナの屋敷に呼ばれてから行方知れず……。
恐らく、もうこの世にはいないだろう。
つまり俺にはもう何も残されていない。
長い放浪の末に行き着いたのは、ヴァイス帝国とリーム王国の国境線の村だった。
広大な平原のど真ん中にある。村の名はヘイスターという。
俺が軍にいた頃の国境線はもっと奥にあったはず。
ずいぶんと王国に追いやられたものだ。
ただそれ以上のことは何も感じなかった。
「とにかく早くこの国から出たい」
その一心しかなかった。
だから、この村で一泊し、翌日には国境を超えてリーム王国へ入ろう。
そして、そのまま山奥でひっそりと暮らそう……。そう考えていたのだ。
しかし、俺の運命はこの村から再び動きだすことになろうとは……。
それはふらっと立ち寄った寂れた酒場から始まったのだった――
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