⑤ 『助けない援軍』
◇◇
第二次ヘイスターの戦いが開戦してから三日目。
俺は砦の守備を仲間に任せ、リアーヌと共に領主の館へと入った。
そして日が暮れる直前。
館に入ってきた人物を敬礼で出迎えたのだった。
「やあ、ジェイ大佐。それにリアーヌ・ブルジェ公。丁寧な出迎え、御苦労さま」
片手を上げながら軽い調子で挨拶をしてきたのは、パオリーノ第二皇子であった。
その背後には、俺の敬愛するルーン将軍の姿もある。
俺は将軍と目を合わせると、小さく微笑みあった。以前、帝都に帰還した際には互いに都合が合わずに会えなかったのだ。久々の再会に胸が踊ってしまうのは仕方ない。
その様子に目を細めたパオリーノ殿下は、弾むような声で言った。
「今日はもう遅い。ゆっくりと食事を取りながら、積もる話でもしようではないか」
俺は目を丸くした。
日が落ちれば朝までは停戦となる。
しかしそれでも戦争状態にあるのは確かなのだ。
悠長に食事をしながら談笑している場合ではないはずだ。
だが、俺の肩にポンと手をかけた殿下は、変わらぬ口調で続けたのだった。
「これは君の名誉の回復と、リアーヌ公の自由に対する前祝いだよ。もっと喜びたまえ」
「はっ……かしこまりました」
こうして夜は更けていった。
最も印象に残ったのは、ルーン将軍との久しぶりの会話ではなかった。
パオリーノ殿下の心の底から愉快そうな笑顔だったんだ――
………
……
リーム王国の援軍は、マリーナの読みの通りに10000。元いた5000と合わせれば、総勢15000の大軍に膨れ上がった。
一方、ヴァイス帝国の援軍は15000。ヘイスターの兵と合わせれば16000にまでなった。
すでに戦闘状態にある戦場において、互いに大軍が揃えば、『野戦』で決着をつけるのが普通だ。
短期間で決着がつくため、物資や兵などの消耗が最低限となるからである。
しかし……。
「なぜ動かねえんだ……」
砦に戻った俺は頭をひねらせていた。
両軍ともにらみ合ったまま、動こうとしなかったからだ。
帝国軍の総大将であるパオリーノ殿下にいたっては、ヘイスターの領主の館に滞在したまま、外に出てくる素振りすら見せない。
「兵数が一緒ってのも、まるで示し合わせたかのようだのう」
前線から戻ってきたアルバンが、あごに手を当てて言う。
ちなみにここにはロッコ以外の仲間が全員揃っている。敵軍が攻めかかってくる気配を見せないので、前線に出る必要がないからだ。
そしてアルバンの言葉に、ステファンが続いた。
「ははは! 裏で話がついてるんじゃねえか!」
「やいっ! ステファン! それじゃあ、『いかさま』じゃないか! 戦士たる者、正々堂々と戦うべきだろう!」
「ははは! ヘンリー殿! 女を落とすのも『根回し』が必要だって知らないのかい? それじゃあ、女にモテねえな!」
「むむぅ! じゃあ、今度教えてくれよ! その根回しってやつを!」
「おう! いいぜ! ははは!」
「ステファン、やめとけ。ヘンリー殿に変なことを吹き込むな。リアーヌが悲しむ」
ステファンは冗談半分で言ったのだろうが、どうも『根回し』という言葉が引っかかる。
もしこの『にらみ合い』が根回しによるものだとしたら……。
……と、その時、体にびびっと電撃のような衝撃が走った。
「時間稼ぎか……」
俺の言葉に全員の目がそそがれた。
「ジェイさん、教えてくれる? 何のための時間稼ぎなのかしら?」
マリーナが首をかしげながら問いかけてきた。
俺はゆっくりと、自分に言い聞かせるようにして答えた。
「ここで足止めされれば、次の戦場に向けて、大軍を動かせなくなる」
「つまり『わざと足止めされている』と言いたいの? 何のために?」
俺は大きく息を吸うと、腹に力を込めて答えた。
「ここではないどこかの戦場で『負ける』ためとしか思えん」
「待って、ジェイさん。逆もあり得るんじゃない? 敵を足止めしておいて、他の戦場を有利に進めるためとか」
「それはありえない。パオリーノ殿下とルーン将軍と言えば、帝国でも最も精鋭を率いる二人だ。彼らが敵を足止めするためだけに大軍を率いるなど、絶対にないと断言できる」
「それはそうだけど……。いくらなんでも『負ける』ためなんて、ありえるのかしら……」
納得のいかない様子のマリーナから目を離し、俺のすぐ隣にいるコハルに視線を移す。
彼女と視線が合ったところで、俺は告げた。
「それを今から確かめるとする。コハル、一つ頼まれてくれるか?」
「うん! ジェイさま! なんでも言って!」
「サザランドへ行っておくれ。そこで見たものを報せて欲しいんだ」
「サザランド? ここからだと3日はかかっちゃうよぉ」
「ああ、分かってる。だが、なるべく急いでくれ」
「うん! 分かった! じゃあ、行ってきますっ!」
そう言い残したコハル。直後には煙のように姿が見えなくなった。
なんだろうか……。
この胸のうちの気持ち悪さは……。
俺は少しでも気分を晴らそうと、窓から顔を出して空を見つめた。
「いったい何を考えてやがる……」
と、どんよりした曇り空に向けてつぶやいたのだった――
………
……
第二次ヘイスターの戦いが始まってから10日後――
サザランドではすでにリーム王国からの猛攻を受けていた。
町を守るために設置された3つの砦のうち、2つはすでに敵の手に落ちた。
残るは1つ。それを守備兵たちが必死に守っていたのである。
しかし……。
「申し上げます!! 第一砦が陥落しました!! 間もなく敵軍は町を攻めてまいります!!」
悲壮感を漂わせる伝令に対し、報告を受けたアンナ・トイは淡々とした口調で返した。
「報告ご苦労。では町の門の守備に兵を集中させるように伝えなさい」
「はっ!」
伝令は休む間もなく、前線へと戻っていった。
その様子を見届けたところで、町の領主ユージムは顔を青くして口を開いたのだった。
「もうダメだ! 降参いたしましょう! そうすれば命だけは助けてくれるでしょうから!」
しかし、アンナは首を縦に振らなかった。
彼女は当然分かっていたのだ。
もし降参すれば、皇太子であるヴィクトールの身が危うくなることを……。
「ならばどうするというのだ? 教えてくれ、『氷血の姫将軍』さんよ」
トミー・ベルナールが冷ややかな視線をアンナに浴びせる。
軍事に関してはからっきしな彼は、町が攻められても我関せずを貫き、持参した大金を利用し、普段どおりの贅沢な生活を送っていた。だが、いよいよ町が危うくなったところで、ようやくアンナの前に姿を見せたのだった。
そんな彼に対し、アンナは軽蔑するような視線を向けて言った。
「最後まで戦う。それだけよ」
「ふふ……。はははっ! これだから軍人あがりは、単細胞で困る! 分かった。君はその身が滅ぶまで戦い続けたまえ。僕は皇太子殿下とともに、先に失礼させていただこう」
「どういう意味かしら?」
アンナの鋭い問いかけにトミーは答えることなく席を立った。
その翌日のことである。
ヴィクトール皇太子、トミー・ベルナール、そしてサザランドの領主ユージムの三人がわずかな従者と共に町から姿を消したのは……。
それはトミーの巧みな交渉と持参金によってなし得たものだった。
――これよりサザランドの領主はアンナ・トイ侯爵令嬢となった。彼女と町、そしてこの金と引き換えに、皇太子殿下を帝都へと帰していただきたい。もし無事に皇太子殿下がお戻りになったあかつきには、ベルナール家よりさらなる礼金を出そう。
リーム王国にもベルナール家の莫大な財産のことは知れているし、商売で世話になっている者たちも多い。
ここでトミー・ベルナールの言葉に従えば、自分たちに多くの便宜を図ってくれるだろう。
逆にトミーの身に何かあれば、大きな不利益をこうむりかねない。
そう判断した王国軍の総大将は、トミーと手を結ぶことに決めたのだった。
「そうか……」
伝令の報告にも、表情一つ変えずにアンナはそうつぶやいた。
すでに三人の脱出は兵たちの間で噂話となり、続々と敵に投降する者たちが出始めているという。
しかし彼女は焦ることもなければ、町を放って逃げ出した三人に憤る様子もなかった。
ゆっくりと席を立ち、紺色のマントを羽織ると、前へと歩き始めた。
向かう先は戦いの最前線。
「ジェイ……。これが私の償いよ。あなたを苦しめた私の……」
一瞬だけ見せた哀しげな表情など、誰に見せることもなく、彼女は乱戦の中へと身を投じていったのだった――