⑤ 『意外な告白』
◇◇
翌日の朝――
昼前には王宮を出る予定となっている俺とリアーヌは、旅の準備を進めていた。
その最中、俺はちらりとリアーヌの顔を見る。
その視線に気付いた彼女は、きょとんとした表情を浮かべた。
「ん? どうかしたの?」
「……本当に覚えていないんだな」
「何を?」
実は昨晩のこと……。
――じんばいしたんだからぁ! うわあああん! あだしのきもぢも知らずにぃ! うわあああん!
ジュスティーノ殿下との会見を終え、過ごしていた宿に戻った俺に飛びついてきたのは、泥酔したリアーヌだった。
俺が戻る前、落ち込んでいた彼女の気持ちを少しでも紛らわせようと、執事のマインラートがホットワインをすすめたのが失敗のもとだったらしい。
彼女はぐいぐいとグラスのワインを飲み干すと、ワインをボトルごとあおった。そして俺が彼女の前に姿を現した途端に、わんわんと大泣きしながら大暴れしだしたのだ。
その様子は、まるで捕らえられた虎のようであった。
マインラートと一緒になだめようにもおさまらず、しまいには王宮に常駐する近衛兵たちまで駆けつける始末……。
本当に大変だったのだが、彼女の頭からはすっかり抜けているという……。
実にめでたいものだ。
「いや、なんでもない。気にするな」
「なによ! 隠し事するなんて、騎士様らしくないわ!」
「だから俺がいつリアーヌの騎士になったんだよ……」
「ふんっ! もういいもん!」
ぷくっと頬を膨らませて、せっせと旅の支度を再開するリアーヌ。
彼女を見つめながら、俺はもう一つの『隠し事』を思い起こしていた。
それは昨日、パオリーノ殿下からの言葉だった。
――君の名誉を回復し、リアーヌ・ブルジェを『処刑台』から下ろす方法はただ一つ。
そう切り出した彼が俺に託したのは……。
――次の春。リーム王国が再びヘイスターを攻めてくる。その戦に勝利して欲しい。
『勝利』だった――
無論、断れるはずがない。
しかし当然のように疑問がわいた。
――なぜ殿下が『次の春に王国が攻めてくる』と御存じなのでしょう?
そして当然のように、笑顔ではぐらかされた。
――細かいことは気にしなくていいさ。それよりも、これが最後のチャンスだと思いたまえ。失敗すれば、君とリアーヌ・ブルジェの命は今度こそなくなる。いいね。
……と、最後は脅してくるんだから、たいした玉だ。
「ちょっと、ジェイ! 手が止まってるわよ! 何をぼけっとしてるの!?」
「ああ、すまん」
まさかリアーヌに『次の春に再び戦になる』なんて言えるはずもない。
それはマインラートや町で留守を預かっているヘンリーに対しても同じだ。
だから町に帰ったら、きたるべき時に備えて粛々と準備を進めるだけだ。
それにしても、無理やりに『重いもの』を背負わされてしまったな。
これがクロ―ディアの言っていた『汚い泥沼』というやつか……。
気が滅入ってしまった俺は「ふぅ」と息を大きく吐いた。
「もうっ! ため息ばっかりついて! そんなにヘイスターに戻るのが嫌なんですか!?」
「そんなことねえよ。むしろ早くここからおさらばしたいさ」
「だ、だ、だったらアンナ様と離れるのが、つ、辛いんですか!?」
顔を真っ赤にしながら口を尖らせるリアーヌ。
俺は眉を八の字にさせながら、もう一度ため息をついた
「はぁ……。バカな勘ぐりしてる暇あったら、手を動かしておくれ、リアーヌ『公』よ」
「むむぅ……! ジェイ『様』に言われたくないもん!」
リアーヌが再びぷいっと横を向く。
その様子は『子ども』以外のなにものでもない。
「まったく……」
思わずあきれる声が漏れるが、自然と口角が上がっていることに気付いた。
不思議なものだ。
彼女とこうして言い合っていることで、背負わされたものが、ふっと軽くなるのだから。
そして腹の底から、ふつふつと湧いてくるんだ。
どんな災いが降りかかろうとも、リアーヌとヘイスターの町を守りたいという気持ちが……。
「さあ、準備完了ね! ちょっと早いから、お買い物にいきましょ! ねっ! ジェイ!!」
陰謀渦巻く漆黒の世の中にあって、リアーヌの無邪気な笑顔だけが『希望』の光のように思えてならなかった――
………
……
昼過ぎ――
俺たちは宿を馬車に乗って出立した。
かつて『彗星の無双軍師』と称えられていた頃は、出迎えも見送りにも大勢の人でメインストリートは埋め尽くされたものだったが、今は誰一人としてそのような人はいない。
むしろ俺が帝都に帰還したことすら、民衆は知らないのだろう。
もっとも、俺にとっては静かに移動できる方が好みなのだが、それでもちょっぴり寂しさも感じる。
だが、帝都の北の門で、たった一人だけ俺を待ち構えている人物がいた。
俺がこの世で最も嫌う人物……アンナ・トイだった。
「あっ! アンナ様!!」
慌てて馬車から下りたリアーヌが、アンナに向かってお辞儀をする。
だがアンナの目にはリアーヌは映っていないようだ。
真っ直ぐに俺だけを見つめながら、つかつかと近付いてきた。
一人でいることからして、軍の職務を離れてここまで来たに違いない。
しかしいつも通りの色気のかけらもない軍服姿だ。
それに色のない表情まで変わらないのだから、この女にはプライベートという概念がないのかもしれない。
そんなどうでもいいことを考えているうちに、彼女は俺の目の前に立った。
「パオリーノ殿下にもお会いしたそうね」
「ああ」
「おおかた、『大佐は無罪だ』とでも吹き込まれたのでしょうが、あなたの有罪は帝国軍と貴族院の両方で決まったことよ。だから、あまり調子に乗らないことね」
裏を返せば「皇族が何を言おうとも、貴族の決定には逆らえない」とでも言いたいのだろう。
実にくだらねえ……。これだから『醜くて汚い泥沼』は嫌いなんだ。
「安心してくれ。今さら何かしでかすつもりなんて、さらさらねえよ」
アンナは小さく微笑む。
そして冷たい口調で続けた。
「忘れたとは言わさないわ。あなたは私の『モノ』になったの。勝手は許さないわよ」
アンナの言葉にリアーヌが何か言いたげに俺を見てくる。
俺は片手で彼女を制すると、アンナに向けて答えた。
「ああ、分かってるって。俺がめんどくせえことに首を突っ込みたがらないのは、お前さんもよく知ってるだろうよ」
「ええ、そうだったわね。でも、あなたは『女』に弱いから」
「下世話な話は王宮にいる令嬢たちとしてくれや。もう用がないなら、ここを通らせてもらう」
俺は門の方に向かって歩き出す。
だが、アンナはまだ言い足りなかったようだ。
すれ違いざま、彼女は耳元でささやいてきたのだった。
「一度燃え尽きた星は、もう輝かない。大人しくしてなさい。妹さんのためにも」
彼女の言葉に心臓が大きく波打つ。
まるで時が止まったかのように、俺は固まってしまった。
「まさか妹のリナが生きているのか……?」
振り返りながら問い詰めようとした時には、彼女は馬上の人となっていた。
そして俺の問いには答えず、鋭い口調で続けたのだった。
「それでも戻ってくるつもりなら……。ヘイスターに贈り物を届けておいたわ。せいぜい彼らと一緒に悪あがきでもすることね」
「彼ら? いったい誰のことだ?」
だが彼女は最後まで俺の問いには答えなかった。
馬の腹を蹴ると、そのまま王宮の方へと消えていった。
俺は後ろ髪を引かれる思いで、帝都を後にしたのだった――