④ 『権力争い』
◇◇
ヴァイス帝国は、数千年も前から存在した古い国だ。
しかし他国を圧倒する大国になったのは、現皇帝アルフレド・ヴァイスの代からであった。
彼が国を強くできたのは、それまでの慣習を徹底的に破壊したからだ。
すなわち、皇帝と皇族だけで執り行われていた『軍事』と『政治』の権力を細分化し、柔軟かつ臨機応変に最善を尽くせるようにしたのだ。
『軍事』は将軍以下の帝国軍に、『政治』は侯爵以下の貴族院へと委譲したのである。
皇帝アルフレドは、人を良く愛し、そして何よりも『人材』を大事にする偉大な王であった。
彼によって見出された人材は『帝国軍』ないしは『貴族院』で大いに活躍した。
もちろんそれぞれのトップには皇帝が君臨していたが、彼はいわば『象徴』のような存在。
あくまで彼は人材の活用を最優先としたのだった。
しかし弊害もあった。
それが『権力争い』であった。
特に皇帝の妹が降嫁したことで爵位を与えられた大富豪の商家であるベルナール家と、古くからの由緒正しき貴族であるトイ家による争いは、愛娘のクロ―ディアの死以降、病気がちになったヴァイス皇帝の発言力が低下し始めた頃から激化していく。
貧しい農民の出である俺にはまったく縁のないはずだったが、『参謀長』の地位は両家にとって垂涎の的であったらしい。
もののみごとに醜い権力争いに巻き込まれてしまい、『失脚』の烙印を押された。
それがリーム王国のデュドネ少将が死にぎわに漏らした言葉だったのだな。
アンナ・トイがその地位に収まったことで、『軍事』はトイ家が掌握した。
一方で『政治』では貴族院の議長にトミー・ベルナールという青年が就任。
その実権はベルナール家が掌握した。
こうして表向きは均衡が保たれていた。
しかし、どちらに権力が傾いても不安定な情勢だったのである。
そんな中、事件が起こった。
とある皇族の執事だったオーウェン・ブルジェが、あらぬ疑いをかけられて、妻とともに孤島に流され投獄。
さらに、彼の娘と息子は辺境の地へ飛ばされてしまったのだ。
言うまでもなく、リアーヌの一家だ。
オーウェン公はトイ家と縁戚関係にある。
つまり『トイ派』と見られていた。
しかしその皇族の親しくしていた商人が『ベルナール派』であり、「ブルジェ家は裏切り者」という噂が何者かによって広げられたというのだ。
このことは貴族の間で、とてつもない衝撃となった。
なぜなら貴族間の権力争いが、『聖域』とも言える皇族にまで浸食し始めていることを意味していたからだ。
自分たちが親しくしている皇族が『ベルナール派』と『トイ派』のどちらなのか……。
貴族たちは疑心暗鬼となり、自然と皇族との接触を避ける者が増えていった。
それもそのはずだろう。
万が一、敵対する派閥に属する皇族と親しくしようものなら、『裏切り者』の烙印を押され、ブルジェ家のような仕打ちにあいかねないのだから……。
そして、この事象は『皇族の孤立』を招いた。
さらに悪いことに、稀代の英傑であるアルフレド皇帝の病は日を追うごとに重くなっていく。
こうして、俺が投獄されていた五年間で、ますます皇族の発言力は低下し、貴族間の泥沼な権力争いは激しさを増していったのだった。
………
……
「つまり貴族たちにとって、皇族が邪魔になりはじめた、ということですか……」
「ええ、その通りです」
ジュスティーノ殿下は、まだ21歳の若者だ。
そんな彼の口から生々しい『権力争い』の話が出てくるまでに、この国の中枢は腐り切っているのだ。
その事実に、俺は辟易としていた。
正直言って、「関わりたくない」というのが本音だ。
しかし、目の前の青年の痛々しい姿を見れば、そんなことは口が裂けても言えない。
ならば遠まわしに「聞かなかったことにする」くらいしかできないだろう。
そこで俺は首を横に振りながら告げた。
「今の俺はこの通り、何も持たない『罪人』でございます。たとえ助けたくても、何もできやしません」
だがジュスティーノ殿下は諦めようとしなかった。
ぎゅっと唇を噛むと、俺の腕を両手をがっしりと掴んできたのだ。
「ジェイと僕を罠にはめたのは、『トイ派』の息がかかった者に違いない、とパオリーノ兄さんが言ってました」
純真なジュスティーノ殿下に色々と吹き込んだのは、パオリーノ第二皇子に違いない。
爽やかな外面の割に、ずいぶんとえげつないことしやがる。
やはり関わらないのが一番だ。
強いてはジュスティーノ殿下の身のためでもある。
「ならば皇帝からの勅命で、アンナ・トイとトミー・ベルナールを現在の地位から引きずりおろせばよかろう」
「今の父上にそれができる力はありません!」
「皇帝陛下が手も足も出せないのに、俺に何ができるとおっしゃるのか? もう離してくだされ。これまでのことは聞かなかったことにいたしますゆえ」
「くっ……!」
正論にジュスティーノ殿下が唇を噛み、悔しさをあらわにする。
そして震えながら俺から手を離した。
これでいいのだ……。
下手に首を突っ込むと、藪から蛇が出かねない。
俺はゆっくりと立ち上がると、小さく一礼した。
だが、その時だった。
――ガチャ。
人払いをさせていたはずの部屋に誰かが入ってきたのである。
急いでドアの方へ振り返ると、そこに立っていたのは……。
パオリーノ第二皇子だった。
俺は慌てて彼に頭を下げた。
「頭をあげてくれ、ジェイ・ターナー大佐」
『大佐』の言葉に俺の目が大きく見開かれる。
するとパオリーノ殿下は清々しい笑顔を見せた。
「僕は君のことを『無罪』だと信じているし、名誉を回復させてあげたいと願っているんだ」
「ありがたい御言葉でございます」
「もちろん弟の無念も晴らしたいと考えている」
彼はゆっくりと部屋を歩くと、ジュスティーノ殿下の背後に立った。
そして車いすの手すりに手を添えた。
さも『弟想いの兄』を俺に見せつけるように……。
「君と弟を陥れたのは、この国に蔓延した『膿』だ。だから僕らはそれを出しきらねばならない。そう思わないかい?」
「……おっしゃる通りでございます」
言葉では同意しながらも、口調はいたって冷静。
まさに『うわべだけ』を露骨に示す。
だが、彼は爽やかな笑みをぴくりとも動かさずに続けた。
「君に手伝って欲しい。クロ―ディア姉さんが夢見た『争いなき世』を作るために」
ここでクロ―ディアの名前を出してくるとは……。
かっと熱いものが込み上げてくるのが分かった。
何かを口に出そうものなら爆発してしまいそうだったので、黙ったまま頭を下げた。
何を言われようとも、俺は泥沼には入らない。
それはクロ―ディアとの約束を守るためだ。
しかし……。
一度獲物に巻きついた蛇は、相手を飲み込むまでは決して離れないことを、すっかり忘れていた。
小刻みに震えながら頭を下げ続ける俺に対し、パオリーノ殿下はまるで清流のように涼やかな声で続けた。
それは、喉を噛みちぎる毒牙のような言葉であった――
「君の手で、リアーヌ・ブルジェを『処刑台』から下ろしてあげようとは思わないかい?」
はっと顔を上げる。
すると彼は澄み切った青空のような笑顔で言ったのだった。
「力を貸してくれるね? 蘇った彗星、ジェイ・ターナー大佐!」
と……。