③ 『呼ばれた理由』
◇◇
もう六年も前のことだ。
あの日は特に冷え込んだ一日だった――
俺は帝都から遠く離れた戦場にいた。
この世から消えゆく君の命のことなんて、頭の片隅にもなかったさ。
目の前の勝利だけに集中していたからな。
――ほんの少し風邪気味なの。でも心配しないで。
そう言ってたじゃないか。
だから、味方を勝利させ、無数の戦功を掲げて凱旋すれば、きっと君は笑顔で迎えてくれる……。
そんな風に夢を見ていたんだよ。
しかし……。
――クローディア!! クローディア!! 目を覚ましてくれ! 頼む!! うわああああああ!!
………
……
――ザッ……。ザッ……。
背中から新雪を踏みしめる音がしたかと思うと、穏やかな声が聞こえてきた。
「クロ―ディア・ヴァイス、愛する家族に見守られ、ここに眠る……」
それは俺が手を合わせる墓石に刻まれた言葉だ。
俺は声の主の方へ顔を向けた。
ファー付きの白いコートに身を包んだリアーヌが、神妙な面持ちで俺と墓石を見つめていた。
「ルーン将軍とおっしゃる方が、ジェイはここにいるだろうって教えてくれたから……」
「そうかい。全部終わったのかい?」
「うん」
リアーヌは小さく返事をすると、俺の横にかがんで墓前に手を合わせ始めた。
王宮に呼ばれた彼女は、重い病気を抱えたアルフレド皇帝の代わりである、長男のヴィクトール皇太子と謁見を果たし、先の戦の労をねぎらわれたことだろう。
既に昨日の時点で、「帝国への忠誠を誓う」という条件つきで、ヘイスターの領民たちの自由な往来が許された。それに、手にした報酬金で彼らの生活も少しは豊かになるに違いない。
「本当に良かったな」
つい本音が漏れると、静かに顔を上げたリアーヌがニコリと微笑んだ。
「これも全てジェイのおかげよ。ありがとう」
「よしてくれ。町を救ったのは、ヘイスターの人々が頑張ったおかげさ。俺はそれを少しだけ後押ししただけだ」
「ふふ、謙虚なのね。それとも愛しきクロ―ディア様の前だから、かっこつけてるのかしら?」
「なに!? 誰からそれを!?」
「さあ……。誰かしらねぇ。ふふふ」
なぜ彼女が俺たちが恋仲であったことを知っているのだろうか。
俺が眉をひそめる一方で、リアーヌはもう一度墓に手を合わせた。
「クロ―ディア様。どうかヘイスターの町をお守りください」
彼女の様子を見て、俺も手を合わせた。
静かな時が、ゆっくりと流れる。
しんしんと降る雪の音だけが、聞こえていた。
……と、その時だった。
――ザッ……。ザッ……。
再び聞こえてきた足音。
ちらりと背後を見た瞬間に、俺の心臓がドクンと大きな音をたて始めた。
「久しぶりね。ジェイ」
アンナ・トイだった……。
何も事情を知らないリアーヌが無邪気な笑顔をアンナに向ける。
「はじめまして。ヘイスターの領主、リアーヌ・ブルジェと申します」
「ふふ、ジェイの新しい相手が、こんな礼もわきまえぬ小娘とはね。とても残念だわ」
「え……?」
突然浴びせられた冷たい言葉にリアーヌが目を丸くしている。
俺は二人の間に立った。
「すまんな、アンナ・トイ少将。リアーヌ公はまだ若くてな。王宮の作法には慣れてねえのさ。許してくれ」
「トイ……。まさか、トイ侯爵のご息女様!?」
リアーヌが慌てて頭を下げた。
ちなみにリアーヌ家はアンナ家よりもかなり格下にあたる。
つまり気軽に挨拶できるような間柄ではないのだ。
「ここでは気安く声をかける前に、相手の身分を確かめることね」
「申し訳ございませんでした!」
必死に頭を下げ続けるリアーヌをかばうために、俺は彼女の注意を自分自身に向けた。
「ところで、軍の参謀長様が、わざわざ自らの足でここまで来たんだ。俺に何か用事があるんじゃねえのか?」
「ふふ、女を見る目は鈍ったようだけど、察しがよいのは相変わらずね」
「まあ、いいから。用件を言ってくれや」
アンナは小さくため息をつくと、少しだけ険しい顔つきになって告げてきた。
「ジュスティーノ殿下がお呼びよ」
「ジュスティーノ殿下が……」
彼が自由に歩けなくなってしまったことは、俺の耳にも入っている。
そして、自身の不遇を嘆く彼が、俺のことを呪詛しているとの噂も知っていた。
つまり彼は「自分を罠にはめたのは、ジェイ・ターナーである」と思い込んでいたわけだ。
そんな彼が俺に会いたいと言っている……。
その理由は一つしかないだろう。
憎きジェイ・ターナーを自分の手で亡き者にするということだ。
「そうかい……」
思わず漏れるため息。
不思議と動揺していなかったのは、目の前に君が眠っているからかもしれない。
かっこ悪いところを見せる訳にもいかないからな。
なにはともあれ、これで合点がいった。
どうして俺がここに呼ばれたのか、ということの――
「俺をここに呼んだのは殿下であったか」
「さあ、どうかしら」
無表情を貫くアンナ。
本当に知らないのか、それとも事前にこうなることを知っていたのか、俺には区別がつかない。
もしかしたら殿下をそそのかしたのも、彼女かもしれない。
ただ、それも今となってはどうでもいいことだ。
なぜなら俺は『死ぬ』のだから――
「では、早速行ってくるとしよう」
俺の雰囲気が変わったことに気付いたのか、リアーヌが心配そうに俺を見つめている。
俺は口角を上げると、落ち着いた声で言った。
「少し遅くなるかもしれん。もし明朝までに戻らなかったら、先にヘイスターへ帰るんだ。いいね?」
リアーヌはその言葉の意味を理解したのだろう。
みるみるうちに大きな瞳に涙をためて、首を横に振った。
俺は彼女の反応を無視するように、アンナに向かって頭を下げた。
「彼女が安全にヘイスターへ帰れるようにして欲しい。この通りだ」
「安心なさい。処刑台の上に人を送り届けるのも兵士の役目だわ」
ヘイスターの領主は『処刑台に上げられた貴族』と呼ばれていることを彼女も知っているに違いない。
素直に「はい、分かりました」と言わないのがアンナらしくて憎たらしい。
思わず笑みが漏れた。
「ありがとう」
礼を言った後、二人を置いて王宮へと戻っていく。
「待って! ジェイ!!」
高い声をあげた彼女が追いかけてこようとするが、その細い腕をアンナがしっかりと掴んだ音がする。
「離して! 私も付き添うんだから!」
「わきまえなさい。爵位もない小娘がやすやすとお会いできる相手ではないの」
「いやっ! ジェイ! 行かないで!」
彼女の悲痛な叫び声が胸に響く。
ただ、こうなってしまった以上、どうしようもない。
俺は振り返ることなく、降り積もった雪に足跡を残しながら、その場を去っていったのだった――
………
……
ジュスティーノ殿下が指定した場所は、皇族との会見に利用する『謁見の間』ではなく、あまり使われていない小部屋だった。
人知れず『始末』するにはうってつけの場所だ。
ドアノブを持つ手がかすかに震えている。
どんなに平静を保とうと努力しても、いざとなれば恐怖心がむくむくと顔を覗かせてくるのは仕方ないことだ。
大きく息を吸ってから、吐く。
そしてぐっと腹に力を込めて声を出した。
「ジェイ・ターナーでございます」
間をおかずに中から声が聞こえてきた。
「入れ」
「はっ」
俺は覚悟を決めて部屋に入る。
すると小さな部屋の中央に、車いすに乗ったジュスティーノ殿下と背後に立つ老臣の姿が目に入ってきた。
「じい、下がってよい。そして、しばらく辺りに人を近付けるな」
殿下の見た目は五年前とほとんど変わらない。あえて言えば、少し幼さが抜けたくらいだろうか。
それでも中性的な童顔のままだ。
だが、あの大人しかった殿下からは考えられないような威厳のある口調に、正直驚かされた。
「はっ、かしこまりました」
老臣は頭を下げて、すみやかに部屋を去っていく。
そうして俺とジュスティーノ殿下は二人きりとなった。
ちらりと彼の腰に目をやると、立派な短剣が差されている。
そこからそっと目を離した俺は、殿下に目線を合わせるようにひざまずいた。
「お呼びでしょうか」
「うむ。他でもない。五年前の件で、貴殿を呼んだのだ」
自然とひたいに汗が浮かんでくる。
覚悟を決めていたとはいえ、人並みに死への恐怖はつきまとっているのだから情けないものだ。
――ガラガラッ。
頭を下げていると、石畳みの床の上を車輪が転がる音がした。
ふと顔を上げる。
するとジュスティーノ殿下は鼻と鼻がくっつきそうになるくらいまで顔を寄せてきた。
そして彼は聞いたこともないくらいに低い声でささやいた。
だが、その内容は俺が想像すらしていなかったものであった――
「ジェイ。助けて欲しい」
「なんですと?」
「この国を乗っ取ろうとしている者たちがいる。その者に僕とジェイははめられたのだ」