② 『帝都への招集』
◇◇
俺が目を覚ましてから数日が経った。
焼け落ちた領主の館の残骸は片付けられ、王国兵たちの亡骸は郊外で丁寧に埋葬された。
そして町から少し離れた場所にある森林から木材を調達し、新たな領主の館が完成した。
以前のような絨毯や絵画の飾り付けはない。
それでも、領民たちの善意により、リアーヌたちが快適に過ごせるように、家具などの一式は揃えたらしい。
すっかり傷の癒えた俺にも、そのうちの一室があてがわれた。
一方、俺は最低限の防備を整えることにした。
町をぐるりと囲むように堀を作り、近くの川から水を流す。
門の前には橋をかけ、『吊り橋』といって、敵が攻め込んできた時は、いつでも橋を上に上げられるように工夫した。
それだけではない。
町の四隅には『櫓』と呼ばれる木造の塔を設置。
敵の動向を監視できるだけでなく、そこから弓や石による迎撃を可能としたのだ。
もちろん門も堅くし、町を囲む壁もしっかりと修復した。
兵たちだけでなく、町のすべての男たちに最低限の軍事訓練を施し、何かあれば町を全員で守れるようにもした。
ちなみにその人数はおよそ500人。
まあこれだけでも、以前よりはだいぶましだ。
以前の王国軍のように200人程度で攻め込まれたとしても、あっさり撃退できるだろう。
そして俺が目を見張ったのは、ヘンリーの変化であった。
「やあっ!」
――カンッ!
木の剣での稽古はすっかりに板につき、元軍人であったマインラートといい勝負をするまでになった。
長身な上に、柔らかな身のこなしからして、一流の戦士になるだけの素質はあるとは思っていたが、まさかここまで成長が早いとは想像すらしていなかったのだ。
みるみるうちに彼は強くなっていき、もはやこの町で彼にかなう者はいなくなってしまったのだった。
「へへん! どんなもんだい!」
「あまり調子に乗りなさんな。ヘンリー殿よりもはるかに強い者は当たり前のようにいるのですから」
「へんっ! だったらそいつら全員と勝負してやるよ! 俺が一番であることを師匠に見せつけてやるんだい!」
お調子者であることに変わりはない。
しかし、教えたことを貪欲に吸収しようとする彼の姿勢に、俺は素直に感心していたのだった。
………
……
そうして季節は進み、温暖な気候のヘイスターの町にもみぞれまじりの冷たい雨が降り始めた頃。
リアーヌに対して、王宮から一通の書状が届けられた。
彼女は俺の部屋を訪れるなり、その書状を広げて読み始めた。
――リアーヌ・ブルジェ公およびジェイ・ターナーに登城を命じる。
それは想定通りの「呼び出し」であった。
リアーヌが呼ばれたのは、王国軍を撃退したことによる報酬金と勲章の授与のためだろう。
しかし俺は帝都を追放された身だ。
そんな俺を王宮へ招き入れるということは、『誰かしら』の強い意図によるものであることは火を見るより明らかだ。
それは誰の意図なのか。
何の為だろうか。
ふっと脳裏によぎるアンナ・トイの冷たい微笑。
ぞくりと背筋に冷たいものが走る。
「ジェイ……。大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込んできたのリアーヌに対して、手をひらひらさせて「なんでもないさ」と答えた。
だが『なんでもない』はずない。
俺を絶望のどん底に落としたあの場所にもう一度戻らされるのだ……。
君の言う『醜くて汚い泥沼』に――
――キュッ。
ふと右手が優しい温もりに覆われた。
はっと我に返ると、リアーヌの笑顔が目に飛び込んできたのだった。
「帝都までの道のり。私をしっかりと守ってくださいね! 騎士様」
「騎士!? いつ俺が騎士になったよ?」
リアーヌはひょいっと俺のそばから離れると、少しだけ伸びた髪を揺らしながらドアの方へステップした。
「さあ? いつだったかしら? ふふ、帝都なんて久しぶりだから楽しみ!」
泣きながら「そばにいて」と懇願してきたのは幻だったのだろうか。
あの日以来、そのことには一切触れてこない彼女。
いったい、彼女の家族にはどんな苦難があり、今彼女がヘイスターの町の領主を務めねばならないのか。
もしかしたら帝都に行けば、それも分かるかもしれない。
そんな風に思いながら、部屋を出ていく彼女の背中を見つめていたのだった――
◇◇
ヴァイス帝国、王城――
謁見の間と呼ばれる広い部屋に、アンナ・トイが入った。
そして豪勢な椅子に腰かけていた青年の前でひざまずくと、抑揚のない声を出した。
「パオリーノ・ヴァイス殿下。何か御用でしょうか?」
「はは、忙しいところ、よく来てくれたね。アンナ少将。まあ、楽にしたまえ」
薄茶色した柔らかな髪をなびかせながら椅子を立った青年、パオリーノ・ヴァイス第二皇子は、部屋の片隅にあるテーブルまで移った。
彼は「帝都内で彼を好かぬ女性などいない」と言っても過言ではないほどの好青年だ。
そんな彼らしく上品な所作で、アンナを手招きした。
「そこにかけたまえ」
「はっ」
アンナはパオリーノに言われるがままに、テーブルの前の椅子に腰をかける。
パオリーノはアンナに向き合うようにして座った。
部屋の中は彼ら二人を除いて誰もいない。
どちらも沈黙する中、パオリーノがワインをグラスに注ぐ音だけが響いていた。
そして彼は二つのグラスのうち、片方をアンナの前に置きながら言った。
「ジェイ・ターナーがここへやって来ると、ルーン将軍から聞いたよ」
「はっ」
アンナは表情一つ変えずに、小さく返事をする。
一方のパオリーノはそんな彼女の反応に切れ長の目を向けながら続けた。
「貴公が呼んだのかい?」
「いえ」
「ふむ、そうか……。いや、彼には悪いことをしたと謝らねばならなかったからね。ちょうど良かったよ」
「失礼ですが、殿下が謝る必要など、どこにもないと思われますが……」
「はは、そういう訳にはいかないだろう。彼は『無実』だったんだから」
「ジェイ・ターナーが無実……」
アンナの線のように細い眉がぴくりと動く。
その瞬間をパオリーノは見逃さなかった。彼は身を乗り出して、テーブルの上に両肘をつくと、口元を隠してアンナに鋭い視線を向けた。
「僕の可愛い弟ジュスティーノ・ヴァイスはね。あの一件以来、『自由』を失ったんだ」
彼の言うあの一件とは、ジュスティーノが不可解な夜襲に失敗したことだ。
その際、ジュスティーノは下半身に深手を負って、自分の足では歩けなくなってしまったのである。
「ジュスティーノ殿下のことは、大変痛ましく……」
「僕は許すつもりはない! 弟を傷つけたのは、この国にはびこる醜い膿だ!」
パオリーノの突き刺すような言葉が、アンナの言葉を遮る。
アンナは細い目をさらに細めた。パオリーノは一瞬だけ引きつらせた表情を元通りにして続けた。
「僕は必ずその膿を全て排除してみせる。いかなる泥がふりかかろうとも」
パオリーノは彼女に殺気すら思わせるような視線を向けて締めくくった。
「そう兄さんに伝えてくれないか? アンナ・トイ少将」
再び流れる重い沈黙。
パオリーノは姿勢を元に戻すと、ワイングラスに口をつけた。
一方のアンナはその様子をじっと見つめていたが、しばらくして小さく頭を下げた。
「かしこまりました」
その返事を聞いて、パオリーノがニコリと微笑む。
「頼んだよ。話はそれだけだ」
「はっ」
アンナは短く答えた後、すぐに席を立つ。
そして足早に部屋を後にしようとした。
……が、そんな彼女の背中にパオリーノが透き通った声をかけた。
「明日はクロ―ディア姉さんの命日だな」
ぴたりとアンナの足が止まる。
彼女が振り返る間も与えずに、パオリーノは続けた。
「ジェイ・ターナーもきっと姉さんの墓前に姿を現すだろうよ」
黙ったままのアンナの背中を貫くようにパオリーノの声が響いた。
「姉さん亡き今、ジェイ・ターナーに残された価値はなんだと思う?」
ちらりと顔を半分だけパオリーノに向けるアンナ。
その顔はさながら鬼のように険しいものだった。
それを見たパオリーノは、かすかに口元を緩める。
そして自身の問いに、ゆったりとした口調で答えたのだった。
「泥をかぶることだよ。彼には汚れ役がよく似合う。君もそう思うだろう。監獄の中でさんざん弄んだ君なら」
再びアンナが歩き出す。
大理石の床とブーツが奏でる高い音に耳を傾けながら、パオリーノは静かにワインをたしなみ続けたのだった――




