【第二章】1.虚空を観る少女
【第二章】1.虚空を観る少女
「お母さん、あのね」
それが娘の口癖だった。
産まれたばかりで、心臓に疾患が見つかった我が子。代わる代わる診察した医者達は、様子を見るしかないのだと言う。
治るとかいうものではなく、付き合っていくしかないのだと。
どうして、どうして、と何度も問うたが、答えは返って来なかった。
ひとときも病気が無ければ、と思わなかった事はない。五年も経った今でもそう思ってしまう。
それでも「あのね」と話をしてくれる娘を見ると、産まれて来てくれてありがとう。今日も生きていてありがとう。そんな風に思えるのだ。
今日も、病院の不自然なまでに清潔なベッドの上で、娘と話したのだった。
「お母さん、あのね。私はもうすぐ死んじゃうんだって」
薄く切ったリンゴを食べながら、事もなげにそう言った。
「なに言ってるの、頑張って元気になるんじゃない」
「おじさんが言ってたよ、もう死ぬんだって」
「どこのおじさんよ!」
ぴたっとフォークが止まった。しまった、と思ってゆっくり続ける。
「あ、ううん。でも病院の先生も言ってたでしょ、ちょっと落ち着いてきてるって」
「でも、そこのおじさんが……」
そう言って指を指したのは、病室の一角。何もない白い壁だった。
「そこに誰か来たの?」
「うん。いるよ」
カーテンの間から射す光が、薄い線になって縦に一本筋になっている。ただそれだけの白い壁。
「居る?」
「うん」
「今も居るの?」
「うん」
ふぅん、と言って娘から食べ終わったリンゴの容器を受け取った。
「お母さん時間だよ」
「うん。また明日ね」
別れの時間を娘が告げた。
病院にもよるんだろうけど、うちの娘の場合は二十四時間の付き添いをする事はできない。定時が来ると、保護者は引き上げるのが決まりである。
帰りがけあちこちから聞こえてくる「帰らないで」の泣き声に、他人の子ながらも胸が引き裂かれそうになりながら、私は家に帰るのだ。
聞き分けの良いうちの娘も、多分きっと。
そう思っているだろうから。
病院の敷地を出ようとした時、ふと顔馴染みの看護師さんに出会ったので「おじさん」が病室に入った形跡は無いのか聞いてみた。
曰く、そんな人は見たことがないそうである。