【第一章】1.始まりの音
【第一章】1.始まりの音
突如、生理的嫌悪感を覚える音が耳元で鳴り響いた。いわゆるサイレンのような音。
俺は夢の世界から切り離されて飛び起きる。枕元で震えるスマホの画面を確認すると、真っ黒な画面に赤い帯、そこに白い字でこう書いてあった。
国民保護に関する情報
国外より、弾道ミサイルが発射されました。
建物の中もしくは地下に避難して下さい。
繰り返す警告音と非常事態を表す文字。
突如降りかかる非日常に驚いた。何処かへ逃げた方が良いのだろうか、それとも家の中にいるべきか。
さっとカーテンを開けた。俺の家は大通りに面しているので、交通量は多い。飛び込んで来た朝の日差しに顔をしかめながら外を見やる。
二階にあるこの部屋の窓から、見下ろすように観察するが、逃げるような素振りを見せる人はいなかった。全く普段通りの日常だ、そう普通の平日の朝。
故障か、誤情報だろうか。
しかし、アラートの内容が訂正される事は無い。部屋の時計を見る、8月8日10時12分。誰かに相談しようと思ったが、父親も母親も仕事に出ている。それに本当にミサイルが落ちて来るのだとすると、どこへ逃げろというのか。
ピピピピッピピピピッ
聞き覚えのある電子音が鳴り出した。
ワンッワンッワンッ!
階下からだ。
固定電話の呼び出し音と、それに反応してチョコが吠える声。
アイツ電話の呼び出し音にだけは、未だに反応する。何度教えてもダメだった。馬鹿犬かと思ったけれど、他の吠え癖は治ったんだよな。
「うあぁー」
溜め息なのか深呼吸なのか、どちらともとれない声を出して、背中を伸ばしながらリビングに向かった。
チャチャチャッチャと小型犬がフローリングを引っ掻く音。はいはいと、尻尾を振りながらまとわりついて来るチョコを手で制しながら、受話器を取った。
「はい、もしもし」
「おう隼人か、お父さんだけど。Jアラートは鳴ったか?」
「ああ、うん」
そうか、ジェイアラートと言うんだったか。この非常時のアラームは。
「念の為にテレビを付けてリビングにいなさい。外に出ないようにな」
「はいはい、了解」
「うん。それじゃあ、お父さん仕事だから」
返事を返すと、すぐに電話は切れた。
指示通りテレビの電源を入れる。そこでもスマホの画面と同じ画面が表示され、建物の中に避難せよと繰り返している。
テレビの正面のソファに座ると、チョコが足元にやって来た。抱き上げて、隣に座らせて撫でてやった。
チョコは柴犬だ、黒い柴犬でチョコレートを連想したからチョコ。いや本当は柴犬と何かのミックスなんだが良く知らない。貰って来た時には、そんなに詳しく説明はされなかったからな。
テレビのチャンネルをいくつか変えてみるも、面白そうな番組は無かった。どの局も不安を呼び起こす黒い画面の説明だ。
「あーあ」
ソファから立ち上がる。
冷蔵庫から清涼飲料水を取り出して、コップに注いだ。寝起きで喉がカラカラだ。
グッと一息。
今日は早く起こされたし、勉強でもするか。
一応、俺も受験生なんだよな。10時過ぎまで寝ていたのだが、俺の中では早起き。
夏休みってそんなモノだよね。
と、その時。
それまで尻尾を振っていたチョコが突然、耳を立てて天井を睨むように見た。何やってんだ、と思ったその次の瞬間。
バッと視界が白く染まった。
……
遠くから、あの不安な音ではなく今度は救急車のサイレンが聞こえて来た。なにかが忙しなく動き回る音がする。水の中で聞くようなこもった音だ。
目を開こうと思ったが、どうも上手くいかない。視界は真っ白なようで、真っ暗なようでもある。
「……だめか」
「……こっち……は……」
何も見えない。
ふわりと宙に浮く感覚。
すると瞼の裏側に、痩せっぽっちの老人に墨をぶっかけたような男が現れた。
なぜか「ああ、死神だな」と思った。
その死神は言った。
「ソレは今死ぬ。それを、覆したいのであれば、覚悟が必要だ。契約、等価、交換」
口を動かさないまま、死神は語った。聞こえたと言うよりも、そう感じた。
等価交換、なんだそれは、生きたい。とにかく助けてくれ!魂でもなんでもやる!そう念じる。
「で、あれば。10分」
「それだけの時間を使うと良い」
死神は低いくぐもったような声でそう告げる。そして、高速で景色が逆転していく。
俺は、テレビを消し、受話器を置き、逆しまに歩いてベットに返った。
そう、時は遡ったのだ!