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松賀騒動異聞 第八章

第八章


 「さて、勘兵衛を切腹させた忠興ですが、この人は恐妻家という話は前にしました。族之助が仕えた忠興の息子・義概のお母さんは忠興の継室・天光院という人で、とにかくこの人は戦国の女で気が強く、嫉妬深くもあったそうで、前にも簡単に述べましたが、長刀を振りかざして夫を追い駆け回したという逸話というか、武勇伝は有名です」

 と、言いながら、小泉さんは天光院に関する史料を見せてくれた。


 大須賀筠軒著「磐城史料 下巻」から

 土方大八

 忠興の近侍に、土方大八なる者あり、或時帯刀大八一人を具し、日暮に後宮に入る、

 夫人侍女をして燭を把って迎えしむ、帯刀小鬢に戯る、夫人一瞥、大に瞋り、

 直に起って薙刀を把り、跳り出つ、帯刀驚き遁れ走る、夫人之を追う急なり、

 大八思えらく、夫人の瞋妬は、力を以て抗拒すべからず、我且つ主公に代り、

 此厄を解くに若かず、暮夜必ず彼我真偽を弁ぜずと、故らに長廊を徐歩して去る、

 夫人追うて及ぶ、背後より薙刀を揮って斬る、大八運や強かりけん、襲衣を横断し、

 少しく右脇を傷つく、大八轉顧す、夫人始めて主公ならざりしを知り、遽かに問うて

 曰く、創は深きか浅きか、大八懐を探り、紙にて血を拭うて曰く浅し、夫人曰く、

 噫汝をして不慮の難に罹らしむ、之れに易うるに不需の福を以てせざるべからず、

 必ず汝に厚禄を與えんぞと、薙刀を捨てて後宮にぞ入られける、風波収りし後、

 帯刀後宮に入られけるに、夫人曰く、曩日の事、大八君の命に代りしなり、

 幸にして創浅く、死に至らざりき、若し大八なかりせば、妾は君を害して、自殺する

 の決心なりき、今無事に相見るを得る、彼の大功なり、恩賞を賜わるべしと

 勧めらる、帯刀悚然たり、乃大八を召し、二百石を與えしとぞ

【現代語訳】

 忠興の近侍に、土方大八という者が居た。或る時、忠興が大八一人を連れて、日暮れに奥御殿に入ったことがあった。夫人は侍女に燭を持たせて忠興の迎えをさせた。忠興がその侍女の髪に触ったりして戯れた。その様子を見た夫人は非常に怒り、立ち上がるや否や、薙刀を取って、部屋から走り出た。忠興はびっくりして走り、その場を逃れようとした。夫人は素早く忠興を追い駆けて来た。その様子を見ていた大八は、夫人の嫉妬による怒りに対しては力で対抗すべきではない、自分が主君の身代わりになってこの災厄を収めるのが一番良いことであろう、夜の暗さの中では殿様か偽物か判別は出来ないであろう、と思い、長い廊下をわざとゆっくり歩いて立ち去ろうとした。夫人が追い付いて来て、背後から薙刀を揮って斬りかかった。大八の運は強かったのであろう。着ていた服は真っ二つになったが、体は無事で少し右脇を斬られただけで済んだ。大八は廊下に転んだ。その姿を見て、夫人は始めて忠興ではないことを知り、素早く大八に問いかけた。疵は浅いか、それとも、深いか。大八は懐を探り、懐紙を取り出して、疵口を拭った上で夫人に、疵は浅くそうろう、と言った。夫人は、ああ、お前をこんな災難に遭わせてしまった、この罪はそれ相応の幸運で償わなければなるまい、必ずお前に厚禄を与えてやろうぞ、と言い、薙刀を捨てて奥御殿に入っていかれた。その後、騒ぎも収まったところで、忠興が奥御殿に入った際、夫人は、先日は大八が殿様の身代わりとなりました、幸い疵は浅く、死ぬという事態にはなりませんでしたが、もし大八という者が居なかったならば、わたくしは殿様を殺して、自分も自害するつもりでございました、今このようにしてお互い無事に居られるのも大八のおかげと申せます、どうか大八に恩賞を授けて下さい、と恩賞を勧められた。

 忠興は夫人の話を聞いて、ぞっとした。すぐに、大八を召し、二百石を与えたということであった。


 妻の天光院は武田信玄の孫娘と云われ、このように気性の強い女性であったと伝えられている。(忠興の正室は既に亡くなっており、天光院は継室、つまり後妻であった。)


 天光院逸話:内藤侯平藩史料 巻三 (筆者注記:少し読み易く文章を直してある)

 天光院殿は大力にて嫉妬深く物荒き御方にして立たせたもう時は頭髪地に及ぶと云う

 或日忠興公近習役土方大八を従え暮六時分奥へ入せらる

 奥方召仕の女手燭を執り奥方諸共に錠口まで出迎いたもう

 公手燭を執りたる女の手を握りたまえば

 奥方早くこれを見付け奥へかけ込

 長刀の鞘をはずし公を目がけ表をさして追欠らる

 公大に驚き跡をも見ず逃げ去たもう

 此時大八思うよう其跡に引下り行くならば

 奥方定て其を殿と思いて害せらるべし

 其隙に殿は逃去りたもうべしとて

 大廊下を静に歩み通りけるを

 奥方欠来り長刀を延して払いたまえば

 袖の上より右の脇腹を少く疵付けり時に

 大八後を振向きければ奥方大八なりと見て疵は如何とのたまう

 大八答て少しにて候と鼻紙を懐中より出し血を止む

 奥方申さるるは其方思いがけも無き難儀に遇えり

 其代りには知行を申与えんと長刀を下て奥へ入りたもう

 其後御機嫌直り公に向い先日御前を追欠候時御近習の大八御前の体にも快気も候え

 若し深手に候わば相果申べしこれ薄手なりとも御身代りに立候者なれば

 彼に二百石賜わるべし

 其時大八無くば御前をも殺し我身も自害せんと思いしなりと申され

 程なく大八へ二百石賜わりしなりと              武家秘録


 按るに旧記に天光院殿は仁科五郎信盛の息女なり

 五郎没落の後小山田出羽守信茂の孫左近太夫養子として成長に及び当将軍家に奉仕

 大上臈方を勤められ後上意に依り御城より御入輿

 信玄の兜遺物として御家に伝うと云う

 天光院殿は信玄の孫女と云は諸書皆同じ

 上意に依り御城より御入輿との事は他に見るところなし

 姑く附記して後考を俟つ

 筆者注記:仁科五郎信盛(盛信)のこと

     武田晴信(信玄)の五男

     仁科氏を継承し、武田親族衆に列する。

     武田家滅亡時、高遠城において最後まで抵抗し、討ち死にした。享年二六歳

     兵三千で織田信忠率いる五万の大軍に向かった。

     武田勝頼は異母兄にあたる。

     幼名は武田晴清。

     従って、天光院は信玄の孫娘となる。

     正室は酒井家次の娘であり、この天光院は継室となる

 【ウィキペディアでは長刀騒動は正室の逸話となっている。継室と訂正が必要である】


 美智子さんの姪に、馬目雅子さんという人が居る。

 美智子さんのお兄さんの娘で、今流行りの言葉で言えば、アラフォーという年齢の女性であるが、結婚には縁が無いようで、独身を通している女性であった。美智子さん同様、背が高く、ハイヒールを履くと私とどっこいどっこいの背の高さとなる。

 ほっそりとした肢体で、グラマーとは言い難い。

 時々は眼鏡をかけるが、普段はコンタクトを愛用しているらしい。

 私が小泉さんの家に年賀の挨拶に行った時、美智子さんに、私の姪よ、ということで紹介された。何でも、近くの会社で社長秘書をしているらしい。

 いかにも、才媛といった感じの女性で、残念ながら私の好みからは相当離れていた。

 私は、どちらかと言えば、少し抜けた感じのボーッとした感じのぽっちゃりとした女性が好みであったのだ。

 でも、雅子さんの第一印象は良く、私ももっと若い頃に紹介されていれば、或いは、勇気をふるって交際を申し込んでいたかも知れないと思った。

 但し、今はそのような状況では無い。

 十五歳も違うカップルでは話にもならない。

 美智子さんはどうも私と雅子さんをくっ付けようという下心があったようだが、肝心の私がはなから自分は不適格と思っているようではうまく行くはずが無いのだ。


 「内藤二代目の忠興が隠居して、義概が三代目を相続したのが寛文十年(一六七〇年)で、その時、忠興は六十九歳で義概は五十二歳になっていました」

 私がメモを見ながら言うと、小泉さんは大きく頷いて言った。

 「そうですね。早速、義概の論功行賞が始まりました。具体的には、幼少から小姓として仕え、元服してからは自分・若殿付きの側用人、家老としてよく仕えてくれた、寵臣の松賀族之助に二千石という磐城平藩の家臣としては最高禄を与え、藩の筆頭家老に抜擢したのです。この抜擢人事には、周囲はさぞかし驚いたことでしょうな。三河以来の奉公を誇ってきた譜代の家臣をさておいて、磐城平に来てから新規召抱えとなった、そうですね、いわば現地採用の家臣の息子、禄高も三百五十石あたりの新参者がいきなり、二千石の筆頭家老になったのですから。今の企業でもこのような抜擢人事はありません。いくら、オーナー社長の息子であると言っても、その息子が社長になった途端、ぶらぶらとしていた時代に自分に、まあ、秘書か執事程度に尽くしてくれた者をいきなり、専務取締役にするなどと云う人事はあり得ませんから。まさに、殿様が絶対権力者であった封建時代だからこその抜擢人事と言えますね」

 「その時の族之助は何歳くらいだったのでしょうか?」

 「それは、判りません。族之助の墓は鎌倉の光明寺というお寺にあるのですが、戒名と没年は刻まれていても、享年は刻まれておらず、判らないということですし、当時の史料にも生年の記載が全く見当たらないのです。まあ、私はあてずっぽうですが、義概よりは十歳程度若かったものと考えていますが」

 「族之助は組頭・家老となったのですが、組頭というのはどういう役職なんでしょうか。どうも、僕なんか歴史に暗い者は足軽組の組頭とか、鉄砲組の組頭とか、そんなレベルを想像してしまいますが、実際には最高の職格だったんでしょう」

 「そう、木幡さんの言う通りですよ。組頭というのは、いざ鎌倉、というか、戦争となると司令官となり、家臣群を率いて戦う軍団長であり、三百人程度の家臣ならば、三組編成でそれぞれ百人ほどの家臣を束ねることとなります。いわば、大隊長ですよ。その下に、物頭、或いは惣頭、者頭とも言いますが、それが中隊長クラスとなって戦います。戦時の組織であり、戦争の無い平時にあっても内藤藩は戦時組織を残していたものと思っています。で、当時は、松賀族之助・内藤治部左衛門・加藤又左衛門の三人が組頭となっていました。後年になると、確か、延宝六年(一六七八年)だったと思いますが、藩を六組編成とし、」

 ここで、さすがの小泉さんもノートを取り出し、ぱらぱらと捲り、確認した上で話を続けた。

 「内藤大蔵・松賀族之助・松賀菊之助・上田内記・宿屋求馬・加藤又左衛門の六人が組頭となっています。内藤大蔵は、ほら、御下借腹と称されて、義概と族之助の妻との間に生まれた子供ですよ。本当かどうかは分かりませんがね。ただ、居たということは間違い無いですね。当時、十六歳くらいの若者だったと推定していますが、確か禄高は二千五百石で最高禄だったと思います。内藤大象藤原義総という名前が伝わっており、義概の義を貰っていますね。やはり、義概の子供であったと見た方が妥当ではないかと思いますよ。三番目の組頭、松賀菊之助は松賀族之助の身内であり、この三人が松賀党を結成していたのでしょうね。最大派閥ということですね。上田内記は、族之助と並ぶ家老であった上田外記と名前が似ています。息子なんでしょうか。いずれにしても、譜代中の譜代家臣です。宿屋求馬、この人は、初代の政長の妹を妻にした先祖を持っており、まあ、殿様の一族みたいな家臣です。加藤又左衛門も譜代の有力家臣です。内藤治部左衛門が組頭から外れているのが気になりますね。家格としては申し分の無い家格であり、不思議なんですが。もしかすると、治部左衛門は隠居して、その息子が未だ若年ということで、組頭という職位から外されていたのではないでしょうか。いずれにしても、松賀族之助を筆頭とする新参の家臣と、加藤・上田といった三河以来の譜代と自慢している譜代の家臣の対立はこの義概の時代から始まったと思います。まして、譜代の家臣の中には、忠興の時代に二千石という禄高を返上して磐城平から去っていった安藤志摩のように、元々は内藤の家来では無く、家康の家来であり、いわば、同僚であったが、戦時体制の中で家康から内藤に協力するよう命じられて仕方なく、内藤の下に付いた侍も居ました。当時の言葉で言うと、同心と言うらしいですが、彼らのプライドは非常に高かったものと思いますね。そういう彼らにしてみたら、松賀族之助という者はまさに成り上がり者であり、いくら有能であるからといって、受け入れられる存在では無かったのかも知れませんね。ここにも、男の嫉妬があったものと私は考えます。でも、殿様の寵臣であるから、何も言えず、ただ歯ぎしりしているだけ、ということですかね」

 また、小泉さんはノートを見て思い出したように言った。

 「そうそう、延宝と言えば、この六組編成の前年、大きな地震がありました。延宝五年、一六七七年の旧暦十月九日に発生した大地震です。この時は大津波も起こり、小名浜も大変な被害が発生しました。史料に依れば、四百八十七軒の家屋が倒壊し、死者も百八十九人も出たそうです。この地震は後年、常総沖地震と名付けられました。マグニチュードも八、といった大きな地震でありました。ついでに言うと、この外、磐城ではもう一回大きな地震を経験しています。元禄の最後の年、元禄十六年、元禄最後の年、一七〇三年の旧暦で十一月二十二日に起こった元禄地震です。この時も、小名浜は大津波で苦しめられました。マグニチュードで八を越える大地震でした。但し、族之助はこの前年、元禄十五年三月二十二日に江戸で亡くなっていますから、この地震は経験しないで済みました。木幡さんは小名浜の出身ですから、或いは、これらの大津波がDNAの記憶の中に持っていらっしゃるかも知れませんよ」

 小泉さんのジョークに私は思わず笑ったが、正直に言うと、私は地震にはさほど驚かないが、津波にはとても敏感なところがある。

先年起こった、インドネシア・スマトラ沖地震の際の大津波なぞは恐怖の思いで映像を見ていた記憶がある。

 DNAに刷り込まれているとは思わないが、小泉さんの言う通り、私は小さい頃からどうも津波の話を聞くと、思わず身震いしてしまうほど、津波に敏感なところがある。


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