9,激おこらしい
「ぅ、ンゥ、ここは……」
私__渋川香純が目覚めたのは、周囲が確認できないほどの暗闇の中だった。
まだ完全に覚めていない頭を働かせて、現状の確認を開始する。
____ジャラッジャラジャラ
「ッ! なるほど、今の私は囚われのお姫様、ってとこかしら」
実際は、冗談を言っていられるほどの余裕は無かったのだが、冗談でも言ってないと挫けそうだった。
壁と床に腕と脚を拘束している、太い鎖を嘆息しつつ見やる。
「……ダメね。そりゃあ、簡単に外れないってことは分かってたけどさ」
どうにか鎖が外れないものかと、体を揺らすなどしてもがいていると不意に重く錆びついた鉄が軋むような音が聞こえて来た。
少しの間じっと目を凝らしていると、急に視界が良好になった。どうやら、火を点けたらしい。
「おぉ! 目が覚めたか! ……ふむふむ、訳ありの女という事だが、ここらでは見ない顔の作りだな……ほほう中々にそそる顔立ちをしておるではないか__ジュルっ」
一瞬で嫌悪感が脳のキャパシティを超過した。
香純は元の世界ではクラスのアイドルの陰に隠れがちだったが、ルックスはかなり良い方だ。しかし、あまり恋愛には興味が無く、男子からの告白なども袖にしていた為、男の純粋な欲望というものに触れたことが無かった。
それ故、目の前で息を荒げ口から唾液が垂れ流しになっている豚のようなでっぷりとした人間をとても恐ろしく感じた。
「ひっ!? だ、誰よアンタッ! こんな所に拘束して、私をどうするつもり!?」
「ぶヒャ、ぶヒャヒャ。どうするとは……分かるであろう? ぶヒャヒャヒャヒャっ」
これまでに、経験したことがないほど鳥肌がたった。
「……そう。それより、私と一緒に居た男と女の子はどこ?」
いつまでも怯えていても仕方ないと、現状の把握に頭を切り替える。
「ぬぅ、もう怯えぬのか、つまらぬ。……ぶヒャヒャ、お前と一緒に居た男と女の事が知りたいか?」
「えぇ。是非とも教えて欲しいわ」
男の醜悪に歪んだ顔に嫌な予感を抱きつつも、癇に障らないよう下手に出て尋ねる。
「__死んだ。既にこの世には存在しないだろうな、残念ながら。ぶヒャっ、ぶヒャヒャヒャヒャ」
「………………」
「我々、"ブリスタ商会"の手の者からの報告によれば、"獣人の女が死ぬのは時間の問題。男の方も致死量の毒を与えた"これが昨日の報告だ。今頃はとっくに死んでいるであろうよ。どうだ、絶望したか? ン? 悲痛に歪んだ顔を見せ、私を喜ばせるがいい。ブヒャヒャヒャ__」
____「それが?」
「__ヒャヒャ、ヒャ? 強がりはよせ。もうお前を助ける者は存在せん。私にもっと辛そうな顔を見せるのだ」
香純は思考する。
確かに海音とメルシャが生きている確率は絶望的かもしれない。
だが__
(メルシャは"死ぬのは時間の問題"、海音の場合も"致死量の毒を与えた"という結果だけしか報告されてない。"殺した"という言葉は無かった。なら、海音とメルシャが生きている可能性もゼロじゃない!)
「アンタって案外バカなのね。私に情報を与えて追い込もうとしたみたいだけど、逆効果だったみたいね」
男は呆然としていたが、急に顔を真っ赤に染め憤怒の形相になった。
「ふぬぬぬぬぬ、減らず口をっ! それに私はアンタではない! 私は、ブリスタ商会の会長であるポークス・ブリスタ様だっ! お前のような小娘ごときに、アンタ呼ばわりされる謂れは無いわっ」
「ふぅん。ブリスタ商会、ねぇ……。アンタ、そこの会長なんでしょ? そんな立場ある人間がこんな事して、世間にバレたらどうなるのかしらね?」
「ふんっ、バレる事など絶対に無い。そんな心配は無用だ。それと小娘、貴様また私をアンタ呼ばわりしたな? 私のモノとなった暁には、きっちりと躾けてやろう。ぶヒャヒャヒャ」
いい加減、目の前のゲスな顔に怒りが湧いてきた。
「その反抗的な態度が、果たしていつまでもつかな。ぶヒャヒャヒャ。どれどれ、では少し味見でも」
ポークスは醜悪な顔を更に醜く歪め、拘束され身動きが取れない香純へと息を荒げながらにじり寄る。
心なしか股間がもっこりしているのは、勘違いではないだろう。
「はぁはぁ、……そういえばお前の名前を聞いていなかったな。おい小娘、名は何という?」
「…………」
香純の太腿を、いやらしい手つきで触りながらポークスがふと思い出したように問う。香純は歯を食いしばり俯いていた。体は、これまでに体験したことの無い未知の恐怖に硬直している。
しかし、香純の心中はそれどころでは無かった。恐怖心から、ではない。それも勿論あったが、それ以上に香純の胸の内で燻るは__
__激しい、とても激しい"怒り"の感情だった。
『特定の感情が一定の領域を突破した事を確認。思考パターンを解析中__完了。解析の結果、"燃やしたい"、"潰したい"という感情の値が突出している事を確認しました。能力名"大敵殲滅"のライズアップを確認。それに伴い新しい力が解放されました。Extensive Attack【イグニス・トリプディオ】を習得しました』
「ぶヒャ、ぶヒャヒャヒャ。それにしても、素晴らしい触りごごちだなぁ。ヒャヒャ、ヒャ……ヒャ?」
そこでポークスは違和感を覚えた。最初は明らかに恐怖で震えていた少女が、途中から急に何かが変わった。
(なんだ? 何かが、変わった? 気配……いや、これは気配というよりも__!?)
「……香純。それが私の名前」
「!? ……ど、どうした? やっと私のモノになる覚悟が出来たのか?」
動揺しながらも冷静に聞き返すポークス。今現在、目前の少女は先程とは明らかにその身に纏う雰囲気が変わっていた。それも、ただ変わっただけではない。その雰囲気はまるで、そう、まるで__
「……いいえ。ただ__」
少女が俯いていた顔を上げた。目尻に光るのは涙の後だろうか、だがそんなものは気にもならない。少女の、その黒曜石のような瞳はマグマの如く煮えたぎっていた。
__この小娘、人間に化けた"修羅"だとでもいうのか!?
「冥土の土産、とでもいうのかしら? これから自分をあの世まで連れて行ってくれる相手の名前ぐらい、知っていた方がいいでしょ?」
最早、"少女"など何処にも居はしない。先程までは確かに"少女"であったはずの者は、しかし、先程までとは別人と言われてもまるで違和感がない。
その変貌した"少女"の迫力に呑まれたのか、悲鳴を上げて後ずさる男。
その瞳は、視界に映っているはずの男を人間として認識しているかすら怪しい。
ただ冷徹に、ただ機械的に、子供のような無邪気さを携えたかのような表情で"少女"は笑う。
「ひっ!? ひぃっぃいぃぃいぃいぃ!? くっ、くるなぁ! くるなくるなくるなっ!? こっちにくるなぁ! こっ、この化け物めッ!」
「来るな、も何も拘束されてるじゃない……それに、なんて言ったの? 化け物? 私が? ……ふぅん」
みっともなく失禁しながら、喚き散らす男に少女はもう恐怖は感じなかった。男を見て感じるのは二つのみ、侮蔑と、じっくり熟成させたような純粋な"怒り"のみ。
「大敵殲滅、ね。大敵殲滅ってそう読むのね。ふりがなでも振ってくれればいいのに、こんな読み方分かるわけないじゃない。アンタもそう思うでしょ?」
「……?」
少女が何を言いたいのか分からない。そんな顔をしていた男に、しかし、はなから返答は期待していないのか少女は続ける。
「……【イグニス・トリプディオ】Start−up
____其は、古より続く我が敵である。我が焔は災禍にして災火、其の身は不倶戴天の敵なれど、我が焔の前には意味を成さず、ただ己が逝く先を想い灰燼とかせ……」
「な、ななななにを言っておるっ!? や、やめ、やめろぉっ!? 今すぐソレをやめろぉっ! やめてくれぇっ!!」
男は、何が起こるのか正確には分からなかった。ただ、その場の空気で何か良からぬ事が起こる、という事だけはありありと伝わってきた。
一方で詠唱を始めた香純は、自分がこれから使おうとしている大敵殲滅の新しい力、それがイメージ通りの力を発揮するならば、とんでもない威力になるなぁ、とどこか他人事のように考えながらも淡々と言葉を紡いでいく。
「世界に終焉をもたらすは我が焔。其の身にしかと刻め、【イグニス・トリプディオ】」
香純が最後の一節を唱えた時、ソレは急に起きた。使用者である香純の半径2m以外の場所が消失したのだ。
まるで、目前で超新星爆発が起きたかのような光景だった。暫し呆然としていたが、ふと辺りを見回す。
すぐ近くに豚の丸焼き__否、豚の消し炭があった。
「……まさしく消し炭ね。ま、自業自得でしょ。それより、早く海音たちと合流しなきゃね」
最早、拘束していた壁も床も消失した今、香純を縛り付ける物は存在しない。手首と足首に拘束具だった物の残骸を身につけ、泰然と歩き出す。
(まっ、適当に歩いてれば合流できるでしょ。あのバカとメルシャがそう簡単に死ぬとは思えないし)
軽く考えながらも、自身が出会って間もない二人の身を案じていることに気がつくことは無かった。
「おぉーい! 香純ぃッ!! オォォーい!」
「ン? ……何よ、やっぱり生きてたじゃない」
香純はふいに空を見上げた。
異世界に来て早々、トラブルに見舞われている訳だが、自分たちを見下ろす空はどこまでも青く、そして自由だった。
「ホント、憎たらしいほどに快晴ね」
後方から、こちらの名前を連呼しながら駆け寄ってくる少年を見やる。そういえば、あの少年の能力"守護無双"にも本当の読み方みたいなものが存在するのだろうか、ふと疑問に思ったが、考えることをやめた。
「どうせ、大したことじゃないだろうし」
少年の横には、ピコピコと揺れる獣耳も見える。
「……心配、かけちゃったみたいね。…………あ、れ? なん、だ、か眠く……」
「香純ッ!? うぉおぉおおぉおぁ、っ間に、あ、えぇっ!!」
(あれ? この暖かさ、なんだか安心する……こんなに辛い目にあったんだから、今はこのまま__)
「っふぅぅうぅ、ギリギリ間に合ったぁ。おい、香純……って寝てるし。はぁぁ、それにしても__」
少年は、腕の中で眠る美少女といっても過言ではないクラスメイトの顔をまじまじと観察する。
「……? カイトは、カスミのことが好き?」
少年の横に並んだ、獣耳の少女が尋ねる。その顔からは、無表情過ぎて何も読み取れないが、心なしか、ふわふわの尻尾が若干横に揺れていることに気づいた。
「いいや? だから言ってるだろ? 俺は未成熟な魅力を持った女の子が好きなんだ。まぁ、香純は好きとは思わないまでも、綺麗だとは感じるけどな」
「……??? それは、好きとは違うの?」
「全っ然、違う! 違うぞメルシャ! 俺が恋愛対象として見られるのはメルシャくらいの女の子までだ。それでもギリギリだがな」
メルシャの見た目は、ぱっと見14歳くらいに見える。このくらいなら、まだ大丈夫だ。
だが、香純は同い年。つまり、最低でも16歳以上は確定。
「16歳か……うむ、やっぱ無理だな。
____それに……」
「それに?」
俺はそこで一旦言葉を切り、俺たちの周辺を見渡す。そこは、元は2階建の建物だった。だった、つまりは過去形であり、今現在、その建物は存在しないということでもある。
海音たちが立っている場所は、辺り一面に塵のようなものが積もっていた。
そう。つい先ほどまではあったはずの建築物は、今は姿を変えていた。
まるで、超高熱の何かが、これまた、巨大な隕石でも伴って落ちて来たような。もし、本当にそんなことを意図して引き起こしたのなら、それは__
「……これからは、"絶対に香純を怒らせない"ようにしないとな」
「……うん」
海音とメルシャは、お互いに顔を見合わせ頷きあう。お互いの中で、共通の認識が生まれた。すなわち、"香純を怒らせたらヤバい"と。
いま一度、メルシャとともに視線を動かし辺りを観察する。
__黒と灰色の世界だった。
先にも述べた通り、超高熱で炙られたかのような跡に、途轍もない質量で押し潰したような跡。
それが視界に映る景色の全域にまで広がっていた。
見晴らしのいい、しかし、視界には2色しか映らない、そんな場所で……
「……香純が起きたら、これからの事を話し合おう。俺とメルシャと香純の3人で」
「……っ、本当に、いいの? 危険、なんだよ?」
「危険? ンなもん、どうとでもなるさ。メルシャと香純がいればな」
少年は純粋に、ただ純粋に答えた。腕の中で寝息を立てている少女と、目の前で目元を手で覆っている少女に絶対の信頼を寄せて。
「あっ、会った、ばかりなのに? 事情も、知らないのに?」
「会ったばかり、なんて関係ねーよ。当たり前だろ? "信頼"なんてのはこちらから心を開かない限り、絶対に得られない。少なくとも、俺はそう思ってるからな」
「……信頼」
「おう、信頼してるぜ? なんてたって、ウチの可愛い可愛い獣耳ロリ要員、なんだからな?」
「ふふっ、なにそれ……ありがとう」
「ン? ンン? なんか言ったか?」
明らかに聞こえたはずの言葉を、されど、聴き損ねたかのような態度で、もう一度、もう一度と催促する少年。からかわれているのは明らかだった。
少しイラッとはしたが、不思議と嫌悪感は抱かなかった。それどころか、獣人の少女の心はとても穏やかだった。
「……はぁ、ありがとう。……ちょっと、顔に何かついてる」
「えっ? どこだ?」
自身の顔を一通り触り、違和感が無いことを確かめる。埒があかないと感じたのか、「見せて」と顔を寄せてきたメルシャにドキッとしながらも、無抵抗に顔を差し出す。
「……チュッ。やっぱり、付いてなかったみたい……」
少年は何も言わなかった__いや、何も言えなかった。
何故なら海音は、自他ともに認める生粋のロリコンだ。そんな海音が、見た目的にも幼い少女から頬にキスをされて、動揺しないわけがなかった。
「__くぁwせdrftgyふじこlp!? メ、メルシャ、なっ、ななななな、何ぃぉをッ!?」
「……? お礼?」
「何故に疑問形なの? 何故にキスなの? 何故にそんなに可愛いの!?」
「…………可愛い……あ、ありがとっ//」
「なっ、何でそこだけに反応するんだっ!? ま、まさかっ、俺のことっ……」
「……???」
「い、いや、なんでもないっ。なんでもないよぉ!?」
「……そう」
ふぅ、危ない危ない、危うくメルシャに俺の心を奪われるところだった。そんなことになったら、棒怪盗の3世を追いかけている刑事が出張ってくるかもしれない。
思えば若干キャラも崩壊した気がする。
……メルシャ、恐ろしい子っ!
冗談もほどほどにして、俺も香純が起きた際の話し合いに備えるとするか。
考えを纏めつつ、海音は思考する。
これからのこと、メルシャのこと、香純のこと、城に残してきた岩田のことなど、考えることは沢山ある。
「異世界、ハプニングの連続、だな。けど、暇よりは断然いい、か」
睡眠欲は無かったが、香純の寝顔をつまみにメルシャと話しているだけで時間はあっという間に過ぎていく。
「ン、ンん? あ、れ? 私は?」
どうやら、眠り姫が目を覚ましたようだ。
"メルシャの事情"のこともある。はてさて、これからどうなることやら。これぞまさしく、神のみぞ知る、ってやつかな。
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