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Episode7 第一夜 - 閨には銀鎧


 気づけば、峡谷に夕陽が差し込んでいた。

 ペトラリオ峡谷の『ガロア遺跡』の中心部だ。

 あの村が闇に溶けた後、リンピアはまた知らぬ間に此処へ戻っていた。



 夕陽……。


 さっきまで『第一夜』にいた。

 ならば、これは朝陽の見間違いか。


 ――そう思い、リンピアは周囲を見回した。



 否、陽は沈んでいく。

 紛れもなく黄昏の時間帯だった。


「イタタ……」


 リンピアは痛めた腰をようやく起こし、立ち上がる最中も、ならば日中は無防備に眠り呆けていたのか、と猜疑心にさいなまれた。

 ……幸い、どうやらそれも違う。

 その証拠に他にも倒れている人がいた。


「リルガちゃん!」


 始めに視界に入ったのはリルガ・メイリー。

 遺物の石柱に寄りかかり、倒れている。

 リンピアは駆け寄って無事を確かめた。


「う、うーん……」

「良かった。無事ね」

「ん……んん……」


 リルガは大量の汗を流し、見開いた目の焦点もっていない。未だ虚空に怖ろしいものを見ている。

 少しして、驚いた顔でリンピアを見返した。


「ハッ……なんか壮絶な夢を見た気がしますっ」

「大丈夫? 悪夢はもう終わったからね」

「そうですかぁ……――って」


 リンピアをまじまじと見て、リルガは問うた。



「あなた、誰ですか……?」


 初めて言葉を交わしたような、そんな口ぶり。

 つい先ほどまで第一夜の怪異に、共に怯えて寄り添っていた仲とは思えない。


「――え?」



 リルガは混乱しているのかもしれない。

 あれほど怖ろしい事が起きた後なら、それも仕方ないかもしれないとリンピアは思った。


「思い出しました!」

「思い出した? 混乱してても無理ないよ」

「あなたは調査隊の絵描きさんでしたね。すみません、皆さんお仕事中なのに居眠りしたみたいで」

「……」


 一仕事終わってほっとしたんですかね、とリルガは照れながら頭を掻いた。

 本当に『第一夜』を覚えていないようだ。

 メトミス渓谷の村の公会堂で助けられた事実も含め、すべて――短期的な記憶障害かと思いきや、リルガは丸々すべてを忘れていた。


「持ち場に戻りますね。失礼しますっ!」

「あ、ちょっと……」

「って、もう陽ぃ暮れてたぁーーっ!」


 自分の呆けに自ら突っ込むリルガ。

 これは大失態、とばかりに悪戯っぽく舌をぺろりと出し、方向転換して別の場所へ駆けていく。

 元気のいい無邪気な子どもだ。

 誰かを呼びながら走り去ってしまった。


「神父さーん! すみませーん――――」


 リンピアは呆気に取られた。

 どうして覚えていないのか。覚えていないだけでは話が済まない。あの死神(リッチ)の襲撃で実際に死傷者が出ているのだ。調査隊のうち、半数以上が死んでいる。

 リンピアは剣呑な雰囲気を肌に感じた。



「おーい、お嬢ちゃん! どこ行ったぁ!?」



 考え込んでいるところ、男の声が届く。

 リンピアをそう呼ぶ人物は一人だ。


 カレル・ロッシだ。

 彼は『第一夜』で正気を失っていた。

 師匠の仇討ちの為に仇を求めるという理解不能な言動を口走り、彷徨い始めた。


 そうだ。彼の師は確実に亡くなった。

 その揺るぎない事実を彼自身が忘れる筈ない。


「お、此処にいたか」

「ひっ……」


 リンピアは肩が竦み上がった。

 次は自分が"仇"にされるかもしれない。

 そうでなくとも、師を喪ったばかりの人間にどう声をかけていいか、リンピアは分からない。魔術相談所によく訪れる、彼氏を失ったばかりの少女の慰め方とは訳が違うのだ。


「どうした? そんな難しい顔してよ」

「え……いや、その……」

「根詰め過ぎて疲れたんじゃねぇ?」


 その態度は遺跡遠征が始まったばかりの、飄々としたカレルの態度そのままだ。


「あ、あれ……えーっと、カレルさん?」

「あぁん? 何だよ?」

「いえ、なんでも……」


 ここまで来ると疑うのは自分自身。

 もしや先ほどの『七つ夜の怪異』は、リンピアの恐怖心によって創られた、壮大な白昼夢か何かの可能性すらあると彼女は考えた。

 思えば、舞台が小屋であったり、森であったり、村であったりと目まぐるしく移ろう様子が夢そのものだ。


 ならば、何人か失礼な目に遭わせてしまった。

 身勝手な夢とはいえ、謝りたい気分だ。


「初日ってのは素人には疲れが溜まるもんだ。さ、引き上げようぜ?」

「そういえば、カレルさんのお師匠さんは?」


 謝りたい人物、第一号。

 異形の怪物に殺させてしまった。夢だが。

 それに、カレルの師の安否さえ分かれば、すべてが夢だったで済む話だ。だから真っ先にでも、



「俺の師匠? 誰だぁ、そいつ?」


 会って無事を知りたかったのに。


 カレルの師は、存在そのものが消えている。

 元から存在しなかったように。

 ――『七つ夜の怪異』の記憶と同じように。


「え、お師匠さん……いましたよね?」

「さぁ、そんな奴は知らねぇな」


 嘘だ。リンピアは思った。

 カレルはあれだけ悔やんでいた。

 誰でもいいから仇を見つける、などと矛盾した言葉を告げ、闇夜に消えた。それが仮に、リンピアの夢だったとしても、遺跡調査中には良き師弟関係を見せつけてくれたものだ。

 それを知らないというのは一体……。


「そんな……絶対にいましたよっ……!」

「おいおい、勝手に師匠がいた設定作んなって」


 カレルは笑いながら不満を漏らす。

 だが、リンピアの真剣な表情を見、冗談ではないとカレルも察した。


「だって本当に……」

「ならよ、その師匠ってのは何て名前だ?」

「名前は……その、聞いてなくて……」

「はぁ、意味わかんねぇこと言うんだなぁ」


 何故、名前を尋ねなかったのか。

 どこかで訊くチャンスはあった。カレルにからかわれたのをフォローしてくれたとき。助けられたとき。それを無下にした。



 "――ああ、そうか。確かに名前は必要だ"



 暖炉小屋でのロアの言葉が甦る。

 不意にその声が甦ったのは何故だろう。

 そうだ、あの不思議な青年なら――。


 カレルが呆れて峡谷を抜けようと歩き出したのを後ろから付いていく時、その視線を背に感じた。

 振り返ると彼は居た。

 襤褸の外套を被り、恒星のような黄金の瞳で、じっとリンピアを見ている。

 そして、口元に人差し指を当てた。

 静かに。――と告げている?


 次に掌を下に向け、歩きの速度を落とすようにと手振りで示した。

 リンピアはそれに従い、歩く方向は変えずに速度だけ落とした。ロアは後ろから早歩きでリンピアに追いつき、擦れ違い様に紙切れを渡した。

 メモ書きのようだ。

 そのまま足早に歩き去った。


「ロアくん……」


 絶対に彼だけはあの夜を忘れていない。

 やっぱり自分自身がおかしな夢を見ていたわけではなく、周りの皆が覚えていないのだ、とリンピアは安堵した。

 折られたメモ書きを開いた。



 "トヤオ・イン 201号室"



 今晩の彼の宿泊先だろうか。

 第一夜の幕引きの件も含め、事情を話すつもりだろう。


 何故か、リンピアは顔が赤くなった。

 関係ないが、夜這いを誘引された気分である。

 あの"お姫様抱っこ"も含め、彼は天然だ。

 意識するリンピアもまた、随分と能天気だが。



     〇



 そこはリンピアの宿泊先の近くだった。

 そもそもトヤオ町自体が小さな町で、旅人向けの宿は密集している。それも幸いしてリンピアの外出は他の調査員に知られることはなかった。


 尤も、30人いたはずの遺跡調査隊は帰りには半分以下に減り、――その減員した20弱の調査員の安否を誰も気にしていないという異常に比べれば、リンピアの外出など誰かに気にされるのもお角違いと云えよう。

 何はともあれ人目は少なかった。



 ロアは宿の前で待ってくれていた。

 リンピアを見つけると顎で、くい、と行き先を示し、宿に招き入れた。


 リンピアも従い、彼の後をついていく。

 部屋に入ると無性に自身の姿が気になり、ちらちらと姿見を確認しながら変なところはないか、髪型は変ではないか、頻りに気になった。


「何をしている?」

「あ、ううんっ! 何でもないよ」


 最後に長いブロンド髪を後ろに払い、促されるまま、ソファに座った。


 彼の宿泊部屋はかなり広い。

 町でも最高級の宿ではなかろうか。


 部屋の隅に置かれた、胸部から肩を保護する鎧や鉄の腰当てが目につく。

 綺麗に整理された調度品が並び、温もりを演出するはずのスタンドライトに照らされていたのは、年季の入った傷だらけの鎧――。

 それが物々しい雰囲気を醸し出していた。

 よく見ると、銀鎧の内には瘴気(マナ)が時折象る古代象形が刻印されていた。


「珍しいか? あれは鎧と云うんだ」

「知ってるよっ。……でも生で見るのは初めて。あんな激しい戦いだもの。身を護るために必要よね」

「逆だ。力を抑え込むために着ている」

「ええ……?」

「アレがないと余計な物も破壊し兼ねない」

「へ、へぇ……そうなんだ……」


 鎧の内側の刻まれた紋様は神性封印の術式。

 魔力拘束式の枷を自ら着ているのだと云う。

 そんな状態であんな俊敏に動くのだから、本気を出せば、どんな異次元な戦いを魅せるのだろう。


「さて、話すことは山積みだが」

「……だが?」


 宿に備えつけのポットでロアは茶を淹れた。

 リンピアは差し出されたティーカップを取り、客人へのこんな振舞いも、取っ手を敢えて左向きに差し出すこんな作法も、どこまでも古風に感じた。


「その前にまず、リンピアに確認したい」

「……なにを?」

「偶々巻き込んでしまったが、これからの調査で、君はどう在りたい?」

「んん?」


 質問の意図が分からず、ロアを見返す。

 黄金色の瞳がライトの光に反射して煌めいた。


「……もはや怪異に魅入られた以上、日常に戻ることは難しいが、知らぬ存ぜぬで過ごすこともできるだろう。先ほどすべてを忘れていた彼ら(・・)のようにな。状況によっては、その方が幸せなこともある」

「忘れていた彼らって……もしかして」



 ようやく理解できた。

 ロアはどこまでも優しかった。


 なんらかの原因で、カレルやリルガ、また、他にも"あの村"で見かけた幼馴染のオットやシグネ・トイリ氏も、第一夜で遭った出来事を忘れている。

 それはむしろ幸せだ。

 リンピアもあの一晩だけで気が狂いそうなほど、よくわからないものをたくさん見た。


 それを受け入れられるのか。

 そもそもロアと自身だけがあの夜を覚えているというだけで、次第にそれぞれの人物との会話がちぐはぐになり、疑心暗鬼に陥るかもしれない。

 帰還後のカレルとの会話でもそうだ。



 彼は覚悟を問うている。

 リンピアはそう理解した。


「まぁ、わたしも曲がりなりにも魔術師だし」

「そのようだな」

「元々、探偵業のようなことをしてたから、人のどろどろした部分もわかってるつもり。だから多分、大丈夫だと思うけど……」


 煮え切らないリンピアの返答を受け、ロアは黙って続きを促した。あくまで何も助長せず、リンピア自身の気持ちを聞きたいと考えているようだ。


「ちなみに"知らぬ存ぜぬで過ごす"って……どうするの? わたしも忘れられるものなの?」

「簡単なことだ。君が七つ夜の怪異の影響を受けずに記憶を保持できている要因は、俺との魔力契約にある。契約を切れば、徐々に忘れられるさ」


 どこか突き放すような言い方……。

 ロアの方が拒んでいる節がある。

 協力関係が重荷だからだろうか。あれだけ力があれば、単独でも何事もそつなくこなしそうだ。


「本当に? 今こんなに印象に残ってても?」

「ああ。七つ夜の怪異はその発生周期を確保するために、人の記憶や記録に残らないという条件が敷かれている」


 20年周期で必ず発生する怪異。

 誰かが仕組んだ術式では、それは不可能だ。

 巻き込まれた人物の記憶や、何かの記録に残っていれば、周期性は必ずどこかで破綻する。怪異発現の引き金が、自然災害や殺戮による生贄を触媒とするなら尚更だ。

 周期を予見され、回避されれば発生できない。

 そのための"記憶改竄"か。


「条件が"任意の人物の記憶改ざん"? しかも範囲不特定って……条件設定が魔術のそれを凌駕してるわ」

「現代の魔術の定義は知らない」

「これは現象魔法ね。自然界の法則を超えてる」

「今はそんな風に云うのか……」

今は(・・)?」

「……いや、なんでもない」


 ロアが含みのある言い方をした。

 まるで懐古に耽る老人のよう。


 カレルが師の存在を忘れていた原因も記憶改竄にあるのだろう。

 リルガがリンピアを知らないのも二人が第一夜の怪異の中で初めて言葉を交わしたから。その間の出来事を忘れるなら、あの反応も当然だ。

 頭に滞留していた疑問が氷解し、学者肌な()が出てきたリンピアは、調子に乗り、ロアへ尋ねた。


「第一夜が急に終わったのは何故なの?」


 ロアが苦い顔をした。

 テーブル越しに苦言が投げられた。


「待て。その前に確認を、と言ったろう」

「あ……」


 失態を感じてリンピアは顔が熱くなる。

 探究が始まるとついつい夢中になる気質だ。

 だが、返事はもう決まっていた。

 乗りかかった舟とも云うが、それとは別に引き下がれない動機がある。

 ロアとの繋がりが切れるのも名残惜しい。

 それはそれとして、


「うん。七つ夜の怪異の滅却に協力するよ」

「いいだろう。心が弱いと言うから心配した」

「わたしも他人事じゃなくなっちゃったし」


 幼馴染の言っていたことだ。

 オット・ファガーは"家"を探していた。

 彼はあれほど感情的になる人ではないのに、激情するほど、その家に固執し、孤児院を嫌っていた。

 その悩みを解決したいとリンピアは思った。



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