Episode6 第一夜 - 狂宴は天高く
「はぁっ、はぁっ……本当に足が速いのよね」
「リンピアさん、あそこです!」
ロアに遅れること数刻。
七つ夜の怪異に振り回され、まだ事態を呑み込めない女2人は、遅れて村の広場を発見した。
公会堂からやや離れた村の中心。
そこから土木工事に似たけたたましい音が響いていた。
その音を頼りにようやく辿り着いた。
――ごっ、という一際大きい音。
それを境に音は止み、また静寂が訪れた。
リンピアとリルガが辿り着いた時のことだ。
仄かな松明の明かりと煌々とした月光だけが広場を照らしていた。
広場では先に到着したロア・オルドリッジが、現代では仮装かと揶揄されるだろう甲冑姿で、片手には歪な形の赤い剣を握り締めている。
戦闘態勢だった。
対峙するは、夜の帳にも届く泥人形。
吊り上げた鉄橋に直面したかのように巨大だ。
その泥人形の肩から"誰か"がこちらを見下ろしている。
「うん……!?」
リンピアは目を丸くした。
ゴーレムに乗る人物は見知った顔だ。
「り、巨人ですっ! 地元の伝承で、山には巨人が住んでいるという逸話があります……っ! あの姿、間違いありませんよっ……」
リルガは大きな敵影に狼狽していた。
一方、リンピアは袖を無茶苦茶に引っ張るリルガを気にも留めず、泥人形の肩を直視していた。
そこにいる男をリンピアは知っている。
「どうやら君は"観測者"側だな?」
ロアは遥か高くにいる男に語り掛けていた。
堂々と、冷静に。
「こちらに交戦の意思はない。この異常について知っていることは話す」
「…………」
泥人形の主(?)から返答はない。
ただ、普段通りの不愛想な目で、普段通りの無口な様子で話し相手を眺めるだけだった。
――そう、男の様子は普段通りだ。
巨大な泥人形の肩に乗っているという、ただ一点の異常を除いて。
「オット! 何でここにいるの!?」
リンピアは幼馴染の名を呼んだ。
その声は闇夜に消え、泥人形の肩の上にいる男には届かなかった。
オット・ファガー。
今回の遺跡調査には欠員となったはずの男が、この怪異の中、何故かゴーレムの肩に乗り、ロアの前に立ち塞がっている。
「ふむ」
ロアは痺れを切らしたように呟いた。
「80年前の『七つ夜』では、巻き込まれた人間の潜在能力を覚醒させ、殺し合いに至らしめた。今回もその類いか……」
まるで見てきたような口ぶり。
80年前、メトミス渓谷の村で起こった惨劇の焼き増しが今起きているとロアは言った。
『メトミスの怪』では暴動が起こった。
それらを断片的に記録した手帳からしか情報源がない。
なぜ、ロアは手帳に書かれた以外のことを知っている。
「俺は……俺はただ、あの家を探して……」
オットがぼそぼそと何かを呟いた。
リンピアやリルガには聞こえない幽かな声だが、五感に優れるロアには聞くことが出来た。
「家? 家に帰りたいのなら手伝おう」
「それが何処かに……だから……探したッ!」
「落ち着け。どうやら君はまだ目醒めた魔力を制御できていない。俺が君を保護し、その家へと導こう。だからまずは――」
「保護……? そんなもの……」
雰囲気が一変した。
琴線に触れたように空気が張り詰めた。
ふわりと一陣の風が地面を撫で、広場の土を吸い上げていく。
それが合図だった。
「もう、俺を縛りつけるな―――ァァァ!」
オットの体中から魔力が爆散した。
幼馴染にそんな力があったことにリンピアも戸惑い、呆気に取られた。
土色の瘴気がゴーレムに伝播する。
「戦うか? 敵同士ではないというのに」
ロアは魔剣を携えた。
慌ててリンピアは大声で止める。
「ロアくん、駄目! そいつはわたしの――」
待ったの声も虚しく戦闘は始まった。
泥人形は崩壊を始め、巨岩の群れとなってロアへ降り注いだ。岩が大地を叩く度、震動が断続的に続いていく。
ロアは魔剣で降り注ぐ岩々を切り裂いた。
「きゃああっ!」
「無理ムリむりぃぃ! 何がなんなんですか!」
散らばった岩の塊はまるで生き物のようだ。
動きを止めず、嵐のごとく飛び跳ねたり、地を転がったりしてロアへと突進してくる。
火花が散り、紫電が弾け、個々の岩は連携を取るように動き回っては、たまに合体して巨大な拳を練り上げ、ロアへと殴りかかった。
まさに変幻自在だ。
ロアもジャンプしたり、地上を駆け回って、それらを回避していた。
「リンピアさん。ワケわかりませんけど、とにかく逃げましょ! 怖いですぅ!」
リルガが腕を激しく引っ張った。
動揺する気持ちもわかるが、リンピアは逃げるのも逃げるで難しい。異能の力で戦い合う二人を放ってもおけなかった。
「でもアレ……わたしの幼馴染で……」
「はい!? どれだけ人脈広いんです!?」
「わたしだって意味わかんないよ!」
幼馴染はむしろ魔術が苦手な方だった。
孤児院の頃から腕力だけは秀でていたが、学校では魔術系の成績は下の下で、魔力測定の結果も芳しくなかったはずだ。
それがどうして――。
リンピアは頭が混乱した。それもこれもこの『七つ夜の怪異』がもたらした異常なのか。
ロアとオットの戦闘は続いていた。
「無駄だ」
迫る大岩を軽々と躱していくロア。
身の熟しは鎧を着てると思えぬ敏捷さだ。
だが、一瞬――。
一瞬、何か小さな弾が彼の背を貫いた。
その一撃でロアの足は止まり、飛んできた大岩の群れが立て続けに直撃し、彼を岩の中に閉じ込めてしまった。
岩々はロアを押し潰した状態で動きを止めた。
「ふぅ……。
ったく、変な奴が紛れ込んでたと思ったが」
その弾は予期せぬもう一つの陣営からの攻撃。
広場の端から黒弾の射手が姿を見せた。
「カレルさん……?!」
「おう、お嬢ちゃん。下がってな」
死神の襲来以降、行方不明だったカレルだ。
銃口からは硝煙が漂っていた。
黒い弾を発砲したのはカレルのようだ。
「無事で良かったです。早くあの2人を――」
止めてください、とリンピアは言おうとした。
だが、あんな尋常ではない魔力を操る二人を常人のカレルに止められるとは思えない。
だというのに、
「ああ、俺が仕留めてやる」
自信満々にカレルはそう答えた。
言葉に棘があるようにリンピアには聴こえた。
何かの冗談かと思った。
「あの……仕留めるのはちょっと……」
「いや、絶対に仕留める。俺が……俺が仕留める……爺さんの仇を、俺が討つ」
カレルは激しく下唇を噛んでいた。
口元から血が一筋垂れるほど強く。
その眼光を見たリンピアはぞっとした。
――嗚呼、この人もオットと同じだ。
「見てなっ」
ロアが閉じ込められた岩に銃口を向け、引き金に指をかけた。
拳銃には瘴気が纏い、鋭い魔力の棘が四方八方に伸びる。
禍々しい拳銃の形状をカレル本人は気にしていない。
「あいつが――あの気味の悪いガキが、爺さんを殺した! 殺しやがった!」
「それはリッチの仕業ですよっ」
「黙ってなッ! んなことどうだって――俺ァ、無性にあいつが憎いんだ!」
その理不尽な執着は狂人のそれだ。
聞く耳を持たないと、今の言葉がすべて告げている。
「食らいやがれぇぇええ!!」
そしてその一撃は放たれた。
広場の端から、魔力を纏った弾丸が猛烈な勢いで中央の岩山にめがけて迫っていく。
轟音とともに岩山が爆散した。
木端微塵だ。
その中には誰もいない。
ロアの影は一つも見当たらない。
「そんな……ロアくん……」
「はーっはっはっは! スカっとしたぜぇ!」
カレルの様子は遠征中の気さくな雰囲気と打って変わって、狂気に満ちた笑いを浮かべている。
リンピアは失意で足が崩れた。
「さて、お嬢ちゃん。次の仇を探そうや」
「な、なに言ってるんですか……?」
「爺さんの仇を探すんだ。片っ端から。片っ端から全部な。爺さんの仇を、俺が討ち尽くしてやる。まだどっかに潜んでるに違いねぇ」
「…………」
カレルの言動は既におかしかった。
これなら公会堂で襲いかかってきた炭鉱夫の屍の方がまだ意思疎通ができた。
リンピアは首を横に振るしかできなかった。
「そうかい? ハッ、じゃあ俺だけで行くわ」
「…………」
「はーっはっはっはッ!」
カレルは弾倉を詰め替えながら立ち去った。
彼はあのまま、この闇夜で実態のない仇討ちを繰り返していくのだろうか。支離滅裂だ。
皆、七つ夜の怪異で精神がやられている。
そういえば、とリンピアは幼馴染を探した。
広場中央ではボロボロに崩壊した岩が再終結し、泥人形を紡いでいる最中だった。
オットはその肩に乗り上がった。
「邪魔する奴は消えろ……あいつも、孤児院も……全部……全部……嫌いだ……」
ぶつぶつと卑屈を漏らし、オットも泥人形と共に消えた。
およそ初めて聞いた幼馴染の本音。
オットが孤児院を嫌っていたなど、リンピアは今の今まで知らなかった。
同郷で育った幼馴染としてショックだ。
――気づけば、目に涙が浮かんでいた。
ロアが集中砲火を浴びて弾け飛んだこと、カレルが狂人になって再現ない仇討ちを始めたこと、幼馴染のオットが胸中を暴露したこと等々、立て続けに衝撃的なことが起こり、リンピアも気が触れそうになっていた。
なんだか自身の心も搔き乱される。
頭がおかしくなりそうだ。
「ふふ、良いわね。その顔……良いわ……」
「え……?」
間近で女の声がしてリンピアは顔を上げた。
リルガではない。もっと年上の妖艶な声だ。
そういえばリルガも居なくなっている。
顔を上げた先、伝統的な魔術師ローブを目深に羽織った女が、溶け出すように物陰から現れた。
「あ――シグネ、さん、ですか」
「ふふふ」
遺跡調査の依頼主の一人であるアールグリッジ市商会のシグネ・トイリという女だ。
通称"魔女"と呼ばれる怪しい風貌の女。
生きていたのか。
暗闇に佇んでいると、その俗称もよく似合う。
「私も探し物を見つけたわ」
「……?」
シグネはそれだけ言い残すと、また溶けるように闇へ消えた。
最初から其処に居たのか。探し物とは何か。
――混乱するリンピアにはシグネの登場が目まぐるしく起こる狂騒のほんの一端にしか思えず、深く考えることはできなかった。
村に誰もいなくなった。
静寂に取り残されたリンピア。
蒼い月は残酷にもその孤独を照らしていた。
失意で見下ろす地面に、人影が映った。
「手を貸そうか、リンピア?」
それは今や最も安心する声だ。
リンピアは締めつけられた胸がふわりと緩んだ気がした。
蒼い月光が象牙の肌をなぞり、彼の輪郭を映す。
「ロアくん! 無事だったの?」
差し出された手に縋りつくように飛びつき、リンピアは立ち上がった。ロアの安定感をその手に感じつつ、最後には傍に居てくれた彼を改めて信じることにした。
「あれしきのこと、何ともない。……既に伝えたと思うが、その頬の傷が消えない限り、契約は生きている。俺が消滅したらそれごと消えるだろう」
「そっか……」
リンピアは頬を撫でた。
或る意味、この傷がロアの無事を知る手がかりになる。
「騙すようで申し訳ない。あの乱戦では俺が悪者になった方が決着も早かったのでね」
「わざと姿を消したのね」
「そうだ。おかげで君も色々と吹聴されただろう。誤解は直に来る"夜明け"にでも話すとしよう」
「夜明けって……まだ真っ暗だよ?」
満月は天高く、夜の帳はまだ広い。
夜明けが訪れるようには見えなかった。
「いや、夜明けだ。『第一夜』は終わった」
「……どういうこと?」
「言葉の通りだ。呆気ないが、第一夜が明ける。本当に張り合いのない幕引きだがな。もうすぐこの村も消えるだろう」
第一夜の終わり。
何が基点でそうなったのか分からない。
その件は後でロアから教えを請おうと思うが、それよりも彼の淡泊な物言いにリンピアも溜飲が下がらず、文句が次から次に浮かんできた。
「呆気ないってねぇ……! わたしはこの一日でかなり心に傷を負ったんだけど……!」
死神リッチという怪物の襲撃。
肉体を抉るような猛毒の痛み。
生ける屍。巨大な泥人形。狂った人間たち。
一番は、幼馴染に自分が好きだった孤児院を嫌いと言われたことか。
「本当に……本当にもう、どうかしてる」
「ふむ。精神に障害があるのに、さらに傷が?」
「えぇ、もう追い打ちだらけよっ」
「弱り目に祟り目と云うやつだな。君も随分と被虐体質なようだが、此処で見聞きしたものはあまり気にしないことだ」
「わたし、そんなに強くないよ……」
リンピアは嘆き、深く溜息をついた。
「魔法の呪文がある。なんでも"気のせいだ"と言っていれば、本当に気にならなくなる。俺の母親もよく言っていた」
「…………」
こんな淡泊な男にも母親がちゃんといるのだと思う反面、その教えを覚えていることに温もりのようなものを感じた。
力強いだけの戦士ではないようだ。
家族はどんな人だろうと少し気になった。
「ロアくんも家族がいるんだ?」
「ああ。――しばらく会っていない」
「会いに行ってあげよう? 家族は大事だよ」
身寄りのないリンピアは特にそう思える。
「今は難しい。今後も会えるかどうか」
「そう……。でも長い間会ってなかったら、お父さんやお母さんも寂しいんじゃないかな」
「そうか。考えておこう」
ロアは虚空を眺め、何かに想いを馳せた。
深い金色の瞳は星を写し取るようだ。
暗転。
次第に星々も消え、村は闇に溶けていく。