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Episode5 第一夜 - 歪のち渓谷


「待ってよ! 今が第一夜って……"今"ってどういうこと? ねえ!」


 ロアはソファから立ち上がり、扉を突き破る勢いで外へ出てしまった。

 慌ててリンピアも後を追った。


「はぁっ……はぁっ……なんて速さなの……」


 リンピアは我が身の運動不足を呪った。

 全力で走ったのは何年ぶりだろう。

 すぐ息が上がり、諦めて歩くことにした。

 (モミ)の木が鬱蒼と生い茂る深夜の森というのは気味が悪く、人の気配がなくなった途端に急激にリンピアは心細くなった。


「ああ、引き返そうかな……」

「それはやめておいた方がいい」

「うわぁ!? びっくりした!」


 木の上からロアが下りてきた。

 音も立てず地面に着地した。随分と身軽だ。


「驚かせないで。心臓が足りなくなるわ……」

「すまない。もし足りなければ知り合いの技師に予備の心臓を造らせよう」

「…………」

「どうした?」

「今のはただの例え話! それくらい驚いたってこと!」


 ロアは眉間に皺を寄せて、理解したのかどうか分からない表情のまま「ああ」と返事した。

 文化圏の違う異邦人と会話する気分だ。


「まぁいっか。戻ってくれてありがとね」

「気にしなくていい。君には疑問ばかりだろう。そのまま置いていくのは配慮が足りなさすぎた」

「十分、気遣ってくれてると思うけど。ロアくんって自分に厳しすぎない?」

「それは気のせいだ。多分」

「そうかな……」


 ロアは小脇に抱えていたバックパックと肩掛けのハードケースを差し出してきた。それはリンピアの旅行用の私物や画材が入ったものだ。


「あ……それ、わたしの?」

「そうだ。なるべく荷物は持ち歩くことだ」


 受け取り、私物があることを確認した。

 この非常事態、元の場所に戻れない可能性も考えられる。ロアの助言も当然のことと納得し、リンピアは荷を背負い直した。


 だが、この怪異の中においては、それは可能性の話どころではなかった。

 一度でも失えば、二度と取り戻せない。

 物だけでなく、場所や、人さえも。

 怪異は時間の流れとともに絶えず変化する。


 故に"観測者"が一人もいなくなった先ほどの暖炉の家は、歪んで溶けたか、蒸発したか、樅の木の一つに姿を変えたか、何らかの形へ変化しただろう。

 ロアはまだ状況を理解してないリンピアを見かねて、両腕で抱きかかえた。


「……えっ!? 突然なに!?」

「時間がない。先ほどの悲鳴は調査隊の中の誰かのものだ。怪異の一部でなければ、俺の守護対象になる。急ぐぞ」

「この体勢はさすがに無理! ダメ!」

「なにか体に障碍が? 姿勢を変えるか?」

「うん。精神的な障害で無理。せめて、おんぶ」

「ほう。それは難儀な障碍だ。では――」


 俗に云う"お姫様抱っこ"の羞恥に耐えられなくなり、リンピアは飛び降りた。

 誰が見ているわけではないが、会ったばかりの異性と至近距離で見合う姿勢を我慢できるほど、リンピアは無恥ではない。

 ロアは近くで見ても容姿端麗だと思える。

 絵に描いたような美丈夫だ。

 背に抱き着くのも恥ずかしいが――。


「大丈夫? わたし重くない?」

「軽すぎる」

「そ、そうっ……。よかった」

「過去に背負った白熊と比べれば十倍は軽い」

「……」


 比較対象が想像以上で複雑な気分だ。

 リンピアは白熊の体重ってどれくらいだろうと、この状況で意味不明なことを考えてしまった。

 ロアはもう駆け出す直前だ。


「普通の人間にはとても速く感じるかもしれない。我慢してくれ」

「大丈夫。さっきの――案内役(ガイド)の女の子だと思うけど、助けに行くんだね」

「助けるわけじゃない」

「え……でもさっき守護対象だって……」

「現場の様子を見に行き、怪異があれば蹴散らし、無事なら対象を保護する」

「それを助けるって言――いっ!」


 ロアは助走なしで最初から全力疾走した。

 急な加速にリンピアは息ができなくなった。


 恐怖に堪えながらリンピアは考えていた。


 ――ロアはよく"助ける"という言葉を否定する。

 それは、人助けに嫌気が差しているとか、人助けを軽々と大義に掲げる偽善者を嫌っているとか、そういう類いの否定ではない。


 なんというか……。リンピアは思った。

 魔術師のような学者肌が使う否定に似ている。

 それは定義付けの問題だ。

 彼の中で特別、"助ける"という状態がどんなものか、拘りがあるかのような。

 難儀な障害があるのは一体どちらか。



 ものの数十秒。

 リンピアは何かのアトラクションに乗せられた後のように、降ろされてから眩暈を感じていた。


 気づけば森は抜けていた。

 どういう気候をしているのか、急に荒野のような景色になり、後ろを振り向くと森も消えていた。元から森林など無かったように。

 次に前へ向き直ったときには、眼前に村の入り口を示す簡素な門が松明に照らされて現れた。

 リンピアは仰天し、無意識にロアに寄り添った。

 夢でも見ているのか。


「どうなってるの……?」

「七つ夜の怪異とは現象そのものだ。今夜(・・)は、20年周期で繰り返してきたこれまでの怪異の焼き増しをしているらしい。此処はメトミス渓谷の、とある村だ」

「メトミス渓谷……!」

「君も魔術師なら知っていたか。『メトミスの怪』だ。七つ夜の怪異の中でも最初に観測されたもの。尤も、この現象自体は古くから繰り返していたようだが――」


 ソフィアの調べた通りだ。

 知っていたか、と問われて耳が痛くなった。

 メトミスの怪では、村の住民が少しずつおかしくなり、狂暴化して殺し合いが発生した事件だ。


 それの焼き増し?

 遺品として残されたあの手帳に書かれた夜が再現されるなら怖ろしいことだ。



 喧騒が耳朶を叩いた。

 ロアは物音に反応し、夜道を走った。

 リンピアもその後を恐る恐るついていく。

 物音と悲鳴は村中央の古めかしい建物からだ。


 そこは村の公会堂だった。

 ロアは閉め切られた扉を軽々と破壊して入り、中の惨状を目の当たりにした。

 床には死体がいくつも転がっている。


「ギッ――ギィ――――」

「来ないでっ! 嫌だ……っ! 嫌だぁあ!」

「オマエガヤッタ――ダロウ! ユルサネェ!」


 公会堂の奥、壇上で必死に椅子を振り回す少女と、それを取り囲う男達がいた。

 少女はトヤオ町からガロア遺跡まで案内役をした少女だが、男達は……?


「なるほど。これだけのことなら」


 ロアは公会堂の入り口から軽々跳躍し、奥の壇上まで一気に迫った。その最中、左手に禍々しい魔力を集めて魔性の剣を錬成している。


「待って! その人たちは調査隊の――」


 リンピアは叫んだが、遅かった。

 少女に群がる男たちの格好は炭鉱夫がよく着る作業着姿だった。遺跡調査隊のメンバーなのだとリンピアはすぐ気づいた。

 だが、ロアは男たちを一瞬で斬り捨てた。


「……っ!」


 無慈悲な攻撃に息を呑んだ。


「アア、エカキノオジョウサンダ」


 だが、それより転がった死体が急に起き上がり、喋ったことの方に驚いた。

 頬が裂け、肩の肉が抉られ、死臭もする。

 生ける屍だ。


 しかも、それもまた遺跡調査隊の一人だった。

 ブリーフィングの時に見た顔だから知っている。


「きゃぁあああああ!?」

「ニゲルナ――オレヲダシテ――クレ」

「いやぁぁあ!」


 リンピアは恐怖のあまりに逃げた。

 公会堂を出て、外の段差で転んだ。

 慌てて、腰に差した魔導銃に手を伸ばす。


「――――ギッ――!」


 リンピアが魔導銃を構える前に、その生ける屍は胴体を真っ二つに裂かれ、霧のように蒸発して消えてしまった。


「はぁ……はぁ……」


 一体、なんだったというのか。

 混乱する頭で状況を整理しようにも考えがまとまらない。

 ここは80年前のメトミス渓谷の村を再現した空間のはずだ。そこで狂暴化した村人に遭うより先に、遺跡調査隊の死体を発見した。

 そしてそれが起き上がり、襲い掛かった。


 まず"再現した空間"の時点で理解不能すぎた。

 それは置いておくとして、なぜメトミス渓谷の村に炭鉱夫が? なぜ死体が起き上がった?


 死体を使役する死霊魔術は、近代の魔術界では存在が否定されている。機能停止した肉体を魔術で動かすことなら出来るが、それに意思を持たすことはできない。

 そも、魂が宿らない。

 倫理的にも問題視されて現在では禁忌だ。



「彼らも怪異に取り込まれたのだろう」

「え……」


 公会堂から少女を脇に抱えてロアが出てきた。


「怪異に……取り込まれた……?」

「七つ夜の怪異はあらゆるものを飲み込んでいく。場所も、人も、時代そのものも。この少女を襲った男たちも皆、怪異に取り込まれた炭鉱夫たちだ」


 ロアは脇に抱えられて大人しくしていた少女を下ろした。

 少女は居住まいを正すと笑顔を見せた。


「あ、ありがとうございますっ。イケメンさん」

「そんな名前じゃない。ロア・オルドリッジだ」

「照れなくていいですよ。ロアさん!」

「照れる? 分からない。俺は役割をこなしているだけだ」


 随分と馴れ馴れしい少女だ、とリンピアは傍から見ていて思った。別にその態度をとやかく言う立場ではないが、面白くないと感じるのは何故だろう。

 視線に気づいた少女はリンピアと目を合わせた。

 自己紹介は遠征前に済ませたと思うが、お互し忘れているので、あらためて自己紹介し直した。


 案内役の少女の名はリルガ・メイリー。

 トヤオ町で観光局に務める16歳らしい。

 日焼けした肌に短めの髪は健康的な雰囲気を表していた。

 別段、怪しい経歴はなく、今回の遠征は町の神父スキルワードに直接声をかけられたらしい。



「君はガロア遺跡で殺されなかったのか」

「あ、あの大きな怪物ですね。怖くて岩の後ろに隠れてました……。それで急に雷みたいな音と、悪魔の雄叫びみたいな声のあとに霧が濃くなって……気づいたら、この村に……」


 雷の音はロアの攻撃だろう。

 雄叫びはそれに直撃した"死神"の断末魔だ。


「あの炭鉱夫たち以外に人は見なかったか」

「見てないですっ。逃げるのに必死でしたし」

「そうか」


 ロアは無言で何やら考え込んでいる。

 澄みきった黄金色の瞳は真っ直ぐ、どこか虚空を見つめている。まるで人形のようだ。


 宵闇の中、村には朧ろ月の明かりだけがたまに公会堂前を照らし出している。

 物音一つなく、夜は静まり返っていた。


「ねえ、ロアくん。今が第一夜なら、わたしたちを襲った"死神"は一体なんなの? それに……アレに襲われた人たちは本当に死んでしまったの?」


 リンピアは気になっていたことを口にした。


「あれはリッチという魔術師の成れの果てだ。

 生前はさぞ膨潤な魔力を持っていたのだろう。

 『七つ夜の怪異』は第一夜を発生させる為の"引き金(イケニエ)"を求めて、あんなものを召喚する。引き金はその年々によって疫病だったり、災害だったりするが、何も起きないと直接あんな怪物(マンキラー)を喚んで殺しを実行するんだ」


「じゃあ、殺された人たちは生贄に……?」


「そうだ。あの炭鉱夫たちは死んだ。

 このまま永遠に怪異の一部になるだろう。

 囚われの彼らの魂を解放するには怪異自体を滅却するしかない」


 リンピアは背筋が凍りつき、身が震えた。

 惨い話は苦手だ。

 彼ら炭鉱夫たちは無辜だというのに死後も安らかになれず、先ほどのように苦しみ続けなければならない。厭な考え方だが、幼馴染のオットが来てなかったのは幸いだった。

 それにしても――。


「ロアさん、やけに詳しいですね?」


 リルガが無垢な質問を投げかけた。

 それはリンピアも抱いた疑念と同じだった。


 ……ロアは何でも知りすぎている。

 彼の正体は未だによく分からない。

 守護者を名乗るが、それが何なのかも知らない。

 リンピアが信用するのは魔力契約を交わしたことを証明する頬の傷だけ。


「それは俺がこの怪異を――――」


 肝心な一言。

 その最後を聞き届ける前にまた妨害が入った。

 落石でもあったのかと思うような衝突音が静まり返る村に響いた。その音は公会堂の正面の、広場の方からだった。

 ロアは殺気を感じ取ったか、すぐさま剣を錬成して飛び跳ねるように広場へ向かってしまった。


 詰問から逃げる好機だったのだろうか?

 疑ってしまう自分自身にリンピアは嫌気が差した。



【登場人物】

リルガ・メイリー : 遺跡案内役の地元の女の子。16歳

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