Episode3 不思議な青年
死神はスキルワード神父の骸を落とした。
否、勝手に滑り落ちたと言うべきか。
死神のくせに特段、死体には興味ないらしい。
その無惨な扱いがリンピアの恐怖心を煽った。
ズシャりと音立てた地面に、大量の血だまりがある……。
「血が、あんなに……」
皮肉にも、死神の登場とともに視界を覆っていた黒い霧は捌け始めた。そこに広がっていた地獄を見たリンピアは、吐き気を催した。
血まみれの屍が山のように転がっている。
一緒に調査隊としてやってきた炭鉱夫たちだ。
「……こいつは、かなりヤバい事態かもな」
カレルは背中の猟銃を取り、弾を装填し始めた。
よく見ると、死神にも足があるのに地上から浮いていた。
スーっと滑るように移動している。
死神はカレルを見ているのに敵意がなく、ただのオブジェクトを眺めるように茫然としていた。
「二人がかりでぶっ放せば倒せるか?」
「形あるなら銃弾も通るだろうが、果たして……」
カレルとその師匠の男は相談を始め、二人して猟銃を構えた。
――カチャリと、ただ銃弾を込めただけ。
その音だけで事態は急変した。
死神はこちらの得物を見定めるや否や、戦闘態勢になり、大きなかぎ爪を剥き出しに、
「オオオオオオオオ!」
甲高い声を上げた。
まるで狼の遠吠えのような声だ。
前傾姿勢になると、死神はふわっと霧散するように消え、また霧が集まるように現れ、その動作を繰り返しながら凄まじい勢いで接近してきた。
「やべ……来るぜ!」
「構わん。とにかく撃て!」
異形な怪物に対し、心許ない猟銃が二丁。
案の定、銃弾は死神に当たったところで霧を散らすように突き抜けるのみで、ダメージを与えているように見えない。
文明の利器は無力だった。
「――――!」
リンピアは息を呑んだ。
恐怖のあまりに叫び声も出ない。
「爺さん、奴はどこいった?!」
二回、三回と消える度に近づく死神。
三回目の消失とともに姿を現さなくなった。
「おい! 爺さん!?」
「…………」
途端にリンピアの背後の男の気配が消えた。
後ろを振り向くが、誰もいない。
その直後、上空から何かが垂れてきた。
不吉な予感がしてリンピアは上を向く。
――胴体を穿たれたカレルの師が、生気のない顔で振ってきた。彼も既に無惨に殺されていた。
死神は上空。リンピアとカレルを見下ろした。
ミイラの窪んだ双眸が、黒々と――。
「爺さん!!」
「―――ひ、ひぃいい」
大きな音を立てて落ちた死に体。
死神は黒い霧を散らせば、瞬間移動のような要領で移動が可能らしい。音もなく背後に忍び寄り、本人も気づかないうちに絶命させることもできるということだ。
「爺さぁあああああん!! あああああ!」
カレルは恩師の亡骸を見て激高した。
その刹那の激情も虚しく死神はまた霧を散らして消えた。
すぐカレルの背後に再び現れる。
「う……うし、後ろ! カレ……ル……さっ!」
リンピアも恐怖で身が竦み、唇が震えていた。
「くっ……あああっ!!」
カレルは咄嗟の判断で腰のサーベルを抜き、大きく振られたかぎ爪を弾き返した。抵抗虚しく、カレルの胸元に三本の爪が深く抉り、血が噴き出した。
「アアアアッ! 痛ェェエ!」
倒れて七転八倒するカレル。
死神の化け物は、おや、という惚けた顔で自身のかぎ爪を眺めていた。一撃で命を奪えなかったことに違和感でも覚えたのか。
――絶望的だ。
雇われたプロの護衛でも歯が立たない。
当然だ。こんな異形の怪物が出てくるなど聞いていない。尤も、そんな不満を伝える依頼主自身もこの化け物に命を取られているのだから、誰にどう文句を言える問題でもなかった。
リンピアは圧倒的な力を前に、力が抜けた。
死期を悟り、地面にへたれ込む。
体中が警鐘を鳴らしている……。
あれでカレルが殺された後、自分も無惨に体を貫かれて死ぬだろう。
……嫌だ。死にたくない。
こんなところで死にたくない。
ワケのわからない怪物に襲われて死ぬなんて。
リンピアはこれまでも、これからも、それなりの人生でいいと思っていた。
ここに来たのはちょっとした好奇心だ。
消えた両親の秘密が探れるかと淡い期待を抱いただけで、特別、死地に赴くような覚悟もなかった。
"その依頼、想像以上に危険な匂いがする"
所長のソフィアはそう言っていた。
その勘を信じて、やめておけばよかったのだ。
「…………」
無様に膝をつき、震える全身を抱えた。
この状況で生き抜く方法は。
生き抜く方法はないだろうか。
念仏のようにそればかり唱え始めた。
「虚元、具象化。抽出完了――」
頭の中で木霊する機械的な言葉。
リンピアは一瞬、自身の頭がおかしくなったかと思った。
だが、それはすぐ自身の声でないと知る。
リンピアの背後で意味のわからない単語の羅列を唱える存在がいた。
「反転の魔弾、装填。照準……!」
後ろを振り向く。
禍々しい赤黒の紫電を周囲に散らしながら、その"青年"は今まさに腕を振りかぶった瞬間だった。
下からの投擲で赤黒い魔弾が放たれた。
それはリンピアの頬を掠めると、死神の胴体を穿ち、突き刺さった。
「いっ――――!」
「オオオオオオオ!」
頬に走る一筋の痛み。
次いで、狼の遠吠えが峡谷に轟いた。
それは死神の悲鳴だ。赤黒い魔弾は槍に姿を変えて突き刺さり、死神の動きを止めた。
激しく火花が散る。
同時に、死神が纏う黒い霧が徐々に晴れた。
「……」
青年はゆっくり死神に歩み寄っていく。
腰を抜かしたリンピアなど眼中にない。
その男はフードを目深に被っていて、表情さえ読み取れなかったが、彼がガロア遺跡までの道中で茶化されていた、あの気味の悪い青年だとすぐに気づいた。
苦痛の声を上げる死神の傍まで近づくと、青年は両手で赤黒い槍を握りしめた。
途端、槍が大剣のように形を変えた。
青年はそれを上へ押し上げ、死神の体を縦二つに裂いた。
「オオ……オオオオ……ッ!」
苦しみながら死神はかぎ爪を振るう。
青年は機敏な動きで姿勢を落とし、その攻撃を回避した。
――反動で薄汚れた外套が舞い上がる。
その姿が白昼の元に晒された。
薄い鱗のような、黒の鎧。
髪は青みがかり、耳が尖っている。
剥き出しの右腕は古傷だらけだった。
白く、象牙のような肌をしていた。
青年は大剣だった赤黒い何かを二手に分離させ、双剣に変えて応戦した。
「え……!?」
目にも止まらぬ速さで双剣を振るうと、死神の両腕は微塵切りになった。もがき苦しむ死神の背後に青年は素早く回り込み、頭部まで軽々跳躍すると、二本の刃で首をすっぱり刎ねてしまった。
圧巻だった。
死神の首を地を転がると、元々そうであったかのように霧となって消えた。胴体の方も同様に。
「…………」
リンピアは開いた口が塞がらない。
鎧に、剣――時代錯誤も良いところだ。
文明の利器でも敵わなかった正体不明の怪物を、若輩と思っていた青年が剣術(?)のような古式の戦術で葬った。
それに、魔術そのもので練った可変式の剣など、並の魔術師では到底できない芸当である。
それを扱える担い手もいないだろう。
一体、あの顔色の悪い青年は何者なのか。
髪色や皮膚の色、耳の形も異質で、普通の人間ではないことは目に見えて明らかである。……尤も、普通の人の姿をしていたところで、人間であるかどうかを疑うが。
「これが今回の前兆か。陳腐だな」
青年は不穏なことを呟いた。
落ち着き払った低い声に、リンピアは彼が想像以上に歳の重ねている事に気づいた。
「あ、あの……」
ようやく声が捻り出せた。
青年はリンピアにようやく気づいた。
そして驚いたように目を見開いた。
「君……その頬……」
「頬?」
頬を撫でると、ぬるりとした感触。
血――と思ったが、それだけではない。
赤黒い、青年が放った魔弾と同じ色の魔力が頬にこびり付いていた。先ほど死神を貫いた初発の魔弾が頬を掠めていたのだった。
「うっ!」
意識した途端、激痛が走る。
びしりと頬に有刺鉄線が食い込んだようだ。
「がっ……あっ……ぐ」
「しまった。魔弾の軌道を間違えた」
「……ま、まちが……って痛……い!」
「可哀想に。その魔力は魔術師には猛毒だ」
一難去ってまた一難。
目まぐるしい展開に理解が追いつかないリンピアだが、一番理解できなかったのは、目の前の青年が己の間違いを認めたというのに――今、痛い思いをしているのは謎の青年が原因だと判ったのに、安心感を覚えた自身の感情だった。
リンピアは安心していた。
何故、と問われてもよく分からない。
次第に再び峡谷には黒い霧が立ち込めた。
視界が悪くなり、青年の姿も眩んでいく。
「む。転送が始まったか。しばし辛抱を」
「……」
リンピアの意識は今にも途絶えそうだ。
周囲は完全な闇に覆われ、目を瞑ったのか瞑ってないのかも判別つかない。全身は麻痺したように動かないが、それでも思考だけは明快だった。
――ああ、そうか。
わたしは今、青年と言葉を交わした。
初めて会話をした。
安堵の理由を自覚し、リンピアは納得した。
気味が悪いと遠ざけていたが、喋れば意外と紳士そうな男だ。
あと、ドジな一面もあると分かった。