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Episode2 ガロアの怪物


 荒野を南へ歩き進むと、ガロア遺跡があるとされるペトラリオ峡谷の谷間が大きく間口を開いて待ち構えていた。


 その峡谷の先、北レナンサイル山脈を挟んだ反対側がメトミス渓谷。

 ――あの『メトミスの怪』が発生した地域だ。


 距離があるのは北レナンサイル山脈に阻まれているからであり、件の怪異の知名度が低いのも山脈を隔てた異国の領土だからだ。

 仮にここが平坦な大地だったら『メトミスの怪』もトヤオ町始め、アールグリッジ市民は他人事と思わなかったかもしれない。


「ふえー、怖……」


 リンピアは北レナンサイル山脈の霊峰を眺めながら、あの峠の先で80年前に……、などと妄想を膨らませて震え上がった。

 ソフィアに怒られたことを機に、リンピアも遠征前の独自調査をしていた。

 結果、古い文献の中に面白いものを見つけた。


 ――曰く、レナンサイルの地には古来から曰くつきのスポットが数多くあるということだ。

 例えば、巨人(リトー)が住んでいた、

 獣人(ウルフミーズ)が縄張りを張っていた、

 など、荒唐無稽な伝承ばかり出てくるのだ。

 そもそもレナンサイルという地名も、レナンシーという水の妖精に因んで付けられたと云う。


 巨人、獣人、妖精と……現代では俄かに信じがたい異様な存在が登場するだけで胡散臭い。だが、こうして霊験あらたかな霊峰を拝むと、不思議と嘘に思えなくなる。


 また、地図で確認するより山の距離が近い。

 山脈を挟んでいても、メトミスの怪とガロア遺跡の碑文に関連があると目を付ける輩がいてもおかしくないだろう。

 問題は、目を付けた人物の目的だ。



 ――リンピアはトヤオ町の神父を一瞥した。


 黒の修道服が似合う聡明な顔した初老の男で、何を考えているかいまいち分からない。……名はスキルワード氏というらしいが、異邦の名だった為、氏姓しか覚えられなかった。

 雇用主に依頼目的を問うのも如何なものか。

 追究しても逆に怪しまれるだけなので、ひとまず調査隊の一員として仕事に専念しようと思う。

 リンピアとしては、幼馴染へガロア遺跡で判った情報を共有できれば第一目標達成、くらいな心持ちでいた。



「はぁ……。歩くだけってのも疲れるなぁ」


 峡谷を前に小休止。

 適当な岩を見繕って腰を下ろすリンピアにカレルが声をかけてきた。


「ははっ、お嬢ちゃんは鍛え方が足りねぇ。若いんだから体しっかり動かせよ」

「若いって言っても、もう23ですよ」

「十分だ。だが、その年ならもうちっと女磨きしていいかもしれねぇなぁ」

「む……それ、どういう意味ですか?」

「はっはっはっ、まぁ気にすんなよ」


 洒落っ気のなさを指摘された気がしてリンピアは膨れっ面になった。

 図々しい人との会話はリンピアも苦手だ。

 調査隊が各々、雑談を交えている中、スキルワード氏は大きな声で号令をかけた。


「皆さん! ペトラリオ峡谷は洞穴が多く、地下洞の冷気が吹き出します。此処から一気に冷えますから注意しましょう! さぁ、行きますよ!」


 確かに荒野の乾いた熱さから一変。

 寒い……。


 それがどうしたと炭鉱夫の面々は腰を上げた。

 さっさと初日の仕事を終えたいようだ。

 そのいきり立つ姿を見送りながら、怪しく笑う女の姿をリンピアは偶然見つけてしまった。


 その女こそアールグリッジ市商会派遣の魔術師。

 ――フィールド調査だというのに大仰な魔術師伝統のローブを着た女。


「……」

「どうした、お嬢ちゃん?」

「い、いえ、なんでもっ」


 立ち止まったままのリンピアに、カレルがまた声をかけてきた。

 仕事柄、人間観察をしてしまうのは悪い癖だ。


「あの魔女紛いがどうかしたかい?」

「……なんか変わった雰囲気の人だなぁ、と」

「はっはっはっ。まぁ有志の仕事なんてのは変わり種が集まるもんだ。俺もあの"魔女"は他でもよく見かけるが、別にどうってことねーぞ」

「え、知り合いなんですか?」


 カレルは声を小さくして耳元で囁いた。


「あの女――シグネ・トイリっていうんだが、アールグリッジじゃ有名な資産家の娘でな。趣味で魔術師をやってる道楽娘ってだけだ」


 趣味で魔術師……。

 それで飯を食べているリンピアは少し嫌な印象を受けた。


「――顔は美人だが、色々拗らせてる変人でよ。興味が湧けば、大金つぎ込んで徹底的に調べんだよ。特に呪術的なものに目がない。今回の調査も所詮はアレの道楽の一環だろうな」

「はぁ……」

「ま、俺は報酬さえきちっと貰えりゃ文句はねぇ」


 カレルは腕を曲げ伸ばししてニカっと笑った。

 その淡泊な物言いはソフィアにも似ていた。


 シグネ・トイリは静かに佇んでいる。

 あまり詮索しない方がよさそうに思えた。

 触らぬ"怪"になんとやら、である。



     〇



 峡谷は薄暗く、まだ昼下がりの時間帯だというのに、まるで夕暮れのようだ。


 その崖の隙間から黒々と瘴気が溢れていた。

 自然界の魔力(マナ)が潤沢な証拠だ。


 だが、その色が暗色というのは縁起が悪い。

 暗色は少なくとも闇の魔力が混じっている証拠だった。"闇"とは古典的な分類で、言うなれば、人体の中枢神経を介して情動に影響を及ぼす魔力エネルギーである。

 どの国でも法で禁じられた『洗脳魔術』も、この魔力が情動に働きかけて思考鈍麻をもたらした故だと仮説づけられたが、正確には分かっていない。



 峡谷を進むと、ガロアの遺物が散見された。


 谷底に投げ出された四角い石板や巨大石柱。

 リンピアはそれら遺物を隈なく速筆でスケッチし始めるが、他の調査隊はずいずいと先へ進んでしまうので焦った。


「その辺りは描かなくて結構です。まだ先に本殿がありますから」


 見かねたスキルワード氏が声をかけてきた。


「え、でも……」

「置いていかれても知りませんよ」

「……うーん、わかりました」


 リンピアは不満げにスケッチブックを畳み、画板を下げた。


「……?」

「どうかされましたかね」

「いえ……」

 

 遺物を纏う"瘴気"が神父には見えないのか。

 瘴気――謂わば、漏れた天然の魔力(マナ)だが、一般人クラスの魔術師でも、その霧が時折、古代の楔文字や造形を象って意味を表すことがあると知っているはずだ。

 本殿が別にあるにしても、この支柱や石板に重要な碑文(アリア)が隠されていたらどうするつもりなのだろう。さっきの号令といい、この神父はやたらと団体行動を強いる節がある……。

 そこに違和感を覚えた。



 リンピアも遺跡の中心へ遅れて辿り着いた。

 採掘班が既に道具を広げたシートに並べて、作業を始めている。手つきも繊細で、遺物を破壊しないように慎重に採掘を始めていた。


 一方で、護衛の6人は暇そうだ。

 峡谷の入り口に2人置き、他は手持ち無沙汰な様子で各々の得物を布で磨いていた。

 カレルも、その師匠の男もそうしている。

 薄汚れた外套を被った不思議な青年だけは、ただただ突っ立っているだけである。得物を取り出す様子すら見せない。


 これで報酬が貰えるなら楽な仕事だ。

 特にこれまで、狼やハイエナのような血に飢えた獣に遭遇するでもなく、正体不明の怪物も現れていない。

 あくまで彼らは保険なのだ。


 リンピアはひとまず剥き出しの遺物を片っ端からスケッチしていこうと思った。本殿といっても、建造物すら見えず、石板が横倒しであったり、遺跡の一部らしきものが地面から顔を覗かせる程度で、閑散としていた。

 これを掘り返すとなると大仕事だ。

 採掘班を15名以上集めただけのことはある。




 ひとまず黙々と作業を続け、リンピアも粗方、見つけた遺物をスケッチし、瘴気から読み取れた楔文字も模写し終えた。

 この作業も魔力混在の絵具でも使えば、転写の魔術で済むのだが、手描きを依頼された以上、リンピアはひたすら手首を動かすしかない。


 文字の解読は持ち帰ってからになる。



 日も傾き始め、いい加減、作業にランプが必要としてきた頃合い、不穏な声が峡谷に轟いた。

 ――それが始まりだった。




「――――ォォ」



 ぞわりと背筋に悪寒が奔った。

 峡谷の暗がりや冷気だったものは、そのまま高濃度の魔力に変化し、黒い瘴気が濃くなり始めた。


「なん、で……どういうこと?」


 リンピアは今、一人きりだ。

 急な環境の変化に不安が募るが、誰も頼れない。


「だ、誰かいませんか? 誰か!」


 返事がない。

 スケッチに夢中になって峡谷を進みすぎた。

 下心があると分かっていてもカレルの傍に居れば良かった。怪しくてもシグネという女に魔術の話題で声をかけていれば良かった。

 他にも、まざまざ後悔が湧き出てくる。

 そうして手探りで霧の峡谷を進んでいると、



「ウアアアアアアッ――――ギッ!!」


「ひっ……」


 何者かの悲鳴が峡谷に響いた。

 男の人の声だ。何か怖ろしいものを見たときような悲鳴……。


 リンピアは魔導銃を腰のベルトから抜いた。

 正体は掴めないが、何かが峡谷に現れた。

 調査隊はソレに襲われている。


 それだけは確かだった。




「な、なななな、こん――――グ、ゴハッ!」


 また一人、誰かが攻撃された。 


「ああ、神様……」


 リンピアはがたがたと震える手を抑え、崖に背をつけた。

 今この瞬間にも誰かが攻撃されている。死んだかもしれない。自分もいつやられるか分からない。霧から大きな影がすぐにでも飛び出してくるかもしれない。

 恐怖との戦いだった。


「ふー……ふー……」


 気持ちを落ち着かせるために深呼吸した。

 ――その恐怖のまま、黒い霧の奥を凝視していると、恐怖が実現したかのように、影が飛び出した。


「いやぁああああああ!!」


 リンピアは慌てて銃口を影に向け、魔力をありったけ込めて弾丸魔術(バレッタ)を放とうとした。魔力の充填音が霧に響くと、影の正体は焦って声をかけた。


「待て待て! 俺だ。撃つなよ!?」

「か、か、カレルさん……」


 軽装備の大柄な男がサーベルと小銃を持ちながら現れた。リンピアは安堵とともに鼓動が後から急加速するのを感じた。

 続いてもう一人、男が現れた。

 カレルが師匠と呼ぶ壮年の男だ。


「無事だったか、お嬢さん」

「よ、よかったぁ……」


 頼れる二人の護衛が近くに来て、リンピアは安堵の息が漏れた。


「突然なにがあったんですかっ?」

「そりゃこっちが聞きてぇよ! 気づいたら濃い霧に飲まれてこのザマだ」


 見たところ、二人とも冷や汗を掻いていた。

 状況が理解できず混乱してるのは同じようだ。


「お嬢さんは魔術師だろう? 何か知らないか?」

「魔力が充満して霧が濃くなったとしかっ……」


 役に立たないことが不甲斐なかった。


「仕方ないな。とにかく此処から離れ――――」

「ギャアアアアアア」


 また誰かの悲鳴。犠牲者が増えたようだ。


「ちっ、キワモノの三文芝居か何かかよ……。こういう展開は怪物がガバっと出てくんのがお決まりだろうが。一向に姿を出さねえのは気持ち悪いな」

「うむ。急いだ方がよさそうだ。戻るぞ」

「爺さんは後衛を頼むぜ。俺が先頭で、お嬢ちゃんが真ん中だ」


 二人は慣れた連携でリンピアを挟むように隊列を組み、勘を頼りに道を引き返すことにした。


 その間にも悲鳴は続き、総勢で10人以上の悲鳴は聴こえてきた。もし声も出せずに襲われた者もいるとしたら、調査隊も大多数がやられたのではないだろうか。

 リンピアは体の震えが止まらなかった。

 魔術師として攻撃系魔術は心得ていると高を括ったが、それは所詮、痴漢対策程度の対人に通用するものだ。

 本当の怪物相手なら話は別である。



 慎重に引き返し、拓けた場所に出た。

 そこでは黒い霧が少し掃け、視界も徐々に戻ってきた。


「ありゃあ……神父のおっさんじゃねぇか?」


 カレルが目を凝らした先。

 拓けた場所の中心部にスキルワード神父が俯き加減で立ち尽くす姿が見えた。後ろ姿だが、熱心に下を見ている。


「おい、おっさん! これは一体どういうことだ? 何か知ってんなら話せ!」

「…………」


 返事もなく、振り返りもしない。

 異様な雰囲気を察したカレルは、手で制して後ろの二人を止めた。


 リンピアも固唾を飲んで見守った。

 ありがちだが、ここに調査隊を送り込んだ依頼主こそ黒幕の可能性は高い。何か企んでいるなら怪しい動きをするかもしれないが――。



「え……!」



 ――ずるり。

 崩れるように、スキルワード氏は下半身(・・・)から先に倒れ、上半身だけが宙に浮いた状態で残った。


「ひっ……!」

「死んでる!?」


 そのまま上半身だけ、ふらふら近寄ってきた。


 その奥から、黒い巨体が姿を現した――。

 スキルワード氏の頭部を大きな手で握る、緩慢な動作の黒い影だ。襤褸の黒い外套を羽織り、干からびたミイラのような顔をしていた。

 まるで死神のような"怪物"だ。



「な……なんだってんだ、ありゃあ……」



【登場人物】

スキルワード氏 : トヤオ町の教会神父。遺跡調査の依頼主の一人。

シグネ・トイリ : アールグリッジ市商会所属の魔術師の女。遺跡調査の依頼主の一人。

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